クスリで10題

【アナフラニール】

「ったく、デジャヴだな。」
伊月は不機嫌に眉を寄せながら、相棒の仕事を観察していた。

「大丈夫。特に見張っているヤツはいない。」
伊月はスマートフォンで会話している素振りで、襟元のマイクにそう囁く。
少し離れた場所にいる相棒は、伊月と視線を合わせると、かすかに頷いた。
そして待ち合わせ場所に立つ男へと近づいていく。
今日の商品は、アナフラニール。
本当のアナフラニールは抗うつ剤だが、これは成分合成したニセモノだ。
飲めば手っ取り早くハイになれるそうで、最近よく売れる。

伊月の仕事は、相棒のサポートだ。
鷲の目で不審な動きをしている者がいないかどうか探り、指示を伝えるのだ。
そしてそのまま、相棒が客と接触するのを見守る。
金を受け取り、商品が入ったコインロッカーの鍵と場所を示したメモを渡す。
ほんの数秒だが、さりげなくやるのは難しい。

「ったく、デジャヴだな。」
伊月は不機嫌に眉を寄せながら、相棒の仕事を観察していた。
黒子の身柄は未だに拘束されており、今は新しい相棒と組まされている。
それがどういう因縁か、かつて高校時代に対戦し「新型の幻の6人目(シックスマン)」と呼ばれた男なのだ。
何で今になって、こいつと組まなければいけないのか。

「無駄な動きが多い。もっと自然にやれよ」
受け渡しが終わった後、伊月は相棒に文句を言った。
すると相棒は舌打ちをすると、無言でギロリと伊月を睨む。
黒子同様、無口で無表情なこの男は、案外毒舌家で、しかもナルシストだ。
自分のやり方を変えるつもりはなく、かつ否定することさえ許さないらしい。

「言っても無駄か。じゃあここで解散。報告しといてくれよ。」
伊月は素っ気なくそう告げた。
別にこの新型相棒がどうなろうと知ったことじゃない。
ヘマして逮捕されたら、さっさと見捨てて逃げるだけだ。
伊月は相棒に背を向けると、答えもまたずに歩き出した。

黒子は大丈夫だろうか。
実家で待ち伏せをされて、戻ろうとした後、伊月は黒子に会っていない。
心配ではあるが、伊月はどうしようもない。
代用品の新型相棒は「オレが見た時は元気だったぜ」と言っていたが、当てにはならない。

伊月はもう1つの気がかりに、思いを馳せた。
黒子と決めた秘密のサイトに、届いた注文。
きっと黒子が教えたに違いない。
伊月が送った暗号のようなメッセージを、彼らは理解できただろうか?

木吉、謎は解けたか?
伊月は心の中でそう問いかけながら、足早に駅へ向かっていった。

*****

「やっとわかったわ。」
リコは不機嫌極まりないという表情で、日向と木吉を交互に睨みつけていた。

木吉は夜勤明け、日向とリコは非番の日。
3人は木吉の家に集まっていた。
日向もリコも寮暮らしだから、人に聞かれたくない話は木吉宅が最適なのだ。
木吉の祖父母はそういう雰囲気を敏感に察して、木吉の部屋には近寄らないでくれる。

木吉と日向は黒子に接触し、尾行したものの、逆に警告されて諦めた。
だが黒子は日向に、メッセージを残していったのだ。
あるサイトにアクセスし、注文をしろと。
その通りにしたところ、こちらが指定したアドレスにメールが返信されたのだが。

050-1342-9 149-2174-0
書かれていたのは、以上の数字の羅列だった。
何かの暗号であるのは、間違いない。
では何だと考えても、木吉も日向もさっぱりわからなかった。

「お前はオレと違って、成績がよかっただろう!?」
日向は自分も解けなかったクセに、木吉に文句を言う。
木吉は「成績は関係ないよ」と言い返した。
これはきっと頭の柔らかさの問題だ。
結局2人がこの件で頼りにできる人物は1人しかいない。
女子高生でバスケ部のカントクなんてことをやってのけた柔軟な思考の人物、相田リコだ。

「何で、私に内緒で、勝手なことをするのよ!?」
案の定、事の次第を知ったリコは烈火のごとく怒った。
2人で動いていたことは、完全に内緒にしていたからだ。
それでもその持ち前の責任感の強さで、暗号解読というやっかいな仕事を引き受けてくれた。
そして今日、その成果を披露してくれることになっていたのだ。

