手の5題
【涙を拭う】
見なければよかった。
上條弘樹は目に浮かんだ涙を拭うと、リモコンでテレビを消した。
今日は恋人の野分と久しぶりにデート。。。の予定だった。
とはいえ、そんなに大げさなものではない。
最近2人とも忙しく、すれ違いの日々。
だが今日は珍しく2人とも早めに仕事が終わるので、外で食事でもしようと思った。
だがやはりというか、案の定というか。
せっかくのデートはお流れとなってしまった。
今や定番となりつつある理由「急患」のせいだ。
仕方ない。野分は人の命を救う仕事なんだから。
弘樹は自分でそう言い聞かせながら、1人で帰宅した。
家に帰るなり、テレビをつけた。
特に見たい番組があるわけではなく、音がない状態がつらいからだ。
仕方ないと思いつつ、やはり寂しい。
テレビでは何かドラマをやっている。
あまりテレビを見ない弘樹でも名前だけは知っている俳優が、白衣を着て、肩から聴診器をぶら下げている。
どうやら病院を舞台にした医師のドラマらしい。
まったくタイミングがいいのか悪いのか、わからない。
だが何の気なしに見ているうちに、弘樹はすっかりドラマに見入ってしまっていた。
主役の医師は救命救急医だった。
正義感が強く、技術も優れていて、困難な治療にも全力で立ち向かう。
ありがちで古臭い気もするが、きっとこういう話は受けるから放送されているんだろう。
野分もこんな風に一生懸命仕事をしているのかと思うと、思わず弘樹の頬が緩んだ。
だが途中から悲劇に変わる。
すでに運び込まれた時に手遅れだった患者が死んでいまい、遺族が医師に医療ミスだと怒りをぶつけるのだ。
テレビの中の医師と野分をすっかり重ねてしまっていた弘樹は、動揺した。
手を尽くしたって、助からない患者はいるはずだ。
その都度野分もこんな風に悩むのだろうか。
それに野分に責任がないのに、こんな風に逆恨みされることもあるのかもしれない。
マイナス思考はグルグルと回り、弘樹を不安にする。
そして気がつくと、視界が涙で曇っている。
どうやら涙ぐんでしまっていたらしい。
見なければよかった。
弘樹は目に浮かんだ涙を拭うと、リモコンでテレビを消した。
*****
どうしてそんなに嬉しいことを言ってくれるんだろう。
野分は目に浮かんだ涙を拭うと、そっと恋人の髪をなでた。
またデートできなかった。
草間野分はガックリと肩を落としながら、病院を出た。
今日こそは2人で、ゆっくりとした時間を過ごせると思った。
だが本当に野分が帰ろうとしたタイミングで、急患があった。
しかも以前に野分が診察したことがある幼い少年だ。
他の医師たちも手一杯の様子なので、野分は弘樹との食事を諦めた。
少年は持病があり、先日退院したばかりだった。
両親には身体を常に暖かく保つようにと言ったのに、薄いシャツを着ている。
その上、付き添ってきた少年の母が野分にこう言った。
退院したばかりでこんなにすぐ体調を崩したのは、前回の野分の治療が悪かったのではないかと。
クタクタになって帰宅すると、弘樹は先に寝ていた。
だが野分が帰ってきた気配に、ぼんやりと薄目を開ける。
どうやら起こしてしまったようだ。
ただいま。起こしてごめんなさい。
野分は笑顔でそう言った。
本当はあの母親に言われたことで、思いのほか傷ついている。
精一杯やってるのに、好きな人との食事も諦めるほど頑張っているのに。
子供が病気で混乱する母親の言葉など聞き流してやればいいのに、その余裕もない。
それでも弘樹の前でだけは笑っていたいと、野分は懸命に笑顔を作った。
お前はよくやってる。だから負けるな。
弘樹は半分呂律が回らない口調で、そう言った。
目も半開きで、目が覚めているのかいないのかよくわからないのに。
思いもよらない言葉に、野分は驚く。
今の野分が一番欲しい言葉をくれたのだ。
すぐにスゥスゥと寝息が聞こえる。
野分が顔をのぞきこむと、弘樹はまた眠ってしまっていた。
弘樹が寝惚けて、寝る前に見ていたドラマと現実がゴチャゴチャになっているなんて思いもよらない。
というか、そんなことはどうでもいいのだ。
好きな人からの励ましの言葉は、疲れた心と身体を癒やしてくれる。
どうしてそんなに嬉しいことを言ってくれるんだろう。
野分は目に浮かんだ涙を拭うと、そっと恋人の髪をなでた。
【終】
見なければよかった。
