「黒子のバスケ」×「俺ガイル」

【比企谷八幡の暑くて熱い夏は、迷走し続けている。】

「あっついな。まったく」
冷房の効いたビルから屋外に出た俺は、開口一番文句を言う。
だけど隣の美少女は涼しい顔で「そうね」と受け流した。

夏休みに入り、俺と雪ノ下は塾の夏期講習に通い始めた。
正直言って、暑い中駅前の塾まで通うのはかなりシンドイ。
ダクダクと汗をかきながら、歩いているとバカバカしくなるんだ。
ここに体力使うなら、家でひたすらコツコツ勉強してた方が効率よくね?とか。
でも家にいると、多分やらないんだな。
だって何しろ本やら漫画やらゲームやら、誘惑がいっぱいあるんだから。
だからこうしてHPを削りながら、塾にやってくるわけだ。

でも塾には魔法使いがいるんだ。
それが晴れて恋人となった雪ノ下雪乃。
美人で生意気で、でも実は可愛い回復魔法の使い手。
俺はコイツの顔を見て、癒されてHPを回復させる。

だけどこの魔法使い、諸刃の剣でもあるんだ。
ちょっとこっちが皮肉な言葉を投げると、数倍の反撃が返って来る。
何でもないときなら、その応酬さえ楽しい。多分。
でも暑さと受験勉強でへばっていると、とてもそんな余裕はない。
癒されるどころか、さらにHP激減の大惨事もあり得るんだな。

ちなみに俺の目下の最大の悩みもまた、この魔法使いなんだ。
正確には魔法使いの一族だな。
あの和服美人の母上には「雪乃と同じ大学に進むんでしたね」と言われた。
さらに姉上は「比企谷君なら軽いよね~?」なんて、追い打ちをかけてくれる。
それはそれは恐ろしいプレッシャーだ。
うちの大事な娘と付き合うなら、それは最低ラインだよ。
きっぱりとそう念を押されたってことだよな。
恐るべし、魔女の家系。

え?ノロケに聞こえる?
あんな美人と親公認のお付き合いをしているなら、それくらい当然?
わかってるよ。
だけど少しだけでいいから、俺の心情を思いやってくれ。
猛暑と魔女の攻撃に耐える受験生なんだ。

前置きが長くなって、申し訳ない。
とにかくこの日の講習を終えた俺たちは、塾を出た。
冷蔵庫から出されて、オーブンに放り込まれたような状態だ。
俺は思わず「あっついな。まったく」と文句を言った。

雪ノ下は「そうね」と頷いた。
だけどその顔は涼しげだ。
女子はスカートだから、男子より少しはマシなのかね?
でも雪ノ下の長い髪を見ていると、そうでもないかなと思う。
これはこれで余計な熱がこもってしまいそうだな。

にしても、雪ノ下はやはりちゃんとしていると思う。
俺なんかはもうほとんど寝起きな感じで来ている。
服は適当だし、寝ぐせも相当ひどくなければそのままだ。
どうせこの季節、汗でベタベタになっちまうからな。

だけど雪ノ下っていつもちゃんとしてるんだよな。
服がよれているのも、髪が乱れているのも見たことない。
まるでシャンプーのCMみたいな、艶やかな黒髪。
触ったらサラサラって音がしそうだ。

「そんなにジロジロ見ないでくれる?」
ふと気づくと、雪ノ下が恥ずかしそうな顔をしていた。
俺は慌てて「悪い」とあやまる。
内心、動揺しまくりだ。
何だか妄想の世界に突入しかかっていたような気がするしな。

奉仕部は受験とラブコメで青春を謳歌してます。
不意に脳内でそんなナレーションが聞こえた。
声の主はあの影が薄いクラスメイトだ。
しかもあのいつものポーカーフェイスまで心に浮かんでる。
ああ、俺、暑さで相当イカれてる。

「お前の髪、すごく綺麗だと思ったんだよ。」
「な、何を言ってるのよ。」

俺は意を決して、それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟でそう言った。
対する雪ノ下はこの暑さでもわかるくらい赤面し、答えを噛んじゃってる。
何て不器用だと笑わないでくれ。
俺たちのラブコメは進行速度がかなり遅い。
暑さのせいにしなければ、なかなか進まないんだよ。

