お兄ちゃん(お姉ちゃん)といっしょのお題

【ねむれないの】

誰も迷惑だなんて思っていない。心配しただけだ。
赤司君の言葉に、青峰君と黄瀬君も頷く。
だけどやっぱりテツヤには違和感をぬぐえないみたいで、首を傾げていた。

合宿の最後の夜、テツヤは食堂にいた。
他のメンバーはもう食事を終えて、そろそろ寝る時間だ。
だけど練習中に倒れてしまったテツヤは、うす暗い食堂で遅い夕食を食べているところだった。
ボクはその足元で、テツヤに付き添っている。
だって一番つらい記憶を取り戻したテツヤが心配だからね。

ねぇねぇ黒子っち、覚えてるっスか?
テツヤの左側には黄瀬君が陣取っていて、ずっとテツヤに話しかけている。
そして右側には青峰君がいて「黄瀬、声デカい」なんて、言っている。
2人は赤司君に、テツヤに食事を残さずに食べさせるように言われてるみたい。
だけど2人にとっては、赤司君の命令は関係ないんじゃないかと思う。
ボクと同じでテツヤが心配なんだから、隣にいたいんだ。

黒子っちがオレの教育係になった時、オレ「変えてくれ」って何度も頼んだんスよ。
黄瀬君が懐かしい思い出を語れば、青峰君が「そうだったな」と相槌を打ってる。
テツヤは話しかけられれば答えるけれど、基本は食べることに専念していた。
相変わらずの無表情だから、一見何を考えているかはわからない。
だけどボクにはこの状況に戸惑っていることがわかった。
だってテツヤの記憶は全中の決勝戦後で止まっているから。
こうして今、笑顔で話しかけられることに困惑してるんだ。

食欲がないらしいテツヤは、長い時間をかけて食事を終えた。
すると黄瀬君がテツヤより先に立ち上がって、空の食器を下げに行く。
そして青峰君が「もう少し、話さねーか?」と聞いた。
青峰君も黄瀬君も、きっと中学時代のことを悔いているんだね。
それに緑間君と紫原君も、テツヤが心配なんだよ。
さっきから食堂の前の廊下を、何度も往復してるもの。

テツヤが青峰君に答える前に、食堂に赤司君が入ってきた。
ツカツカと颯爽とした足取りでテツヤの前に立って「ちゃんと食べたかい?」と聞く。
テツヤは「はい」と答えると、ゆっくりと立ち上がった。

ご迷惑をおかけしました。
テツヤが頭を下げると、赤司君は首を振る。
誰も迷惑だなんて思っていない。心配しただけだ。
赤司君の言葉に、青峰君と黄瀬君も頷く。
だけどやっぱりテツヤには違和感をぬぐえないみたいで、首を傾げていた。

疲れただろう。今日はもう休め。
赤司君がそう言うと、テツヤが「わかりました」と答えた。
青峰君も青峰君も不満そうだったけど、それに従った。

*****

誠凛のみんなはどうしてるかな?
ボクはふとそれが気になった。

テツヤも赤司君たちも、それぞれの部屋に引き上げた。
この合宿でU-17のメンバーは、1人ずつ個室が与えられている。
それに引き換え、誠凛は、みんなで1つの大部屋。
個室をもらったのは、女子であるカントクだけだ。
だけど誠凛のメンバーは特に不満もないらしい。
格安で合宿が組めただけで満足だし、そもそもみんな仲がいいからね。

ボクはテツヤが部屋に引き上げたのを見て、誠凛の部屋に向かった。
バスケの練習をしていないから、ボクはまだ体力が余ってるんだ。
部屋の前で一声「わん」って鳴いたら、ドアが開いた。
ボクは悠々と部屋の中に入ると、就寝前に談笑している誠凛メンバーの輪に加わった。

黒子、大丈夫かな。
降旗君はそう言って、火神君を見た。
テツヤは今日の最後の試合形式の練習で、結局倒れちゃったから。
その練習を提案した火神君を、ちょっとだけ責めてるみたいだ。

まさか一番最悪なところまで思い出すとは、思わないもんな。
それに答えたのは、小金井センパイ。
他の部員たちはそれに頷きながら、みんな難しい顔をしている。

考えても仕方がねーよ。この合宿中は赤司たちにまかせることにしたんだし。
全員を鼓舞するように、主将が声を張った。
そうそう!黒子はちゃんと戻って来るんだから。オレたちは信じて待とうぜ!
木吉センパイが続けてそう言った。
みんなが「そうだよな」と言い聞かせるような笑顔になる。

