クスリで10題
【フェノバール】
「お前、伊月、か!?」
木吉が上ずった声をあげたときには、もう電話は切れていた。
木吉は黒子に会うべく、黒子の母親に協力を頼んだ。
病気だとデマを流して、呼び出してもらったのだ。
黒子の親は、息子からあまり連絡がないことを心配していたそうだ。
だからこの策略を頼んだときに、すんなりと協力してくれた。
でも木吉は嘘をつかせてしまったことを、申し訳なく思っていた。
そして何としても、黒子を普通の暮らしに戻してやりたいと思う。
だが黒子は家の前まで来たものの、木吉の姿を見つけると、踵を返してしまった。
これは木吉にとって、地味にショックだった。
抱き合って感動の再会なんていうのは、甘い夢。
だけど嬉しそうな顔はしてくれると思ったのだ。
いやせめて何らかの感情は表に出してくれるだろうと。
そしてその感情の動きに訴えて説得し、伊月と一緒に自首させたかった。
「待ってくれ、黒子!」
木吉の叫びも空しく、黒子は振り返らずに歩いて行ってしまう。
そのまま追いかけたいという衝動を、木吉はじっと堪えた。
黒子の態度はあまりにも固い。
ここで無理矢理捕まえても、伊月の消息は聞き出せないだろう。
諦めてため息をついた途端、木吉の携帯電話が鳴った。
非通知の番号からの着信だが、かまわずに電話に出る。
一瞬黒子かと思ったが、まだ後姿が見える黒子に電話をかけている気配はない。
木吉はじっと黒子を目で追いながら、電話を取る。
『あいつの後を追うな。殺されるぞ。』
電話から聞こえてきたのは、機械で細工された声だ。
その不気味さに圧倒された木吉は、その言葉の意味を把握するのが一瞬遅れた。
次の瞬間、カッと頭に血が上る。
「お前、伊月、か!?」
木吉が上ずった声をあげたときには、もう電話は切れていた。
そしてもう黒子の姿も見えない。
木吉は慌てて、日向の携帯番号を呼び出した。
黒子が木吉の説得に応じなかった場合、日向が尾行する手はずにしており、今まさに後を付けているのだ。
まさか、日向の身に危険が。
木吉は応答のない日向を案じながら、なすすべもなく立ち竦んでいた。
*****
これは黒子からのメッセージだろう。
とにかくこれで、まだつながっている。
日向は電車に揺られていた。
木吉が黒子を説得できなかった場合は、尾行して彼らのアジトを突き止める。
それが事前に木吉と打ち合わせて決めたことだ。
黒子は実家に現れたものの、木吉と2、3言話しただけで、すぐにクルリと身を翻す。
だから早々に日向の出番となったわけだ。
黒子はゆっくりと駅まで歩いていく。
そして電車を乗り継いで、今は山手線に揺られていた。
黒子は座席に腰を下ろすと、文庫本を開いた。
そう言えば、黒子は本好きだった。
日向は1つ隣の車両から黒子を見ながら、何だか懐かしい気持ちになった。
本当は木吉は、自分で黒子を追いたかっただろう。
でもあの大きな身長はとにかく目立つので、尾行には向かない。
だからこそと日向は、尾行に集中していた。
この時警告めいた電話を受けた木吉が、何度も日向の携帯をコールしていた。
だが携帯電話は音を切った状態のマナーモードになっており、日向は気付かなかったのだ。
しばらく黒子の尾行を続けていた日向は、何かがおかしいと思い始めていた。
山手線に乗っている時間が異様に長い。
そろそろ1周するくらい乗り続けていたのだ。
山手線は環状運転をしているから、こんなに乗る必要はない。
逆回りの電車に乗ればいいだけの話だ。
まさか尾行に気付かれている?
