花で一年
【02月:サクラソウ(希望)】
「うわぁ。。。」
木佐は思わず声を上げて、恥ずかしさに顔を伏せた。
ギャラリーに入るなり、自分の姿を写し取ったキャンバスが目に飛び込んたからだ。
久し振りの休日に、木佐はとあるギャラリーに来ていた。
ここに雪名の絵が飾られているからだ。
雪名は美大の仲間たち数人と10日程この場所を借り切り、作品を持ち寄って展示会を開いていた。
木佐はそれを見に来たのだった。
「本当に身内ばかりの小規模なものです。文化祭みたいな感じで。」
雪名は恥ずかしそうにそう言った。
会場の借り賃は自分たちの負担、プロでもないので入場料も取れない。
それでもこうして作品を発表することに、雪名のアーティストとしての情熱を感じる。
だからこそ絶対に見たいと思ったのだ。
だがギャラリーに入るなり、木佐は「うわぁ。。。」と声を上げて、恥ずかしさに顔を伏せた。
ギャラリーに入るなり、自分の姿を写し取ったキャンバスが目に飛び込んたからだ。
雪名のスペースに展示された作品の中で、一番大きくて目立つのは木佐を描いた絵だった。
雪名はよく木佐の絵を描いている。
恥ずかしいからやめてほしいと訴えたが、雪名に「そこを何とか」と拝み倒された。
雪名曰く「好きな人の絵はやっぱりテンションが上がるんですよ!」とのこと。
そこまで言われれば、曖昧に許すしかない。
雪名の絵に協力したいのはやまやまだし、嬉しい気持ちだってあるのだ。
それにしたって、これはやりすぎだ。
今回だって「木佐さんの絵は1つだけです」と言うから、来たのに。
他の絵に比べてとにかくデカく、悪目立ちしていると思う。
「木佐さ~ん、来てくれたんですね♪」
呆然と立ち竦む木佐を見つけて、雪名が駆け寄って来る。
他の学生やチラホラといる客たちも「あ、絵のモデルさんだ」と声を上げている。
恥ずかしい。こんなことなら来なければよかった。
一言文句を言おうと口を開いたが、先に雪名が捲し立ててきた。
「この絵、今のところアンケート第1位なんですよ!木佐さんのおかげです!」
雪名は嬉々としてギャラリーの隙を指さした。
そこには小さなテーブルと箱のようなものがあった。
そしてその前の張り紙には「一番気に入った絵に投票してください」と書かれている。
アンケート1位。俺の絵が?
木佐は改めて自分の絵を見た。
絵の中の木佐はクッションの上に座って、何かの書類を見ながら口元を綻ばせている。
この場面には覚えがある。
これは自分の部屋で、小野寺律の小説の原稿をチェックしていたときのもの。
読んでいるのは、木佐の担当作家の漫画のスピンオフ小説「サクラソウ ~希望~」だ。
律の小説は、何度読み返しても面白い。
それに最近の律は、何だかしっとりと落ち着いている。
一時期は悩んでいるようで、こちらが怯むような殺気さえ漂わせていたように思う。
それに以前営業にいた社員にからまれたり、いろいろ大変なことになっていたらしい。
でもどうやら吹っ切ったようで、今まで以上に元気に仕事をしている。
絵の中の木佐はそんな律のことを考え、俺も負けてられないと気合いが漲っていたときだと思う。
そんな一瞬の表情を、雪名の絵は見事に切り取っていた。
「まぁ役に立てたんなら、いいか」
木佐が独り言ちた瞬間、真横でカシャリとシャッター音が響いた。
驚いてそちらを見ると、雪名がこちらにスマートフォンを構えている。
どうやら木佐を撮影したらしい。
「何撮ってんの!?」
「木佐さんの絵を見る木佐さんです。何か芸術的だったので」
雪名としては芸術を追求した結果のようだ。
いきなり写真まで撮られて、怒るべきところなのだろう。
だがまるで人懐っこい子犬のようにはしゃぐ雪名に、完全に毒気を抜かれてしまった。
雪名も律っちゃんも頑張ってる。俺も頑張ろう。
木佐は絵の中の自分を見ながら、秘かにそう誓って笑う。
すると雪名は「あ、その笑顔もいいです!」とまたシャッターを切った。
*****
「悪かったな。世話になった」
かつての想い人が、今は友人として笑っている。
横澤は「気にするな」と、友人として手を上げて応じた。
それは偶然だった。
桐嶋と横澤が同じ時期に、それぞれ出張に行くことになったのだ。
もちろん行く先も目的も違うのだが、日程だけがしっかりと重なった。
部署が違うのだから、そのようなことがあっても不思議はない。
