雪7題
【雪化粧】
「お兄ちゃん!」
「あ、危ないよ!」
いつもの公園で待っていた律は、少女がこちらに走ってくるのを見て、慌てて声を上げる。
ここ何日か雪の日が多く、公園内にも雪が積もっていて足場が悪いからだ。
だが律の制止も虚しく少女は「きゃ!」と声を上げて、思い切り転倒してしまった。
「大丈夫?」
「平気、平気。」
少女はニコニコと笑いながら、立ち上がる。
どうやらやわらかい雪の上だったので、ダメージを負わずにすんだようだ。
だがその代わり、少女は雪まみれになってしまった。
「とんだ雪化粧だね。」
律はそう言いながら、少女の髪やコートについた細かい雪を優しい手つきで払ってやる。
すると少女は「ありがとう」と礼を言って、軽く頭を下げた。
母親はおらず父親と2人暮らしと聞いたが、きちんとした躾を受けている子だと思う。
律はこの少女の名前を知らないし、少女も律の名を知らない。
ちなみにこの場所は少し前にこの世を去った友人の実家の近所だった。
その葬儀の日にたまたま通りかかったこの公園で、泣いている少女を見た。
声を殺して泣いている少女があまりにもかわいそうで、声をかけた。
悩みを打ち明けられた律は、少女を励ました。
その後も気になって、律は時間があればここへ来るようになった。
特に約束をしていないから、会えるときもあるが、会えないときもある。
それでも会えれば、少女の話を聞いた。
律は知らなかった。
少女の父親やその恋人が自分と同じ会社の人間であることを。
その2人が少女が何かに悩んでいることを感じて、ヤキモキしていることも。
こうして律と少女が会っていることを不審に思っていることも。
ただ単純に通りすがりの少女の力になれればいいと思っていた。
*****
「高野さんはいいんですか?このまま小野寺が辞めても。」
たまたま編集長と副編集長だけが残ったエメラルド編集部で、羽鳥はそう聞いた。
編集長席で書類を見ていた高野は、黙って羽鳥を見ながら、大きくため息をつく。
だんまりを決め込もうというのではなく、返すべき言葉を捜しているようだ。
羽鳥は黙って、高野の答えを待った。
小野寺律が中途入社してきたときから、羽鳥は感じ取っていた
編集長の高野と律には、何かしらの因縁があることを。
それは決して羽鳥が鋭いということではない。
木佐も美濃も見抜いていたと思う。
他の先輩社員には素直な律が、高野にだけはいつもくってかかっていたのだから。
そうして注目してしまうと、この2人がお互いに惹かれ合っていることなどすぐに見抜けた。
そんな相手を手放してしまっていいのか?
羽鳥はそれを高野に問うているのだった。
「普通の恋愛をして、普通の人生を送りたい。あいつにそう言われた。」
高野は静かにそう答えた。
高野だって編集部の全員に見抜かれていたのは、承知の上だ。
なぜならあえて隠そうとはしなかったのだから。
男同士であっても人に言えない秘密の恋だと思いたくないし、律にもそう思わせたくなかったからだ。
「普通の恋愛、ですか」
「そうして幸せな家庭を持ちたいし、俺にもそうなって欲しいとさ。」
「それは。。。」
「考えるだろ?結婚とか子供を作るとか、そういう幸せは与えられないんだから。」
羽鳥は思いも寄らない理由に、言葉を失った。
もし何かケンカでもして2人が意地になっているのだったら、仲直りさせたいと思っていた。
だがそんなに単純な問題ではないようだ。
それに羽鳥だって、仮に吉野にそんな理由で別れてくれと言われたら。
悩んだ末に、やはり離してやるのが幸せと考えるかもしれない。
それは律が散々悩んだ挙句に、高野に伝えたことだった。
例えば気持ちが離れたとか、親に反対されたとか。
そういう嘘では高野は律を諦めてくれないかもしれない。
だから「普通の人生」を盾にしたのだ。
その予想通り、高野はさんざん迷った末に律の手を離そうとしていた。
「お前は気にする必要はない。俺たちの分まで幸せになってくれ。」
高野のその言葉はもちろん羽鳥の恋愛を指している。
高野と律の関係がバレているように、羽鳥と吉野の関係もバレバレだ。
羽鳥は言うべき言葉が見つからず、ただ黙って頷いた。
*****
少女が「じゃあね、バイバイ!」と手を振りながら、公園を出て行く。