日向がようやくそれを疑い始めた頃、山手線は最初に乗った駅に戻ろうとしていた。
そして車両越しに見える黒子と真っ直ぐに視線が合う。
やはり気付かれていたのだ。
動揺する日向だったが、黒子は冷静な無表情だ。
そしておもむろに文庫本を閉じると、ゆっくりと席を立つ。
最初に乗った駅で、黒子は電車を降りた。
ゆっくりとホームを歩き、ゴミ箱の前に立つと、もう1度チラリと日向を見る。
そして先程まで電車の中で読んでいた文庫本をゴミ箱に放り込むと、今度は早足で歩き始めた。
あの本好きの黒子が本を捨てるなんて、おかしい。
日向はそれを悟ると、黒子の尾行を止めた。
そしてホームのゴミ箱に近づくと、黒子が捨てた文庫本を拾い上げる。
予想通り、捨てられた文庫本にはメモが1枚、挟まっていた。
これ以上、僕を追うのは危険です。
このサイトにアクセスしてフェノバールを11錠、注文してください。
メモにはそれだけの短い文と、何かのサイトのアドレスが書かれていた。
これは黒子からのメッセージだろう。
とにかくこれで、まだつながっている。
日向はメモごと文庫本をポケットに押し込むと、ホーム前方の階段に向かって歩き出した。
*****
フェノバールを11錠。
それを見た途端、伊月は思わず「まさか」と声を上げた。
伊月は黒子が実家に帰るとき、実は少し離れたところから見ていた。
これは嘘ではないかと疑っていたからだ。
そしてその疑いが本当であったことを知る。
黒子の実家の前には木吉が立っていて、黒子に話しかけたからだ。
黒子は木吉とほんの数言会話しただけで、踵を返した。
木吉はそれをただ見送っている。
だが伊月は去っていく黒子の後を尾行している人間を見た。
日向、そしてさらにその後ろにもう1人。
黒子につけられている監視が、黒子を尾行する日向に気付いたのだ。
伊月は咄嗟に携帯電話を取り出すと、木吉に電話をかけた。
直接日向にかければ、その反応で監視者に疑われるかもしれないからだ。
木吉の番号が高校時代と変わっていないことは、勘だけれど確信していた。
いつ黒子から電話がかかってきてもいいように、変えないのだ。
万が一録音されてしまうことを考えて、変声器を使うことにする。
「あいつの後を追うな。殺されるぞ。」
伊月は短くそう告げる。
このままでは黒子を尾行する日向が危ない。
そして目をつけられていることがバレれば、黒子と伊月だって無事では済まないだろう。
『お前、伊月、か!?』
電話の向こうから懐かしい声が聞こえたが、伊月はかまわず電話を切った。
そしてゆっくりと住んでいる部屋へと戻る。
黒子は日向が尾行していることなど、簡単に気付くだろう。
自分で何とかできるだろうし、特に問題ない。
だがその夜、黒子はいつまで待っても部屋に戻ってこなかった。
日向と木吉に捕まえられたなんてことはないはずだ。
そもそも彼らは警官なのだから、容疑が固まらなければ逮捕などできない。
はっきりした証拠がないからこそ、2人だけで動いているはずだ。
心配だが、仕事はしなければならない。
伊月はパソコンに向かうと、サイトをチェックし、注文のメールを確認する。
そしてそのメールを見つけたのだ。
フェノバールを11錠。
それを見た途端、伊月は思わず「まさか」と声を上げた。
これは事前に黒子と打ち合わせていた連絡方法だ。
フェノバールはあまり出ない薬だし、11なんて端数を注文する客はほぼいない。
ちなみに11は、高校時代の黒子の背番号から取った。
何よりも万が一組織にチェックされても、一見ただの注文に見えるのだ。
だが今、この注文が入ったということは。
つまり黒子は、日向を逃がしたのだろう。
