クスリで10題
【メスチノン】
ったく、あいかわらずだ。
青峰は黒子の観察眼に舌を巻かざるを得なかった。
「困るんだよな。オレも手ぶらじゃ帰れねーし。」
とあるマンションの一室で、青峰は部屋の住人を睨んでいた。
男は借金を抱えており、青峰はその取り立てに来ている。
青峰の身長とガングロの顔と人相は、それだけで十分な脅しになる。
それに仮に相手がケンカを仕掛けてきても、大丈夫だ。
そういう経験は、それなりに場数を積んでいる。
まさかこのオレが、赤司の下で働くとはな。
青峰はそれを皮肉なことだと思っている。
だけどそれなりに楽しんではいた。
バスケ選手としての寿命は短かった。
なまじ才能に恵まれすぎてしまったため、普通の選手よりかなり身体を酷使したのだ。
そしてトッププロとしてバスケを極め、ギリギリのスリルに慣れてしまった心だけが残った。
もう普通の仕事では満足できない。
だからこうして赤司の組織で、違法な仕事をこなしているのだ。
「本当に、今は、お金がないんです!」
この部屋の住民の男は、この威圧的な取立人を見上げながらブルブルと震えている。
まったく面倒な仕事だ。
本当は他の連中みたいに、ドラッグの売買の仕事をしたい。
だがパソコンもネットとメールしかできないから、伊月のようにサイトを作ることはできない。
立ってるだけでとにかく目立つので、黒子のように売人をすることもできなかった。
だから結局、こんな荒事ばかりが回ってくるのだ。
「多分タンスの一番上の引き出しに、現金か何か金目のものが入ってますよ。」
冷静にそう告げたのは、今回青峰と組んで仕事をしている黒子だ。
一時期は警察にマークされたかもしれないと軟禁状態にされたが、今はそれも解かれている。
だが以前のように伊月と組むことは許されていない。
ここ最近は、取り立てを行う青峰に同行することが多くなった。
黒子は相手を威嚇したり、取り押さえたりすることに関しては、まったく役に立たない。
だが並外れた観察眼を利用して、その心理を読むことはできるのだ。
今も男の視線が、何度もタンスのあたりを泳いでいるのを見つけたのだろう。
青峰は「わかった」と答えて、タンスの引き出しを外すと、中身を床にぶちまける。
案の定、入っていた封筒の中から、札が何枚も落ちた。
ったく、あいかわらずだ。
青峰は黒子の観察眼に舌を巻かざるを得なかった。
「やめてくれ!それは家族の生活費なんだ!」
男は今にも泣きだしそうな顔で、そう叫んだ。
青峰は男を無視して、床に散らばった金を拾い始める。
黒子は泣き崩れる男を冷やかに見下ろしてた。
「そんなに家族が大事なら、何で借金なんかしたんです?」
黒子の捨てゼリフに、青峰は背筋が寒くなった。
本当に黒子は、取り立てる相手にはひどく冷淡なのだ。
確かに目の前のこの男もギャンブルで借金を作って、家族崩壊寸前のクズではあるが。
「とりあえずこれは利息の足しだ。また来るからな。」
青峰はそう言い放って、債務者のマンションを出た。
中学時代の光と影は、今また一緒に薄暗い場所を歩いている。
*****
「あんたの家の借金は終わりだそうだ。」
仮初めの相棒は、唐突にそう告げた。
伊月はちょうど新しいサイトを作ったばかりだった。
薬の名はメスチノン。
本来の薬は無筋力症の治療薬だが、組織で売るのは似て非なるものだ。
筋肉増強剤であり、しかもオリンピックのドーピング検査でもかからないという。
本当にそんな都合のいい薬があるのかと思うが、伊月には関係ない。
とにかく言われたとおりにサイトを作り、注文に応じるだけだ。
黒子と引き離されてから、そろそろ半年になろうとしていた。
もう軟禁状態は解かれたと聞いている。
木吉たちは伊月のメッセージを読み解いてくれたらしい。
結局彼らがいつまでたっても動かなかったので、黒子は「処分」されずに済んだ。
だが伊月とは引き離されてしまっており、同じ組織にいながら会うことができずにいた。
