クスリで10題
【イソミタール】
「イソミタール。催眠鎮静剤よ。」
初めて聞く単語を、リコが解説してくれる。
だがピンと来ない木吉は「はぁ」と曖昧な返事をした。
木吉鉄平は、久しぶりに相田リコと再会した。
2人の現在の職業は警察官で、広い意味では同じところに就職したと言える。
だがその実態は雲泥の差だ。
木吉は高校卒業後にすぐ警察官になり、都内の交番勤務の巡査。
だがリコは大学卒業後に上級公務員試験に合格して、幹部候補として採用された。
いわゆるキャリアだ。
年齢こそ同じだが、階級も待遇も全然違う。
そんなリコが突然、木吉が勤務する交番にやって来たのだ。
2人が顔を合わせるのは、実に高校卒業後初めてのことだ。
ちなみに木吉とリコは、現在25歳になる。
実に7年振りに顔を合わせたことになる。
「手伝って。イソミタールの売人を逮捕したいの。」
リコは何の前置きもなく、そう切り出した。
唐突な再会に驚く木吉は、すぐに反応できない。
だがようやく「いそ。。。何?」と聞き返した。
「イソミタール。催眠鎮静剤よ。」
初めて聞く単語を、リコが解説してくれる。
だがピンと来ない木吉は「はぁ」と曖昧な返事をした。
久し振りなのに、何とも味気ない再会。
だけど木吉にすれば、変に感傷的になるより、この方がいい。
「リコはキャリアだろ?薬物の売人を逮捕するなんて担当外だと思うけど。」
木吉は冷静に、素朴な疑問を口にした。
キャリアは実際の捜査活動などしない。
警察組織を経営していくのが、仕事なのだ。
「うん。でもこの件はどうしても犯人を捕まえたい。」
「どうして」
「ひょっとしたら『彼ら』に逢えるかもしれないから。」
リコの言葉に、木吉は思わず身を乗り出した。
彼ら。それだけで誰のことだかわかってしまう。
「最初から順序を追って、話してくれ」
木吉はそう告げてから、2人ともずっと立ちっぱなしであることに気が付いた。
ダメだ、少し落ち着かなくては。
木吉はリコに椅子をすすめると、2人分の茶を淹れるために電気ポットに手を伸ばした。
*****
木吉は、高校卒業後は大学に進学してバスケを続けるつもりだった。
高校3年のときはケガの治療に専念したが、そのおかげで膝はかなりよくなった。
残念ながらスポーツ推薦はこなかったが、木吉は成績はよかった。
第一志望の大学に推薦での入学を決めた。
大学というステージで、まだまだバスケを楽しむつもりだった。
当時、木吉は恋をしていた。
相手は1つ年下の影が薄いバスケ部員。
唯一最大のネックは、相手も木吉同様、男であること。
だけど高校生なのに、小柄でかわいらしい後輩に木吉は夢中だった。
だから推薦入学が決まった直後、その後輩に告白をしたのだ。
頬を赤くして「ボクも好きです」と答えてくれたのを、今でもはっきりと覚えている。
そんな最中に、事件は起きた。
木吉と同学年のバスケ部員の1人が消えたのだ。
こまかい事情は知らないが、親が何かの事情で多額の借金を抱えたらしい。
酷い取り立てにあった末、彼とその家族はいなくなった。
木吉は何度もその家に遊びに行っており、彼の家族のこともよく知っている。
鷲の目(イーグルアイ)を持つ容姿端麗なチームメイト、そしてダジャレ好きだったあの明るい一家。
彼らはいったいどうなったのだろう。
その後、想いが通じた後輩と木吉が付き合うことはなかった。
タイミングが悪かったのだ。
チームメイトが1人消えたなんてショッキングな出来事と同時進行で恋愛なんかできない。
恋人らしいことどころか、ロクに話をすることもなく、2人の関係は自然消滅した。
だがしばらくして、その後輩にも異変が起きた。
彼はバスケ部を辞めて、学校にも来なくなった。
そして誰にも何も言わずに、家を出て行ってしまったのだ。
携帯電話を置いていったので、電話もメールも通じない。