こういう時、桐嶋の娘の日和は、桐嶋の両親-祖父母宅に行くことになる。
そして猫のソラ太は、かつての飼い主である高野のところに預けるしかなかった。
ソラ太のキャリーを抱えて、高野のマンションに向かった。
そしてマンションのエントランス前でそれに遭遇したのだ。
退職した営業社員が小野寺律と対峙し、何かを叫んでいた。
「バラされたくなかったら、素直に金を払え!」
男はなりふり構わず、叫んでいる。
その姿はどう見ても異様だった。
ヨレヨレのスーツでうっすらと無精ひげ、そして目は血走っている。
そんな男に腕を掴まれた律は、飛んでくる唾に顔をしかめている。
「誰が払うか、バカ!」
助けに入った方がいいと足を踏み出した横澤は、律の口から飛び出した啖呵に驚き、足を止めた。
横澤は何度となく律にからんだことはあるが、こんな反応は見たことがない。
「いいのか!お前が作家の織田律だってバラしても?」
「勝手にしろ!こっちは悪いことなんかしてないんだ!」
「本当にバラすぞ!」
「やればいい。覚悟は決まってる!」
まったく、辞めてまでバカなことしやがって。
かつては先輩だったが、迷惑ばかりかけ続けた男に猛然と腹が立ってくる。
だが全然怯まず、男とやり合う律は痛快だった。
もう少し見ていたい気さえしたが、男が律の腕を掴んだのを見て、慌てて駆け寄った。
急いで2人の間に割って入り、会社に報告する、場合によっては警察に通報すると告げた。
すると男は急にペコペコとへつらうような素振りを見せ、その場を立ち去ったのだった。
「大丈夫か?」
「大丈夫なわけないでしょう。横澤さん、しばらく見てましたよね?」
律がジロリと横澤を睨む。
だがソラ太のキャリーを見た途端、怯えた表情になった。
どうやら猫が苦手らしい。
あの男にあれだけの啖呵を切ったくせに、猫ごときを怖がるとは。
横澤はこみ上げてくる笑いが止まらなかった。
その後、結局高野は留守だったので、部屋にキャリーだけ置いて帰ってきたのだ。
そしてその翌日である今日、高野が営業部に横澤を訪ねてきたのだ。
事の詳細は律から聞いたのだろう。
高野は開口一番「悪かったな。世話になった」と言った。
「気にするな。っていうかあの男は元々営業だから無関係じゃない。」
横澤は素っ気なく、そう答える。
だけど心の中では、ひどく満ち足りた気分だった。
高野にフラれて、桐嶋と付き合うようになって、高野とはわだかまりが完全に消えた。
だが高野の恋人である律とは、何となく素直に接することができなかったのだ。
自分は未だに心の奥底で高野に縛られているのか 秘かに落ち込んだりもした。
だけどあの時はごく自然に助けようと思ったし、律の啖呵を聞いて頼もしく思えた。
もう完全に高野とは友人になれたのだと、実感できたのだ。
「小野寺、今度『ザ★漢』の小説も書くそうだな。」
「ああ。桐嶋さんにシゴかれている」
「そりゃ楽しみだ」
「そうだな。本になったら読んでやってくれ。」
高野は背を向けると、手を振りながら去っていく。
恋人にはなれなかった男の後ろ姿は、昔と変わらず美しかった。
*****
「どうぞ。これが俺のコレクションです!」
吉野は得意気にテーブルの上を指さした。
相手の「すごいですね!」という感嘆の声に、テンションがさらに上がった。
入稿を終えて程ない、とある日の午後。
吉野宅には珍しい客人が来ていた。
連載をしている月刊エメラルドの若い編集部員の小野寺律だ。
律とは仕事以外の付き合いはなく、会った回数だってそんなに多くない。
そんな相手を部屋に招き入れた理由は、もちろん仕事がらみだった。
律が「ザ★漢」の小説を書くことになったのは、まだ発表前の極秘事項だ。
慌てて「ザ★漢」を読んで、その魅力にはまった律は、どうにか下書きを始めている。
そんな律のために、羽鳥が吉野に頼んできたのだ。
吉野が保有する「ザ★漢」コレクションを、見せてやってほしいと。
確かにコミックスは絶賛発売中で、すべて書店で手に入る。
その他初回限定版とか、もう書店で買えないものでも、丸川書店なら保存されている。
ただ限定のグッズなど、丸川書店で制作されたのではないものは手に入らない。
連載が長いので、とにかくグッズは山ほどある。
携帯のストラップ、Tシャツ、ボールベン等々。