伊月のパートナーは、相変わらず黛だった。
黒子と同じ特性を持っている、影の薄い男だ。
だが性格は黒子とは全然異なる。
この毒舌家でナルシストな男を、伊月はどうにも好きにはなれなかった。
でも黒子とは時々会っているようで、たまにその近況を知らせてくれる。
それは「元気そうだった」なんていう簡単なものだったが、それでも聞けるだけで嬉しかった。
今日もちょうどサイトを作り終えたところで、今は伊月1人で暮らす部屋に黛がやって来た。
「あんたの家の借金は終わりだそうだ。」
仮初めの相棒は、唐突にそう告げた。
伊月は「なに?」と不審な声を上げた。
まだ全額は返済していないはずなのだ。
「あいつが自分の稼ぎを返済の足しにしてくれって言ったらしいぜ。」
黛の言葉に、伊月はギリッと歯を食いしばった。
あいつ。言うまでもなく黒子のことだ。
「てなわけで、これ。借用書。あんたの目の前で破棄しろって言われた。」
黛は伊月の両親がサインをしている借用書を取り出すと、伊月の前に突き出す。
そしてそれを両手でビリビリと裂いて捨てた。
ついに伊月をずっと縛り続けて来た借金は、消えてなくなったのだった。
「これであんたは自由だ。」
「黒子は?あいつはどこにいる?」
「・・・ファントムは組織に残る。」
「は?何で!」
「くれぐれも解放された後、警察に駆け込むなんて、考えないことだ。」
黛は一方的に言いたいことだけを告げると、伊月の問いには何も答えずに出て行った。
残された伊月は、ただ呆然とその場に立ち竦むしかなかった。
待ち望んでいた借金完済の瞬間は、唐突に訪れた。
だが少しも気は晴れず、むしろモヤモヤするばかりだ。
ただこのままで済ませるつもりはなかった。
黒子だけここに残して去るなんて、考えられない。
どうしよう。どうすればいい。
伊月は明晰な頭脳で、必死に考えを巡らせていた。
*****
これで独りぼっち。
黒子はベットに寝転びながら、孤独を噛みしめていた。
伊月の借金は、予定よりも早く完済した。
それは黒子が自分のギャラからも金を返していたからだ。
今頃、それを知らされた伊月は、怒っているかもしれない。
今、黒子が滞在しているのは、都内のワンルームマンションの一室だ。
伊月と住んでいたあのボロアパートとは違い、新築の一見オシャレな建物。
この最上階のワンフロアが、まるまる組織で借り上げられている。
そしてかつて「キセキ」と呼ばれた面々は、赤司を除いて全員がここに住んでいた。
「黒子っち、どうしてあのとき実家に帰ったんスか?」
黒子の部屋には、毎晩「キセキ」の誰かがやって来る。
特にこの黄瀬はほぼ毎晩現れた。
今もお菓子を抱えて現れると、勝手にキッチンでお茶を淹れている。
そして「黒子っちもどうぞ」とどちらが部屋の主かわからない振る舞いをしていた。
「今さらな質問ですね。」
「でも気になるっスよ。ワナかもしれないって思ったでしょ?」
「はい。むしろワナであってほしいと思いました。」
「えぇ!?」
「もう1度、あの人の顔を見たいって思ったんです。」
「あの人って、木吉?」
「赤司君はそんなボクの心を見越しているから、ボクを解放しないんでしょう。」
黄瀬は「そんなのヒドイ」と文句を言った。
黒子は「あくまで推測ですよ」とフォローする。
だが間違いないと思っている。
赤司は黒子の恋心をしっかりと見通している。
だからこそ伊月から引き離し、このまま組織から出さないつもりなのだ。
恋の相手が現役の警察官であることは、どう考えてもまずいだろう。
「黒子っち、明日は?」
「また青峰君と取り立てです。」
「たまにはオレと組んでくださいよ~!」
「それは赤司君に頼んでください。」
特に中身のないお喋りをし終わると、黄瀬はさっさと自分の部屋に戻っていった。
1人になるといつもこの部屋の広さを思い知る。
伊月と暮らしていたボロアパートで、体温を分け合っていたあの頃が懐かしい。
これで独りぼっち。
黒子はベットに寝転びながら、孤独を噛みしめていた。
