「黒子のバスケ」×「俺ガイル」
【比企谷八幡、黒子の恋愛事情を垣間見る。】
「ちょっといいですか?」
不意に正面から声をかけられて、俺は「うぉ!」と声を上げた。
まったく、こいつの影の薄さには未だに慣れない。
文化祭はつつがなく終わった。
人はそこそこ集まったし、まぁまぁ盛り上がった。
つまり成功と言えるだろう。
だが俺の悪評は広まり、底値と思われた価値はさらに下がった。
理由は簡単、実行委員長の相模にケンカを売ったからだ。
いや、正確にはケンカじゃない。
自信を失って、ゴネて職務放棄した相模を怒らせて、やる気を出させただけだ。
だけど相模、いや本人より周辺の取り巻き連中が黙ってなかった。
結束して俺のネガティブキャンペーンを張り、いたるところで俺の所業を広めてくれたのだ。
しかも尾ひれはひれが付きまくり、俺は当社比数倍の極悪人に仕上がっている。
おかげで今や学校中の嫌われ者だ。
クラスでも完全に浮いている。
上位カーストである葉山のグループが率先して、俺に冷やかな視線を向けているからだろう。
ほとんどの生徒がそれに倣うか、シカトを決め込んでいる。
戸部が聞こえよがしに、俺をネタにして落とすくらいだ。
由比ヶ浜とか戸塚とか、普段は俺に好意的なヤツらさえ気まずい雰囲気だった。
そんな中、まったく普通なのが黒子だった。
何事もなかったように「ちょっといいですか?」なんて声をかけてくる。
休み時間の教室で、完全に気を抜いていた俺は思わず「うぉ!」と声を上げた。
まったく、こいつの影の薄さには未だに慣れない。
「なぁ。普通に話しかけてくれないか?」
「え?普通ですけど。一応前から近づきましたし。」
「気付けなきゃ意味ねーだろ。」
「それってボクの責任ですか?」
クレームもサクッと処理されて、俺としては不本意だ。
だが黒子はいつもの真面目な無表情。
騒めいたのは、クラスの他の面々だった。
俺と普通に話す黒子に驚いているらしい。
俺とは対照的に、黒子は学校中の人気者になっていた。
そりゃそうだよな。
文化祭の目玉企画、キセキの世代によるストリートバスケ。
黒子は天才プレイヤーたちに連なり、すごいプレイを見せたのだから。
「黒子君って、マジヤバい!」
「バスケ、超上手いし!」
「無駄にべらべらと喋らないのもクールだよね。」
「よくよく見ると、ちょっと可愛くない?」
女子たちがそんな噂をしているのを、何度も聞いた。
だけど当の黒子は今までとまったく変わらない。
感情を表に出すことなく、飄々としている。
影が薄く、すぐ見失ってしまうのも前と同じだ。
「赤司君からメールが来て、君によろしくと」
黒子はクラスのリアクションなどお構いなしにそう言った。
俺は思わず「そうなの?」と聞き返す。
赤司征十郎はキセキの世代の一員。
あの天才集団を主将として率いていた男だ。
黒子がいなければ、俺なんかと交わることはない人生の一軍だろう。
「なんで俺によろしくなの?」
「修学旅行が京都だって知らせたんです。彼は今京都なんで」
「そうじゃなくて。俺、あの人とそんなに喋ってないんだけど。」
「彼は比企谷君に一目置いているみたいですよ。」
「それ、お世辞じゃね?」
