クスリで10題
【バルビタール】
「今度はバルビタール?」
日向は忌々しげに、パソコンの画面を睨み付けた。
木吉は腕組をしながら、むずかしい顔で考え込んでいる。
前回イソミタールの売人を誘き出そうとした日向、木吉、リコだったが、失敗に終わった。
指定の場所で張り込んでいたものの、ついに誰も現れなかったのだ。
相手が用心深かったのか、何かの手違いか。
諦めて引き上げて、もう1度パソコンのサイトを確認した3人は絶句した。
問題のサイトはすでに削除されていて、影も形もなかったのだ。
「オレは関係ないけど、日向は出世に響くだろ?」
木吉はのほほんとした声で、そう言った。
問題のサイトは海外のサーバをいくつも経由して作られたので、作成者の特定はできなかった。
だからこそ捜査本部では、慎重に逮捕に向けての捜査方針を立てていた最中だったのだ。
3人が勝手に動いたせいで、貴重な手掛かりが消えてしまったのだ。
さすがに隠してはおけず、3人はそれを報告した。
そして予想通り、こっぴどく罵倒された挙句、日向と木吉は謹慎処分中だ。
自宅待機を命じられ、日向の住む警察の独身寮にいた。
その上1ヶ月の減俸とあっては、もうヘコむしかない。
リコとは別行動だ。
彼女は訓告だけで、明確な処分はなかった。
これは事前に日向と木吉が取り決めをしていたからだ。
失敗したら、リコは無理矢理引きずり込んだことにしてかばおうと。
キャリアであるリコの経歴に、傷だけはつけたくなかったからだ。
そのリコは捜査情報をこっそりとメールで知らせてくれていた。
例のサイトがなくなったその日に、別のサイトが立ち上がっていたと。
そこで売られているのは、バルビタールという睡眠薬。
これまた現在は売られていない違法な薬だ。
前のサイトとはアドレスも全然デザインも全然違う。
だけど前のサイトが消えた数時間後に現れた、しかも今は違法になった昔の薬を売るサイト。
かなり怪しいと言えるだろう。
「なぁ木吉。本当にあの場に黒子がいたのか?」
日向の声にはどうしても疑いの色が混じってしまう。
木吉は張り込んだ取引現場に黒子が現れたと言い張っている。
だけど本当にそうなのだろうか。
黒子に逢いたいと思う木吉の心が見せた幻ではないのだろうか。
「間違いないよ。あの髪の色は黒子だ。」
木吉はキッパリと断言する。
だけどやっぱり疑わしいと、日向は思った。
何しろ高校代も今も、木吉は黒子にベタ惚れなのだから。
*****
やっぱり鉄平は、まだ黒子君のことが。
リコはメールを送信した後、大きくため息をついていた。
木吉と日向は勝手な張り込みの責任を問われ、謹慎中だ。
無理もないことだと思う。
せっかくこれから追い詰めようとしていた密売グループの尻尾を取り逃がしたのだから。
本来ならば、リコもそれなりの処分をうけるべきなのだ。
だけど木吉と日向は2人で計画したことで、リコを無理矢理巻き込んだのだと言い張った。
そうすることで、リコだけ謹慎を免れたのだ。
3人とも処分を受けると、捜査情報が得られなくなる。
それが表向きの理由だが、本当はかばってくれたのだと思う。
経歴に汚点が残れば、如実に出世に響くのがキャリアの宿命なのだ。
リコとしては、別に出世などどうでもよかった。
だが捜査から完全に遠ざけられたくはなかったから、この事態を受け入れた。
それに日向と木吉だけでなく、かつて誠凛から消えた黒子と伊月のことも気になっている。
もし2人が密売にかかわっているなら、なるべく傷が少ない形で助け出したい。
それがかつてバスケ部の監督を勤めた自分の責任だと思っている。
だからこそ3人だけの張り込みを決行したのだ。
結局リコは訓告だけですみ、二度と勝手なことはしないようにと何度も念押しされた。
そしてその後、捜査の状況を教えてもらったのだ。
前のサイトが消滅し、新しいサイトが立ち上がっていたことを。
まぁ関係のないサイトかもしれないけどな。
捜査担当の刑事はそう言ったけど、リコは間違いなく同じグループだと思う。
どうせ今回の薬も成分を合成して、昔の薬の名前を使っているんだろう。
その辺りのネーミングセンスは、絶対に同一犯だ。
リコはその情報をメールにして、日向たちに送ることにした。
やっぱり鉄平は、まだ黒子君のことが。
リコはメールを送信した後、大きくため息をついていた。
高校時代、木吉と伊月は黒子のことが好きだった。
黒子や他の後輩たちは、きっと知らなかっただろう。
だけどリコたちの学年は、全員気が付いていた。
木吉も伊月も、あの影の薄い少年を熱いまなざしで見つめていた。
結局黒子は、木吉の告白を受け入れたと聞いた。
だけどその直後、伊月が失踪し、部の中は一気に沈んだ。
木吉と黒子の始まったばかりの恋も、そんな雰囲気の中で消えていった。
リコはそのとき、確かに暗い喜びを感じていた。
木吉を黒子に取られたくないと思っていたからだ。
黒子君と伊月君が薬物売買に関わっていたら、鉄平はどうするんだろう。
リコはずっとそれを考えている。
元々木吉は彼らを捜すために警察官になったのだ。
それを果たしたら、もしかして辞めてしまうつもりなのかもしれない。
リコはスマートフォンをポケットに放り込むと、歩き出した。
考えても答えが出ないことを、グルグル悩んでも仕方ない。
*****
木吉、オレからこいつを取り返せるか?
