足の5題1
【ジャンプ!】
キャンキャンとよく吠えるなぁ。
井坂は目の前でまくし立てる若い編集者を、少々呆れながら見ていた。
丸川書店の取締役室-井坂の部屋を訪ねてきたのは、エメラルド編集部の小野寺律だ。
アポイントメントもなく、いきなり現れて「話を聞いて下さい!」と言う。
井坂はチラリと傍らにいる秘書の朝比奈を見た。
スケジュールを管理している朝比奈が小さく頷きを返してくる。
時間があるから大丈夫という合図だ。
「武藤雪菜のコミックスのドラマ化の件、見直してください!」
律は単刀直入に切り出した。
井坂は「ああ、その件か」と思い至る。
武藤雪菜のコミックスは最近特に人気が高く、アニメ放送が始まったばかりだ。
そして現在、ドラマ化の話が進行中なのだ。
実際に井坂はドラマ化の会議には参加していない。
だが担当編集の律が、ひどく反対していると聞いた。
ドラマ化にではなく、制作会社が提示した案にだ。
もっと具体的に言うと、配役だ。
制作会社は今人気のアイドルを主役に起用する案を持って来た。
最近人気の何とか言うやたら人数が多いアイドルグループの1人。
彼女の初主演作にしたいというのが、ドラマ制作サイドの希望だった。
律はそれに真っ向から反対していた。
イメージが違うし、演技が下手すぎると言う。
彼女の過去の出演作をチェックした上でのことだ。
律はそんな意見を滔々とぶちまけた。
だが現実は難しい、と井坂は思う。
アニメですら声のイメージが違うとクレームがついたりするのだ。
実写のドラマで原作と離れてしまうのは仕方がないことだ。
それにドラマだって数字を稼がなければならない。
人気アイドルを使いたいという気持ちは理解できる。
*****
「この作家にとって初めてのドラマ化ですし、安っぽいものにしたくないんです。」
「作家はキャスティングに反対なのか?」
「いえ、任せると言ってくれてますけど。だから余計に妥協したくありません!」
意に反するキャスティングに、新人編集の立場ではどうにもならない。
そこで上司を飛び越えて、決定権を持つ取締役に捨て身の直訴に来たというところか。
あまりにもわかりやすい行動に、井坂は苦笑した。
井坂はふと昔のことを思い出した。
近所に空き家があったのだが、塀に囲まれており、子供の井坂は中を見られなかった。
井坂より背が高い朝比奈が中を覗いているのが悔しくて、何度もジャンプをした。
必死にジャンプして、どうにもならないことに足掻く。
今の律を見ていると、そんな子供の頃の自分を思い出す。
成長して背が伸びてから覗いた空き家は、何の変哲もない古い家だった。
それと同じで、ドラマのキャスティングなんて実は大した話ではないのだ。
原作に力があれば、正しく評価される。
ドラマの内容がひどくても「原作は面白いのに」となるだろう。
取締役室のドアがノックされて、今度は別の人物が現れた。
小野寺律の上司であり、月刊エメラルド編集長の高野だ。
高野は井坂に、次に朝比奈に一礼すると、律の頭をパカンと平手で叩く。
そして「イテ!」と頭を押さえる律に「アホ!」と悪態をついた。
「俺もあのキャスティングには賛同しかねます。」
高野は短くそう言うと、律の腕を掴んで取締役室を出て行ってしまう。
その後ろ姿を見送ると、井坂は大きくため息をついた。
もう1人、ジャンプするバカがいた。
背が伸びるまで待てずに、必死に目の前のことに手を伸ばすバカが。
「なんだか嬉しそうですね。」
秘書の朝比奈が声をかけてくる。
いつの間にか井坂は笑っていたらしい。
その通り、井坂はこういうバカは嫌いじゃない。
今だってあとちょっとで中が覗けそうな塀があったら、迷わずジャンプするだろう。
「とりあえずキャスティング再考を含めて、もう1度ドラマ化の会議。。。」
「すぐに準備にかかります。」
朝比奈は井坂の言葉を待たずに、パソコンのキーを打ち始める。
最愛の恋人もどうやらジャンプする1人のようだ。
