「黒子のバスケ」×「俺ガイル」

【比企谷八幡、やっかいな依頼を引き受ける。】

「何とかならないかな?」
顔馴染みになった男子生徒が、困ったようにそう言った。
だけど黒子はいつもの無表情で「なりません」と首を振る。
その顔がつらそうに見えたのは、俺の気のせいだっただろうか?

新入生を迎え、そろそろ2週間。
1年生はこの高校に、2、3年生は新しい学年に慣れ始めた時期だ。
部活動も新入部員が決まり、新たなスタートを切った頃。
そして暦の上ではもうすぐゴールデンウィークだ。
生徒たちはここで環境が変わり、知らない間に入っていた身体の力を抜く。

春という季節柄もあり、校内は何となく浮かれていると思う。
そんな中、黒子テツヤだけはまったく動じていない。
淡々と無表情に授業を受け、部活に勤しんでいる。
少なくても俺にはそう見えた。

そんなある朝のことだった。
始業前の教室内ではゴールデンウィークの予定を話し合う声が飛び交っている。
特に騒がしいのはやはり葉山隼人の周辺だった。
わかりやすく目をハートマークにした女子が「遊びに行こう」と誘っている。
そしてクラスが変わったのにしょっちゅう現れる三浦が牽制しているという図式。
当の葉山本人は「今年は受験勉強しなきゃ」などとやんわりことわっていたけどな。

そんな中、黒子は自分の席でノートを開き、なにやらチェックしていた。
バスケ部の練習日誌のようだ。
臨時コーチの青峰さんや桃井さんが来るのは放課後。
だから朝練は黒子1人でコーチを務めているそうだ。
そういや、こいつは大学とかどうするのかな。
受験勉強をしている雰囲気はまったくないんだけど。
バスケ推薦とかで声をかけてくる学校があるんだろうか。

そんな少々慌ただしい空気の中、教室のドアが開いた。
誰も気に留めないし、俺もたまたま気付いただけだ。
始業まではまだ数分、駆け込んでくる遅刻ギリギリの生徒もいるからな。
入って来たのは、隣のクラスの入生田。
バスケ部で副主将を務める男子生徒だ。

入生田はつかつかと黒子の席までやって来た。
黒子はヤツの気配に気付き、ノートから顔を上げる。
俺は見るとはなしに、そんな2人の会話に耳を傾けていた。
手元に本を開いて、読んでる振りをしながらな。

「教室にまで来てゴメン。体育館じゃ話しにくくて」
「かまいませんよ。」
「昨日頼んだ件、やっぱり何とかならないかな?」
「なりません。」

ん?口調は普通だけど、何か険悪?
俺は本に視線を落としたまま、2人の会話に集中する。
悪趣味とかって、ツッコミを入れないでくれ。
自分に関係ない揉め事って、何かちょっと気になるだろ?

「頼むよ。中学時代一緒に頑張って来た後輩なんだ。」
「困ります。それに特別扱いはしません。」
「何でだよ。入部テストの受けた中ではプレイは一番洗練されてただろ?」
「そういう観点では選んでいませんから。」

そこまで聞いた俺は「なるほど」と納得した。
先日行われたバスケ部の入部テスト。
そのメンバーの中に入生田の後輩もいたんだろう。
だけど黒子はそいつを容赦なく落とした。
そこで先輩が何とか頼んでみようっていう構図のようだ。

「本当に申し訳ありません。希望者全員は受け入れられません。」
「だから俺の後輩だけ」
「そういう特別扱いをするなら、入部テストの意味がないでしょう?」
「どうしても、ダメか」

食い下がる入生田と、頑として折れない黒子。
俺はその黒子に感動していた。
ここまで頼まれたら、俺だったら絶対頷いちまうだろう。
それに黒子だって、バスケに関することじゃなかったらあっさり折れる気がする。
実際、俺の頼みで何度もキセキの世代を呼んでくれたしな。
だけどバスケに関しちゃ、絶対に妥協しない。
それだけ打ち込めるものがあるのって、結構幸せなのかもな。

やがて始業時間になり、入生田は出て行った。
だけどバスケ部の入部テストの一件はここで終わらなかった。
黒子は思いもしない波に飲み込まれ、俺はそれを呆然と見ていることになる。