伊月はすやすやと眠っている黒子の髪にそっと手を伸ばした。
伊月俊が高校3年の時、それまでの平穏で明るい生活から闇に落ちた。
理由は単純、父親が事業で作った借金だ。
しかも悪い業者に手を出してしまい、伊月が知った時には途方もない額になっていた。
弁護士に相談して、自己破産するしかない。
そう思った矢先、一家もろとも拉致された。
そして家族とも引き離された伊月は、こう言い渡されたのだ。
身体を売るか、薬を売るか。どっちか選べ。
つまりそうして借金の返済のために働けということだ。
逃げ出すことはできなかった。
仮に伊月が脱走すれば、両親や姉妹に危害が加えられるからだ。
こうなったら、効率的に稼ぐしかない。
少しでも早く借金を返済して、家族も取り戻す。
そう思った時、思い浮かんだのは影の薄い後輩の顔だった。
身体を売るなんてできないから、売人になるしかない。
ならばあの後輩の特性は、絶対に役に立つ。
だから伊月は黒子に全部打ち明けた上で、助けてほしいと頼んだ。
でも本当に黒子が一緒に闇に落ちてくれると思ったわけじゃない。
犯罪に一緒に手を染めてくれなんて言っても、普通は「はい」とは言わないだろう。
それでも黒子に助けを求めたのは、憶えていてほしかったからだ。
助けられなかった先輩として、ずっと黒子の心の中に残りたかった。
伊月は木吉がケガで部を休んでいる頃、すでに黒子が好きだったのだ。
後出しの権利をこんなところでも行使した木吉への、ちょっとした意趣返しの意味もある。
だが黒子は「わかりました」と答えた。
そのときから2人は、もうバスケの先輩後輩ではなくなった。
イーグルとファントム。
伊月の目で危険を見極め、影の薄い黒子が接触する。
この方法で、もう数えきれないほど違法な薬を売り続けたのだ。
だがこの前は本当に驚いた。
新規の客からの依頼で出向いた取引場所で、見つけたのは懐かしい3人組。
木吉、日向、リコが張り込んでいたのだから。
あの3人が警察官になったことは知っている。
伊月は急いで、黒子に撤退の指示を出した。
そう言えばあの3人はどうしているのだろう。
木吉は黒子が好きだったが、リコはさらにその木吉が好きで、日向はリコが好きだった。
高校時代、バスケ漬けの日々だったけど、確かに恋はいくつもあったのだ。
あの3人は高校の時と同じ相手に、まだ恋をしているのだろうか。
まぁどうでもいいか。
伊月は同じ布団にくるまっている未だ少年のような男を見た。
六畳一間の狭いアパートで、伊月は黒子と暮らしている。
不規則な仕事の合間はこうしてゴロゴロと寝て過てばかりだ。
先程まで行為に耽ってそのままなので、黒子の裸の細い肩が剥き出しになっていた。
木吉、オレからこいつを取り返せるか?
