「黒子のバスケ」×「俺ガイル」
【比企谷八幡、最後のキセキの煌めきに目を細める。】
「何で夏なのにウィンターなの?」
由比ヶ浜がコテンと首を傾げる。
俺は少々呆れながら「お前、マジで言ってる?」と聞き返した。
9月1日、新学期が始まった。
少し早めに登校した教室の俺の席の前には、雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣。
特に待ち合わせたわけではないのに、なぜかやって来た。
そして俺も当たり前のように、それを受け入れている。
最初に来たのは、雪ノ下だった。
俺が登校して席につくなり現れ「おはよう」と言葉をかけてくる。
素っ気ない、冷たい口調。
だけどそれが可愛いとか思う俺は、かなりイカれてるのかもしれない。
塾の日程とか色気のない話をしていたら、由比ヶ浜がやって来た。
「やっはろー!おはよー!!」
無駄なテンションの高さに、俺は「声デカイ」と文句を言った。
雪ノ下がボソッと「挨拶はどっちか1つでいいと思う」と呟く。
たしかに「やっはろー」も「おはよー」も挨拶だからな。
だが由比ヶ浜は聞こえているのか、いないのか。
華麗にスルーして「これ、見た!?」とスマホの画面をこちらに向けた。
それはネットのニュース記事だった。
タイトルは「2人の天才、アメリカで対決!」とある。
添えられた画像は青峰さんと火神さん。
2人が所属するチームが、アメリカで試合をしたらしい。
「青峰コーチってただのガングロじゃなかったんだね!」
「お前、そんな風に思ってたのか。」
「それについては比企谷君に同意するわ。」
由比ヶ浜が「ええ~?」と頬を膨らまし、俺と雪ノ下はため息をつく。
あの人は「キセキの世代」と呼ばれた天才の1人なんだ。
本来なら俺らなんか、話すこともできない雲の上の人。
こんな風にネット記事になっちゃうと、改めて実感する。
「どっちも黒子の相棒だったんだよな。」
俺はもう1度、由比ヶ浜のスマホを見ながらそう言った。
火神さんは「キセキの世代」と対等に渡り合える、これまた天才。
そして2人とも黒子を認めていた人だ。
「黒子君って、実はただの影が薄い人じゃないんだね!」
「由比ヶ浜さん、その発言もどうかと思うわ」
「ええ~?褒めてるのに!」
「そう聞こえねぇのがすげぇよ。」
俺はまたしてもため息をつきながら、内心は嬉しかった。
ずっと感じていた由比ヶ浜との距離。
それが今ではなくなり、かつての奉仕部みたいな感じに戻っている。
そのきっかけもまた由比ヶ浜だった。
黒子に誘われて、バスケ部の合宿に参加した時のことだ。
由比ヶ浜は最初はどこかぎこちなかった。
だけど次第にグイグイと距離を詰め、前のように笑うようになった。
俺も雪ノ下も最初は戸惑った。
だけど同じ屋根の下で同じ時間を過ごしているうちに変わった。
力づくで押し込まれ、距離を縮められて、どうでもよくなったのだ。
「何かあった?」
合宿最終日、帰りはバスケ部の車に便乗させてもらった。
そのとき、俺は由比ヶ浜にそう聞いたのだ。
すると由比ヶ浜が「灰崎コーチがね」と笑った。
「気持ちがモヤモヤして、灰崎コーチに相談したんだ。」
「ハァ?何て?」
「ヒッキーとゆきのんが仲良くなって、寂しいって。」
「マジか。それであの人、何て言ったんだ?」
「バカップルなんかほっといて、自分が好きなようにしろって」
由比ヶ浜の話は酷く端的で、あんまりな内容だった。
ツッコミどころはたくさんある。
なんでよりによってあんな怖そうな灰崎さんなのか。
それに「バカップル」は断固として否定したい。
だけどそれは敢えて言わなかった。
由比ヶ浜は楽しそうだし、雪ノ下もどうやら許容している。
それならそれで俺も何も言わないのが正解だろう。
「次は黒子君たちだね!」
「そうね。今月はウインターカップが始まるそうだし。」
「何で夏なのにウィンターなの?」
「お前、マジで言ってる?」
俺は深々とため息をついた。
そして雪ノ下も同様にため息だ。
だが説明しようと口を開く前に「冬にやるのは全国大会なんです」と声がする。
俺は「うわ!」と、雪ノ下が「きゃ!」と声を上げる。