【続く】
ったく、あいかわらずだ。
青峰は黒子の観察眼に舌を巻かざるを得なかった。
「困るんだよな。オレも手ぶらじゃ帰れねーし。」
とあるマンションの一室で、青峰は部屋の住人を睨んでいた。
男は借金を抱えており、青峰はその取り立てに来ている。
青峰の身長とガングロの顔と人相は、それだけで十分な脅しになる。
それに仮に相手がケンカを仕掛けてきても、大丈夫だ。
そういう経験は、それなりに場数を積んでいる。
まさかこのオレが、赤司の下で働くとはな。
青峰はそれを皮肉なことだと思っている。
だけどそれなりに楽しんではいた。
バスケ選手としての寿命は短かった。
なまじ才能に恵まれすぎてしまったため、普通の選手よりかなり身体を酷使したのだ。
そしてトッププロとしてバスケを極め、ギリギリのスリルに慣れてしまった心だけが残った。
もう普通の仕事では満足できない。
だからこうして赤司の組織で、違法な仕事をこなしているのだ。
「本当に、今は、お金がないんです!」
この部屋の住民の男は、この威圧的な取立人を見上げながらブルブルと震えている。
まったく面倒な仕事だ。
本当は他の連中みたいに、ドラッグの売買の仕事をしたい。
だがパソコンもネットとメールしかできないから、伊月のようにサイトを作ることはできない。
立ってるだけでとにかく目立つので、黒子のように売人をすることもできなかった。
だから結局、こんな荒事ばかりが回ってくるのだ。
「多分タンスの一番上の引き出しに、現金か何か金目のものが入ってますよ。」
冷静にそう告げたのは、今回青峰と組んで仕事をしている黒子だ。
一時期は警察にマークされたかもしれないと軟禁状態にされたが、今はそれも解かれている。
だが以前のように伊月と組むことは許されていない。
ここ最近は、取り立てを行う青峰に同行することが多くなった。
黒子は相手を威嚇したり、取り押さえたりすることに関しては、まったく役に立たない。
だが並外れた観察眼を利用して、その心理を読むことはできるのだ。
今も男の視線が、何度もタンスのあたりを泳いでいるのを見つけたのだろう。
青峰は「わかった」と答えて、タンスの引き出しを外すと、中身を床にぶちまける。
案の定、入っていた封筒の中から、札が何枚も落ちた。
ったく、あいかわらずだ。
青峰は黒子の観察眼に舌を巻かざるを得なかった。
「やめてくれ!それは家族の生活費なんだ!」
男は今にも泣きだしそうな顔で、そう叫んだ。
青峰は男を無視して、床に散らばった金を拾い始める。
黒子は泣き崩れる男を冷やかに見下ろしてた。
「そんなに家族が大事なら、何で借金なんかしたんです?」
黒子の捨てゼリフに、青峰は背筋が寒くなった。
本当に黒子は、取り立てる相手にはひどく冷淡なのだ。
確かに目の前のこの男もギャンブルで借金を作って、家族崩壊寸前のクズではあるが。
「とりあえずこれは利息の足しだ。また来るからな。」
青峰はそう言い放って、債務者のマンションを出た。
中学時代の光と影は、今また一緒に薄暗い場所を歩いている。
*****
「あんたの家の借金は終わりだそうだ。」
仮初めの相棒は、唐突にそう告げた。
伊月はちょうど新しいサイトを作ったばかりだった。
薬の名はメスチノン。
本来の薬は無筋力症の治療薬だが、組織で売るのは似て非なるものだ。
筋肉増強剤であり、しかもオリンピックのドーピング検査でもかからないという。
本当にそんな都合のいい薬があるのかと思うが、伊月には関係ない。
とにかく言われたとおりにサイトを作り、注文に応じるだけだ。
黒子と引き離されてから、そろそろ半年になろうとしていた。
もう軟禁状態は解かれたと聞いている。
木吉たちは伊月のメッセージを読み解いてくれたらしい。
結局彼らがいつまでたっても動かなかったので、黒子は「処分」されずに済んだ。
だが伊月とは引き離されてしまっており、同じ組織にいながら会うことができずにいた。
伊月のパートナーは、相変わらず黛だった。