上條弘樹は目に浮かんだ涙を拭うと、リモコンでテレビを消した。
今日は恋人の野分と久しぶりにデート。。。の予定だった。
とはいえ、そんなに大げさなものではない。
最近2人とも忙しく、すれ違いの日々。
だが今日は珍しく2人とも早めに仕事が終わるので、外で食事でもしようと思った。
だがやはりというか、案の定というか。
せっかくのデートはお流れとなってしまった。
今や定番となりつつある理由「急患」のせいだ。
仕方ない。野分は人の命を救う仕事なんだから。
弘樹は自分でそう言い聞かせながら、1人で帰宅した。
家に帰るなり、テレビをつけた。
特に見たい番組があるわけではなく、音がない状態がつらいからだ。
仕方ないと思いつつ、やはり寂しい。
テレビでは何かドラマをやっている。
あまりテレビを見ない弘樹でも名前だけは知っている俳優が、白衣を着て、肩から聴診器をぶら下げている。
どうやら病院を舞台にした医師のドラマらしい。
まったくタイミングがいいのか悪いのか、わからない。
だが何の気なしに見ているうちに、弘樹はすっかりドラマに見入ってしまっていた。
主役の医師は救命救急医だった。
正義感が強く、技術も優れていて、困難な治療にも全力で立ち向かう。
ありがちで古臭い気もするが、きっとこういう話は受けるから放送されているんだろう。
野分もこんな風に一生懸命仕事をしているのかと思うと、思わず弘樹の頬が緩んだ。
だが途中から悲劇に変わる。
すでに運び込まれた時に手遅れだった患者が死んでいまい、遺族が医師に医療ミスだと怒りをぶつけるのだ。
テレビの中の医師と野分をすっかり重ねてしまっていた弘樹は、動揺した。
手を尽くしたって、助からない患者はいるはずだ。
その都度野分もこんな風に悩むのだろうか。
それに野分に責任がないのに、こんな風に逆恨みされることもあるのかもしれない。
マイナス思考はグルグルと回り、弘樹を不安にする。
そして気がつくと、視界が涙で曇っている。
どうやら涙ぐんでしまっていたらしい。
見なければよかった。
弘樹は目に浮かんだ涙を拭うと、リモコンでテレビを消した。
*****
どうしてそんなに嬉しいことを言ってくれるんだろう。
野分は目に浮かんだ涙を拭うと、そっと恋人の髪をなでた。
またデートできなかった。
草間野分はガックリと肩を落としながら、病院を出た。
今日こそは2人で、ゆっくりとした時間を過ごせると思った。
だが本当に野分が帰ろうとしたタイミングで、急患があった。
しかも以前に野分が診察したことがある幼い少年だ。
他の医師たちも手一杯の様子なので、野分は弘樹との食事を諦めた。
少年は持病があり、先日退院したばかりだった。
両親には身体を常に暖かく保つようにと言ったのに、薄いシャツを着ている。
その上、付き添ってきた少年の母が野分にこう言った。
退院したばかりでこんなにすぐ体調を崩したのは、前回の野分の治療が悪かったのではないかと。
クタクタになって帰宅すると、弘樹は先に寝ていた。
だが野分が帰ってきた気配に、ぼんやりと薄目を開ける。
どうやら起こしてしまったようだ。
ただいま。起こしてごめんなさい。
野分は笑顔でそう言った。
本当はあの母親に言われたことで、思いのほか傷ついている。
精一杯やってるのに、好きな人との食事も諦めるほど頑張っているのに。
子供が病気で混乱する母親の言葉など聞き流してやればいいのに、その余裕もない。
それでも弘樹の前でだけは笑っていたいと、野分は懸命に笑顔を作った。
お前はよくやってる。だから負けるな。
弘樹は半分呂律が回らない口調で、そう言った。
目も半開きで、目が覚めているのかいないのかよくわからないのに。
思いもよらない言葉に、野分は驚く。
今の野分が一番欲しい言葉をくれたのだ。
すぐにスゥスゥと寝息が聞こえる。
野分が顔をのぞきこむと、弘樹はまた眠ってしまっていた。
弘樹が寝惚けて、寝る前に見ていたドラマと現実がゴチャゴチャになっているなんて思いもよらない。
というか、そんなことはどうでもいいのだ。
好きな人からの励ましの言葉は、疲れた心と身体を癒やしてくれる。
どうしてそんなに嬉しいことを言ってくれるんだろう。
野分は目に浮かんだ涙を拭うと、そっと恋人の髪をなでた。
【終】
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