そのことで組織に、身柄を拘束されているのだ。
伊月はパソコンの画面を睨みながら、思考をフル回転させていた。
とにかくこのままではまずい。
【続く】
「お前、伊月、か!?」
木吉が上ずった声をあげたときには、もう電話は切れていた。
木吉は黒子に会うべく、黒子の母親に協力を頼んだ。
病気だとデマを流して、呼び出してもらったのだ。
黒子の親は、息子からあまり連絡がないことを心配していたそうだ。
だからこの策略を頼んだときに、すんなりと協力してくれた。
でも木吉は嘘をつかせてしまったことを、申し訳なく思っていた。
そして何としても、黒子を普通の暮らしに戻してやりたいと思う。
だが黒子は家の前まで来たものの、木吉の姿を見つけると、踵を返してしまった。
これは木吉にとって、地味にショックだった。
抱き合って感動の再会なんていうのは、甘い夢。
だけど嬉しそうな顔はしてくれると思ったのだ。
いやせめて何らかの感情は表に出してくれるだろうと。
そしてその感情の動きに訴えて説得し、伊月と一緒に自首させたかった。
「待ってくれ、黒子!」
木吉の叫びも空しく、黒子は振り返らずに歩いて行ってしまう。
そのまま追いかけたいという衝動を、木吉はじっと堪えた。
黒子の態度はあまりにも固い。
ここで無理矢理捕まえても、伊月の消息は聞き出せないだろう。
諦めてため息をついた途端、木吉の携帯電話が鳴った。
非通知の番号からの着信だが、かまわずに電話に出る。
一瞬黒子かと思ったが、まだ後姿が見える黒子に電話をかけている気配はない。
木吉はじっと黒子を目で追いながら、電話を取る。
『あいつの後を追うな。殺されるぞ。』
電話から聞こえてきたのは、機械で細工された声だ。
その不気味さに圧倒された木吉は、その言葉の意味を把握するのが一瞬遅れた。
次の瞬間、カッと頭に血が上る。
「お前、伊月、か!?」
木吉が上ずった声をあげたときには、もう電話は切れていた。
そしてもう黒子の姿も見えない。
木吉は慌てて、日向の携帯番号を呼び出した。
黒子が木吉の説得に応じなかった場合、日向が尾行する手はずにしており、今まさに後を付けているのだ。
まさか、日向の身に危険が。
木吉は応答のない日向を案じながら、なすすべもなく立ち竦んでいた。
*****
これは黒子からのメッセージだろう。
とにかくこれで、まだつながっている。
日向は電車に揺られていた。
木吉が黒子を説得できなかった場合は、尾行して彼らのアジトを突き止める。
それが事前に木吉と打ち合わせて決めたことだ。
黒子は実家に現れたものの、木吉と2、3言話しただけで、すぐにクルリと身を翻す。
だから早々に日向の出番となったわけだ。
黒子はゆっくりと駅まで歩いていく。
そして電車を乗り継いで、今は山手線に揺られていた。
黒子は座席に腰を下ろすと、文庫本を開いた。
そう言えば、黒子は本好きだった。
日向は1つ隣の車両から黒子を見ながら、何だか懐かしい気持ちになった。
本当は木吉は、自分で黒子を追いたかっただろう。
でもあの大きな身長はとにかく目立つので、尾行には向かない。
だからこそと日向は、尾行に集中していた。
この時警告めいた電話を受けた木吉が、何度も日向の携帯をコールしていた。
だが携帯電話は音を切った状態のマナーモードになっており、日向は気付かなかったのだ。
しばらく黒子の尾行を続けていた日向は、何かがおかしいと思い始めていた。
山手線に乗っている時間が異様に長い。
そろそろ1周するくらい乗り続けていたのだ。
山手線は環状運転をしているから、こんなに乗る必要はない。
逆回りの電車に乗ればいいだけの話だ。
まさか尾行に気付かれている?