黒子と同じ特性を持っている、影の薄い男だ。
だが性格は黒子とは全然異なる。
この毒舌家でナルシストな男を、伊月はどうにも好きにはなれなかった。
でも黒子とは時々会っているようで、たまにその近況を知らせてくれる。
それは「元気そうだった」なんていう簡単なものだったが、それでも聞けるだけで嬉しかった。
今日もちょうどサイトを作り終えたところで、今は伊月1人で暮らす部屋に黛がやって来た。
「あんたの家の借金は終わりだそうだ。」
仮初めの相棒は、唐突にそう告げた。
伊月は「なに?」と不審な声を上げた。
まだ全額は返済していないはずなのだ。
「あいつが自分の稼ぎを返済の足しにしてくれって言ったらしいぜ。」
黛の言葉に、伊月はギリッと歯を食いしばった。
あいつ。言うまでもなく黒子のことだ。
「てなわけで、これ。借用書。あんたの目の前で破棄しろって言われた。」
黛は伊月の両親がサインをしている借用書を取り出すと、伊月の前に突き出す。
そしてそれを両手でビリビリと裂いて捨てた。
ついに伊月をずっと縛り続けて来た借金は、消えてなくなったのだった。
「これであんたは自由だ。」
「黒子は?あいつはどこにいる?」
「・・・ファントムは組織に残る。」
「は?何で!」
「くれぐれも解放された後、警察に駆け込むなんて、考えないことだ。」
黛は一方的に言いたいことだけを告げると、伊月の問いには何も答えずに出て行った。
残された伊月は、ただ呆然とその場に立ち竦むしかなかった。
待ち望んでいた借金完済の瞬間は、唐突に訪れた。
だが少しも気は晴れず、むしろモヤモヤするばかりだ。
ただこのままで済ませるつもりはなかった。
黒子だけここに残して去るなんて、考えられない。
どうしよう。どうすればいい。
伊月は明晰な頭脳で、必死に考えを巡らせていた。
*****
これで独りぼっち。
黒子はベットに寝転びながら、孤独を噛みしめていた。
伊月の借金は、予定よりも早く完済した。
それは黒子が自分のギャラからも金を返していたからだ。
今頃、それを知らされた伊月は、怒っているかもしれない。
今、黒子が滞在しているのは、都内のワンルームマンションの一室だ。
伊月と住んでいたあのボロアパートとは違い、新築の一見オシャレな建物。
この最上階のワンフロアが、まるまる組織で借り上げられている。
そしてかつて「キセキ」と呼ばれた面々は、赤司を除いて全員がここに住んでいた。
「黒子っち、どうしてあのとき実家に帰ったんスか?」
黒子の部屋には、毎晩「キセキ」の誰かがやって来る。
特にこの黄瀬はほぼ毎晩現れた。
今もお菓子を抱えて現れると、勝手にキッチンでお茶を淹れている。
そして「黒子っちもどうぞ」とどちらが部屋の主かわからない振る舞いをしていた。
「今さらな質問ですね。」
「でも気になるっスよ。ワナかもしれないって思ったでしょ?」
「はい。むしろワナであってほしいと思いました。」
「えぇ!?」
「もう1度、あの人の顔を見たいって思ったんです。」
「あの人って、木吉?」
「赤司君はそんなボクの心を見越しているから、ボクを解放しないんでしょう。」
黄瀬は「そんなのヒドイ」と文句を言った。
黒子は「あくまで推測ですよ」とフォローする。
だが間違いないと思っている。
赤司は黒子の恋心をしっかりと見通している。
だからこそ伊月から引き離し、このまま組織から出さないつもりなのだ。
恋の相手が現役の警察官であることは、どう考えてもまずいだろう。
「黒子っち、明日は?」
「また青峰君と取り立てです。」
「たまにはオレと組んでくださいよ~!」
「それは赤司君に頼んでください。」
特に中身のないお喋りをし終わると、黄瀬はさっさと自分の部屋に戻っていった。
1人になるといつもこの部屋の広さを思い知る。
伊月と暮らしていたボロアパートで、体温を分け合っていたあの頃が懐かしい。
これで独りぼっち。
黒子はベットに寝転びながら、孤独を噛みしめていた。
【続く】