その後ろ姿を見送った後、くるりと踵を返した律は驚き、立ちすくんだ。
背後に立っていたのは、かつて律を敵対視していた男だった。
「お前、まさかあのコに乗り換えたから、政宗を捨てたのか?」
横澤と出くわしたことさえ驚きなのに、その横澤の口から発せられた言葉にさらに驚く。
あまりにも的外れな一言に苦笑しかけたが、当の横澤は真剣なようだ。
律は怒りの色さえ見える横澤の表情に、途方にくれた。
「あのコを見たでしょう?まだ子供ですよ。」
「あのコはそう思っていないかもしれないだろ?」
「ありえません。俺とあのコは。。。」
言いかけて、律は口を噤んだ。
別に口止めをされたわけでもないが、軽々しく少女の悩みを言うことを躊躇われたからだ。
「高野さんのこととあのコは何の関係もありませんよ。」
「信用できるかよ」
「別に横澤さんに信用してもらわなくても結構です。失礼します。」
「待てよ!」
横澤が立ち去ろうとする律の腕を掴んだ。
その力の強さから、横澤が納得するまで律を解放するつもりがないことがわかる。
「あのコとお前の関係は?」
横澤は容赦なく切り込んでくる。
いつもの律だったら、頑として答えなかっただろう。
だが律には、高野のことで横澤に負い目があった。
横澤から高野を奪い取ってしまったのに、高野とは結局別れてしまったのだから。
「あのコと俺が知り合ったのは、つい最近です。」
ついに律は諦めて、口を開いた。
あの少女と知り合ったきっかけ、そして少女が抱える悩みを。
横澤が少女と顔見知りであることや、横澤こそが少女の悩みに関わる張本人であるとは、夢にも知らずに。
雪化粧が施された白い世界で、律は静かに語り続けた。
【続く】
「お兄ちゃん!」
「あ、危ないよ!」
いつもの公園で待っていた律は、少女がこちらに走ってくるのを見て、慌てて声を上げる。
ここ何日か雪の日が多く、公園内にも雪が積もっていて足場が悪いからだ。
だが律の制止も虚しく少女は「きゃ!」と声を上げて、思い切り転倒してしまった。
「大丈夫?」
「平気、平気。」
少女はニコニコと笑いながら、立ち上がる。
どうやらやわらかい雪の上だったので、ダメージを負わずにすんだようだ。
だがその代わり、少女は雪まみれになってしまった。
「とんだ雪化粧だね。」
律はそう言いながら、少女の髪やコートについた細かい雪を優しい手つきで払ってやる。
すると少女は「ありがとう」と礼を言って、軽く頭を下げた。
母親はおらず父親と2人暮らしと聞いたが、きちんとした躾を受けている子だと思う。
律はこの少女の名前を知らないし、少女も律の名を知らない。
ちなみにこの場所は少し前にこの世を去った友人の実家の近所だった。
その葬儀の日にたまたま通りかかったこの公園で、泣いている少女を見た。
声を殺して泣いている少女があまりにもかわいそうで、声をかけた。
悩みを打ち明けられた律は、少女を励ました。
その後も気になって、律は時間があればここへ来るようになった。
特に約束をしていないから、会えるときもあるが、会えないときもある。
それでも会えれば、少女の話を聞いた。
律は知らなかった。
少女の父親やその恋人が自分と同じ会社の人間であることを。
その2人が少女が何かに悩んでいることを感じて、ヤキモキしていることも。
こうして律と少女が会っていることを不審に思っていることも。
ただ単純に通りすがりの少女の力になれればいいと思っていた。
*****
「高野さんはいいんですか?このまま小野寺が辞めても。」
たまたま編集長と副編集長だけが残ったエメラルド編集部で、羽鳥はそう聞いた。
編集長席で書類を見ていた高野は、黙って羽鳥を見ながら、大きくため息をつく。
だんまりを決め込もうというのではなく、返すべき言葉を捜しているようだ。
羽鳥は黙って、高野の答えを待った。
小野寺律が中途入社してきたときから、羽鳥は感じ取っていた
編集長の高野と律には、何かしらの因縁があることを。
それは決して羽鳥が鋭いということではない。
木佐も美濃も見抜いていたと思う。
他の先輩社員には素直な律が、高野にだけはいつもくってかかっていたのだから。
そうして注目してしまうと、この2人がお互いに惹かれ合っていることなどすぐに見抜けた。
そんな相手を手放してしまっていいのか?