だけど火神君だけは、強張った表情のままだった。
多分みんなの話も聞こえてなくて、じっと考え込んでいる。
センパイたちもそんな火神君に気付いてるみたい。
心配そうに火神君に視線を送りながら、そっとため息をついている。
だけど、あえて声をかけたりしなかった。

火神君はテツヤのことをすごく想ってるんだよね。
本当は黄瀬君や青峰君みたいに、ずっとテツヤの隣にいたいんだと思う。
だけど今のテツヤの記憶の中には、火神君はいない。
テツヤが1人で乗り越えなければいけないことなんだ。
だからこうやって、つらい気持ちを我慢して、待ってるんだね。

ちょっと出てくる、です。
火神君は不意に立ち上がると、スタスタと歩き出した。
主将がその後姿に「もう消灯だから、早めに戻れ!」と声をかける。
短く「うす」と答えて、火神君は部屋を出て行った。

ボクは火神君と一緒に部屋を出た。
火神君はそのまま体育館の方へ歩いていく。
ボクは大急ぎで、テツヤの部屋へと戻った。

*****

ねむれないの?
テツヤがボクを部屋に入れてくれながら、そう言った。
ボクはテツヤのジャージの裾を咥えて、思い切り引っ張った。

テツヤの部屋に戻ったボクは、テツヤを体育館に連れて行こうとした。
そこにはテツヤをすごく心配する火神君がいるはずだから。
ボクは言葉が喋れないから、こういう時すごく大変だ。
だけどテツヤは、すぐにボクがどこかに案内したいんだって気付いてくれたみたい。
ドアを開けて、廊下を歩くボクについて来てくれた。

ボクは第二体育館のドアの前で、尻尾を振りながら座った。
中からはボールがバウンドする音が響く。
テツヤは一瞬困惑したけど、ドアを開けて中に入った。
ボクもすかさずその後に続く。
シュートの練習をしていた火神君は、こちらを振り向いて驚いた顔になった。

ねむれないのか?
火神君はそう言いながら、テツヤにゆるいパスを投げた。
テツヤはそれを受け取ると「ええ、まぁ」とドリブルする。
そして数歩ドライブで歩を進めて火神君にボールを返すと、受け取った火神君はシュートを決めた。

少し話していいか
火神君はシュートしたボールを拾い上げながら、テツヤにそう聞いた。
テツヤは小さく「はい」と答えて、火神君のそばに歩み寄った。

お前はすげーよな。オレがもしお前だったら、とっくにバスケやめてる。
今だって逃げたりせずに、つらい過去や「キセキ」のヤツらと向かい合ってるしな。
火神君は右手の人差し指の上でボールを回しながら、そう言った。
だけどテツヤは首を振って「そんな立派なものじゃありませんよ」と答えた。

全中の決勝で絶望して、もう何もかも終わったと思ったんです。
でも高校のボクはまたバスケをしている。
どうしてそうなったのかを知りたいだけです。
テツヤはそう言って、かすかに頬を緩ませた。
知らない人から見れば無表情、だけどテツヤにしてみれば最上級の微笑みだ。

じゃあ、おやすみなさい。
テツヤは火神君に背を向けて、体育館を出て行こうとした。
すると火神君が「ちょっと待てよ」と追いかけて、腕を広げた。
背中から抱きしめる。ラブシーンだと思った。
ボクが気をきかせて出て行こうとした瞬間、火神君が「黒子!?」と叫ぶ。
驚いて振り向くと、テツヤは床にへたり込んでいた。
どうやら抱きしめようとした火神君をすり抜けるようにして、テツヤは膝から崩れ落ちたらしい。

ボク、を、殴った人。。。
テツヤは呆然と目を見開いたまま、震える声でそう言った。
火神君がテツヤの正面に回り込んでしゃがむと「大丈夫か」とテツヤの肩をつかむ。

あのとき、ボクを後ろから殴った人は、キミくらい大きかった。。。
テツヤはぼんやりと目の焦点が合わないまま、また繰り返す。
思い出したんだ。テツヤが記憶を失うことになったあのケガの原因。
抱きしめようとした火神君が、背後に忍び寄ったことで。
それはやはり事故ではなく、誰かに後ろから殴られたんだ。

黒子、とりあえず戻ろう。
そう言って火神君は、テツヤの前に背中を向けてしゃがんだ。
テツヤは一瞬躊躇ったけど「すみません」って言って、ごく自然におぶさった。

【続く】
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