伊月はすやすやと眠っている黒子の髪にそっと手を伸ばした。
いずれ対決する日が来るのかもしれないが、絶対に渡すつもりはない。
【続く】
「今度はバルビタール?」
日向は忌々しげに、パソコンの画面を睨み付けた。
木吉は腕組をしながら、むずかしい顔で考え込んでいる。
前回イソミタールの売人を誘き出そうとした日向、木吉、リコだったが、失敗に終わった。
指定の場所で張り込んでいたものの、ついに誰も現れなかったのだ。
相手が用心深かったのか、何かの手違いか。
諦めて引き上げて、もう1度パソコンのサイトを確認した3人は絶句した。
問題のサイトはすでに削除されていて、影も形もなかったのだ。
「オレは関係ないけど、日向は出世に響くだろ?」
木吉はのほほんとした声で、そう言った。
問題のサイトは海外のサーバをいくつも経由して作られたので、作成者の特定はできなかった。
だからこそ捜査本部では、慎重に逮捕に向けての捜査方針を立てていた最中だったのだ。
3人が勝手に動いたせいで、貴重な手掛かりが消えてしまったのだ。
さすがに隠してはおけず、3人はそれを報告した。
そして予想通り、こっぴどく罵倒された挙句、日向と木吉は謹慎処分中だ。
自宅待機を命じられ、日向の住む警察の独身寮にいた。
その上1ヶ月の減俸とあっては、もうヘコむしかない。
リコとは別行動だ。
彼女は訓告だけで、明確な処分はなかった。
これは事前に日向と木吉が取り決めをしていたからだ。
失敗したら、リコは無理矢理引きずり込んだことにしてかばおうと。
キャリアであるリコの経歴に、傷だけはつけたくなかったからだ。
そのリコは捜査情報をこっそりとメールで知らせてくれていた。
例のサイトがなくなったその日に、別のサイトが立ち上がっていたと。
そこで売られているのは、バルビタールという睡眠薬。
これまた現在は売られていない違法な薬だ。
前のサイトとはアドレスも全然デザインも全然違う。
だけど前のサイトが消えた数時間後に現れた、しかも今は違法になった昔の薬を売るサイト。
かなり怪しいと言えるだろう。
「なぁ木吉。本当にあの場に黒子がいたのか?」
日向の声にはどうしても疑いの色が混じってしまう。
木吉は張り込んだ取引現場に黒子が現れたと言い張っている。
だけど本当にそうなのだろうか。
黒子に逢いたいと思う木吉の心が見せた幻ではないのだろうか。
「間違いないよ。あの髪の色は黒子だ。」
木吉はキッパリと断言する。
だけどやっぱり疑わしいと、日向は思った。
何しろ高校代も今も、木吉は黒子にベタ惚れなのだから。
*****
やっぱり鉄平は、まだ黒子君のことが。
リコはメールを送信した後、大きくため息をついていた。
木吉と日向は勝手な張り込みの責任を問われ、謹慎中だ。
無理もないことだと思う。
せっかくこれから追い詰めようとしていた密売グループの尻尾を取り逃がしたのだから。
本来ならば、リコもそれなりの処分をうけるべきなのだ。
だけど木吉と日向は2人で計画したことで、リコを無理矢理巻き込んだのだと言い張った。
そうすることで、リコだけ謹慎を免れたのだ。
3人とも処分を受けると、捜査情報が得られなくなる。
それが表向きの理由だが、本当はかばってくれたのだと思う。
経歴に汚点が残れば、如実に出世に響くのがキャリアの宿命なのだ。
リコとしては、別に出世などどうでもよかった。
だが捜査から完全に遠ざけられたくはなかったから、この事態を受け入れた。
それに日向と木吉だけでなく、かつて誠凛から消えた黒子と伊月のことも気になっている。
もし2人が密売にかかわっているなら、なるべく傷が少ない形で助け出したい。
それがかつてバスケ部の監督を勤めた自分の責任だと思っている。
だからこそ3人だけの張り込みを決行したのだ。
結局リコは訓告だけですみ、二度と勝手なことはしないようにと何度も念押しされた。
そしてその後、捜査の状況を教えてもらったのだ。
前のサイトが消滅し、新しいサイトが立ち上がっていたことを。
まぁ関係のないサイトかもしれないけどな。
捜査担当の刑事はそう言ったけど、リコは間違いなく同じグループだと思う。
どうせ今回の薬も成分を合成して、昔の薬の名前を使っているんだろう。
その辺りのネーミングセンスは、絶対に同一犯だ。
リコはその情報をメールにして、日向たちに送ることにした。
やっぱり鉄平は、まだ黒子君のことが。
リコはメールを送信した後、大きくため息をついていた。
高校時代、木吉と伊月は黒子のことが好きだった。
黒子や他の後輩たちは、きっと知らなかっただろう。
だけどリコたちの学年は、全員気が付いていた。
木吉も伊月も、あの影の薄い少年を熱いまなざしで見つめていた。
結局黒子は、木吉の告白を受け入れたと聞いた。
だけどその直後、伊月が失踪し、部の中は一気に沈んだ。
木吉と黒子の始まったばかりの恋も、そんな雰囲気の中で消えていった。
リコはそのとき、確かに暗い喜びを感じていた。
木吉を黒子に取られたくないと思っていたからだ。
黒子君と伊月君が薬物売買に関わっていたら、鉄平はどうするんだろう。
リコはずっとそれを考えている。
元々木吉は彼らを捜すために警察官になったのだ。
それを果たしたら、もしかして辞めてしまうつもりなのかもしれない。
リコはスマートフォンをポケットに放り込むと、歩き出した。
考えても答えが出ないことを、グルグル悩んでも仕方ない。
*****
木吉、オレからこいつを取り返せるか?