吉野は今まで手に入れたそれを、テーブルの上に並べていたのだ。
実際に執筆の役に立つかどうかはわからないが、ファンの熱量は伝わる。
それにイメージを膨らませる役には立つだろう。
「よくこれだけ集めましたね!」
律はそれらを1つ1つ手に取って、眺めている。
吉野自身も、実は数の多さに驚いていた。
こうして全部並べたことはなかったので、何個あるかなんて考えたこともなかったのだ。
「それにしても小野寺さんがノベライズを書くなんて、嬉しいです。」
吉野は目を輝かせながらグッズを見ている律に、そう言った。
律の小説の魅力はもう知っている。
シンプルだけど的確な表現で、場面やキャラクターの気持ちを丹念に描写するのだ。
吉野の作品にも楽しいエピソードを追加してもらった。
あの文章で「ザ★漢」の世界が描かれるとだと思うと、今からワクワクする。
「吉野さんや他のファンの皆さんをガッカリさせないように、頑張ります!」
生真面目に答える律を見て、吉野は「あれ?」と思う。
心なしが少し痩せたような気もするし、表情もやや硬い。
そしてふとその理由に思い至った。
律は、前の小説はたまたま書き溜めていた小説が高野の目に留まったと聞いた。
そして今回初めて、依頼されて作品を書く。
つまり作家として書くのは、今回が初めてなのだ。
「頑張りすぎると、大変ですよ。」
吉野の言葉に、律が「え?」と首を傾げている。
だけど吉野にだって、覚えがある。
プロの漫画家になったばかりの頃は、気負っていつも張りつめていたのだ。
「頑張り過ぎないことが、長く続ける秘訣です。」
「頑張り。。。過ぎない?」
「はい。ファンのためって気負うと疲れちゃいます。いかに力を抜くかも大事なんです。」
「はぁ。。。なるほど」
吉野は我ながら少々偉そうだと苦笑した。
だけど作家の先輩として、贈れる言葉はあるのだ。
プレッシャーをかけては申し訳ないから、口に出しては言わない。
だけどやっぱり作品を楽しみにしている。
吉野は再び「ザ★漢」コレクションをチェックし始めた律を見ながら、唇を緩ませた。
【続く】
「うわぁ。。。」
木佐は思わず声を上げて、恥ずかしさに顔を伏せた。
ギャラリーに入るなり、自分の姿を写し取ったキャンバスが目に飛び込んたからだ。
久し振りの休日に、木佐はとあるギャラリーに来ていた。
ここに雪名の絵が飾られているからだ。
雪名は美大の仲間たち数人と10日程この場所を借り切り、作品を持ち寄って展示会を開いていた。
木佐はそれを見に来たのだった。
「本当に身内ばかりの小規模なものです。文化祭みたいな感じで。」
雪名は恥ずかしそうにそう言った。
会場の借り賃は自分たちの負担、プロでもないので入場料も取れない。
それでもこうして作品を発表することに、雪名のアーティストとしての情熱を感じる。
だからこそ絶対に見たいと思ったのだ。
だがギャラリーに入るなり、木佐は「うわぁ。。。」と声を上げて、恥ずかしさに顔を伏せた。
ギャラリーに入るなり、自分の姿を写し取ったキャンバスが目に飛び込んたからだ。
雪名のスペースに展示された作品の中で、一番大きくて目立つのは木佐を描いた絵だった。
雪名はよく木佐の絵を描いている。
恥ずかしいからやめてほしいと訴えたが、雪名に「そこを何とか」と拝み倒された。
雪名曰く「好きな人の絵はやっぱりテンションが上がるんですよ!」とのこと。
そこまで言われれば、曖昧に許すしかない。
雪名の絵に協力したいのはやまやまだし、嬉しい気持ちだってあるのだ。
それにしたって、これはやりすぎだ。
今回だって「木佐さんの絵は1つだけです」と言うから、来たのに。
他の絵に比べてとにかくデカく、悪目立ちしていると思う。
「木佐さ~ん、来てくれたんですね♪」
呆然と立ち竦む木佐を見つけて、雪名が駆け寄って来る。
他の学生やチラホラといる客たちも「あ、絵のモデルさんだ」と声を上げている。
恥ずかしい。こんなことなら来なければよかった。
一言文句を言おうと口を開いたが、先に雪名が捲し立ててきた。
「この絵、今のところアンケート第1位なんですよ!木佐さんのおかげです!」
雪名は嬉々としてギャラリーの隙を指さした。
そこには小さなテーブルと箱のようなものがあった。
そしてその前の張り紙には「一番気に入った絵に投票してください」と書かれている。
アンケート1位。俺の絵が?