その後、心配をかけまいと家族には時々連絡をしてくるという。
だが居場所や家を出た理由については、何も語らないそうだ。
どうしてあの時、アイツの手を離したんだろう。
木吉は激しく後悔した。
最初のチームメイトの失踪は、まだ理由がわかる。
だがその後、あのかわいい後輩が、なぜ消えなければならなかったのかわからない。
2人は行動を共にしていると考えるべきなのだろうか。
木吉は推薦が決まっていた大学に行くのを辞めた。
そしてすぐに警察官の採用試験を受けることにしたのだ。
何としても2人の行方が知りたいと思った。
それなら警察手帳の力があれば、いろいろ情報が得やすいと思ったのだ。
*****
「ちょっと近くないか?」
木吉はほとんど抱き合っている状態のリコに、そう言った。
腕の中のリコは「仕方ないわ。カップルっぽく見せるためよ」と答える。
そして少し離れたところに立っているのは、日向だ。
イソミタールは主に不眠症の治療薬として使われる。
だが飲み始めると耐性ができてしまうので、服用量が増えて中毒症状が強く出てくる危険性がある。
いわゆる依存性だ。
また急激に服用を減らすと、禁断症状などが出たりする。
とにかく服用が難しい薬なので、今の日本ではそうそう簡単に買えない。
だが今、巷に出回っているイソミタールは成分を合成して作り上げた偽物だ。
飲むとトロリといい気分になり、中毒性が強く、減らすと禁断症状が出るのは同じ。
つまり悪質なドラックに、既存の商品名をつけて売っているのだ。
この件の捜査に当たっているのは、警視庁の組織犯罪対策部、薬物銃器対策課。
かつて誠凛高校バスケ部の主将を務めた男、日向順平もまた警察官になっており、ここに所属している。
日向は大学卒業後に警官になり、すぐに警視庁の刑事になった。
つまりある意味雲泥の差であるリコと木吉の経歴の、ちょうど中間あたりにいると言える。
そして現在追っている薬物の密売組織に、高校時代に失踪した2人が関与しているのではないかと気付いたのも日向だった。
「売人の顔も本名も不明。だけどコードネームがわかっているのが2人いるんだって。」
「コードネーム?」
「イーグルとファントム。2人とも20代前半の若い男だそうだ。」
日向は貴重な捜査情報を、敢えてリコに漏らした。
いくら親しい友人でも、部署が違う人間に言っていいことではない。
だがそのコードネームは、どうしても消えてしまったかつての仲間を思い出させる。
1人の胸にしまってなどおけなかった。
そしてリコはそれを木吉に話し、2人は行動を開始した。
件の組織からネットでイソミタールを購入し、受け渡し場所に繁華街を指定する。
そしてその場所で、カップルを装い、張り込むのだ。
念のために日向が、少し離れた場所からフォローする。
捜査本部には内緒、バレたら3人ともかなりヤバい。
だけどどうしても捜査本部より先にイーグルとファントムに接触したい。
「ちょっと近くないか?」
木吉はほとんど抱き合っている状態のリコに、そう言った。
腕の中のリコは「仕方ないわ。カップルっぽく見せるためよ」と答える。
そして少し離れたところに立っているのは、日向だ。
こうしてひっきりなしに人が行き交う繁華街で、ひたすら待った。
木吉は懸命に、だが懸命にさり気なさを装いながら、周囲に目を光らせた。
予想外に人が多いのだ。
木吉の長身は少々目立つが、遠くまで見渡すには便利だ。
とにかく先に、向こうの姿を確認しなければならない。
「あれ?」
木吉は不意に懐かしい髪色を見た気がした。
男のくせに柔らかくて、なでるのが大好きだったあの髪の色だ。
だが見えたのはほんの一瞬で、あとはもういくら目を凝らしても見えない。
見失ったのか、それとも目の迷いか。
木吉は偽物のカップルを演じながら、今も想い続ける少年の面影を捜した。
【続く】
「イソミタール。催眠鎮静剤よ。」
