お兄ちゃん(お姉ちゃん)といっしょのお題

【これあげる】

キミはかわいい犬ですね。
テツヤはボクの頭をなでながら、そう言った。

倒れているテツヤが発見されて、バスケ部は大騒ぎになった。
肝心のテツヤは目を閉じたまま、動かない。
ついに救急車が呼ばれて、カントクと主将が一緒に乗り込んでいった。

本当はボクも一緒に行きたかったんだ。
だから一生懸命吠えてアピールしたんだけど、ダメだった。
木吉センパイに抱き上げられて「オレたちとここで待とうな」って言われた。
その日の練習は中止になったので、全員が部室で帰り支度をする。
だけど誰も帰ろうとしない。
ここでカントクからの連絡を待つつもりみたいだ。

全員が黙り込んでいる。
特に火神君は、かなりショックを受けているみたいだ。
着替えもせずに椅子に座り込んだまま、動かない。
2人は、明日から一緒にU-17の練習に参加するはずだったんだ。

ボクだってもちろん心配だ。
テツヤは大丈夫かな。
またちゃんとバスケができるのかな。
ボクがほんの少し目を離した隙に、テツヤにいったい何があったんだろう。

テツヤが大丈夫だって連絡があったときには、部室は一気に歓声に包まれた。
木吉センパイの携帯電話に、カントクから連絡があったんだ。
テツヤの怪我は軽傷で、命に別状もなくて、後遺症もまず残らないって話だった。
ただ大事をとって、今日は入院するんだって。
当のテツヤは、未だに眠ったまま、目を覚ましていないらしい。
残念ながらU-17の練習には間に合わない。
だけど大したことがなくて、本当によかった。

部員たちは喜び勇んで、帰っていく。
ずっと椅子に座り込んでいた火神君にも、笑顔が戻った。
もちろんボクも嬉しい。
はやくまた元気でバスケをしているテツヤが見たいと思った。

*****

記憶、喪失?
小金井センパイが、思わず声を上げた。
他の部員たちも顔を見合わせている。

テツヤが目を覚ましたのは、事件の翌朝のことだった。
付き添っていたテツヤのお母さんから連絡をもらったカントクと主将は、再び病院に駆けつけた。
テツヤはその2人の顔を見て「初めまして」と言ったそうだ。
怪我をした衝撃で、テツヤは記憶を失ってしまったんだ。

だけど全ての記憶を失ったわけじゃないらしい。
自分の住所も名前も言えるし、両親の顔や名前もわかる。
だけど小学校の高学年くらいからの記憶が飛んでいるそうだ。
通っていた小学校の名前は言えるけど、中学や高校の名前はわからない。
当然、カントクや主将の顔も覚えていなかった。
部活の前、部室で着替えていた部員たちに、主将の口からそれが告げられた。

バスケやってた記憶はあるのか?
伊月センパイが聞いた。
確かテツヤがバスケを始めたのは、ちょうど記憶が途切れている頃だ。
主将は寂しそうに視線を落とすと、ゆっくりと首を横に振った。

テツヤ、ボクの顔も、バスケのことも覚えてないんだ。
寂しくなったボクは部室のすみに置いてあるボールにジャレついた。
これはテツヤが夏に「バニシングドライブ」の練習でダメにしたボールだ。
表面がツルツルになっちゃって、もう練習には使えない。
だからボクの遊び用にしてくれたんだ。

これあげる。
テツヤはそう言って、ボールをくれた。
すごく嬉しそうだったのは、きっと必殺技が完成したからだ。
そのテツヤがバスケをしてたことさえ忘れちゃったなんて、信じられない。

とりあえず黒子はしばらく学校を休むそうだ。
黒子の記憶喪失の話、火神には内緒だぞ。
主将の言葉に、全員が頷いている。
確かにそれがいいね。
火神君は今日からU-17の練習に参加してるけど、テツヤのことを知ったら帰ってきちゃいそうだ。

テツヤ、とにかく早く元気な顔が見たいよ。
ボクはそう思いながら、寂しさをまぎらわすようにボール遊びを続けた。

*****

黒子テツヤです。よろしくお願いします。
1週間ぶりに体育館に現れたテツヤは、丁寧に頭を下げた。
部員たちは微妙な表情のまま「よろしく」と答えた。

テツヤが明日から学校に戻る。
頭に包帯を巻いてる痛々しい姿だけど、体調は悪くないらしい。
だけど未だに記憶は戻らないそうだ。

そこで今日はバスケ部の練習を見学に来た。
もしかして練習を見れば、思い出すかもしれない。
そんな期待を込めてということらしい。

テツヤは珍しそうに、バスケのボールが入ったカゴやゴールを見ている。
態度はいつもの通り、すごく冷静だ。
だけどその目は不安そうに揺れている。
慣れ親しんだ誠凛高校バスケ部は、今のテツヤにとってはまったく知らない場所なんだ。

ボクはテツヤに駆け寄ると、足元にじゃれついた。
バスケ部のことも、ボクのことも、少しでも思い出してほしくて。
テツヤはそんなボクを見て、少しだけ表情をを緩めた。

キミはかわいい犬ですね。
テツヤはボクの頭をなでながら、そう言った。
優しくて暖かいテツヤの手。
だけどテツヤにとって、ボクは知らない犬なんだね。

部員たちの困惑する空気を破るように、体育館の扉が開いた。
黒子!と叫んで、飛び込んできたのは火神君だ。
今日はU-17の練習の最終日。
練習を切り上げて、戻ってきたんだろう。
今日練習に顔を出すテツヤに会うために。

どなたですか?
テツヤがそう聞いた瞬間、火神君の顔が強張った。
火神君には、まだテツヤが記憶を失ってしまったことを知らせてなかったんだ。

呆然とした表情の火神君に、部員たちはため息をついていた。
ひょっとして、テツヤが火神君の顔を見たら、思い出すかもしれない。
みんな、そんな期待をしていたんだろう。

テツヤ、みんなが心配してるんだよ。
いったいキミに何があったの?

【続く】
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