羽鳥はそれを高野に問うているのだった。
「普通の恋愛をして、普通の人生を送りたい。あいつにそう言われた。」
高野は静かにそう答えた。
高野だって編集部の全員に見抜かれていたのは、承知の上だ。
なぜならあえて隠そうとはしなかったのだから。
男同士であっても人に言えない秘密の恋だと思いたくないし、律にもそう思わせたくなかったからだ。
「普通の恋愛、ですか」
「そうして幸せな家庭を持ちたいし、俺にもそうなって欲しいとさ。」
「それは。。。」
「考えるだろ?結婚とか子供を作るとか、そういう幸せは与えられないんだから。」
羽鳥は思いも寄らない理由に、言葉を失った。
もし何かケンカでもして2人が意地になっているのだったら、仲直りさせたいと思っていた。
だがそんなに単純な問題ではないようだ。
それに羽鳥だって、仮に吉野にそんな理由で別れてくれと言われたら。
悩んだ末に、やはり離してやるのが幸せと考えるかもしれない。
それは律が散々悩んだ挙句に、高野に伝えたことだった。
例えば気持ちが離れたとか、親に反対されたとか。
そういう嘘では高野は律を諦めてくれないかもしれない。
だから「普通の人生」を盾にしたのだ。
その予想通り、高野はさんざん迷った末に律の手を離そうとしていた。
「お前は気にする必要はない。俺たちの分まで幸せになってくれ。」
高野のその言葉はもちろん羽鳥の恋愛を指している。
高野と律の関係がバレているように、羽鳥と吉野の関係もバレバレだ。
羽鳥は言うべき言葉が見つからず、ただ黙って頷いた。
*****
少女が「じゃあね、バイバイ!」と手を振りながら、公園を出て行く。
その後ろ姿を見送った後、くるりと踵を返した律は驚き、立ちすくんだ。
背後に立っていたのは、かつて律を敵対視していた男だった。
「お前、まさかあのコに乗り換えたから、政宗を捨てたのか?」
横澤と出くわしたことさえ驚きなのに、その横澤の口から発せられた言葉にさらに驚く。
あまりにも的外れな一言に苦笑しかけたが、当の横澤は真剣なようだ。
律は怒りの色さえ見える横澤の表情に、途方にくれた。
「あのコを見たでしょう?まだ子供ですよ。」
「あのコはそう思っていないかもしれないだろ?」
「ありえません。俺とあのコは。。。」
言いかけて、律は口を噤んだ。
別に口止めをされたわけでもないが、軽々しく少女の悩みを言うことを躊躇われたからだ。
「高野さんのこととあのコは何の関係もありませんよ。」
「信用できるかよ」
「別に横澤さんに信用してもらわなくても結構です。失礼します。」
「待てよ!」
横澤が立ち去ろうとする律の腕を掴んだ。
その力の強さから、横澤が納得するまで律を解放するつもりがないことがわかる。
「あのコとお前の関係は?」
横澤は容赦なく切り込んでくる。
いつもの律だったら、頑として答えなかっただろう。
だが律には、高野のことで横澤に負い目があった。
横澤から高野を奪い取ってしまったのに、高野とは結局別れてしまったのだから。
「あのコと俺が知り合ったのは、つい最近です。」
ついに律は諦めて、口を開いた。
あの少女と知り合ったきっかけ、そして少女が抱える悩みを。
横澤が少女と顔見知りであることや、横澤こそが少女の悩みに関わる張本人であるとは、夢にも知らずに。
雪化粧が施された白い世界で、律は静かに語り続けた。
【続く】