初めて聞く単語を、リコが解説してくれる。
だがピンと来ない木吉は「はぁ」と曖昧な返事をした。
木吉鉄平は、久しぶりに相田リコと再会した。
2人の現在の職業は警察官で、広い意味では同じところに就職したと言える。
だがその実態は雲泥の差だ。
木吉は高校卒業後にすぐ警察官になり、都内の交番勤務の巡査。
だがリコは大学卒業後に上級公務員試験に合格して、幹部候補として採用された。
いわゆるキャリアだ。
年齢こそ同じだが、階級も待遇も全然違う。
そんなリコが突然、木吉が勤務する交番にやって来たのだ。
2人が顔を合わせるのは、実に高校卒業後初めてのことだ。
ちなみに木吉とリコは、現在25歳になる。
実に7年振りに顔を合わせたことになる。
「手伝って。イソミタールの売人を逮捕したいの。」
リコは何の前置きもなく、そう切り出した。
唐突な再会に驚く木吉は、すぐに反応できない。
だがようやく「いそ。。。何?」と聞き返した。
「イソミタール。催眠鎮静剤よ。」
初めて聞く単語を、リコが解説してくれる。
だがピンと来ない木吉は「はぁ」と曖昧な返事をした。
久し振りなのに、何とも味気ない再会。
だけど木吉にすれば、変に感傷的になるより、この方がいい。
「リコはキャリアだろ?薬物の売人を逮捕するなんて担当外だと思うけど。」
木吉は冷静に、素朴な疑問を口にした。
キャリアは実際の捜査活動などしない。
警察組織を経営していくのが、仕事なのだ。
「うん。でもこの件はどうしても犯人を捕まえたい。」
「どうして」
「ひょっとしたら『彼ら』に逢えるかもしれないから。」
リコの言葉に、木吉は思わず身を乗り出した。
彼ら。それだけで誰のことだかわかってしまう。
「最初から順序を追って、話してくれ」
木吉はそう告げてから、2人ともずっと立ちっぱなしであることに気が付いた。
ダメだ、少し落ち着かなくては。
木吉はリコに椅子をすすめると、2人分の茶を淹れるために電気ポットに手を伸ばした。
*****
木吉は、高校卒業後は大学に進学してバスケを続けるつもりだった。
高校3年のときはケガの治療に専念したが、そのおかげで膝はかなりよくなった。
残念ながらスポーツ推薦はこなかったが、木吉は成績はよかった。
第一志望の大学に推薦での入学を決めた。
大学というステージで、まだまだバスケを楽しむつもりだった。
当時、木吉は恋をしていた。
相手は1つ年下の影が薄いバスケ部員。
唯一最大のネックは、相手も木吉同様、男であること。
だけど高校生なのに、小柄でかわいらしい後輩に木吉は夢中だった。
だから推薦入学が決まった直後、その後輩に告白をしたのだ。
頬を赤くして「ボクも好きです」と答えてくれたのを、今でもはっきりと覚えている。
そんな最中に、事件は起きた。
木吉と同学年のバスケ部員の1人が消えたのだ。
こまかい事情は知らないが、親が何かの事情で多額の借金を抱えたらしい。
酷い取り立てにあった末、彼とその家族はいなくなった。
木吉は何度もその家に遊びに行っており、彼の家族のこともよく知っている。
鷲の目(イーグルアイ)を持つ容姿端麗なチームメイト、そしてダジャレ好きだったあの明るい一家。
彼らはいったいどうなったのだろう。
その後、想いが通じた後輩と木吉が付き合うことはなかった。
タイミングが悪かったのだ。
チームメイトが1人消えたなんてショッキングな出来事と同時進行で恋愛なんかできない。
恋人らしいことどころか、ロクに話をすることもなく、2人の関係は自然消滅した。
だがしばらくして、その後輩にも異変が起きた。
彼はバスケ部を辞めて、学校にも来なくなった。
そして誰にも何も言わずに、家を出て行ってしまったのだ。
携帯電話を置いていったので、電話もメールも通じない。
その後、心配をかけまいと家族には時々連絡をしてくるという。