聞き慣れた無表情で平坦な声の持ち主は、やはり今日も影が薄い男だ。
「県予選は8月と9月にやるんです。」
「え~?8月って試合してた?」
「うちは今までの戦績で1次ラウンドが免除なんで、9月からです。」
「そうなんだ!」
「今さらですが、おはようございます。」
黒子は軽く一礼すると、さっさと自分の席に行ってしまった。
由比ヶ浜が「1次ラウンド免除ってきっとすごいんだよね!」とはしゃいでいる。
俺と雪ノ下は顔を見合わせると、もう何度目かわからないため息をついた。
*****
「勝てるんだろ?」
俺がそう聞いたら「もちろんです」と強気な答えが返って来た。
もうすぐ黒子の最後の戦いが始まる。
新学期が始まってから、数日。
俺は久しぶりにランチスペースに向かった。
特別棟の1階、保健室横のベンチ。
外なんで、夏の暑い時期は少々厳しい。
だけど今日は気温が低くて、良い感じに風もある。
アウトドアにはまぁまぁの日和ってやつだ。
「どうも」
先客がすでにいて、俺を見て頷いた。
俺も「おう」と手を上げて、応える。
予想通り、やっぱり黒子も来ていた。
考えることはみな同じってヤツだな。
黒子はいつもの通り、コンビニのサンドイッチを食べている。
俺は小町が作ってくれた弁当だ。
弁当を開くなり、黒子はなぜかくすりと笑った。
「何かおかしい?」
「いえ。お米さんは優しいなと思って」
「・・・まぁな。」
俺は改めて、お米さんこと小町が作ってくれた弁当を見た。
彩りよく作られた、綺麗なおかず。
どうやら栄養とかいろいろ考えてくれているらしい。
便利な冷凍食品なんかを使わないのは「女子の意地」なんだそうだ。
「っていうか黒子こそ、それで足りんのか?」
「今さらですね。」
「まぁな。だけどコーチとはいえアスリートにしちゃ少なすぎるだろ。」
「ボク、小食なんですよ。」
「そりゃ知ってるけど、無理してでも食った方がいい。」
「そうですか?」
「ああ。全国制覇の前に倒れたら、シャレにならんだろ。」
俺がそう言うと、黒子は驚いたような顔になった。
おい。それはちょっと傷つくぞ。
俺だって、人のことを気遣う心はある。
すると黒子は「気をつけます」と神妙な顔になった。
何か心を読まれたみたいで気に入らない。
「ところでついに来週なんだろ?」
俺は手を合わせ、小町の弁当に箸をつけながらそう言った。
黒子は「はい」と頷く。
敢えて何のことだとは言わないけど、わかるよな。
バスケ部最大のイベント、ウインターカップ千葉県予選だ。
「勝てるんだろ?」
「もちろんです。」
黒子はいつだって強気だ。
さすが青峰さんや火神さんたちと相棒だった男。
負けることなんて、これっぽっちも考えていないらしい。
今はとにかく試合に全力でってことだろう。
だけど俺は敢えて、その先のことに話題を向けた。
「ウィンターカップが終わったら、お前どうするの?」
「全国制覇したら、渡米しなくちゃならないんです。」
「あ、火神さんとこへ」
「ええ。そういう約束をしました。」
もしかしてそれって黒子にとってペナルティなのか?
思わずそう聞きたくなるくらい、淡々とした口調だった。
でも普通に考えたらご褒美だよな。
全国制覇の後にアメリカなんてさ。
「じゃあ全国制覇できなかったら?」
「さぁ。どうなるでしょうね。」
「そんなんでいいのか?」
「一応声をかけてくれる大学や社会人チームはあるんですけど。」
「全部バスケ関係か?」
黒子はモグモグとサンドイッチを齧りながら、頷いた。
何だか羨ましい話だ。
どう転んでも、将来は安泰って感じだし。
受験勉強に明け暮れる身としては、妬みすら感じる。
だけどきっと違うよな。
俺の受験勉強と、黒子がバスケにつぎ込んだ努力の時間。
間違いなく後者の方が、濃厚で熱量が高い。
つまり妬むような筋合いじゃないってことだ。
「もう1つ聞いていいか?」
「何ですか?」
「この学校のバスケ部のコーチはどうなるんだ?」
「・・・まだわかりません。」
「お前が続けるって選択肢はねーの?みんな喜ぶだろ」
「まったくの白紙です。ボク自身、高校卒業後もバスケを続けるかも未定で。」
意外な発言を聞いた俺は「は?」と間の抜けた声を上げてしまった。
黒子がバスケを続けない?