「彼はそういうお世辞は言わない人です。」
クラスの中に騒めきが広がっている。
あのキセキの世代の赤司が俺を気に入っている。
それが信じられないってリアクションだろう。
黒子はそれが気に入らないのか、かすかに眉をしかめている。
だけど当の俺はクラスメイトの方に共感しちゃってるんだけど。
「あの赤司さんが、ねぇ」
「ええ。キセキの世代の他のみんなも比企谷君を気に入ったらしいです。」
「マジかよ。」
「マジです。彼らもああ見えて、本物を見極める目はありますから。」
黒子は言いたいことを言い終えたらしく、さっさと自分の席へ戻っていった。
クラスの騒めきもいつの間にか消えている。
取り残された俺は言えば、動揺していた。
黒子が残した「本物」という言葉に。
キセキの世代の俺への評価は、校内のそれは違うらしい。
黒子曰く「本物」と見なしているようだ。
それは多分、黒子の友人と思ってくれているからだろう。
だけど俺は自分が「本物」だとは思えない。
本当の「本物」は黒子みたいなヤツのことだ。
芯が強くて、好きなバスケのためならとにかく一直線。
そこまでのめり込めるから、仲間と強い絆も作れるんだ。
それにしても、修学旅行か。
俺は無理矢理思考を切り替えた。
黒子と自分を比較したって、意味がない。
少なくても今、考えることじゃないだろう。
*****
「え?そうなの?」
意外な情報に、俺は思わず聞き返してしまう。
だがよくよく考えれば、意外でも何でもないことなのかもしれない。
「やっはろー!」
放課後、部室の定位置につき本を開いたところで、聞き慣れた声がした。
数少ない部員の1人、由比ヶ浜結衣だ。
俺は思わず「どうした?」と聞いた。
なぜなら由比ヶ浜は俺より先に部活に向かったと思ったから。
「実は、すごい場面に遭遇しちゃってさ!」
「由比ヶ浜さん、まずは座ったら?」
前のめりの由比ヶ浜を、雪ノ下が諌めた。
そして雪ノ下が立ち上がると、紅茶の用意を始める。
由比ヶ浜は「だね、だね!」といつもの席に座りながら、何度も頷く。
雪ノ下、ナイス。
興奮状態の由比ヶ浜も、これで少し落ち着くだろう。
「どうぞ。で、何があったの?」
雪ノ下が紅茶のカップを由比ヶ浜の前に置く。
そして静かに先を促した。
由比ヶ浜は「ありがとう」と礼を言う。
そしてカップを取りながら「黒子君!バスケ部に戻るって!」と告げた。
「え?そうなの?」
意外な情報に、俺は思わず聞き返してしまう。
すると由比ヶ浜がコクコクと頷く。
そしてフゥフゥとカップの湯気を吹き、ズズッと紅茶を啜った。
「で、どっからの情報?」
「廊下で黒子君とバスケ部の人たちが喋ってたんだ。」
「は?」
「で、塔ノ沢君が戻ってきてほしいって頭を下げてた。」
「なぁ、もしかして立ち聞きしてた?」
俺は思わずツッコミを入れた。
由比ヶ浜は「立って聞いてたよ~?」とボケたことを言う。
おいおい、立ち聞きの意味、知らねーのか?
俺と由比ヶ浜のやり取りを聞いていた雪ノ下が「ハァァ」とため息をついたのだが。
「それで黒子君は戻るって返事をしたの?」
雪ノ下はシレッと由比ヶ浜に探りを入れた。
おいおい、由比ヶ浜の立ち聞き云々に呆れてたんじゃねーの?