だが居場所や家を出た理由については、何も語らないそうだ。
どうしてあの時、アイツの手を離したんだろう。
木吉は激しく後悔した。
最初のチームメイトの失踪は、まだ理由がわかる。
だがその後、あのかわいい後輩が、なぜ消えなければならなかったのかわからない。
2人は行動を共にしていると考えるべきなのだろうか。
木吉は推薦が決まっていた大学に行くのを辞めた。
そしてすぐに警察官の採用試験を受けることにしたのだ。
何としても2人の行方が知りたいと思った。
それなら警察手帳の力があれば、いろいろ情報が得やすいと思ったのだ。
*****
「ちょっと近くないか?」
木吉はほとんど抱き合っている状態のリコに、そう言った。
腕の中のリコは「仕方ないわ。カップルっぽく見せるためよ」と答える。
そして少し離れたところに立っているのは、日向だ。
イソミタールは主に不眠症の治療薬として使われる。
だが飲み始めると耐性ができてしまうので、服用量が増えて中毒症状が強く出てくる危険性がある。
いわゆる依存性だ。
また急激に服用を減らすと、禁断症状などが出たりする。
とにかく服用が難しい薬なので、今の日本ではそうそう簡単に買えない。
だが今、巷に出回っているイソミタールは成分を合成して作り上げた偽物だ。
飲むとトロリといい気分になり、中毒性が強く、減らすと禁断症状が出るのは同じ。
つまり悪質なドラックに、既存の商品名をつけて売っているのだ。
この件の捜査に当たっているのは、警視庁の組織犯罪対策部、薬物銃器対策課。
かつて誠凛高校バスケ部の主将を務めた男、日向順平もまた警察官になっており、ここに所属している。
日向は大学卒業後に警官になり、すぐに警視庁の刑事になった。
つまりある意味雲泥の差であるリコと木吉の経歴の、ちょうど中間あたりにいると言える。
そして現在追っている薬物の密売組織に、高校時代に失踪した2人が関与しているのではないかと気付いたのも日向だった。
「売人の顔も本名も不明。だけどコードネームがわかっているのが2人いるんだって。」
「コードネーム?」
「イーグルとファントム。2人とも20代前半の若い男だそうだ。」
日向は貴重な捜査情報を、敢えてリコに漏らした。
いくら親しい友人でも、部署が違う人間に言っていいことではない。
だがそのコードネームは、どうしても消えてしまったかつての仲間を思い出させる。
1人の胸にしまってなどおけなかった。
そしてリコはそれを木吉に話し、2人は行動を開始した。
件の組織からネットでイソミタールを購入し、受け渡し場所に繁華街を指定する。
そしてその場所で、カップルを装い、張り込むのだ。
念のために日向が、少し離れた場所からフォローする。
捜査本部には内緒、バレたら3人ともかなりヤバい。
だけどどうしても捜査本部より先にイーグルとファントムに接触したい。
「ちょっと近くないか?」
木吉はほとんど抱き合っている状態のリコに、そう言った。
腕の中のリコは「仕方ないわ。カップルっぽく見せるためよ」と答える。
そして少し離れたところに立っているのは、日向だ。
こうしてひっきりなしに人が行き交う繁華街で、ひたすら待った。
木吉は懸命に、だが懸命にさり気なさを装いながら、周囲に目を光らせた。
予想外に人が多いのだ。
木吉の長身は少々目立つが、遠くまで見渡すには便利だ。
とにかく先に、向こうの姿を確認しなければならない。
「あれ?」
木吉は不意に懐かしい髪色を見た気がした。
男のくせに柔らかくて、なでるのが大好きだったあの髪の色だ。
だが見えたのはほんの一瞬で、あとはもういくら目を凝らしても見えない。
見失ったのか、それとも目の迷いか。
木吉は偽物のカップルを演じながら、今も想い続ける少年の面影を捜した。
【続く】
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