「黒子のバスケ」×「俺ガイル」

【黒子テツヤは灰色の風に身を任せて、静かに走り出す。】

「この件で悪いのは、比企谷君ですよ。」
黒子はきっぱりとそう言い切った。
由比ヶ浜がおずおずと「そんなこと」と反論しようとする。
だが黒子は「あるんです」とかぶせ気味に断言し、ぶった切った。

部活の練習を終えた黒子は、体育館を出た。
部員や青峰と桃井が出た後、最後に確認するのは黒子の仕事だ。
戸締りなどを全てチェックし、施錠する。
そして着替えのために部室に向かおうとしたところで、足を止めた。

「由比ヶ浜さん。どうかしましたか?」
黒子は声をかけてから、しまったと思った。
部室の横の大きな木に背中を預け、空を見上げていた由比ヶ浜結衣。
その彼女の頬には涙が伝っていたからだ。
おそらく人が少ないこの場所に泣きに来たんだろう。
誰かに声なんかかけてほしくない状況だと思う。

「黒子君」
声をかけられた由比ヶ浜は、そこで初めて黒子に気付いたようだった。
そして困ったような顔で黒子を見る。
黒子は一瞬迷ったが「ボクでよければ聞きますよ」と言った。
由比ヶ浜の瞳の中にすがるような雰囲気を見て取ったからだ。

「聞いてくれる?」
由比ヶ浜は手で涙を拭いながら、そう言った。
黒子は「もちろんです」と答える。
何となく予想はできた。
おそらく比企谷と雪ノ下の名が出てくるであろうことは。

「実はさっき、部活で」
由比ヶ浜は慎重に、言葉を選ぶように話し始めた。
おそらくは比企谷や雪ノ下が悪者にならないように。
そして語られたのは、奉仕部の3年生引退のこと。
つい今しがた、比企谷と雪ノ下は夏前に辞めると宣言したのだそうだ。

「あたしは好きにしていいって言われたけど」
由比ヶ浜はそこで新たにこみ上げてきた涙を指で押さえた。
黒子は「そうですか」と頷きながら、内心「あのバカ」と思っていた。

比企谷と雪ノ下が引退時期について、半ば口論のように話していた時。
黒子は「好きに決めたらいい」とアドバイス的なことをした。
アドバイスではない。
あくまでもアドバイス的なことだ。
明確な決め事がないなら、都合の良い時期に設定したら良いと言った。

だからって全部自由ってわけではない。
少なくても部活で正式表明する前に、3人で意見をすり合わせればよかった。
3人で時期を合わせる必要はないが、相談はするべきだったのだ。

そりゃ彼女と過ごす夏、浮かれてたんでしょうけど。
黒子はそんなことを考えて、こっそりため息をついた。
よくよく考えれば、比企谷らしからぬミスだ。
受験勉強、雪ノ下との夏、そして残される小町のこと。
いろいろ考えていて、由比ヶ浜のことは完全に抜け落ちた。
だから蚊帳の外に置かれたと感じた由比ヶ浜は傷ついたのだ。

「こんなことで泣いたりして。ヒッキーもゆきのんも驚いたかな。」
「この件で悪いのは、比企谷君ですよ。」
「そんなこと」
「あるんです。」

黒子はきっぱりと比企谷を悪者と決めつけた。
比企谷にも言い分はあるかもしれないが、関係ない。
ジェンダーフリーと呼ばれる、今の世の中。
それでもやっぱり女の子を泣かせる男は、悪い。

「今度比企谷君に会ったら、蹴り飛ばしてやればいいんですよ。」
「え?蹴り飛ばすのは、ちょっと」
「なら何か奢らせてやればいいんじゃないですか?」
「奢らせるの?」
「はい。ランチでもスイーツでも、何か豪華なやつを」
「それ、いいかも!」
「お手軽にマックスコーヒーなんかで手を打っちゃダメですよ。」

黒子はいつもの無表情のまま、報復を進言してやった。
比企谷だって、悪いことをしたとわかっているはずだ。
おそらく由比ヶ浜が「何か奢って」と言ったら、素直に従う。
それでわだかまりが取れれば、まずまずの手打ちだろう。

「ありがとう。黒子君。」
由比ヶ浜結衣はふっ切れたようなすっきりとした笑顔だ。
黒子は「どういたしまして」と答える。
特に何かしたつもりはないけれど、力になれたのなら何よりだ。

*****

「ったく。問題だらけじゃないですか。」
黒子はらしからぬ悪態をつきながら、パソコンを操作していた。
表情こそ、いつもの無表情。
だけど口調もパソコンのキーを叩く忙しない音も、今の黒子の心境を表していたのだ。

