花で一年
【12月:カトレア(魔力)】
「今、お仕事、大変なんですか?」
雪名は今日も疲れた様子の恋人に、そう聞いた。
だけど当の木佐は「いや、別に」と答え、逆に「何で?」と聞き返して来た。
新年が明けて、実家に戻っていた雪名は東京に戻った。
真っ先に向かったのは、自分の部屋ではなく、木佐の部屋だった。
離れていた分、木佐が足りなくて仕方がなかったのだ。
そしてそのまま「お泊り会」に突入している。
「今日、年明け最初のバイトだったんですけど。エメラルドの編集さんが来まして」
「何かあったのか?」
「特に何かってこともないんです。ただすごく怖い顔をされていたんで」
「誰?」
「小野寺さんです。」
雪名のバイト先「ブックスまりも」は、大きな書店だ。
エメラルド編集部の面々は、全員そこで担当作家のサイン会を開催している。
つまり雪名は、恋人の同僚を全て知っているのだ。
雪名が木佐の同僚を見たのは、少女漫画ではなく文芸のコーナーだった。
バイトの休憩時間に、大学の授業で使う資料文献を捜そうとして、彼を見つけたのだ。
彼は雪名には気づいていないようだし、仕事で来ているのではなさそうだ。
挨拶した方がいいのだろうかと迷ったけど、結局声をかけられなかった。
なぜなら彼は恐ろしく怖い顔をしていたのだ。
「俺の仕事は普通だよ。律っちゃ。。。彼だけ今ちょっと大変なんだ。」
「はぁ。。。そうなんですか。」
「ゴメンな。細かいことは言えないんだ。」
律は作家活動と編集を両立させている状態で、今は少しスランプ気味なのだ。
だけど律が素性を隠しているので、木佐はそれを話すことができない。
雪名も仕事上の機密事項をあえて詮索などしなかった。
「何か美人が怖い顔してると、凄味が増しますよね。」
雪名が会話を締めくくるべくそう言うと、木佐の表情が少しだけ引きつった。
そして「まぁ律っちゃんは美人だけどさ」と拗ねたように口を尖らせた。
「誤解ですよ?俺は木佐さん一筋です!」
「どーだか。お前、モテるし。」
「何言ってるんですか!そもそも木佐さん、小野寺さんのこと何て呼びました?」
「え?律っちゃん」
「え~ずるい!俺のことだって、ほとんど名前呼びしてくれないのに!」
本当に些細なことだ。
だけど少し前までは、こういうことを口に出したりできなかった。
お互い心にため込んで、グルグルと悩んでいただろう。
だけど今は口に出して言える。
しかもケンカをしているようで、実はこうしてじゃれ合うような会話を楽しんでいる。
「とりあえずメシ。俺、腹減ったし。」
「そうですね。食べましょう。」
木佐は旦那よろしくテーブルに座る。
雪名は女房のように、食事をテーブルに並べ始めた。
いつまでも引きずらないのも、2人が学んだ恋愛のすべだった。
*****
ダメだ。集中できない。
律は諦めて、買ったばかりの新刊本を閉じた。
年末年始を実家で過ごした律は、自分の部屋に戻った。
待っていたのは、相変わらずの日常。
編集者として、忙しい日々だ。
だけど律は妙に落ち着かない気分だった。
実家で親と話したことで、プレッシャーを感じていたのだ。
「これから先、どうするつもりなんだ?」
実家に戻った時、律は両親に作家としても活動をしていることを打ち明けた。
すると父は律を真っ直ぐに見据えながら、そう言ったのだ。
作家、編集者、そして小野寺出版の社長の椅子。
律の前で道はいくつも分かれている。
父は、どの道を選ぶのか決断しろと言っているのだ。
母のように「社長になれ」と迫られると思っていた律は驚いていた。
正直な気持ちを言うと、まだ決められない。
どの道もすごく魅力的なのだ。
編集者として売れる本をプロデュースするのが、一番正しい道だと思っている。
だけど本を出す会社の頂点に立ちたいのだという野心もないわけじゃない。
そして自分が物語を書くという楽しさにも、目覚めつつあるのだ。
だが自分が器用な性分でないことは充分承知している。
