”の”な10題
【破滅の夜】
「何か、変じゃねぇ?」
母校のバスケ部に顔を出した伊月は首を傾げた。
だがそれが何かがわからない。
鷲の目(イーグル・アイ)と呼ばれる目を持ってしても、どうしても見抜けなかった。
相田リコは高校を卒業してからも、監督を続けている。
都内の大学に進んだリコは、授業が終わると毎日母校へと足を運び、後輩を指導するのだ。
だがやはり大学生と監督業を両立させるのは、大変なことだ。
だから卒業生たちは頻繁に顔を出し、リコをフォローしている。
その日顔を出した伊月俊は、何か違和感を感じた。
いつもと同じ見慣れた雰囲気の練習風景。
なのにどこかがいつもと違う。
だから先に来ていたかつての主将、日向順平にそれを言ってみた。
だが「どこが?」と聞き返されてしまう。
はっきり説明できないから聞いたのに、逆に聞き返されても困る。
気のせいではないと確信したのは、さらに遅れて顔を出した木吉鉄平の一言だった。
少し練習を見るなり「火神と黒子、どうしたんだ?」と言ったのだ。
それで2人に注目してみて、伊月はようやく合点がいった。
火神と黒子の連係プレイにいつものようなキレがない。
それは日向でさえ気づかないほどの、本当に微かなものだ。
だがPGとして、火神と黒子が相棒になった当初から見続けていた伊月の目は誤魔化せない。
ただ一目でそれを見破った「鉄心」の観察眼には驚かされるばかりだが。
やがて休憩時間になり、火神と黒子は何か話している。
コートを指さしているから、何か練習中のプレイの確認だろう。
ここでまた違和感だ。
真剣な表情で淡々と話すのも、この2人らしくない。
火神と黒子の間に、何かわだかまりがあるのは間違いなさそうだ。
2人は1年の頃から、しょっちゅう喧嘩をしていた。
ちょっとしたことから大きな問題まで、何度も衝突して、時には手が出たりもした。
そうして乗り越えてきたのだ。
だが今回は違う。根が深い。
何があったか知らないが、2人が問題を解決しようと思っていないように見えるのだ。
さっさと諦めて、いつもと同じにやり過ごそうとしている。
その白けた雰囲気が、そのまま違和感になっているのだ。
破滅。
伊月はそんな言葉を思いついて、背筋がゾクリと震えた。
黒子はともかく、短気な火神がここまで冷め切っている。
それは2人の関係が悪い方向へ変わっていく前兆に思えた。
*****
「やっぱりわかった?」
リコは顔を曇らせて、大きくため息をついた。
木吉と伊月は顔を見合わせると、大きく頷いた。
練習後、卒業生たちは近所のファミレスに集まっていた。
リコ、日向、木吉、伊月だ。
伊月は席に座り、オーダーを済ませるなり、練習で感じた違和感をリコにぶつけたのだ。
「実は今日、また進路のことでね。」
リコの言葉に、3人は思わず身を乗り出す。
火神と黒子の進路の話は、伊月たちも聞いていた。
火神にはいくつもの大学バスケ部から、勧誘が後を絶たない。
対して黒子には、その手の誘いがまったく来なかった。
リコも日向たちもそのことに関して、実に歯がゆい思いをしていた。
大学がスポーツ推薦で入学する生徒を計る場合、どうしても目に見えた数字が必要になる。
例えば火神の場合は、シュート数とその成功率。
その数字は高校生としては破格だ。
しかも試合毎のデータを出すと、強豪校相手の試合ほど数字が上がるのだ。
まさに文句のつけようのないデータだった。
だが黒子にはそれがない。
アシストやスティールの数は悪くないが、群を抜くほどの数字ではない。
そして何より問題になるのは、シュート数の少なさだった。
実際に試合を見たスカウトが黒子に興味を持っても、なかなか伝わらないものだ。
決済を下す人間は、試合よりも数字を重視するのだ。
ピンチの時黒子が突破口を切り開いたことは数知れない。
だがそういうものは数字化できず、データにならないのだった。
「こんな時、学生監督の限界を感じるのよね。」
リコの表情は沈みがちだ。
強豪校の監督はだいたいバスケ経験者で、いろいろなコネクションを持っている。
もし黒子が洛山とか桐皇のような高校にいたら、きっと監督がバスケの強い大学に売り込むだろう。
だが大学生のリコには、そんなバックボーンはない。
「でもね、火神君と黒子君をセットで欲しいってスカウトがあったの。」
リコはまた話を続ける。
木吉が「そりゃいい話だ」と言い、日向と伊月も頷く。
だがリコは首を振って「断わるしかなかったわ」と肩を落とす。
伊月は思わず「何で?」と聞き返した。
「黒子君がね。大学には行きたいって。」
2人をセットでスカウトしたのは、大学ではなく企業だった。
さほど強いチームではなく、火神と黒子を入れて強化したいのだと言う。
火神はかなり乗り気だった。
大学で勉強する気持ちなどなく、とにかくバスケができれば何でもいいと思っている。