もうすぐ夏休み。
そんな弛緩した空気が漂う放課後、バスケ部は部活中。
だけどこの日、黒子は練習場所にはいなかった。
練習は青峰と桃井にまかせ、パソコンでデータの整理をしていたのだ。

この学校に来る前の黒子を知っている者はきっと驚くだろう。
黒子が結構なスピードでキーを叩いている様子に。
だけどこれは必要に迫られたからやっていることだ。
どうしてもデータチェックをするには、スマホよりパソコンが良い。
理由は簡単、練習や試合のプレイを見るのに画面が大きい方がわかりやすいのだ。

とにかくパソコンでいろいろなチェックをしつつ、黒子はブツブツと文句を言っていた。
油断すれば「ったく」とか「問題だらけじゃないですか」とか。
本当に考えれば考えるほど、しなければならないことが多すぎる。

まずはインターハイ予選の試合の動画だ。
特に決勝リーグ。
強い相手との試合は、良いデータにはなる。
こちらの弱点をさらけ出し、補強するべきポイントを浮き彫りにしてくれるのだ。

だけどこのデータを相手校も持っていると思うと、憂鬱になる。
今まで総武高校はまだ弱小校であり、データもなかったと思う。
黒子がいることで少々知名度は上がったけれど、まだまだ格下と思われていたはずだ。
その隙をついての、夏の結果なのだ。
これからは相手校もしっかりと研究してくる。
勝つのがますます大変になるだろう。

とにかく弱点を潰し、さらなるレベルアップを。
そう思った時に、また1つ頭の痛い問題があった。
そろそろ青峰と桃井の臨時コーチの期間が終わるのだ。
2人とも渡米し、アメリカの大学に進む。
本来なら準備に忙しい時期でもあると思う。
それでもギリギリまでやると言って、今日も練習を見てくれている。

「この穴は大きいですよね。」
黒子はひとり呟くと、ため息をついた。
青峰のバスケの能力も桃井の情報収集力も、本当に得難いものなのだ。
それでも桃井のデータ分析術は、それなりに手ほどきを受けた。
だけど青峰の真似だけは絶対にできない。
黒子が指示した通りのプレイが完璧にできるから、部員たちの手本には最適なのだ。

「黒子先輩、どうでもいいけどブツブツブツブツ怖いっすよ?」
不意に声をかけられ、黒子は「すみません」と詫びた。
奉仕部の部長にして、比企谷の妹、小町だ。
ちなみに黒子がいるのは、奉仕部の部室。
黒子は小町に頼んで、ここで作業をさせてもらっている。

「部室だと他の部員の目があるので、ブツブツ言えないんですよ。」
黒子は素直に白状した。
そう、愚痴や不満を部員たちには見せたくないので、ここでやっている。

「まぁいいですけどね。これも場所提供っていう名の奉仕ですから。」
小町は肩を竦めて見せると、大きく伸びをした。
依頼はないし、他に部員もいない。
わかりやすくヒマといえる状況だ。

比企谷は部を引退するにあたり、小町のことを案じていた。
たった1人、ここに残していくのが心配でならないらしい。
だけど黒子が見る限り、奉仕部に興味を示す生徒もいる。
おそらく遠からず、新しい部員を迎えることになるのではなかろうか。
そんなことを思っていた時、部室の扉がガラッと乱暴に開かれた。

「小町!大変だ!今日は俺と一緒に裏門から帰ろう!」
飛び込んできたのは、比企谷だった。
引退を宣言し、今日は部活に参加していない。
なのに血相を変えて現れ、小町に詰め寄った。

「何なの?お兄ちゃん。」
「正門にヤンキーが攻めてきた。さっさと逃げよう!」

ヤンキー?この学校ではあまり見聞きしない。
黒子は首を傾げると、静かに席を立った。
廊下の窓から正門が見えるのだ。
そして「ヤンキー」の正体を見た黒子は「あ」と声を上げた。
正門の柱にもたれかかるようにして、1人の男が校舎を睨んでいる。
黒子はその男に見覚えがあったのだ。

「別に攻めてきたわけじゃないと思いますよ。」
席に戻った黒子は、比企谷に声をかけた。
そしてパソコンを閉じ、小脇に抱えると奉仕部の部室を出る。
彼が偶然ここに来た可能性は低く、おそらくは黒子を訪ねてきたのだろう。
だったらとにかく話をしてみるべきだ。

*****

「久しぶりですね。」
黒子は正門によりかかる男に声をかけた。
男は灰色の髪を揺らしながら「だな」と目を眇める。
お世辞にも友好的ではないこの雰囲気が、黒子と彼との関係を表しているようだった。