だけど話の続きが気になる俺は敢えて何も言わず、黙って聞いていた。
「黒子君、とりあえずコーチとして戻るって」
「え?選手としてじゃないの?」
「あいつ、来年は大会とかも出られるんだよな?」
雪ノ下と俺の問いが重なった。
あいつのことがあって、俺も雪ノ下もバスケの大会の年齢制限の規定を読んだ。
黒子は去年、2年生としてインターハイってやつに出てる。
だから2回目の2年生である今年は、出場できなかった。
だけど来年なら出られるんだろうし、プレイヤーに戻ると思ってた。
「うん。塔ノ沢君も聞いてた。でも黒子君がそっちは保留だって」
由比ヶ浜が急に歯切れが悪くなる。
雪ノ下は「そう」と頷き、俺も黙り込んだ。
完全に他人事だが、バスケ部の黒子に対する仕打ちは酷いと思う。
夏の大会までは良いように利用し、負けた途端放り出したんだからな。
文化祭のイベントで、バスケ部を警備に使ったのもそんな気持ちがあったからだ。
だから黒子がバスケ部に戻ると聞けば、違和感があった。
だがよくよく考えれば、意外でも何でもないことなのかもしれない。
黒子のバスケに向ける情熱は、はっきり言って尋常じゃない。
戸塚なんかを見てると、テニスに青春かけてるって感じがする。
だけど黒子はそれ以上だ。
黒子にとってバスケは人生の一部、あることが当たり前なんだ。
そんなヤツがバスケ部に戻るのは、自然の流れかもしれない。
「その黒子君がらみの依頼が来ているわ。」
パソコンを操作していた雪ノ下から、声がかかった。
黒子がらみの依頼って何だ?
俺は席を立つと、雪ノ下の後ろから画面を覗き込む。
そしてメッセージを読んで「マジか」とため息をついた。
黒子テツヤさんとお付き合いがしたいです。
メッセージにはそう書かれていたのだ。
黒子があまりにも普通だから忘れそうになるけど、今人気急上昇の男なんだ。
見なかったことにしようぜ。
俺は半ばヤケ気味にそう言った。
だが真面目な雪ノ下に「できるわけないでしょう」と却下されてしまう。
だよな。はいはい。
これもまた新たなお仕事ってことね。
*****
「すみません。」
黒子は静かに頭を下げた。
由比ヶ浜が切なそうな表情で「どうしても?」と問う。
だけど黒子は折れることなく、もう1度「すみません」と告げたのだった。
黒子テツヤさんとお付き合いがしたいです。
そんな依頼を受けた俺たちは、黒子を部室に呼び出した。
これが他のヤツなら、うまくいくような作戦を考えたかもしれない。
だが黒子に関しては、それは無駄だ。
何しろ視線誘導の達人、人間観察は神業レベル。
中途半端な策を巡らせたところで、見破られるだけだろう。
それなら最初にぶっちゃけてしまった方が楽だというわけだ。
「それでどういうご用件ですか?」
呼び出された黒子は、もっともな問いを口にする。
俺は「長くなるから」と黒子を座らせ、雪ノ下が紅茶を淹れる。
かくして久しぶりに奉仕部と黒子が集うことになった。
この4人で紅茶を飲むのは、多分バスケのデータ整理を手伝っていた頃。
つまり約3カ月前のことだ。
「なんか懐かしい気がしますね。」
紅茶をズズッと啜りながら、黒子がそんなことを言う。
どうやら黒子も同じことを考えていたらしい。
俺は「だな」と頷きながら、雪ノ下を見た。
依頼内容を伝える役目は、こいつが適任だろう。
「実はね。あなたと付き合いたいって依頼が来ているの。」
雪ノ下がストレートにそう告げる。
すると黒子は「奉仕部経由で来ましたか」と苦笑した。
由比ヶ浜がすかさず「思い当たる人でもいるの?」と声を弾ませる。
こいつ、もしかしてカップル誕生を期待してる?
だが黒子は「いえ」と首を振った。
そして「そういう気配を感じて、避けまくってました」と白状する。
俺は思わず「なるほど」と頷いた。
文化祭の直後「あれ?黒子君は?」と捜している女子生徒をよく見かけた気がする。
あれは告白しようと近寄って来る女子の気配を察して、姿を消していたんだな。
あのイベントでそういう視線を向けられることが増えたのを、自覚していたということか。
そんで視線誘導(ミスディレクション)を駆使して、逃げ回っていたと。
「申し訳ありませんけど、ことわってもらえませんか?」
黒子は静かにそう告げた。
だろうね。
女子と付き合う気があるなら、とっくにそうなっているだろう。
何しろ今の黒子は、あの葉山よりもモテ状態だ。
「どうしてもダメ?会えば良い子かもしれないよ?」
由比ヶ浜が勢いよく詰め寄った。
確かに女子側に感情移入すれば、黒子の態度はあんまりだ。
会いもせず、直接話もせずにことわるなんて失礼なのかもしれない。
だが黒子は「すみません」と頭を下げた。
由比ヶ浜が切なそうな表情で「どうしても?」と問う。
だけど黒子は折れることなく、もう1度「すみません」と告げた。
「相手の方がどうこうって話じゃないんです。」
「じゃあ、どうして?」
「実は好きな人がいるので。」
「えええ~!?そうなの~~~!?」
由比ヶ浜のデカい叫び声にかき消されていたけれど、実は俺も叫んでいた。
好きな人がいるって?