木佐は改めて自分の絵を見た。
絵の中の木佐はクッションの上に座って、何かの書類を見ながら口元を綻ばせている。
この場面には覚えがある。
これは自分の部屋で、小野寺律の小説の原稿をチェックしていたときのもの。
読んでいるのは、木佐の担当作家の漫画のスピンオフ小説「サクラソウ ~希望~」だ。
律の小説は、何度読み返しても面白い。
それに最近の律は、何だかしっとりと落ち着いている。
一時期は悩んでいるようで、こちらが怯むような殺気さえ漂わせていたように思う。
それに以前営業にいた社員にからまれたり、いろいろ大変なことになっていたらしい。
でもどうやら吹っ切ったようで、今まで以上に元気に仕事をしている。
絵の中の木佐はそんな律のことを考え、俺も負けてられないと気合いが漲っていたときだと思う。
そんな一瞬の表情を、雪名の絵は見事に切り取っていた。
「まぁ役に立てたんなら、いいか」
木佐が独り言ちた瞬間、真横でカシャリとシャッター音が響いた。
驚いてそちらを見ると、雪名がこちらにスマートフォンを構えている。
どうやら木佐を撮影したらしい。
「何撮ってんの!?」
「木佐さんの絵を見る木佐さんです。何か芸術的だったので」
雪名としては芸術を追求した結果のようだ。
いきなり写真まで撮られて、怒るべきところなのだろう。
だがまるで人懐っこい子犬のようにはしゃぐ雪名に、完全に毒気を抜かれてしまった。
雪名も律っちゃんも頑張ってる。俺も頑張ろう。
木佐は絵の中の自分を見ながら、秘かにそう誓って笑う。
すると雪名は「あ、その笑顔もいいです!」とまたシャッターを切った。
*****
「悪かったな。世話になった」
かつての想い人が、今は友人として笑っている。
横澤は「気にするな」と、友人として手を上げて応じた。
それは偶然だった。
桐嶋と横澤が同じ時期に、それぞれ出張に行くことになったのだ。
もちろん行く先も目的も違うのだが、日程だけがしっかりと重なった。
部署が違うのだから、そのようなことがあっても不思議はない。
こういう時、桐嶋の娘の日和は、桐嶋の両親-祖父母宅に行くことになる。
そして猫のソラ太は、かつての飼い主である高野のところに預けるしかなかった。
ソラ太のキャリーを抱えて、高野のマンションに向かった。
そしてマンションのエントランス前でそれに遭遇したのだ。
退職した営業社員が小野寺律と対峙し、何かを叫んでいた。
「バラされたくなかったら、素直に金を払え!」
男はなりふり構わず、叫んでいる。
その姿はどう見ても異様だった。
ヨレヨレのスーツでうっすらと無精ひげ、そして目は血走っている。
そんな男に腕を掴まれた律は、飛んでくる唾に顔をしかめている。
「誰が払うか、バカ!」
助けに入った方がいいと足を踏み出した横澤は、律の口から飛び出した啖呵に驚き、足を止めた。
横澤は何度となく律にからんだことはあるが、こんな反応は見たことがない。
「いいのか!お前が作家の織田律だってバラしても?」
「勝手にしろ!こっちは悪いことなんかしてないんだ!」
「本当にバラすぞ!」
「やればいい。覚悟は決まってる!」
まったく、辞めてまでバカなことしやがって。
かつては先輩だったが、迷惑ばかりかけ続けた男に猛然と腹が立ってくる。
だが全然怯まず、男とやり合う律は痛快だった。
もう少し見ていたい気さえしたが、男が律の腕を掴んだのを見て、慌てて駆け寄った。
急いで2人の間に割って入り、会社に報告する、場合によっては警察に通報すると告げた。
すると男は急にペコペコとへつらうような素振りを見せ、その場を立ち去ったのだった。
「大丈夫か?」
「大丈夫なわけないでしょう。横澤さん、しばらく見てましたよね?」
律がジロリと横澤を睨む。
だがソラ太のキャリーを見た途端、怯えた表情になった。
どうやら猫が苦手らしい。
あの男にあれだけの啖呵を切ったくせに、猫ごときを怖がるとは。
横澤はこみ上げてくる笑いが止まらなかった。
その後、結局高野は留守だったので、部屋にキャリーだけ置いて帰ってきたのだ。
そしてその翌日である今日、高野が営業部に横澤を訪ねてきたのだ。
事の詳細は律から聞いたのだろう。
高野は開口一番「悪かったな。世話になった」と言った。
