花で一年
【11月:シクラメン(嫉妬)】
まさか律っちゃん、俺のことをモデルにしたんじゃないよな?
木佐は1人きりの部屋で、ため息をついていた。
大晦日、木佐は1人で自宅マンションにいた。
年末年始の予定は何もない。
恋人の雪名は、実家である北海道に帰ってしまっているからだ。
同年代の友人は、既婚者や彼女持ちが多い。
みんな最愛の人と、楽しく年を越すつもりなのだろう。
木佐だって、実家に帰るという選択肢はあったのだ。
だけどどうしてもそんな気にならなかった。
実家に戻れば「そろそろ結婚なんて話はないのか?」と問われることは目に見えている。
集まるであろう親戚の中に「相手がいないなら見合いでもするか?」なんて言い出しそうな者もいる。
何より怖いのは、親は木佐の性癖に気付いているのではないかという気がすることだった。
30歳を過ぎて、女性経験を親に話したことは皆無。
もちろん経験がないからなのだが、親もそろそろ疑い出してもおかしくない。
息子は男しか愛せないのだと。
そんなこんなで1人で年を越すつもりだった木佐だが、やはり寂しい。
せめてもの時間つぶしにと読み始めたのは、律が書いた小説だ。
電子書籍限定で出版されるそれは、年内に6作品がすでに発売されている。
年が明けてから、残りの6作品が出る予定だった。
実は木佐は自分の担当作品のスピンオフは何度も読んだが、それ以外はさらりとしか読んでいない。
もっと言うと、来年出版分の担当外作品はまだ読んでいないのだ。
これはいい機会かもしれないと、木佐はそれらの作品をきちんと読むことに決めた。
そんな中で、木佐がギクリとした話があった。
美濃の担当作品のスピンオフで「シクラメン ~嫉妬~」という短編だ。
漫画の方はすでに連載を終えている。
終盤、ヒロインの恋人は夢を追って海外に行き、ヒロインは自分の夢のために日本に残る。
そして最終回のラストシーンでは、数年後に恋人が帰国し、変わらぬ愛を誓っていた。
律の小説では、再会までの2人の遠距離恋愛が書かれている。
ヒロインは恋人を想い、電話をしようとしてもできず、逢いたくて人知れず涙したりする。
それはまさしく今の木佐の状況だった。
声が聴きたいけど、迷惑かも知れないと思うとできない。
しかも小説を読んだことで、涙がこぼれてしまったのだ。
まさか律っちゃん、俺のことをモデルにしたんじゃないよな?
木佐は小説がプリントアウトされた紙をめくりながら、ため息をついた。
気分転換のつもりだったのに、逢いたい気持ちが止まらない。
*****
「悪いけど、よろしく頼む。」
横澤は猫用のキャリーケースを置きながら、家の主に声をかけた。
木佐が人知れずため息をついていた頃、横澤は高野の部屋にいた。
猫のソラ太を預かってもらうためだ。
年末年始、横澤も実家に戻る。
恋人である桐嶋も同様であり、完全に別行動になる。
しかも桐嶋は、妻の実家にも出向き、年始の挨拶をするのだ。
自分の実家に2泊、妻の実家に1泊というハードなスケジュールだった。
どちらの実家も挨拶よりも、孫の日和の顔が見たいのだろう。
こんなときに頼るのは、やはり高野だった。
親とはほとんど縁が切れている高野は、実家に帰ることはない。
いつも1人で静かな正月を過ごしている。
面と向かっては言わないが、今の横澤は律が高野の隣に住んでいてよかったと思っている。
さすがに御曹司だから、実家に帰るのはほとんど義務らしい。
それでも恋人になってからは、3日間実家に泊まらず、毎日通っているそうだ。
つまり夜はしっかり高野の傍に戻る。
ずっと孤独な男を見続けて来た横澤にとって、それは心強いことだった。
もっともそんな風に思えるようになったのは、桐嶋と付き合い始めてからのことだが。
「小野寺、今年も日帰りで通うのか?」