これはまったく予想外だ。
影が薄くて感情が見えないこの男に恋愛なんてまるで無関係に思えたから。
「片想いです。だけどその人のことしか考えられません。」
「それって、前の学校の人?」
「はい。去年までクラスメイトでした。」
「ずっとその人を好きなの?」
「ええ。1年以上会っていませんが、思い出が強すぎて忘れられません。」
「他の人と付き合って忘れるって手もあるよ?」
「いえ。無理です。忘れたくないですし。だからその依頼主の方とも会うだけ無駄です。」
黒子は静かに、だがきっぱりと意見を表明した。
由比ヶ浜が粘ってみても、少しも揺るがない。
まったくいつも迷いがなくて、羨ましい。
だが俺はここで「あれ?」と思った。
黒子の想い人。前の学校で去年までクラスメイト。
そして忘れるのが無理なほど、思い出を築いている人物。
その条件に思い当たることがある。
黒子の関係者が多くやって来る中、たった1人現れないヤツ。
去年まで誠凛高校バスケ部のエースだった火神大我。
いや。まさか。
俺は部室を出ていく黒子の背中を見送りながら、ブンブンと首を振った。
きっと気のせい、思い過ごしだ。
それよりもこれで依頼が1つ片付いたことを良しと思うことにする。
【続く】
「ちょっといいですか?」
不意に正面から声をかけられて、俺は「うぉ!」と声を上げた。
まったく、こいつの影の薄さには未だに慣れない。
文化祭はつつがなく終わった。
人はそこそこ集まったし、まぁまぁ盛り上がった。
つまり成功と言えるだろう。
だが俺の悪評は広まり、底値と思われた価値はさらに下がった。
理由は簡単、実行委員長の相模にケンカを売ったからだ。
いや、正確にはケンカじゃない。
自信を失って、ゴネて職務放棄した相模を怒らせて、やる気を出させただけだ。
だけど相模、いや本人より周辺の取り巻き連中が黙ってなかった。
結束して俺のネガティブキャンペーンを張り、いたるところで俺の所業を広めてくれたのだ。
しかも尾ひれはひれが付きまくり、俺は当社比数倍の極悪人に仕上がっている。
おかげで今や学校中の嫌われ者だ。
クラスでも完全に浮いている。
上位カーストである葉山のグループが率先して、俺に冷やかな視線を向けているからだろう。
ほとんどの生徒がそれに倣うか、シカトを決め込んでいる。
戸部が聞こえよがしに、俺をネタにして落とすくらいだ。
由比ヶ浜とか戸塚とか、普段は俺に好意的なヤツらさえ気まずい雰囲気だった。
そんな中、まったく普通なのが黒子だった。
何事もなかったように「ちょっといいですか?」なんて声をかけてくる。
休み時間の教室で、完全に気を抜いていた俺は思わず「うぉ!」と声を上げた。
まったく、こいつの影の薄さには未だに慣れない。
「なぁ。普通に話しかけてくれないか?」
「え?普通ですけど。一応前から近づきましたし。」
「気付けなきゃ意味ねーだろ。」
「それってボクの責任ですか?」
クレームもサクッと処理されて、俺としては不本意だ。
だが黒子はいつもの真面目な無表情。
騒めいたのは、クラスの他の面々だった。
俺と普通に話す黒子に驚いているらしい。
俺とは対照的に、黒子は学校中の人気者になっていた。
そりゃそうだよな。
文化祭の目玉企画、キセキの世代によるストリートバスケ。
黒子は天才プレイヤーたちに連なり、すごいプレイを見せたのだから。
「黒子君って、マジヤバい!」
「バスケ、超上手いし!」
「無駄にべらべらと喋らないのもクールだよね。」
「よくよく見ると、ちょっと可愛くない?」
女子たちがそんな噂をしているのを、何度も聞いた。
だけど当の黒子は今までとまったく変わらない。