ヤンキーが攻めてきた。
比企谷にそんなことを言われた黒子は、窓からその正体を確認し、驚いた。
彼の名前は灰崎祥吾。
帝光中学のバスケ部で一緒だった男だ。
だが黄瀬が入部した時に、入れ替わるように退部してしまった。
その時「バスケなんか辞める」と断言し、バスケットシューズを焼却炉に放り込んだのだ。

「髪型、元に戻したんですね。」
黒子は今の灰崎の姿を見て、まず最初に思ったことを口にした。
高校1年の頃、ウィンターカップの試合会場で再び灰崎を見た。
そのときの灰崎は、ドレッドヘアというのか。
複雑に編み込まれた髪型をしていたのだ。
だけど今の灰崎は中学の頃に戻していた。

「あれはいろいろ面倒でな。」
灰崎は思いのほか穏やかな口調で、そう答えた。
黒子は「なるほど」と頷く。
確かにあれは手間暇がかかりそうな髪型だった。
だけど黒子は今の方が良いと思う。

「中学時代振りですね。」
「違げぇだろ。ウインターカップ」
「あれを会ったとカウントしますか?」
「お前はうちと海常との試合で、涼太に声援を送ってた。」
「なるほど。その節はすみませんでした。」

黒子は軽く頭を下げながら、そのときのことに思いを馳せた。
1年のウィンターカップで、灰崎がいた福田総合高校は海常と当たった。
そこで黄瀬と灰崎が因縁のとも言うべき勝負を繰り広げたのだ。
灰崎に押されて、心が折れそうに見えた黄瀬に黒子は客席から叫んだ。
信じてますから。黄瀬君、と。

「あれからどうしてたんですか?試合には出ていなかったようですけど」
「あの直後に高校、辞めたんだ。」
「え?転校ですか?」
「いや。中退。」
「・・・そうだったんですか。」

実は今の今まで、黒子も灰崎のことはすっかり忘れていたのだ。
結局黄瀬に負けた後、灰崎がどうなったのか全然知らない。
公式戦などで名前を見なかったし、今度こそバスケはやめたのかと思った。
まさか高校まで辞めているとは、思わなかったが。

そこからここまでの灰崎がどういう生活をしていたのか。
黒子は敢えて聞かなかった。
もし灰崎が言いたければ、自分で言うだろう。
黒子からわざわざこじ開けるようなことはしなくていいと思う。

「で、今は千葉に?」
「ああ。親戚が近くにあって。」
「それでボクに会いに来てくれたんですか?」
「お前、ニュースになってたからな」
「ニュースに?」
「ああ。キセキの世代、幻の6人目(シックスマン)がコーチとして全国制覇を目指すってな。」
「ちっとも知りませんでした。」

黒子は灰崎と話しながら、妙なものだと思った。
昔の灰崎は誰にでも人を食ったような上から目線か、ケンカ腰。
だけど今の灰崎は至って普通だ。
おそらく灰崎もいろいろあったのだろう。
黒子が事故に遭い、転校して、今はコーチになっているように。
灰崎も思いもよらないような道を歩んできたのだ。

「バスケは続けてるんですか?」
黒子は一番気になっていることを、聞いてみた。
キセキの世代ばかりが注目されたけど、灰崎だってレベルの高いプレイヤーだった。
もしも黄瀬が現れなければ、灰崎がキセキの1人だった可能性だってある。
その灰崎が今はどうしているのか、黒子にはそれが気になった。

灰崎は答えなかった。
微妙な沈黙が2人の間に漂う。
だけど灰崎は一瞬だけ、黒子と視線を合わせた。
黒子はそれを見て「あ」と思う。
この目には見覚えがある。
先日、傷ついて黒子につらい心情を打ち明けたときの由比ヶ浜の目に似ている。
つまり灰崎は、黒子に助けを求めている?
そう思った瞬間、黒子は自分でも思いもよらないことを口にした。

「灰崎君。ボクと一緒に全国制覇しませんか?」
このとき、黒子は世にも珍しいものを見た。
あの灰崎が本気で驚き、口をあんぐりと開けていたのである。
何かツッコミを入れてやろうと思ったが、すぐに思い止まった。
なぜなら正門前にはものすごい数の生徒が集まり、黒子たちを遠巻きに見ていたのである。

「とりあえず場所を変えましょう。」
黒子はコホンと咳払いをした後、そう言った。
そして頭の中は猛烈な勢いで動き始める。
青峰の穴を埋める逸材、それをゲットできるチャンスだ。

【続く】
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