*****

「黒子!」
俺は階段の上から降って来たそいつを見ながら、声を上げる。
だがそれ以上のことは何もできなかった。
そして黒子は階段の踊り場に叩きつけられ、そのまま起き上がって来なかった。

昼休み、俺はいつものランチスペースに向かっていた。
考えていたのは、晴れてお付き合いを開始した雪ノ下雪乃のこと。
先日行われた「雪ノ下家との会食」で、何となく俺たちは気まずい雰囲気になっている。
理由はわかっていた。
俺が恋愛沙汰にはあまりにも不器用であること。
だから素直に自分の想いが伝えられず、ひねくれたことばかり言う。
その結果、雪ノ下雪乃を不安にさせ、周りにまで気を使わせてしまう。

そんなことばかり考えていたから、すっかり忘れてた。
朝の黒子と入生田のちょっとした言い合いのことを。
いや、覚えていたから何かができたとも思えないけどな。

俺は考え事をしながら、教室を出て、階段を下りた。
踊り場で方向転換して、さらに進もうとして、気付く。
ちょうど黒子も階段を下りようとしているところだった。
手にはいつものコンビニのサンドイッチと紙パックの野菜ジュース。
おそらく目的地は俺と同じ、保健室横のベンチだろう。
俺は別に黒子に声もかけず、待つこともしなかった。
どうせ同じランチスペースに向かうんだから、話すならそこでいい。

だけどそこで信じられないことが起こった。
階段に足を踏み出そうとしていた黒子に、1人の生徒が駆け寄った。
いや正確には突進した、だな。
そいつは黒子に体当たりをくらわすと、そのまま階段を下りずに走り去ったのだ。
それはほんの一瞬、時間にすれば数秒程度。
俺は黒子に体当たりした生徒の顔を確認する余裕もなかった。

黒子は声もなく、落下した。
そして一気に踊り場、つまり俺の目の前に叩きつけられる。
俺は動顛しながら、その場にしゃがみ、黒子の顔を覗き込んだ。
だけど黒子は目を閉じたまま、意識を飛ばしている。
何度も名前を呼んだけれど、反応はなかった。

「比企谷、どうした!?」
タイミング良く通りかかってくれたのは、俺の天敵の葉山隼人。
引き連れている取り巻き、いやお友達が「どうした?」とか「やだ、何?」などと声を上げる。
だが葉山は「ちょっと黙って」ときつめの声で制した。
何だかんだ言って、ただの甘いマスクのイケメンじゃない。
俺は「黒子が階段から落ちて、意識がない!」と叫んだ。
誰かが突き落としたとか、そんな情報は後でいい。

「わかった。誰か先生を呼んでくる!」
聡明な葉山はすぐに走り出してくれた。
とりあえず、この場に現れたのがこいつでよかった。
こういうアクシデントの時は、的確に動けるヤツだからな。

ここから先、葉山が教師を引き連れて戻ってくるまでは多分数分程度。
だけど妙に長く感じられた。
何度か黒子の名前を呼んだけれど、一向に目を覚まさないからだ。
まさか死んじゃいないよな。
だけどもしも深刻なケガだったら。
そもそもこいつ、足に爆弾を抱えてるんだよな。
万が一にも悪化したら、この先の人生も変わってくるかもしれない。

やがて葉山と担任の教師がやって来た。
教師は何度か黒子の名を呼んだが、反応がないのを見てスマホを取り出す。
そして学校内にサイレンが鳴り響き、黒子は救急車で搬送されていった。

黒子の容態がわかったのは、翌日のことだった。
頭を打って、脳震盪を起こしたらしい。
それと肩の打撲。
幸いにも骨折はなく、古傷の足のケガも悪化していない。
ただ頭を打っているので、念のために精密検査をするそうだ。

俺はそれを聞いて、ホッと胸を撫で下ろした。
数少ない、腹を割って話せる相手。
しかも俺の目の前で突き落とされたのだ。
これで深刻なケガでもしていたら、さすがに後味が悪すぎる。

俺は誰かが黒子を突き落としたのだということを、誰にも言わなかった。
黒子本人がそれを望むかどうかわからなかったからだ。
っていうか、黒子自身は自分が突き落とされたと気付いたはず。
犯人を告発したいなら、自分で言うだろう。
だから俺は沈黙を守ったまま、黒子の回復を願った。
決して、面倒だったわけじゃないからな。