「気にするな。っていうかあの男は元々営業だから無関係じゃない。」
横澤は素っ気なく、そう答える。
だけど心の中では、ひどく満ち足りた気分だった。
高野にフラれて、桐嶋と付き合うようになって、高野とはわだかまりが完全に消えた。
だが高野の恋人である律とは、何となく素直に接することができなかったのだ。
自分は未だに心の奥底で高野に縛られているのか 秘かに落ち込んだりもした。
だけどあの時はごく自然に助けようと思ったし、律の啖呵を聞いて頼もしく思えた。
もう完全に高野とは友人になれたのだと、実感できたのだ。
「小野寺、今度『ザ★漢』の小説も書くそうだな。」
「ああ。桐嶋さんにシゴかれている」
「そりゃ楽しみだ」
「そうだな。本になったら読んでやってくれ。」
高野は背を向けると、手を振りながら去っていく。
恋人にはなれなかった男の後ろ姿は、昔と変わらず美しかった。
*****
「どうぞ。これが俺のコレクションです!」
吉野は得意気にテーブルの上を指さした。
相手の「すごいですね!」という感嘆の声に、テンションがさらに上がった。
入稿を終えて程ない、とある日の午後。
吉野宅には珍しい客人が来ていた。
連載をしている月刊エメラルドの若い編集部員の小野寺律だ。
律とは仕事以外の付き合いはなく、会った回数だってそんなに多くない。
そんな相手を部屋に招き入れた理由は、もちろん仕事がらみだった。
律が「ザ★漢」の小説を書くことになったのは、まだ発表前の極秘事項だ。
慌てて「ザ★漢」を読んで、その魅力にはまった律は、どうにか下書きを始めている。
そんな律のために、羽鳥が吉野に頼んできたのだ。
吉野が保有する「ザ★漢」コレクションを、見せてやってほしいと。
確かにコミックスは絶賛発売中で、すべて書店で手に入る。
その他初回限定版とか、もう書店で買えないものでも、丸川書店なら保存されている。
ただ限定のグッズなど、丸川書店で制作されたのではないものは手に入らない。
連載が長いので、とにかくグッズは山ほどある。
携帯のストラップ、Tシャツ、ボールベン等々。
吉野は今まで手に入れたそれを、テーブルの上に並べていたのだ。
実際に執筆の役に立つかどうかはわからないが、ファンの熱量は伝わる。
それにイメージを膨らませる役には立つだろう。
「よくこれだけ集めましたね!」
律はそれらを1つ1つ手に取って、眺めている。
吉野自身も、実は数の多さに驚いていた。
こうして全部並べたことはなかったので、何個あるかなんて考えたこともなかったのだ。
「それにしても小野寺さんがノベライズを書くなんて、嬉しいです。」
吉野は目を輝かせながらグッズを見ている律に、そう言った。
律の小説の魅力はもう知っている。
シンプルだけど的確な表現で、場面やキャラクターの気持ちを丹念に描写するのだ。
吉野の作品にも楽しいエピソードを追加してもらった。
あの文章で「ザ★漢」の世界が描かれるとだと思うと、今からワクワクする。
「吉野さんや他のファンの皆さんをガッカリさせないように、頑張ります!」
生真面目に答える律を見て、吉野は「あれ?」と思う。
心なしが少し痩せたような気もするし、表情もやや硬い。
そしてふとその理由に思い至った。
律は、前の小説はたまたま書き溜めていた小説が高野の目に留まったと聞いた。
そして今回初めて、依頼されて作品を書く。
つまり作家として書くのは、今回が初めてなのだ。
「頑張りすぎると、大変ですよ。」
吉野の言葉に、律が「え?」と首を傾げている。
だけど吉野にだって、覚えがある。
プロの漫画家になったばかりの頃は、気負っていつも張りつめていたのだ。
「頑張り過ぎないことが、長く続ける秘訣です。」
「頑張り。。。過ぎない?」
「はい。ファンのためって気負うと疲れちゃいます。いかに力を抜くかも大事なんです。」
「はぁ。。。なるほど」
吉野は我ながら少々偉そうだと苦笑した。
だけど作家の先輩として、贈れる言葉はあるのだ。
プレッシャーをかけては申し訳ないから、口に出しては言わない。
だけどやっぱり作品を楽しみにしている。
吉野は再び「ザ★漢」コレクションをチェックし始めた律を見ながら、唇を緩ませた。
【続く】