また黒子と組めるなら、どこでもいいのだ。
だが黒子は首を振った。
将来の目標があって、そのためにはどうしても大学に行きたいと言うのだ。
*****
「うまく行かないもんだな。」
木吉がため息をつく。
ただ黒子とまた組みたいと思っている火神。
そして将来の道を決めて、1人で歩き出してしまった黒子。
ずれてしまった2人の気持ちが、今日の違和感の正体だったのだ。
「黒子はどうして1人で決めたんだ?火神と話したりしてないのか?」
日向が首を傾げながら、リコにそう聞いた。
だがリコは「わからないのよ」と力なく答えた。
火神が高校卒業後も、また黒子と組みたがっているのはわかりやすい。
だが黒子の方の感情が読めない。
まるで火神を避けるように、大学受験の準備を進めている風に見える。
「あれ、黒子?」
不意に伊月は、窓の外を指さした。
噂の主であり、ちょうど帰る途中の黒子が店の前を通りかかったのだ。
黒子もこちらに気付き、足を止めると、丁寧に頭を下げた。
「入って来いよ、黒子!」
木吉がガラス越しに手招きして、こちらに来るようにと誘う。
だが黒子は困ったような表情で、立ち止まっている。
リコが黒子の心中を察して「鉄平、やめなさい」と止めた。
今の黒子は受験生なのだ。
こんなところで寄り道して、勉強時間を減らさせるわけにはいかない。
「行っていいわよ。黒子君」
リコが手で行けと合図を送ると、黒子はホッとした表情になった。
そしてもう1度頭を下げると、静かにまた歩き始める。
「まったく。受験生を何だと思ってる。。。」
考えなしに「入って来い」などと言った木吉を咎めた日向が、言葉を切った。
不自然に黙り込んだ日向の視線の先を追った一同は、言葉に詰まる。
道の向こう側から火神が、帰っていく黒子の後ろ姿を、じっと目で追っていた。
その表情には怒りの色はなく、ただ悲しみだけが浮かんでいる。
見守る卒業生たちは、何とも言えない不安な気持ちに言葉もなかった。
あれが破滅の夜だった。
後になって、卒業生たちはこのときのことをそう思った。
火神と黒子はその後、表面上は何事もなく部活を続ける。
だが伊月たちが感じた違和感は消えることなかった。
そして夏のインターハイで、不吉な予感は的中する。
誠凛高校は、東京都予選は突破したものの全国大会1回戦で敗退した。
最後のウィンターカップ、そして進路。
火神と黒子は現在と将来の分岐点で迷いながら、最後の戦いに挑む。
【続く】
「何か、変じゃねぇ?」
母校のバスケ部に顔を出した伊月は首を傾げた。
だがそれが何かがわからない。
鷲の目(イーグル・アイ)と呼ばれる目を持ってしても、どうしても見抜けなかった。
相田リコは高校を卒業してからも、監督を続けている。
都内の大学に進んだリコは、授業が終わると毎日母校へと足を運び、後輩を指導するのだ。
だがやはり大学生と監督業を両立させるのは、大変なことだ。
だから卒業生たちは頻繁に顔を出し、リコをフォローしている。
その日顔を出した伊月俊は、何か違和感を感じた。
いつもと同じ見慣れた雰囲気の練習風景。
なのにどこかがいつもと違う。
だから先に来ていたかつての主将、日向順平にそれを言ってみた。
だが「どこが?」と聞き返されてしまう。
はっきり説明できないから聞いたのに、逆に聞き返されても困る。
気のせいではないと確信したのは、さらに遅れて顔を出した木吉鉄平の一言だった。
少し練習を見るなり「火神と黒子、どうしたんだ?」と言ったのだ。
それで2人に注目してみて、伊月はようやく合点がいった。
火神と黒子の連係プレイにいつものようなキレがない。
それは日向でさえ気づかないほどの、本当に微かなものだ。
だがPGとして、火神と黒子が相棒になった当初から見続けていた伊月の目は誤魔化せない。
ただ一目でそれを見破った「鉄心」の観察眼には驚かされるばかりだが。
やがて休憩時間になり、火神と黒子は何か話している。
コートを指さしているから、何か練習中のプレイの確認だろう。
ここでまた違和感だ。
真剣な表情で淡々と話すのも、この2人らしくない。
火神と黒子の間に、何かわだかまりがあるのは間違いなさそうだ。
2人は1年の頃から、しょっちゅう喧嘩をしていた。
ちょっとしたことから大きな問題まで、何度も衝突して、時には手が出たりもした。
そうして乗り越えてきたのだ。
だが今回は違う。根が深い。
何があったか知らないが、2人が問題を解決しようと思っていないように見えるのだ。
さっさと諦めて、いつもと同じにやり過ごそうとしている。
その白けた雰囲気が、そのまま違和感になっているのだ。
破滅。
伊月はそんな言葉を思いついて、背筋がゾクリと震えた。
黒子はともかく、短気な火神がここまで冷め切っている。
それは2人の関係が悪い方向へ変わっていく前兆に思えた。
*****
「やっぱりわかった?」