*****

「頼みたいことがある。」
部室に現れた意外な人物が、意外なことを言った。
俺は思わず「何で!?」と声を上げてしまう。
だけど奉仕部の女子たちは身を乗り出して「何でしょう!?」と前のめりになった。

黒子が階段で転落した翌日の放課後。
俺は奉仕部の部室にいた。
今日も特にすることもなく、本を読んでいる。
雪ノ下はパソコンでメールチェック、由比ヶ浜と小町は女子トーク。
すっかりおなじみになった新しい奉仕部の光景だ。

最近、俺と雪ノ下雪乃がギクシャクしているせいで、部の雰囲気は暗かった。
だけど今日はいつになく明るい。
黒子の容態がたいしてことないとわかったせいだ。
由比ヶ浜の声は明るいし、小町の声は軽やか。
心なしか雪ノ下の表情も、どこか柔らかい気がする。

そんなとき、奉仕部のドアが開いた。
入って来たのは、青いオーラを放つ存在感たっぷりの男。
バスケ部の臨時コーチをしている青峰さんだ。
ジャージ姿で肩にタオルをかけているのは、今日もバスケ部を見ていたからだろう。

「頼みたいことがある。」
青峰さんはドカドカと俺の前まで歩いてくると、開口一番そう言った。
俺は思わず「何で!?」と声を上げてしまう。
この人はうちのバスケ部にとっては大事な存在だろう。
だけどうちの生徒じゃないし、そもそももう高校生でもない。
それが俺らに依頼ってありえなくね?
そもそも他に可愛い女子部員(!)がいるのに、何で俺にロックオン?

一方で奉仕部の女子たちはノリノリだった。
身を乗り出して「何でしょう!?」と聞き返している。
何だ、この前のめり。

「ええと。今部活はいいんですか?」
俺は気を取り直して、そう聞いた。
手っ取り早く話題を逸らしたとも言う。
だけど青峰さんは「さつきが見てるからいいんだ」と答えた。
さつきとは桃色美少女の桃井さつきさん。
つまり青峰さんは、部活の合間を抜けて来たんだろう。

「黒子がいなくても、ちゃんとやるんですね。」
「当たり前だ。あいつがいないからこそ、しっかり守る。」

誤魔化したつもりだったのに、真面目な答えが返って来た。
この人は良くも悪くも真っ直ぐで、駆け引きをしない人なんだな。
だから俺が話題を逸らそうとしても、ちゃんと答えてくれる。
そしてそこから仄見えるのは、黒子への思いだ。
こんな仲間がいる黒子がちょっとだけ、いやかなり羨ましい。

「で、依頼って何です?」
俺は誤魔化すのをやめて、そう聞いた。
青峰さんは「テツのことだ」と答える。
予想の範囲内だ。
おそらく黒子を突き落とした犯人を特定してほしいって言うんだろう?
だけど青峰さんの依頼はそうじゃなかった。

「テツが二度とこんな目に合わないようにしてくれ。」
青峰さんはそう言った。
俺は思わず「犯人捜しじゃないんすか?」と聞き返してしまう。
すると青峰さんは「まかせる。依頼に必要ならそうしてくれ」と答えた。

「ええと。それは」
俺は青峰さんの真意を知って、言葉に詰まった。
この依頼、今までのものとは比べものにならないくらいむずかしい。
青峰さんも入部テストの件で黒子が恨まれていることを知っている。
そして今回、黒子はそのせいで突き落とされたと思っている。
実際それはその通りなんだろう。

青峰さんの依頼は、二度とこんなことがないようにすること。
つまり今回の犯人を捕まえただけじゃダメなんだ。
今回の犯人だけでなく、別の誰かが同じことをしないように。
そんなのどうやって防ぐ?
難易度、今までに比べて格段に高いじゃん。だけど。

「わかりました。」
俺は結局頷いてしまっていた。
奉仕部女子3人の「引き受けろ」の念が思った視線。
そして青峰さんの真剣な、迫力ある表情。
とてもことわれる雰囲気じゃなかったのだ。

【続く】
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