その可能性を俺は考えたこともなかった。
小町が俺の妹をやめるとか、由比ヶ浜が「やっはろー」と言うのをやめるとか。
それくらい、いやそれ以上にありえないことに思えた。
「データのチェックがあるので、先に戻ります。」
サンドイッチを食べ終えた黒子が、立ち上がった。
俺は不思議な気分のまま「ああ」と頷く。
そして去っていく黒子の背中を見送りながら、戸惑った。
俺なんかには想像できない世界に向かって、行ってしまうような気がしたからだ。
*****
「なんであいつがあそこにいるんだ!?」
大男が大きな声で盛大に文句を言う。
だがもう1人の大男が「今さら?」と呆れ、俺も思わず深く頷いたのだった。
9月某日、俺は県内のとある体育館に向かっていた。
雪ノ下と由比ヶ浜、小町も一緒だ。
今日はバスケ部の大事な試合の日。
ウィンターカップ、千葉県予選の第2ラウンド最終日だ。
勝ち抜けば全国、負ければ終わり。
そんなシビアな日だったのだ。
俺も雪ノ下も由比ヶ浜も、迷わず観戦に行くことに決めた。
本戦である全国大会の頃は、受験勉強追い込みの時期。
観戦するのは、むずかしいかもしれない。
つまり黒子たちの活躍を直接見るのは、最後になる可能性が高いのだ。
それならやはり見ておきたいと思った。
「うわ。マジか」
会場に着くなり、俺たちは驚いた。
結構早めに来たはずなのに、すでに客席は8割ほど埋まっていたからだ。
しかも中央の席には、一際目立つ一団がいた。
デカい身体と、色とりどりのオーラを放つ数名の男たちだ。
「一応、挨拶しておくか」
俺は雪ノ下たちに声をかけると、彼らに近づいた。
いち早く気づいてくれたのは、赤司さんだった。
いつもの如才ない笑顔で「やぁ。比企谷君」と手を振ってくれる。
俺は「どうも」と頭を下げながら、さらに彼らに近づく。
だけどその中に予想外の人たちを見つけて「え?」と声を上げた。
赤司さんに緑間さん、紫原さんに黄瀬さん。
ここまではいい。わかるよ。
彼らは現在、東京在住。
友人である黒子の活躍を見に、ここまで来たんだよな。
だけどそのほかに信じられない人がいたんだ。
青峰さんに桃井さん、そして火神さんだ。
俺は思わず「アメリカじゃないんすか?」と聞いていた。
アメリカって、新学期とかは確か9月だよな。
何でこの時期にここにいるんだよ。
「日本には1泊もしない強行スケジュールなんだけどね。」
事もなげにそう教えてくれたのは、桃井さんだった。
俺は「そりゃ大変っすね」と応じながら、すごいと思った。
黒子のために、わざわざ帰国。
しかもかなり無理をしてるんだからな。
俺は改めて、火神さんを見た。
キセキのみなさんとはそれなりに交流があるけど、この人とは挨拶程度しかない。
いったいどんな思いでここに来たんだろう。
そんなことを考えながら、俺たちは彼らの後ろの列の一角を陣取った。
すごく良い、試合が見やすい席だ。
だけど「キセキ+1」のオーラにビビったのか、彼らの周りだけ空いてる。
これを利用しないのは、もったいないよな。
ちなみにこれから始まるのは、インターハイ優勝校との決勝戦だ。
これで勝った方が全国に進む。
俺は改めて「すげぇな」と驚いていた。
おととしまでは間違いなく、うちのバスケ部は弱かった。
それが今や優勝争いできるチームになったんだな。
しばらくして、両校の選手がコートに現れた。
沸き起こる拍手と歓声。
マスコミっぽい人がデカいカメラで撮影を開始する。
圧倒的にフラッシュを浴びているのは、黒子だった。
やっぱりな。
体育館の後ろを見れば、席がなくて立ち見の客がいる。
おそらく普段の大会よりギャラリーは多いんだろう。
やはり黒子が注目されてるんだ。
キセキの世代、幻の6人目(シックスマン)の物語を見に来ている。
「オラ、声出していくぞ!」