3つの道を同時に目指せるなんて思っていない。
そしてもう年齢的にも待ったなし、若さを言い訳にすることはできない。
そろそろ最終目標を決めて、それに向かって突き進まなくてはいけない時期なのだ。
「焦るなって方が無理かもしれないが、とにかくミスだけはないように気をつけろ。」
両親と話した内容は、高野にも伝えてある。
律の話を聞き終えた高野は、そう言ってくれた。
迷うことは間違いじゃない。
だが迷いすぎて目先のことを見失うなということだ。
とにかく電子書籍の出版が終わるまでは、考えないようにしよう。
作家と編集者、2つの仕事でいっぱいいっぱいなのだから。
律はそれだけを心に決めて、仕事中はとにかく張りつめている。
だが部屋に戻れば、どうしても将来のことについて考えてしまう。
このままではまずいと、気分転換用に好きな作家の新刊を買ってみた。
だがやはり少しも文章に集中できない。
これでは作家に失礼だと、律は諦めて本を閉じた。
代わりに取り出したのは、もうすぐ電子書籍として出版される予定の自分の原稿だ。
もう推敲は終わっているが、叩けばもっとよくなるかもしれない。
律は原稿と赤ペンを手に取ると、チェックを始めた。
これならば新刊本よりは集中できそうだ。
*****
「高野、ちょっといいか?」
会議の後、呼び止められた高野は「はい」と振り返ってから、驚いた。
相手は日頃あまり接点がない人物で、呼び止められる理由に見当もつかなかった。
各雑誌の編集長が集まる定例の会議の後。
高野を呼び止めたのはジャプンの編集長、桐嶋だった。
同じ漫画編集ではあるが、実はあまり接点がない。
何かするときには他の雑誌の編集長も一緒であることが多く、2人きりになることはなかった。
「ちょっと相談があるんだ。」
桐嶋はそう言って、先に立って歩き出す。
連れて行かれたのは、今会議をしていた部屋の並びにある別の会議室だ。
先程の部屋は何十人規模の大きな会議のための部屋だが、ここは数人用の小部屋だった。
「作家の織田律先生は、お前の担当だろ?」
桐嶋は空いた席に腰を下ろすと、そう言った。
もちろん彼は「織田律」の正体を知っている。
それでもわざわざ「先生」と呼ぶのは、作家の律と編集者の律を切り離して見てくれているからだ。
「まぁそうなりますね」
高野は桐嶋の隣の椅子に座りながら、微妙に言葉を濁した。
この時点で高野には、桐嶋の用件の予想がついた。
「例の電子書籍の小説、読んだ。いい出来だな。」
「ありがとうございます。」
「それで織田先生に『ザ★漢』の小説版を頼みたいんだ。もちろん伊集院先生の許可も取っている。」
「なるほど」
「『ザ★漢』も連載が長いからな。そろそろ新しいことをしたいんだ。」
「お話はわかりましたが。。。」
高野はどうしたものかと、内心ため息をついた。
敏腕編集長、桐嶋が律の筆力を認めてくれたことは単純に嬉しい。
だが今の律は進路に悩み、迷走中だ。
こんな話を聞いたら、ますます思い悩むだろう。
昨日は、もうすでに推敲が終わった作品を手直しして持って来た。
その作品は、高野の担当作家のスピンオフ小説「カトレア ~魔力~」だ。
よりわかりやすい描写をしようと思ったのか、説明的な文章を加筆している。
だが高野はそれをボツにした。
結局文章が無駄に長くなり、読みにくくなるだけだったのだ。
何かしていなければ不安なのだろうが、結局徒労だ。
「本人に話してみます。返事はその後でいたしますので。」
高野はかろうじてそう答えた。
さすがに律の意向を聞かずに即答はできない。
それは桐嶋だってよくわかっている。
「わかった。いい返事を期待している。」
桐嶋は笑顔でそう答えると、会議室を出て行く。
高野も立ち上がると、その背中に一礼をして見送った。
ただでさえ悩み迷っている律に、さらなる試練。
だけど隠しておくわけにはいかないだろう。
「頑張れ、律」
高野が小さくと呟いた声は、誰もいない会議室に響いて消えた。