感情を表に出すことなく、飄々としている。
影が薄く、すぐ見失ってしまうのも前と同じだ。
「赤司君からメールが来て、君によろしくと」
黒子はクラスのリアクションなどお構いなしにそう言った。
俺は思わず「そうなの?」と聞き返す。
赤司征十郎はキセキの世代の一員。
あの天才集団を主将として率いていた男だ。
黒子がいなければ、俺なんかと交わることはない人生の一軍だろう。
「なんで俺によろしくなの?」
「修学旅行が京都だって知らせたんです。彼は今京都なんで」
「そうじゃなくて。俺、あの人とそんなに喋ってないんだけど。」
「彼は比企谷君に一目置いているみたいですよ。」
「それ、お世辞じゃね?」
「彼はそういうお世辞は言わない人です。」
クラスの中に騒めきが広がっている。
あのキセキの世代の赤司が俺を気に入っている。
それが信じられないってリアクションだろう。
黒子はそれが気に入らないのか、かすかに眉をしかめている。
だけど当の俺はクラスメイトの方に共感しちゃってるんだけど。
「あの赤司さんが、ねぇ」
「ええ。キセキの世代の他のみんなも比企谷君を気に入ったらしいです。」
「マジかよ。」
「マジです。彼らもああ見えて、本物を見極める目はありますから。」
黒子は言いたいことを言い終えたらしく、さっさと自分の席へ戻っていった。
クラスの騒めきもいつの間にか消えている。
取り残された俺は言えば、動揺していた。
黒子が残した「本物」という言葉に。
キセキの世代の俺への評価は、校内のそれは違うらしい。
黒子曰く「本物」と見なしているようだ。
それは多分、黒子の友人と思ってくれているからだろう。
だけど俺は自分が「本物」だとは思えない。
本当の「本物」は黒子みたいなヤツのことだ。
芯が強くて、好きなバスケのためならとにかく一直線。
そこまでのめり込めるから、仲間と強い絆も作れるんだ。
それにしても、修学旅行か。
俺は無理矢理思考を切り替えた。
黒子と自分を比較したって、意味がない。
少なくても今、考えることじゃないだろう。
*****
「え?そうなの?」
意外な情報に、俺は思わず聞き返してしまう。
だがよくよく考えれば、意外でも何でもないことなのかもしれない。
「やっはろー!」
放課後、部室の定位置につき本を開いたところで、聞き慣れた声がした。
数少ない部員の1人、由比ヶ浜結衣だ。
俺は思わず「どうした?」と聞いた。
なぜなら由比ヶ浜は俺より先に部活に向かったと思ったから。
「実は、すごい場面に遭遇しちゃってさ!」
「由比ヶ浜さん、まずは座ったら?」
前のめりの由比ヶ浜を、雪ノ下が諌めた。
そして雪ノ下が立ち上がると、紅茶の用意を始める。
由比ヶ浜は「だね、だね!」といつもの席に座りながら、何度も頷く。
雪ノ下、ナイス。
興奮状態の由比ヶ浜も、これで少し落ち着くだろう。
「どうぞ。で、何があったの?」
雪ノ下が紅茶のカップを由比ヶ浜の前に置く。
そして静かに先を促した。
由比ヶ浜は「ありがとう」と礼を言う。
そしてカップを取りながら「黒子君!バスケ部に戻るって!」と告げた。
「え?そうなの?」
意外な情報に、俺は思わず聞き返してしまう。
すると由比ヶ浜がコクコクと頷く。
そしてフゥフゥとカップの湯気を吹き、ズズッと紅茶を啜った。
「で、どっからの情報?」
「廊下で黒子君とバスケ部の人たちが喋ってたんだ。」
「は?」
「で、塔ノ沢君が戻ってきてほしいって頭を下げてた。」
「なぁ、もしかして立ち聞きしてた?」
俺は思わずツッコミを入れた。
由比ヶ浜は「立って聞いてたよ~?」とボケたことを言う。
おいおい、立ち聞きの意味、知らねーのか?