【終】
キャンキャンとよく吠えるなぁ。
井坂は目の前でまくし立てる若い編集者を、少々呆れながら見ていた。
丸川書店の取締役室-井坂の部屋を訪ねてきたのは、エメラルド編集部の小野寺律だ。
アポイントメントもなく、いきなり現れて「話を聞いて下さい!」と言う。
井坂はチラリと傍らにいる秘書の朝比奈を見た。
スケジュールを管理している朝比奈が小さく頷きを返してくる。
時間があるから大丈夫という合図だ。
「武藤雪菜のコミックスのドラマ化の件、見直してください!」
律は単刀直入に切り出した。
井坂は「ああ、その件か」と思い至る。
武藤雪菜のコミックスは最近特に人気が高く、アニメ放送が始まったばかりだ。
そして現在、ドラマ化の話が進行中なのだ。
実際に井坂はドラマ化の会議には参加していない。
だが担当編集の律が、ひどく反対していると聞いた。
ドラマ化にではなく、制作会社が提示した案にだ。
もっと具体的に言うと、配役だ。
制作会社は今人気のアイドルを主役に起用する案を持って来た。
最近人気の何とか言うやたら人数が多いアイドルグループの1人。
彼女の初主演作にしたいというのが、ドラマ制作サイドの希望だった。
律はそれに真っ向から反対していた。
イメージが違うし、演技が下手すぎると言う。
彼女の過去の出演作をチェックした上でのことだ。
律はそんな意見を滔々とぶちまけた。
だが現実は難しい、と井坂は思う。
アニメですら声のイメージが違うとクレームがついたりするのだ。
実写のドラマで原作と離れてしまうのは仕方がないことだ。
それにドラマだって数字を稼がなければならない。
人気アイドルを使いたいという気持ちは理解できる。
*****
「この作家にとって初めてのドラマ化ですし、安っぽいものにしたくないんです。」
「作家はキャスティングに反対なのか?」
「いえ、任せると言ってくれてますけど。だから余計に妥協したくありません!」
意に反するキャスティングに、新人編集の立場ではどうにもならない。
そこで上司を飛び越えて、決定権を持つ取締役に捨て身の直訴に来たというところか。
あまりにもわかりやすい行動に、井坂は苦笑した。
井坂はふと昔のことを思い出した。
近所に空き家があったのだが、塀に囲まれており、子供の井坂は中を見られなかった。
井坂より背が高い朝比奈が中を覗いているのが悔しくて、何度もジャンプをした。
必死にジャンプして、どうにもならないことに足掻く。
今の律を見ていると、そんな子供の頃の自分を思い出す。
成長して背が伸びてから覗いた空き家は、何の変哲もない古い家だった。
それと同じで、ドラマのキャスティングなんて実は大した話ではないのだ。
原作に力があれば、正しく評価される。
ドラマの内容がひどくても「原作は面白いのに」となるだろう。
取締役室のドアがノックされて、今度は別の人物が現れた。
小野寺律の上司であり、月刊エメラルド編集長の高野だ。
高野は井坂に、次に朝比奈に一礼すると、律の頭をパカンと平手で叩く。
そして「イテ!」と頭を押さえる律に「アホ!」と悪態をついた。
「俺もあのキャスティングには賛同しかねます。」
高野は短くそう言うと、律の腕を掴んで取締役室を出て行ってしまう。
その後ろ姿を見送ると、井坂は大きくため息をついた。
もう1人、ジャンプするバカがいた。
背が伸びるまで待てずに、必死に目の前のことに手を伸ばすバカが。
「なんだか嬉しそうですね。」
秘書の朝比奈が声をかけてくる。
いつの間にか井坂は笑っていたらしい。
その通り、井坂はこういうバカは嫌いじゃない。
今だってあとちょっとで中が覗けそうな塀があったら、迷わずジャンプするだろう。
「とりあえずキャスティング再考を含めて、もう1度ドラマ化の会議。。。」
「すぐに準備にかかります。」
朝比奈は井坂の言葉を待たずに、パソコンのキーを打ち始める。
最愛の恋人もどうやらジャンプする1人のようだ。
【終】