【続く】
「今、お仕事、大変なんですか?」
雪名は今日も疲れた様子の恋人に、そう聞いた。
だけど当の木佐は「いや、別に」と答え、逆に「何で?」と聞き返して来た。
新年が明けて、実家に戻っていた雪名は東京に戻った。
真っ先に向かったのは、自分の部屋ではなく、木佐の部屋だった。
離れていた分、木佐が足りなくて仕方がなかったのだ。
そしてそのまま「お泊り会」に突入している。
「今日、年明け最初のバイトだったんですけど。エメラルドの編集さんが来まして」
「何かあったのか?」
「特に何かってこともないんです。ただすごく怖い顔をされていたんで」
「誰?」
「小野寺さんです。」
雪名のバイト先「ブックスまりも」は、大きな書店だ。
エメラルド編集部の面々は、全員そこで担当作家のサイン会を開催している。
つまり雪名は、恋人の同僚を全て知っているのだ。
雪名が木佐の同僚を見たのは、少女漫画ではなく文芸のコーナーだった。
バイトの休憩時間に、大学の授業で使う資料文献を捜そうとして、彼を見つけたのだ。
彼は雪名には気づいていないようだし、仕事で来ているのではなさそうだ。
挨拶した方がいいのだろうかと迷ったけど、結局声をかけられなかった。
なぜなら彼は恐ろしく怖い顔をしていたのだ。
「俺の仕事は普通だよ。律っちゃ。。。彼だけ今ちょっと大変なんだ。」
「はぁ。。。そうなんですか。」
「ゴメンな。細かいことは言えないんだ。」
律は作家活動と編集を両立させている状態で、今は少しスランプ気味なのだ。
だけど律が素性を隠しているので、木佐はそれを話すことができない。
雪名も仕事上の機密事項をあえて詮索などしなかった。
「何か美人が怖い顔してると、凄味が増しますよね。」
雪名が会話を締めくくるべくそう言うと、木佐の表情が少しだけ引きつった。
そして「まぁ律っちゃんは美人だけどさ」と拗ねたように口を尖らせた。
「誤解ですよ?俺は木佐さん一筋です!」
「どーだか。お前、モテるし。」
「何言ってるんですか!そもそも木佐さん、小野寺さんのこと何て呼びました?」
「え?律っちゃん」
「え~ずるい!俺のことだって、ほとんど名前呼びしてくれないのに!」
本当に些細なことだ。
だけど少し前までは、こういうことを口に出したりできなかった。
お互い心にため込んで、グルグルと悩んでいただろう。
だけど今は口に出して言える。
しかもケンカをしているようで、実はこうしてじゃれ合うような会話を楽しんでいる。
「とりあえずメシ。俺、腹減ったし。」
「そうですね。食べましょう。」
木佐は旦那よろしくテーブルに座る。
雪名は女房のように、食事をテーブルに並べ始めた。
いつまでも引きずらないのも、2人が学んだ恋愛のすべだった。
*****
ダメだ。集中できない。
律は諦めて、買ったばかりの新刊本を閉じた。
年末年始を実家で過ごした律は、自分の部屋に戻った。
待っていたのは、相変わらずの日常。
編集者として、忙しい日々だ。
だけど律は妙に落ち着かない気分だった。
実家で親と話したことで、プレッシャーを感じていたのだ。
「これから先、どうするつもりなんだ?」
実家に戻った時、律は両親に作家としても活動をしていることを打ち明けた。
すると父は律を真っ直ぐに見据えながら、そう言ったのだ。
作家、編集者、そして小野寺出版の社長の椅子。
律の前で道はいくつも分かれている。
父は、どの道を選ぶのか決断しろと言っているのだ。
母のように「社長になれ」と迫られると思っていた律は驚いていた。
正直な気持ちを言うと、まだ決められない。
どの道もすごく魅力的なのだ。
編集者として売れる本をプロデュースするのが、一番正しい道だと思っている。
だけど本を出す会社の頂点に立ちたいのだという野心もないわけじゃない。
そして自分が物語を書くという楽しさにも、目覚めつつあるのだ。
だが自分が器用な性分でないことは充分承知している。
