”の”な10題

【理想の関係】

「じゃあ、見せて。」
監督である相田リコの言葉に頷き、火神は数枚の答案用紙を渡す。
案の定の点数に、リコは火神の頭にハリセンを振り下ろした。

誠凛高校に入学して早2年、火神大我は3年生になった。
身体も入学時よりさらに大きくなったし、後輩を持ったことで精神的にも成長した。
バスケへの情熱だって、前にも増して強い。
だが唯一変わらない火神の最大の弱点。
それは成績だった。

「バカは勝てないって、何度言ったらわかるんだ!このバ火神!!」
リコがテストの度に、こうして火神にハリセンの雨を降らせる。
それはもはや誠凛高校バスケ部の風物詩だ。
バスケに向ける熱意のほんの1%でも勉強に向ければ、成績は上がるはずなのに。
部員一同、ハリセンに悶える火神を見ながら、ため息をつくしかない。

火神の成績が上がらないのは、もちろん理由がある。
赤点を取るとインターハイには出られないし、実力テストの下位100名は補習がある。
それを防ぐために、1年上の先輩たちは全力で火神をサポートした。
しかも緑間特製のコロコロ鉛筆という無敵のアイテムもある。

つまり直前の一夜漬けで今まで何とかなってしまったので、火神本人には危機感がないのだ。
それに勉強などしなくても、進学先に事欠かない。
1年のウィンターカップで活躍してから、すでにいくつかの大学からスカウトが来ているのだ。
赤点と補習さえ免れればいいという発想しかない。
だから努力もしないし、そもそも努力する気さえ起きす、成績は落ちる一方だ。

「アンタは今年もうちで勉強合宿!卒業生を集めるから、覚悟しなさいね!」
「そんな!マジ?・・・すか?」
「当たり前でしょう!」
火神はガックリと肩を落とすと「ハイ」と小さく項垂れた。
力なく抵抗してみても、他に道がないことはわかっている。

「じゃあ次、黒子君」
「はい」
今度は黒子が同じように、リコに答案一式を渡している。
火神はようやく自分から矛先が逸れたことに安堵しながら、相棒の答案に視線を移した。

*****

「黒子君!」
リコが黒子の答案を見ながら、感嘆の声を上げる。
火神もそれを横から覗き込んで、思わず唸ってしまった。

1年の時、黒子の成績はなんの特徴もないものだった。
良くもなければ悪くもない。
赤点や補習の心配もなければ、国語が少々いいくらいしか特筆すべきことがない。
先輩たちは黒子の答案を見るたびに「フツー」を連呼していた。

だが2年になって、少しずつ変化を見せ始めた。
少しずつだが、成績が上がっている。
それでも「前よりもほんの少し」という程度だ。
あくまで「フツー」の領域を出ることはなかったのだ。

だが今回は違った。
文系の科目はすべて90点を超えている。
理数系は少々落ちるが、80点以上だ。
どの科目も平均点を大きく上回っており、驚異的な伸びと言える。
おそらく学年で、ベスト10には入っているのではないだろうか。

「すごいわ!いったいどうしたの?」
「行きたい大学があるので、勉強しているんです。」
驚くリコと部員たちの歓声を聞いても、黒子自身は冷静だった。
つまりたまたま高得点を取れたのではない。
しっかりと勉強した上の結果なのだ。

火神は声を上げる部員たちを見ながら、黙り込んだ。
面白くないのだ。
単に成績にますます差がついてしまったことだけではない。
引っかかったのは黒子の言葉だ。
行きたい大学がある。
黒子の口から、卒業後の話を聞くのはこれが初めてだったのだ。

火神は黒子と同じ年齢で、同じ高校のバスケ部にいる幸運に感謝している。
緑間風に言うなら、運命なのだと思う。
黒子がいたから、ここまで来ることができた。
幾多の勝利を経験できたのも、火神自身が選手として成長できたのも黒子のおかげだ。
まさに理想の関係と言えると思う。

だからこそ進路という大事な問題を、事前に聞かせてもらえなかったのが納得できない。
火神だって、まだ進路は決めかねている。
だが大学からスカウトが来るたびに、黒子にはそれを伝えた。
黒子はまるで自分のことのように「それはすごいですね」と喜んでくれたのだ。
それなのに勝手に進路を決めて勉強をしている黒子が、ひどく理不尽に思えた。

*****

「なぁ、お前、どこの大学に行きたいんだ?」
リコが他の部員たちの答案をチェックし始めたのを見て、火神は口を開く。
黒子は火神を見上げると「第一志望は最京大学です」と答えた。

最京大学。
日本でその名を知らない者はいないだろう。
勉学のレベルも高く、スポーツでもさまざまな種目で実績を残している。
確か火神をスカウトに来たいくつかの大学バスケ部の中に、最京大学もあったと思う。

「へぇぇ、じゃあまた一緒にバスケできるな。」
火神は特に考えることもなく、そう言った。
黒子と将来の話など、したことがない。
だけど2人が今までに築いた絆は、固いものだと信じている。
だから大学でもずっと相棒でいるつもりだし、黒子もそう思ってくれていると思った。
だが黒子は驚いたように目を瞠ると、静かに首を振った。

「最京大学のバスケ部は、推薦組しか入れないんですよ。」
黒子はまるで小さい子供を諭すような口調で、そう答えた。
その意味がわかると、火神は驚きのあまり、一瞬言葉につまった。
最京大学のバスケ部は、推薦組しか入れない。
つまり一般入試で目指している黒子には、道がない。
火神とまた相棒になるどころか、バスケを続けるという選択肢さえもないのだ。

「・・・どうして」
「将来やりたいことを考えると、これが一番いいかなと思いまして。」
「バスケは」
「最京大には同好会もあるそうですので。そっちで続けます。」

淡々といつものように話す黒子に、火神は胸の奥が冷えていくのを感じた。
来年の今頃、もう隣に黒子はいない。
そう思うだけで、足元が崩れ落ちていくような恐怖を感じる。

そうか、オレは黒子が好きなのか。
火神は不意にそれを悟った。
ただの相棒というだけではなく、大事な存在。
一緒にコートに立つだけでなく、いつまでも腕の中に抱きしめていたい。
いくら色恋沙汰に疎くても、これはさすがにわかる。
これは間違いなく恋愛感情だ。

相棒であり、想い人。
同じものを目指して、共に駆け上る理想の関係。
だがその黒子は、自分と違う道を進もうとしている。
火神は唐突に突き付けられた残酷な事実に、ただただ戸惑っていた。

【続く】
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