灰崎さんの声が響いた。
そしてテキパキと指示を出し、号令をかける。
部員たちが答えるように声を出しながら、キビキビとアップを開始した。
声を張るのは、黒子より灰崎さんなんだな。
「ホントに祥吾君がコーチなんすね。」
「ほんとだ~。ザキちん、なんか意外~」
「あいつに務まるか心配なのだよ」
「でもテツ君は、ちゃんとやってるって言ってたよ~?」
「ああ。信じらんねぇけどな。」
「そういう意味では、黒子の目は確かだったということだろう。」
キセキの世代の面々の目は、まずは灰崎さんに向いていた。
っていうか、灰崎さんって相当悪かったんだな。
いや、そういう雰囲気はありありだけど。
でも今の灰崎さんは多分違う。
黒子が信頼して、由比ヶ浜が悩みを相談できる人なんだ。
「なんであいつがあそこにいるんだ!?」
みんなが灰崎さんを評する中、1人だけついていけない人がいた。
火神さんだ。大きな声で盛大に文句を言っている。
そこに青峰さんが「今さら?」と呆れた声を上げた。
俺も青峰さんのツッコミに深く頷く。
だけど俺は火神さんが何も知らないことに驚いていた。
黒子は全国制覇したら、火神さんを追って渡米するって言ってた。
それほどの相手に、灰崎さんのことを話していない。
つまり近況報告をまったくしていないんだ。
やがてウォーミングアップが終わった。
そして両校のスタメン選手がコート中央に整列する。
ついに運命の試合が始まるんだ。
俺は「キセキ+1」の背中が緊張するのを見ながら、試合開始のホイッスルを聞いた。
【続く】
「何で夏なのにウィンターなの?」
由比ヶ浜がコテンと首を傾げる。
俺は少々呆れながら「お前、マジで言ってる?」と聞き返した。
9月1日、新学期が始まった。
少し早めに登校した教室の俺の席の前には、雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣。
特に待ち合わせたわけではないのに、なぜかやって来た。
そして俺も当たり前のように、それを受け入れている。
最初に来たのは、雪ノ下だった。
俺が登校して席につくなり現れ「おはよう」と言葉をかけてくる。
素っ気ない、冷たい口調。
だけどそれが可愛いとか思う俺は、かなりイカれてるのかもしれない。
塾の日程とか色気のない話をしていたら、由比ヶ浜がやって来た。
「やっはろー!おはよー!!」
無駄なテンションの高さに、俺は「声デカイ」と文句を言った。
雪ノ下がボソッと「挨拶はどっちか1つでいいと思う」と呟く。
たしかに「やっはろー」も「おはよー」も挨拶だからな。
だが由比ヶ浜は聞こえているのか、いないのか。
華麗にスルーして「これ、見た!?」とスマホの画面をこちらに向けた。
それはネットのニュース記事だった。
タイトルは「2人の天才、アメリカで対決!」とある。
添えられた画像は青峰さんと火神さん。
2人が所属するチームが、アメリカで試合をしたらしい。
「青峰コーチってただのガングロじゃなかったんだね!」
「お前、そんな風に思ってたのか。」
「それについては比企谷君に同意するわ。」
由比ヶ浜が「ええ~?」と頬を膨らまし、俺と雪ノ下はため息をつく。
あの人は「キセキの世代」と呼ばれた天才の1人なんだ。
本来なら俺らなんか、話すこともできない雲の上の人。
こんな風にネット記事になっちゃうと、改めて実感する。
「どっちも黒子の相棒だったんだよな。」
俺はもう1度、由比ヶ浜のスマホを見ながらそう言った。
火神さんは「キセキの世代」と対等に渡り合える、これまた天才。
そして2人とも黒子を認めていた人だ。
「黒子君って、実はただの影が薄い人じゃないんだね!」
「由比ヶ浜さん、その発言もどうかと思うわ」
「ええ~?褒めてるのに!」
「そう聞こえねぇのがすげぇよ。」