「やっとわかったわ。」
リコは不機嫌極まりないという表情で、日向と木吉を交互に睨みつけていた。
どうやら2人で勝手に動いたことを、まだ許してはくれていないのだろう。
それでも変に勿体つけずに話してくれることはありがたい。

「これはJASRACの作品コード」
「じゃす、らっく?」
「日本音楽著作権協会。つまりこれは曲を示しているのよ。」
リコはカバンからA4サイズの紙片を2枚、取り出した。
2枚とも、何か詩のようなものが書かれている。
作品コードが示す曲の歌詞ということらしい。

「中途半端はやめて、覚悟はしてるから、どっちかはっきりして、拾うの、捨てちゃうの」
「憎さ 愛しさ 胸に秘め 待って 待って 1年待って」
木吉と日向は1枚ずつ手に取り、それを読み上げる。
つまりこの歌詞が、今の伊月と黒子の思いなのだ。

「つまり私たちは選ばなきゃいけないのよ。」
「1年待つか。1年ってヤツらにとって、何か意味がある期間なんだろうな。」
「またはオレらだけでコソコソ動くんじゃなくて、警察を動かして捜査するか。」
リコの言葉を引き取って、日向と木吉が後を続けた。

「これは今すぐに決断はできない。考える時間が欲しいな。」
木吉がポツリとそう呟く。
部屋には重苦しい沈黙が落ちた。

*****

「またボクの勝ちだね。」
赤い天帝は勝ち誇ったように、王手を宣言した。
そのパチリという音まで勝ち誇っている気がして、不愉快だった。

「久しぶりだね。お前と将棋を指すのは」
赤司が大して面白くもなさそうに、話しかけてくる。
だけどこの男が自分を「ボク」と呼ぶときは、いつもこんな表情だ。
緑間真太郎は特に気にすることはなく「そうだな」と短く答えた。

緑間も赤司の組織の一員だ。
というか、黒子や伊月などよりははるかに重要なポジションにいた。
高校卒業後に医大に進学し、医師になった緑間は、薬の開発を行なっている。
つまり成分の合成からネーミングまで、薬物の商品化は緑間が管理しているのだ。

まったくどうしてここまで深みにはまったのか。
最初は2つの人格を持つ、何をしても優秀な男への好奇心だった。
だがあくまでも友人として、付き合っていただけだったのだ。
たまに会って食事をし、お互いの近況や昔話をする。
そんなとき、おおむね赤司は自分のことを「オレ」と言っていた。

だが「ボク」になった赤司は、甘く緑間を誘った。
医師として、大学病院でのし上がっていくには金と人脈が必要。
患者を思う心はもちろんあるが、それだけではダメなのだ。
「ボク」の赤司は、そんな緑間の心を捕えて、取り込んだ。
かくして今、緑間は組織の中でものし上がっている。

「アナフラニールはよく売れている。いい感じでトリップできると評判がいい。」
赤司はそう言いながら、パチリと駒を置く。
ここは都内某所、赤司が東京で滞在するときに使っている家だ。
月のうちほんの数日しかいないらしいのに、広い豪邸だ。
2人は今、そのリビングで将棋盤を挟んで、向かい合っていた。

「黒子はまだ軟禁状態なのか?」
緑間もパチリと駒を進めながら、そう聞いた。
赤司はほんの一瞬だけ、驚いたように目を見開いた。
緑間が差した会心の一手に感心したのかか、黒子の名前に反応したのかはわからない。

「そうだな。当分自由にはさせられない。」
「黒子はお前を裏切ったりはしないだろう。」
「ああ。だけど刑事に目をつけられているからな。」
「まさか始末するつもりなのか?」
赤司と緑間は互いに目は合わさず、盤面を見ている。
だけど将棋とはまったく関係のない会話が、繰り返されていた。

「お前が黒子を気にするのは、高尾の件が関係あるか?」
赤司の言葉に、緑間の手が止まる。
確かにスパイとして潜入してきた高尾を、黒子は逃がした。
だから恩義のようなものも感じてはいたのだ。
せめて黒子が助かるような口添えを思ったが、赤司にはお見通しのようだ。

高尾は組織に緑間がいることを知っていただろうか?
気付かれていたとは思えないが、偶然だとも思えない。
まったく忌々しいことばかりだ。
運命を占いに託していた学生時代が懐かしい。

「またボクの勝ちだね。」
赤い天帝は勝ち誇ったように、王手を宣言した。
そのパチリという音まで勝ち誇っている気がして、不愉快だった。

【続く】
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