俺と由比ヶ浜のやり取りを聞いていた雪ノ下が「ハァァ」とため息をついたのだが。
「それで黒子君は戻るって返事をしたの?」
雪ノ下はシレッと由比ヶ浜に探りを入れた。
おいおい、由比ヶ浜の立ち聞き云々に呆れてたんじゃねーの?
だけど話の続きが気になる俺は敢えて何も言わず、黙って聞いていた。
「黒子君、とりあえずコーチとして戻るって」
「え?選手としてじゃないの?」
「あいつ、来年は大会とかも出られるんだよな?」
雪ノ下と俺の問いが重なった。
あいつのことがあって、俺も雪ノ下もバスケの大会の年齢制限の規定を読んだ。
黒子は去年、2年生としてインターハイってやつに出てる。
だから2回目の2年生である今年は、出場できなかった。
だけど来年なら出られるんだろうし、プレイヤーに戻ると思ってた。
「うん。塔ノ沢君も聞いてた。でも黒子君がそっちは保留だって」
由比ヶ浜が急に歯切れが悪くなる。
雪ノ下は「そう」と頷き、俺も黙り込んだ。
完全に他人事だが、バスケ部の黒子に対する仕打ちは酷いと思う。
夏の大会までは良いように利用し、負けた途端放り出したんだからな。
文化祭のイベントで、バスケ部を警備に使ったのもそんな気持ちがあったからだ。
だから黒子がバスケ部に戻ると聞けば、違和感があった。
だがよくよく考えれば、意外でも何でもないことなのかもしれない。
黒子のバスケに向ける情熱は、はっきり言って尋常じゃない。
戸塚なんかを見てると、テニスに青春かけてるって感じがする。
だけど黒子はそれ以上だ。
黒子にとってバスケは人生の一部、あることが当たり前なんだ。
そんなヤツがバスケ部に戻るのは、自然の流れかもしれない。
「その黒子君がらみの依頼が来ているわ。」
パソコンを操作していた雪ノ下から、声がかかった。
黒子がらみの依頼って何だ?
俺は席を立つと、雪ノ下の後ろから画面を覗き込む。
そしてメッセージを読んで「マジか」とため息をついた。
黒子テツヤさんとお付き合いがしたいです。
メッセージにはそう書かれていたのだ。
黒子があまりにも普通だから忘れそうになるけど、今人気急上昇の男なんだ。
見なかったことにしようぜ。
俺は半ばヤケ気味にそう言った。
だが真面目な雪ノ下に「できるわけないでしょう」と却下されてしまう。
だよな。はいはい。
これもまた新たなお仕事ってことね。
*****
「すみません。」
黒子は静かに頭を下げた。
由比ヶ浜が切なそうな表情で「どうしても?」と問う。
だけど黒子は折れることなく、もう1度「すみません」と告げたのだった。
黒子テツヤさんとお付き合いがしたいです。
そんな依頼を受けた俺たちは、黒子を部室に呼び出した。
これが他のヤツなら、うまくいくような作戦を考えたかもしれない。
だが黒子に関しては、それは無駄だ。
何しろ視線誘導の達人、人間観察は神業レベル。
中途半端な策を巡らせたところで、見破られるだけだろう。
それなら最初にぶっちゃけてしまった方が楽だというわけだ。
「それでどういうご用件ですか?」
呼び出された黒子は、もっともな問いを口にする。
俺は「長くなるから」と黒子を座らせ、雪ノ下が紅茶を淹れる。
かくして久しぶりに奉仕部と黒子が集うことになった。
この4人で紅茶を飲むのは、多分バスケのデータ整理を手伝っていた頃。
つまり約3カ月前のことだ。
「なんか懐かしい気がしますね。」
紅茶をズズッと啜りながら、黒子がそんなことを言う。
どうやら黒子も同じことを考えていたらしい。
俺は「だな」と頷きながら、雪ノ下を見た。
依頼内容を伝える役目は、こいつが適任だろう。
「実はね。あなたと付き合いたいって依頼が来ているの。」
雪ノ下がストレートにそう告げる。
すると黒子は「奉仕部経由で来ましたか」と苦笑した。
由比ヶ浜がすかさず「思い当たる人でもいるの?」と声を弾ませる。
こいつ、もしかしてカップル誕生を期待してる?