俺はまたしてもため息をつきながら、内心は嬉しかった。
ずっと感じていた由比ヶ浜との距離。
それが今ではなくなり、かつての奉仕部みたいな感じに戻っている。
そのきっかけもまた由比ヶ浜だった。
黒子に誘われて、バスケ部の合宿に参加した時のことだ。
由比ヶ浜は最初はどこかぎこちなかった。
だけど次第にグイグイと距離を詰め、前のように笑うようになった。
俺も雪ノ下も最初は戸惑った。
だけど同じ屋根の下で同じ時間を過ごしているうちに変わった。
力づくで押し込まれ、距離を縮められて、どうでもよくなったのだ。
「何かあった?」
合宿最終日、帰りはバスケ部の車に便乗させてもらった。
そのとき、俺は由比ヶ浜にそう聞いたのだ。
すると由比ヶ浜が「灰崎コーチがね」と笑った。
「気持ちがモヤモヤして、灰崎コーチに相談したんだ。」
「ハァ?何て?」
「ヒッキーとゆきのんが仲良くなって、寂しいって。」
「マジか。それであの人、何て言ったんだ?」
「バカップルなんかほっといて、自分が好きなようにしろって」
由比ヶ浜の話は酷く端的で、あんまりな内容だった。
ツッコミどころはたくさんある。
なんでよりによってあんな怖そうな灰崎さんなのか。
それに「バカップル」は断固として否定したい。
だけどそれは敢えて言わなかった。
由比ヶ浜は楽しそうだし、雪ノ下もどうやら許容している。
それならそれで俺も何も言わないのが正解だろう。
「次は黒子君たちだね!」
「そうね。今月はウインターカップが始まるそうだし。」
「何で夏なのにウィンターなの?」
「お前、マジで言ってる?」
俺は深々とため息をついた。
そして雪ノ下も同様にため息だ。
だが説明しようと口を開く前に「冬にやるのは全国大会なんです」と声がする。
俺は「うわ!」と、雪ノ下が「きゃ!」と声を上げる。
聞き慣れた無表情で平坦な声の持ち主は、やはり今日も影が薄い男だ。
「県予選は8月と9月にやるんです。」
「え~?8月って試合してた?」
「うちは今までの戦績で1次ラウンドが免除なんで、9月からです。」
「そうなんだ!」
「今さらですが、おはようございます。」
黒子は軽く一礼すると、さっさと自分の席に行ってしまった。
由比ヶ浜が「1次ラウンド免除ってきっとすごいんだよね!」とはしゃいでいる。
俺と雪ノ下は顔を見合わせると、もう何度目かわからないため息をついた。
*****
「勝てるんだろ?」
俺がそう聞いたら「もちろんです」と強気な答えが返って来た。
もうすぐ黒子の最後の戦いが始まる。
新学期が始まってから、数日。
俺は久しぶりにランチスペースに向かった。
特別棟の1階、保健室横のベンチ。
外なんで、夏の暑い時期は少々厳しい。
だけど今日は気温が低くて、良い感じに風もある。
アウトドアにはまぁまぁの日和ってやつだ。
「どうも」
先客がすでにいて、俺を見て頷いた。
俺も「おう」と手を上げて、応える。
予想通り、やっぱり黒子も来ていた。
考えることはみな同じってヤツだな。
黒子はいつもの通り、コンビニのサンドイッチを食べている。
俺は小町が作ってくれた弁当だ。
弁当を開くなり、黒子はなぜかくすりと笑った。
「何かおかしい?」
「いえ。お米さんは優しいなと思って」
「・・・まぁな。」
俺は改めて、お米さんこと小町が作ってくれた弁当を見た。
彩りよく作られた、綺麗なおかず。
どうやら栄養とかいろいろ考えてくれているらしい。
便利な冷凍食品なんかを使わないのは「女子の意地」なんだそうだ。
「っていうか黒子こそ、それで足りんのか?」
「今さらですね。」
「まぁな。だけどコーチとはいえアスリートにしちゃ少なすぎるだろ。」
「ボク、小食なんですよ。」
「そりゃ知ってるけど、無理してでも食った方がいい。」
「そうですか?」
「ああ。全国制覇の前に倒れたら、シャレにならんだろ。」