*****

「お前、テツヤのダチだよな?」
ガラの悪い灰色の男が、俺を揶揄うように覗き込む。
俺は心の中で「違う」と思いながらも「はい」と頷いてしまった。

8月って何か微妙だよな。
学生にとっては、まるまる1ヶ月休める楽しい月。
だけど8月に入ると、夏休みの残りが確実に減り始めたことを実感する。
そして日が進むにつれ近づく、カウントダウン。
新学期っていう絶望に向かって、まっしぐらだ。

ちなみに今は8月になったばかり。
まだ憂鬱より楽しい方が勝っている時期。
俺は久しぶりに制服を着て、学校に来ていた。
夏期講習はない日で、雪ノ下は用事があるそうだ。
家で1人で勉強すれば怠けてしまいそうな俺は、学校に来たってわけ。

ちなみに学校には普段ほど人はいない。
だけど閑散としてるってほどでもないんだ。
部活とかで、夏休みも普通に登校している生徒は結構いる。
後は俺みたいな自習目的の3年生とかな。

俺は校門を抜けて、校舎に向かって歩き出した。
静けさの中、遠くから聞こえるどこかの運動部の掛け声。
そしてブラスバンドのチューニングの音。
夏休み独特の雰囲気を味わいながら、俺は正面玄関前で足を止めた。

さてどこで勉強しようか。
教室?図書室?誰もいない奉仕部の部室もありか。
迷っていたところで「あ?お前」と声をかけられた。
聞き覚えのない声に、そちらの方向を見た俺は「あ」と声を上げる。
内心の本音は「うわ、ヤバい」だ。

そいつはTシャツに短パン姿で俺を見下ろしていた。
見るからにガラの悪そうな、灰色の髪の男。
青峰さんの後任で、バスケ部のコーチになった灰崎って人だ。

「お前、確かテツヤの」
灰崎さんは目を眇めながら、さらに俺をガン見する。
今さらだけど、黒子の関係者って目力が強いヤツばかりだよな。
しかも概ねみんな身長高いから、威圧感がハンパない。
黒子ってどうしてこういう人たちに少しも怯まないでいられるんだろう。

「お前、テツヤのダチだよな?」
再度念を押された俺は「はい」と頷いた。
内心は断固として否定したい気分だったけどな。
ダチ?俺と黒子の関係って何か違うような気がするんだけど。
それでも頷いてしまったのは、単に怖かったから。
それに上手く説明する自信もないしな。

「テツヤって、学校ではどうなんだ?」
「ええと。普通っす。」
「具体的にはどんなんだよ?」
「影が薄くて、存在感なくて、時々急に現れて驚かされます。」

いるかと思えばいなくなり、いないと思ったらすぐそばにいて驚く。
黒子はいつもそんな感じだ。
灰崎さんは一瞬黙り込んだが、すぐに「ブハ!」と吹き出した。
笑ってくれたことに、俺はホッとする。
こういう感じの人、マジで怖いんだよ。
だけどこれならボコられるとか、タカられることはなさそうだ。

「あいつ、中学のときと全然変わってねぇんだな。」
「そうすか?」
「てか、お前も面白そうだな。ダイキの言う通り。」
「へ?」
「奉仕部だったか?酔狂なヤツがテツヤのそばにいるって聞いたけど」

俺は「マジすか」と肩を落とした。
ダイキとは青峰大輝、この人の前任者のこと。
ってかバスケ部のコーチって、俺の情報を申し送りしてるのかよ。

「今日は黒子、来てるんすか?」
「ああ。会ってくのか?」
「まさか。練習の邪魔はしないですよ。」

俺は軽く肩を竦めると、一礼して歩き出した。
青峰さんの話だと、灰崎さんってかなりヤバいやつっぽかったけど。
今はそんなに怖くなかったかな。
いやいやあの黒子の関係者なんだし、普通のはずはないよな。