だが黒子は「いえ」と首を振った。
そして「そういう気配を感じて、避けまくってました」と白状する。
俺は思わず「なるほど」と頷いた。
文化祭の直後「あれ?黒子君は?」と捜している女子生徒をよく見かけた気がする。
あれは告白しようと近寄って来る女子の気配を察して、姿を消していたんだな。
あのイベントでそういう視線を向けられることが増えたのを、自覚していたということか。
そんで視線誘導(ミスディレクション)を駆使して、逃げ回っていたと。
「申し訳ありませんけど、ことわってもらえませんか?」
黒子は静かにそう告げた。
だろうね。
女子と付き合う気があるなら、とっくにそうなっているだろう。
何しろ今の黒子は、あの葉山よりもモテ状態だ。
「どうしてもダメ?会えば良い子かもしれないよ?」
由比ヶ浜が勢いよく詰め寄った。
確かに女子側に感情移入すれば、黒子の態度はあんまりだ。
会いもせず、直接話もせずにことわるなんて失礼なのかもしれない。
だが黒子は「すみません」と頭を下げた。
由比ヶ浜が切なそうな表情で「どうしても?」と問う。
だけど黒子は折れることなく、もう1度「すみません」と告げた。
「相手の方がどうこうって話じゃないんです。」
「じゃあ、どうして?」
「実は好きな人がいるので。」
「えええ~!?そうなの~~~!?」
由比ヶ浜のデカい叫び声にかき消されていたけれど、実は俺も叫んでいた。
好きな人がいるって?
これはまったく予想外だ。
影が薄くて感情が見えないこの男に恋愛なんてまるで無関係に思えたから。
「片想いです。だけどその人のことしか考えられません。」
「それって、前の学校の人?」
「はい。去年までクラスメイトでした。」
「ずっとその人を好きなの?」
「ええ。1年以上会っていませんが、思い出が強すぎて忘れられません。」
「他の人と付き合って忘れるって手もあるよ?」
「いえ。無理です。忘れたくないですし。だからその依頼主の方とも会うだけ無駄です。」
黒子は静かに、だがきっぱりと意見を表明した。
由比ヶ浜が粘ってみても、少しも揺るがない。
まったくいつも迷いがなくて、羨ましい。
だが俺はここで「あれ?」と思った。
黒子の想い人。前の学校で去年までクラスメイト。
そして忘れるのが無理なほど、思い出を築いている人物。
その条件に思い当たることがある。
黒子の関係者が多くやって来る中、たった1人現れないヤツ。
去年まで誠凛高校バスケ部のエースだった火神大我。
いや。まさか。
俺は部室を出ていく黒子の背中を見送りながら、ブンブンと首を振った。
きっと気のせい、思い過ごしだ。
それよりもこれで依頼が1つ片付いたことを良しと思うことにする。
【続く】