俺がそう言うと、黒子は驚いたような顔になった。
おい。それはちょっと傷つくぞ。
俺だって、人のことを気遣う心はある。
すると黒子は「気をつけます」と神妙な顔になった。
何か心を読まれたみたいで気に入らない。
「ところでついに来週なんだろ?」
俺は手を合わせ、小町の弁当に箸をつけながらそう言った。
黒子は「はい」と頷く。
敢えて何のことだとは言わないけど、わかるよな。
バスケ部最大のイベント、ウインターカップ千葉県予選だ。
「勝てるんだろ?」
「もちろんです。」
黒子はいつだって強気だ。
さすが青峰さんや火神さんたちと相棒だった男。
負けることなんて、これっぽっちも考えていないらしい。
今はとにかく試合に全力でってことだろう。
だけど俺は敢えて、その先のことに話題を向けた。
「ウィンターカップが終わったら、お前どうするの?」
「全国制覇したら、渡米しなくちゃならないんです。」
「あ、火神さんとこへ」
「ええ。そういう約束をしました。」
もしかしてそれって黒子にとってペナルティなのか?
思わずそう聞きたくなるくらい、淡々とした口調だった。
でも普通に考えたらご褒美だよな。
全国制覇の後にアメリカなんてさ。
「じゃあ全国制覇できなかったら?」
「さぁ。どうなるでしょうね。」
「そんなんでいいのか?」
「一応声をかけてくれる大学や社会人チームはあるんですけど。」
「全部バスケ関係か?」
黒子はモグモグとサンドイッチを齧りながら、頷いた。
何だか羨ましい話だ。
どう転んでも、将来は安泰って感じだし。
受験勉強に明け暮れる身としては、妬みすら感じる。
だけどきっと違うよな。
俺の受験勉強と、黒子がバスケにつぎ込んだ努力の時間。
間違いなく後者の方が、濃厚で熱量が高い。
つまり妬むような筋合いじゃないってことだ。
「もう1つ聞いていいか?」
「何ですか?」
「この学校のバスケ部のコーチはどうなるんだ?」
「・・・まだわかりません。」
「お前が続けるって選択肢はねーの?みんな喜ぶだろ」
「まったくの白紙です。ボク自身、高校卒業後もバスケを続けるかも未定で。」
意外な発言を聞いた俺は「は?」と間の抜けた声を上げてしまった。
黒子がバスケを続けない?
その可能性を俺は考えたこともなかった。
小町が俺の妹をやめるとか、由比ヶ浜が「やっはろー」と言うのをやめるとか。
それくらい、いやそれ以上にありえないことに思えた。
「データのチェックがあるので、先に戻ります。」
サンドイッチを食べ終えた黒子が、立ち上がった。
俺は不思議な気分のまま「ああ」と頷く。
そして去っていく黒子の背中を見送りながら、戸惑った。
俺なんかには想像できない世界に向かって、行ってしまうような気がしたからだ。
*****
「なんであいつがあそこにいるんだ!?」
大男が大きな声で盛大に文句を言う。
だがもう1人の大男が「今さら?」と呆れ、俺も思わず深く頷いたのだった。
9月某日、俺は県内のとある体育館に向かっていた。
雪ノ下と由比ヶ浜、小町も一緒だ。
今日はバスケ部の大事な試合の日。
ウィンターカップ、千葉県予選の第2ラウンド最終日だ。
勝ち抜けば全国、負ければ終わり。
そんなシビアな日だったのだ。
俺も雪ノ下も由比ヶ浜も、迷わず観戦に行くことに決めた。
本戦である全国大会の頃は、受験勉強追い込みの時期。
観戦するのは、むずかしいかもしれない。
つまり黒子たちの活躍を直接見るのは、最後になる可能性が高いのだ。
それならやはり見ておきたいと思った。
「うわ。マジか」
会場に着くなり、俺たちは驚いた。
結構早めに来たはずなのに、すでに客席は8割ほど埋まっていたからだ。
しかも中央の席には、一際目立つ一団がいた。
デカい身体と、色とりどりのオーラを放つ数名の男たちだ。