「いや、今回は泊まるそうだ。2日の夜に戻るって言ってた。」
「そうなのか?」
「例の小説、あいつ、まだ親に話してないんだ。それを打ち明けるんだと。」
横澤は「は?」と声を上げたものの、それ以上、何と言っていいのかわからなかった。
律は本名ではなく、ペンネームを使っている。
それは高野が律と10年振りに再会するまで、それが彼の名だと信じていたあの名前だ。
「俺も担当として一緒に行くって言ったんだが。」
「なんで行かなかったんだ?」
「過保護なのは、嫌なんだそうだ。」
高野はその瞬間、ほんの少しだけ表情が崩れた。
そう、まるで拗ねたように。
一時期世の中の全てが敵だと言わんばかりに荒れていた男が。
横澤は高野の変化を嬉しく、そして寂しく思う。
かつて惚れた男が、人間らしく恋している姿は微笑ましい。
だけどそんな風に変えたのが自分でないことは、少しだけ残念だ。
「まぁいいや。とにかくソラ太のことは頼むな。」
「わかった。」
高野がキャリーバックから出て来たソラ太を抱き上げ、喉元をなでている。
横澤はそんな高野に軽く手を振ると、慣れ親しんだ部屋を出た。
気分は悪くない。
だけどやっぱり律に感謝の意を表するのは癪だし、絶対にしないと思った。
*****
「あなたはいったい何がしたいの?」
母親の尖った声に、律は秘かにため息をついた。
大晦日の夜、律は実家のリビングにいた。
夕食を終えて、両親と共に紅茶を飲んでいる。
通いの家政婦はもう帰ってしまったので、久し振りの家族水入らずだ。
小野寺家が一年で一番、静かな時間だ。
夜が明ければ年始客が集い、餅つき大会などが催され、一気に賑やかになる。
律は自分が作家活動をしていることを、両親に打ち明けようと思っていた。
だから今年は実家に泊まることにしたのだ。
静かなこの時間帯が、告白には最適だと思った。
「俺、実は今、こういうのを書いてるんだ。電子書籍で出版もされてる。」
律は用意していた小説を印刷した紙の束を、テーブルの上に置いた。
短編ごとに12の冊子になっている。
父と母がおもむろにそれを取り上げ、ゆっくりと読み始めた。
しばらくの間、部屋は静まり返り、2人が紙をめくる音だけが響く。
ぶっちゃけ、気まずい。
律だって四捨五入すれば三十路だ。
そんな男が、十代の少女の恋愛を綴っているのだから。
正直なところ、作家活動のことは隠しておこうと思っていた時期もある。
それでも話すことにしたのは、律の父親が出版社の社長であるからだ。
その息子が別の出版社でこっそりと作家活動をしているというのは、やはり妙な話だと思う。
それに同じ業種にいるのだから、ふとしたことで父の耳に入ることもあるかもしれない。
やはりきちんと打ち明けておくのが、筋なのだと思う。
「あなたはいったい何がしたいの?」
最初に口を開いたのは、母だった。
その尖った声に、律は秘かにため息をついた。
いつか父の会社を律が継ぐものと思っている母にとって、作家活動なんて意味不明なのだろう。
だが父は静かに読み終えた冊子をテーブルに戻し、律の方に向き直る。
「これから先、どうするつもりなんだ?」
父は律を真っ直ぐに見据えながら、そう言った。
あくまで口調は穏やかだが、有無を言わせない迫力がある。
中途半端な答えでは許さないという、父の気持ちが伝わってきた。
律はしっかりと父親の視線を受け止めると、口を開いた。
この先どうするか、まだそのビジョンは朧げなのだ。
だけどこれらの作品を出版したことは、決して遊びでも悪ふざけでもない。
そして律がこの先進んでいく未来のために、決して無駄ではないと信じている。
律の作品を認めてくれた高野のためにも、それだけはわかってもらいたかった。
【続く】
まさか律っちゃん、俺のことをモデルにしたんじゃないよな?