俺はそんなことを思いながら、歩き出した。
玄関を抜けて、教室に向かいながら、ふと思う。
そういや黒子って、受験勉強とかしている気配がまるでない。
卒業後っていったいどうするつもりなんだろう。

*****

「受験勉強、頑張らないとね。」
由比ヶ浜結衣は困ったような笑みを見せながら、そう言った。
俺は「だな」と頷きながら、なぜか居心地の悪さを感じていた。

8月中旬の某日、俺は千葉駅前にいた。
夏期講習の授業はなく、雪ノ下は家の用事とやらで会えない日。
俺はと言えば、何だか妙に疲れていた。
受験勉強疲れってヤツかな。
それに夏の暑さが重なって、なんだかグッタリだ。

それでも何とか机に向かっていたけれど、夕方になって外に出た。
買い物がてらの気分転換だ。
参考書とノート、シャープペンの芯も買い足しておくか。
それに受験勉強だからと気を使ってくれる親や小町に、お土産でも。
そんなことを思いながら歩いていた時、俺は彼女と再会したのだ。

「あれ?ヒッキー。やっはろー!」
由比ヶ浜結衣は、俺を見つけると手を振りながら近づいてきた。
俺はそのフレーズに、妙な感動を覚える。
俺をヒッキーって呼ぶのも、独特の挨拶も由比ヶ浜だけのもの。
部活では毎日のように聞いていた言葉なのに、今や懐かしいとは。
改めて、引退したんだなぁって実感してしまった。

「何か久しぶりだね。何してるの?」
「買い物兼気晴らしだ。気晴らしの方がやや強め。」
「今日、ゆきのんは一緒じゃないの?」
「ああ。何か用があるらしい。お前は?」
「あたしは学校の図書室で勉強してたの。それでちょっと気分転換に歩いてた。」

雑踏の中、俺たちは話をしながら並んで歩き出した。
どうやらお互い気晴らし中だったらしい。
ならまぁ少しくらいこんな時間があってもいいよな。

「学校って1人で行ったのか?」
「うん。何で?」
「いや、お前っていつも友達と一緒にいるイメージだからさ」
「そうかな。」

由比ヶ浜の顔がやや強張ったのを見て、俺は余計なことを言ったのだと悟った。
いつも賑やかな輪の中にいる由比ヶ浜結衣。
それは俺の勝手なイメージを植え付けているに過ぎない。
俺と雪ノ下と付き合い始めたことで、由比ヶ浜の関係も変わったんだ。
わかったようなことを言って、傷つけることはしたくない。

「学校で黒子君に会ったよ。」
「マジか。バスケ部、新コーチはちゃんとやってんのか?」

俺は話題が変わったことにホッとしながら、そう聞いた。
すると由比ヶ浜が「灰崎さんね」と微笑する。
その言い方に俺は「あれ?」と思った。
あの怖い人の話題で笑う由比ヶ浜に、微妙な距離を感じたからだ。

「青峰さんよりスパルタっぽかったよ。」
「バスケ部の練習、見に行ったのかよ。」
「う~ん。そうじゃないんだけど。」

由比ヶ浜は曖昧に言葉を濁した。
それにまた俺の心がザラリと揺れた。
ほんの1ヶ月会わなかっただけなのに、何だか前と違う。
そのことが俺をひどく落ち着かない気分にさせるのだ。

「なぁ。どっかでお茶でもしていくか?」
俺は思わず由比ヶ浜を誘っていた。
微妙な距離感を埋めるために。
この落ち着かない気分を鎮めるために。
だけど由比ヶ浜は「するわけないじゃん」と首を振った。

「彼女持ちの男子と2人きりでお茶なんてできないよ。」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ。」
「わかった。じゃあこれで。」

あっさりと振られた俺は、諦めてそう言った。
すると由比ヶ浜も「受験勉強、頑張らないとね」と笑う。
俺は「だな」と頷きながら、なぜか居心地の悪さを感じていた。
俺と雪ノ下と由比ヶ浜。
歪な三角形のかたちはまだまだ変わり続けているらしい。

【続く】
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