「一応、挨拶しておくか」
俺は雪ノ下たちに声をかけると、彼らに近づいた。
いち早く気づいてくれたのは、赤司さんだった。
いつもの如才ない笑顔で「やぁ。比企谷君」と手を振ってくれる。
俺は「どうも」と頭を下げながら、さらに彼らに近づく。
だけどその中に予想外の人たちを見つけて「え?」と声を上げた。
赤司さんに緑間さん、紫原さんに黄瀬さん。
ここまではいい。わかるよ。
彼らは現在、東京在住。
友人である黒子の活躍を見に、ここまで来たんだよな。
だけどそのほかに信じられない人がいたんだ。
青峰さんに桃井さん、そして火神さんだ。
俺は思わず「アメリカじゃないんすか?」と聞いていた。
アメリカって、新学期とかは確か9月だよな。
何でこの時期にここにいるんだよ。
「日本には1泊もしない強行スケジュールなんだけどね。」
事もなげにそう教えてくれたのは、桃井さんだった。
俺は「そりゃ大変っすね」と応じながら、すごいと思った。
黒子のために、わざわざ帰国。
しかもかなり無理をしてるんだからな。
俺は改めて、火神さんを見た。
キセキのみなさんとはそれなりに交流があるけど、この人とは挨拶程度しかない。
いったいどんな思いでここに来たんだろう。
そんなことを考えながら、俺たちは彼らの後ろの列の一角を陣取った。
すごく良い、試合が見やすい席だ。
だけど「キセキ+1」のオーラにビビったのか、彼らの周りだけ空いてる。
これを利用しないのは、もったいないよな。
ちなみにこれから始まるのは、インターハイ優勝校との決勝戦だ。
これで勝った方が全国に進む。
俺は改めて「すげぇな」と驚いていた。
おととしまでは間違いなく、うちのバスケ部は弱かった。
それが今や優勝争いできるチームになったんだな。
しばらくして、両校の選手がコートに現れた。
沸き起こる拍手と歓声。
マスコミっぽい人がデカいカメラで撮影を開始する。
圧倒的にフラッシュを浴びているのは、黒子だった。
やっぱりな。
体育館の後ろを見れば、席がなくて立ち見の客がいる。
おそらく普段の大会よりギャラリーは多いんだろう。
やはり黒子が注目されてるんだ。
キセキの世代、幻の6人目(シックスマン)の物語を見に来ている。
「オラ、声出していくぞ!」
灰崎さんの声が響いた。
そしてテキパキと指示を出し、号令をかける。
部員たちが答えるように声を出しながら、キビキビとアップを開始した。
声を張るのは、黒子より灰崎さんなんだな。
「ホントに祥吾君がコーチなんすね。」
「ほんとだ~。ザキちん、なんか意外~」
「あいつに務まるか心配なのだよ」
「でもテツ君は、ちゃんとやってるって言ってたよ~?」
「ああ。信じらんねぇけどな。」
「そういう意味では、黒子の目は確かだったということだろう。」
キセキの世代の面々の目は、まずは灰崎さんに向いていた。
っていうか、灰崎さんって相当悪かったんだな。
いや、そういう雰囲気はありありだけど。
でも今の灰崎さんは多分違う。
黒子が信頼して、由比ヶ浜が悩みを相談できる人なんだ。
「なんであいつがあそこにいるんだ!?」
みんなが灰崎さんを評する中、1人だけついていけない人がいた。
火神さんだ。大きな声で盛大に文句を言っている。
そこに青峰さんが「今さら?」と呆れた声を上げた。
俺も青峰さんのツッコミに深く頷く。
だけど俺は火神さんが何も知らないことに驚いていた。
黒子は全国制覇したら、火神さんを追って渡米するって言ってた。
それほどの相手に、灰崎さんのことを話していない。
つまり近況報告をまったくしていないんだ。
やがてウォーミングアップが終わった。
そして両校のスタメン選手がコート中央に整列する。
ついに運命の試合が始まるんだ。
俺は「キセキ+1」の背中が緊張するのを見ながら、試合開始のホイッスルを聞いた。
【続く】