リコは顔を曇らせて、大きくため息をついた。
木吉と伊月は顔を見合わせると、大きく頷いた。
練習後、卒業生たちは近所のファミレスに集まっていた。
リコ、日向、木吉、伊月だ。
伊月は席に座り、オーダーを済ませるなり、練習で感じた違和感をリコにぶつけたのだ。
「実は今日、また進路のことでね。」
リコの言葉に、3人は思わず身を乗り出す。
火神と黒子の進路の話は、伊月たちも聞いていた。
火神にはいくつもの大学バスケ部から、勧誘が後を絶たない。
対して黒子には、その手の誘いがまったく来なかった。
リコも日向たちもそのことに関して、実に歯がゆい思いをしていた。
大学がスポーツ推薦で入学する生徒を計る場合、どうしても目に見えた数字が必要になる。
例えば火神の場合は、シュート数とその成功率。
その数字は高校生としては破格だ。
しかも試合毎のデータを出すと、強豪校相手の試合ほど数字が上がるのだ。
まさに文句のつけようのないデータだった。
だが黒子にはそれがない。
アシストやスティールの数は悪くないが、群を抜くほどの数字ではない。
そして何より問題になるのは、シュート数の少なさだった。
実際に試合を見たスカウトが黒子に興味を持っても、なかなか伝わらないものだ。
決済を下す人間は、試合よりも数字を重視するのだ。
ピンチの時黒子が突破口を切り開いたことは数知れない。
だがそういうものは数字化できず、データにならないのだった。
「こんな時、学生監督の限界を感じるのよね。」
リコの表情は沈みがちだ。
強豪校の監督はだいたいバスケ経験者で、いろいろなコネクションを持っている。
もし黒子が洛山とか桐皇のような高校にいたら、きっと監督がバスケの強い大学に売り込むだろう。
だが大学生のリコには、そんなバックボーンはない。
「でもね、火神君と黒子君をセットで欲しいってスカウトがあったの。」
リコはまた話を続ける。
木吉が「そりゃいい話だ」と言い、日向と伊月も頷く。
だがリコは首を振って「断わるしかなかったわ」と肩を落とす。
伊月は思わず「何で?」と聞き返した。
「黒子君がね。大学には行きたいって。」
2人をセットでスカウトしたのは、大学ではなく企業だった。
さほど強いチームではなく、火神と黒子を入れて強化したいのだと言う。
火神はかなり乗り気だった。
大学で勉強する気持ちなどなく、とにかくバスケができれば何でもいいと思っている。
また黒子と組めるなら、どこでもいいのだ。
だが黒子は首を振った。
将来の目標があって、そのためにはどうしても大学に行きたいと言うのだ。
*****
「うまく行かないもんだな。」
木吉がため息をつく。
ただ黒子とまた組みたいと思っている火神。
そして将来の道を決めて、1人で歩き出してしまった黒子。
ずれてしまった2人の気持ちが、今日の違和感の正体だったのだ。
「黒子はどうして1人で決めたんだ?火神と話したりしてないのか?」
日向が首を傾げながら、リコにそう聞いた。
だがリコは「わからないのよ」と力なく答えた。
火神が高校卒業後も、また黒子と組みたがっているのはわかりやすい。
だが黒子の方の感情が読めない。
まるで火神を避けるように、大学受験の準備を進めている風に見える。
「あれ、黒子?」
不意に伊月は、窓の外を指さした。
噂の主であり、ちょうど帰る途中の黒子が店の前を通りかかったのだ。
黒子もこちらに気付き、足を止めると、丁寧に頭を下げた。
「入って来いよ、黒子!」
木吉がガラス越しに手招きして、こちらに来るようにと誘う。
だが黒子は困ったような表情で、立ち止まっている。
リコが黒子の心中を察して「鉄平、やめなさい」と止めた。
今の黒子は受験生なのだ。
こんなところで寄り道して、勉強時間を減らさせるわけにはいかない。
「行っていいわよ。黒子君」
リコが手で行けと合図を送ると、黒子はホッとした表情になった。
そしてもう1度頭を下げると、静かにまた歩き始める。
「まったく。受験生を何だと思ってる。。。」
考えなしに「入って来い」などと言った木吉を咎めた日向が、言葉を切った。
不自然に黙り込んだ日向の視線の先を追った一同は、言葉に詰まる。
道の向こう側から火神が、帰っていく黒子の後ろ姿を、じっと目で追っていた。
その表情には怒りの色はなく、ただ悲しみだけが浮かんでいる。
見守る卒業生たちは、何とも言えない不安な気持ちに言葉もなかった。
あれが破滅の夜だった。
後になって、卒業生たちはこのときのことをそう思った。
火神と黒子はその後、表面上は何事もなく部活を続ける。
だが伊月たちが感じた違和感は消えることなかった。
そして夏のインターハイで、不吉な予感は的中する。
誠凛高校は、東京都予選は突破したものの全国大会1回戦で敗退した。
最後のウィンターカップ、そして進路。
火神と黒子は現在と将来の分岐点で迷いながら、最後の戦いに挑む。
【続く】