伊月はすやすやと眠っている黒子の髪にそっと手を伸ばした。
伊月俊が高校3年の時、それまでの平穏で明るい生活から闇に落ちた。
理由は単純、父親が事業で作った借金だ。
しかも悪い業者に手を出してしまい、伊月が知った時には途方もない額になっていた。
弁護士に相談して、自己破産するしかない。
そう思った矢先、一家もろとも拉致された。
そして家族とも引き離された伊月は、こう言い渡されたのだ。
身体を売るか、薬を売るか。どっちか選べ。
つまりそうして借金の返済のために働けということだ。
逃げ出すことはできなかった。
仮に伊月が脱走すれば、両親や姉妹に危害が加えられるからだ。
こうなったら、効率的に稼ぐしかない。
少しでも早く借金を返済して、家族も取り戻す。
そう思った時、思い浮かんだのは影の薄い後輩の顔だった。
身体を売るなんてできないから、売人になるしかない。
ならばあの後輩の特性は、絶対に役に立つ。
だから伊月は黒子に全部打ち明けた上で、助けてほしいと頼んだ。
でも本当に黒子が一緒に闇に落ちてくれると思ったわけじゃない。
犯罪に一緒に手を染めてくれなんて言っても、普通は「はい」とは言わないだろう。
それでも黒子に助けを求めたのは、憶えていてほしかったからだ。
助けられなかった先輩として、ずっと黒子の心の中に残りたかった。
伊月は木吉がケガで部を休んでいる頃、すでに黒子が好きだったのだ。
後出しの権利をこんなところでも行使した木吉への、ちょっとした意趣返しの意味もある。
だが黒子は「わかりました」と答えた。
そのときから2人は、もうバスケの先輩後輩ではなくなった。
イーグルとファントム。
伊月の目で危険を見極め、影の薄い黒子が接触する。
この方法で、もう数えきれないほど違法な薬を売り続けたのだ。
だがこの前は本当に驚いた。
新規の客からの依頼で出向いた取引場所で、見つけたのは懐かしい3人組。
木吉、日向、リコが張り込んでいたのだから。
あの3人が警察官になったことは知っている。
伊月は急いで、黒子に撤退の指示を出した。
そう言えばあの3人はどうしているのだろう。
木吉は黒子が好きだったが、リコはさらにその木吉が好きで、日向はリコが好きだった。
高校時代、バスケ漬けの日々だったけど、確かに恋はいくつもあったのだ。
あの3人は高校の時と同じ相手に、まだ恋をしているのだろうか。
まぁどうでもいいか。
伊月は同じ布団にくるまっている未だ少年のような男を見た。
六畳一間の狭いアパートで、伊月は黒子と暮らしている。
不規則な仕事の合間はこうしてゴロゴロと寝て過てばかりだ。
先程まで行為に耽ってそのままなので、黒子の裸の細い肩が剥き出しになっていた。
木吉、オレからこいつを取り返せるか?
伊月はすやすやと眠っている黒子の髪にそっと手を伸ばした。
いずれ対決する日が来るのかもしれないが、絶対に渡すつもりはない。
【続く】