3つの道を同時に目指せるなんて思っていない。
そしてもう年齢的にも待ったなし、若さを言い訳にすることはできない。
そろそろ最終目標を決めて、それに向かって突き進まなくてはいけない時期なのだ。
「焦るなって方が無理かもしれないが、とにかくミスだけはないように気をつけろ。」
両親と話した内容は、高野にも伝えてある。
律の話を聞き終えた高野は、そう言ってくれた。
迷うことは間違いじゃない。
だが迷いすぎて目先のことを見失うなということだ。
とにかく電子書籍の出版が終わるまでは、考えないようにしよう。
作家と編集者、2つの仕事でいっぱいいっぱいなのだから。
律はそれだけを心に決めて、仕事中はとにかく張りつめている。
だが部屋に戻れば、どうしても将来のことについて考えてしまう。
このままではまずいと、気分転換用に好きな作家の新刊を買ってみた。
だがやはり少しも文章に集中できない。
これでは作家に失礼だと、律は諦めて本を閉じた。
代わりに取り出したのは、もうすぐ電子書籍として出版される予定の自分の原稿だ。
もう推敲は終わっているが、叩けばもっとよくなるかもしれない。
律は原稿と赤ペンを手に取ると、チェックを始めた。
これならば新刊本よりは集中できそうだ。
*****
「高野、ちょっといいか?」
会議の後、呼び止められた高野は「はい」と振り返ってから、驚いた。
相手は日頃あまり接点がない人物で、呼び止められる理由に見当もつかなかった。
各雑誌の編集長が集まる定例の会議の後。
高野を呼び止めたのはジャプンの編集長、桐嶋だった。
同じ漫画編集ではあるが、実はあまり接点がない。
何かするときには他の雑誌の編集長も一緒であることが多く、2人きりになることはなかった。
「ちょっと相談があるんだ。」
桐嶋はそう言って、先に立って歩き出す。
連れて行かれたのは、今会議をしていた部屋の並びにある別の会議室だ。
先程の部屋は何十人規模の大きな会議のための部屋だが、ここは数人用の小部屋だった。
「作家の織田律先生は、お前の担当だろ?」
桐嶋は空いた席に腰を下ろすと、そう言った。
もちろん彼は「織田律」の正体を知っている。
それでもわざわざ「先生」と呼ぶのは、作家の律と編集者の律を切り離して見てくれているからだ。
「まぁそうなりますね」
高野は桐嶋の隣の椅子に座りながら、微妙に言葉を濁した。
この時点で高野には、桐嶋の用件の予想がついた。
「例の電子書籍の小説、読んだ。いい出来だな。」
「ありがとうございます。」
「それで織田先生に『ザ★漢』の小説版を頼みたいんだ。もちろん伊集院先生の許可も取っている。」
「なるほど」
「『ザ★漢』も連載が長いからな。そろそろ新しいことをしたいんだ。」
「お話はわかりましたが。。。」
高野はどうしたものかと、内心ため息をついた。
敏腕編集長、桐嶋が律の筆力を認めてくれたことは単純に嬉しい。
だが今の律は進路に悩み、迷走中だ。
こんな話を聞いたら、ますます思い悩むだろう。
昨日は、もうすでに推敲が終わった作品を手直しして持って来た。
その作品は、高野の担当作家のスピンオフ小説「カトレア ~魔力~」だ。
よりわかりやすい描写をしようと思ったのか、説明的な文章を加筆している。
だが高野はそれをボツにした。
結局文章が無駄に長くなり、読みにくくなるだけだったのだ。
何かしていなければ不安なのだろうが、結局徒労だ。
「本人に話してみます。返事はその後でいたしますので。」
高野はかろうじてそう答えた。
さすがに律の意向を聞かずに即答はできない。
それは桐嶋だってよくわかっている。
「わかった。いい返事を期待している。」
桐嶋は笑顔でそう答えると、会議室を出て行く。
高野も立ち上がると、その背中に一礼をして見送った。
ただでさえ悩み迷っている律に、さらなる試練。
だけど隠しておくわけにはいかないだろう。
「頑張れ、律」
高野が小さくと呟いた声は、誰もいない会議室に響いて消えた。
【続く】