日向がようやくそれを疑い始めた頃、山手線は最初に乗った駅に戻ろうとしていた。
そして車両越しに見える黒子と真っ直ぐに視線が合う。
やはり気付かれていたのだ。
動揺する日向だったが、黒子は冷静な無表情だ。
そしておもむろに文庫本を閉じると、ゆっくりと席を立つ。
最初に乗った駅で、黒子は電車を降りた。
ゆっくりとホームを歩き、ゴミ箱の前に立つと、もう1度チラリと日向を見る。
そして先程まで電車の中で読んでいた文庫本をゴミ箱に放り込むと、今度は早足で歩き始めた。
あの本好きの黒子が本を捨てるなんて、おかしい。
日向はそれを悟ると、黒子の尾行を止めた。
そしてホームのゴミ箱に近づくと、黒子が捨てた文庫本を拾い上げる。
予想通り、捨てられた文庫本にはメモが1枚、挟まっていた。
これ以上、僕を追うのは危険です。
このサイトにアクセスしてフェノバールを11錠、注文してください。
メモにはそれだけの短い文と、何かのサイトのアドレスが書かれていた。
これは黒子からのメッセージだろう。
とにかくこれで、まだつながっている。
日向はメモごと文庫本をポケットに押し込むと、ホーム前方の階段に向かって歩き出した。
*****
フェノバールを11錠。
それを見た途端、伊月は思わず「まさか」と声を上げた。
伊月は黒子が実家に帰るとき、実は少し離れたところから見ていた。
これは嘘ではないかと疑っていたからだ。
そしてその疑いが本当であったことを知る。
黒子の実家の前には木吉が立っていて、黒子に話しかけたからだ。
黒子は木吉とほんの数言会話しただけで、踵を返した。
木吉はそれをただ見送っている。
だが伊月は去っていく黒子の後を尾行している人間を見た。
日向、そしてさらにその後ろにもう1人。
黒子につけられている監視が、黒子を尾行する日向に気付いたのだ。
伊月は咄嗟に携帯電話を取り出すと、木吉に電話をかけた。
直接日向にかければ、その反応で監視者に疑われるかもしれないからだ。
木吉の番号が高校時代と変わっていないことは、勘だけれど確信していた。
いつ黒子から電話がかかってきてもいいように、変えないのだ。
万が一録音されてしまうことを考えて、変声器を使うことにする。
「あいつの後を追うな。殺されるぞ。」
伊月は短くそう告げる。
このままでは黒子を尾行する日向が危ない。
そして目をつけられていることがバレれば、黒子と伊月だって無事では済まないだろう。
『お前、伊月、か!?』
電話の向こうから懐かしい声が聞こえたが、伊月はかまわず電話を切った。
そしてゆっくりと住んでいる部屋へと戻る。
黒子は日向が尾行していることなど、簡単に気付くだろう。
自分で何とかできるだろうし、特に問題ない。
だがその夜、黒子はいつまで待っても部屋に戻ってこなかった。
日向と木吉に捕まえられたなんてことはないはずだ。
そもそも彼らは警官なのだから、容疑が固まらなければ逮捕などできない。
はっきりした証拠がないからこそ、2人だけで動いているはずだ。
心配だが、仕事はしなければならない。
伊月はパソコンに向かうと、サイトをチェックし、注文のメールを確認する。
そしてそのメールを見つけたのだ。
フェノバールを11錠。
それを見た途端、伊月は思わず「まさか」と声を上げた。
これは事前に黒子と打ち合わせていた連絡方法だ。
フェノバールはあまり出ない薬だし、11なんて端数を注文する客はほぼいない。
ちなみに11は、高校時代の黒子の背番号から取った。
何よりも万が一組織にチェックされても、一見ただの注文に見えるのだ。
だが今、この注文が入ったということは。
つまり黒子は、日向を逃がしたのだろう。
そのことで組織に、身柄を拘束されているのだ。
伊月はパソコンの画面を睨みながら、思考をフル回転させていた。
とにかくこのままではまずい。
【続く】