木佐は1人きりの部屋で、ため息をついていた。
大晦日、木佐は1人で自宅マンションにいた。
年末年始の予定は何もない。
恋人の雪名は、実家である北海道に帰ってしまっているからだ。
同年代の友人は、既婚者や彼女持ちが多い。
みんな最愛の人と、楽しく年を越すつもりなのだろう。
木佐だって、実家に帰るという選択肢はあったのだ。
だけどどうしてもそんな気にならなかった。
実家に戻れば「そろそろ結婚なんて話はないのか?」と問われることは目に見えている。
集まるであろう親戚の中に「相手がいないなら見合いでもするか?」なんて言い出しそうな者もいる。
何より怖いのは、親は木佐の性癖に気付いているのではないかという気がすることだった。
30歳を過ぎて、女性経験を親に話したことは皆無。
もちろん経験がないからなのだが、親もそろそろ疑い出してもおかしくない。
息子は男しか愛せないのだと。
そんなこんなで1人で年を越すつもりだった木佐だが、やはり寂しい。
せめてもの時間つぶしにと読み始めたのは、律が書いた小説だ。
電子書籍限定で出版されるそれは、年内に6作品がすでに発売されている。
年が明けてから、残りの6作品が出る予定だった。
実は木佐は自分の担当作品のスピンオフは何度も読んだが、それ以外はさらりとしか読んでいない。
もっと言うと、来年出版分の担当外作品はまだ読んでいないのだ。
これはいい機会かもしれないと、木佐はそれらの作品をきちんと読むことに決めた。
そんな中で、木佐がギクリとした話があった。
美濃の担当作品のスピンオフで「シクラメン ~嫉妬~」という短編だ。
漫画の方はすでに連載を終えている。
終盤、ヒロインの恋人は夢を追って海外に行き、ヒロインは自分の夢のために日本に残る。
そして最終回のラストシーンでは、数年後に恋人が帰国し、変わらぬ愛を誓っていた。
律の小説では、再会までの2人の遠距離恋愛が書かれている。
ヒロインは恋人を想い、電話をしようとしてもできず、逢いたくて人知れず涙したりする。
それはまさしく今の木佐の状況だった。
声が聴きたいけど、迷惑かも知れないと思うとできない。
しかも小説を読んだことで、涙がこぼれてしまったのだ。
まさか律っちゃん、俺のことをモデルにしたんじゃないよな?
木佐は小説がプリントアウトされた紙をめくりながら、ため息をついた。
気分転換のつもりだったのに、逢いたい気持ちが止まらない。
*****
「悪いけど、よろしく頼む。」
横澤は猫用のキャリーケースを置きながら、家の主に声をかけた。
木佐が人知れずため息をついていた頃、横澤は高野の部屋にいた。
猫のソラ太を預かってもらうためだ。
年末年始、横澤も実家に戻る。
恋人である桐嶋も同様であり、完全に別行動になる。
しかも桐嶋は、妻の実家にも出向き、年始の挨拶をするのだ。
自分の実家に2泊、妻の実家に1泊というハードなスケジュールだった。
どちらの実家も挨拶よりも、孫の日和の顔が見たいのだろう。
こんなときに頼るのは、やはり高野だった。
親とはほとんど縁が切れている高野は、実家に帰ることはない。
いつも1人で静かな正月を過ごしている。
面と向かっては言わないが、今の横澤は律が高野の隣に住んでいてよかったと思っている。
さすがに御曹司だから、実家に帰るのはほとんど義務らしい。
それでも恋人になってからは、3日間実家に泊まらず、毎日通っているそうだ。
つまり夜はしっかり高野の傍に戻る。
ずっと孤独な男を見続けて来た横澤にとって、それは心強いことだった。
もっともそんな風に思えるようになったのは、桐嶋と付き合い始めてからのことだが。
「小野寺、今年も日帰りで通うのか?」
「いや、今回は泊まるそうだ。2日の夜に戻るって言ってた。」
「そうなのか?」
「例の小説、あいつ、まだ親に話してないんだ。それを打ち明けるんだと。」
横澤は「は?」と声を上げたものの、それ以上、何と言っていいのかわからなかった。
律は本名ではなく、ペンネームを使っている。
それは高野が律と10年振りに再会するまで、それが彼の名だと信じていたあの名前だ。
「俺も担当として一緒に行くって言ったんだが。」
「なんで行かなかったんだ?」
「過保護なのは、嫌なんだそうだ。」
高野はその瞬間、ほんの少しだけ表情が崩れた。
そう、まるで拗ねたように。
一時期世の中の全てが敵だと言わんばかりに荒れていた男が。
横澤は高野の変化を嬉しく、そして寂しく思う。
かつて惚れた男が、人間らしく恋している姿は微笑ましい。
だけどそんな風に変えたのが自分でないことは、少しだけ残念だ。
「まぁいいや。とにかくソラ太のことは頼むな。」
「わかった。」
高野がキャリーバックから出て来たソラ太を抱き上げ、喉元をなでている。
横澤はそんな高野に軽く手を振ると、慣れ親しんだ部屋を出た。
気分は悪くない。
だけどやっぱり律に感謝の意を表するのは癪だし、絶対にしないと思った。
*****
「あなたはいったい何がしたいの?」
母親の尖った声に、律は秘かにため息をついた。
大晦日の夜、律は実家のリビングにいた。
夕食を終えて、両親と共に紅茶を飲んでいる。
通いの家政婦はもう帰ってしまったので、久し振りの家族水入らずだ。
小野寺家が一年で一番、静かな時間だ。
夜が明ければ年始客が集い、餅つき大会などが催され、一気に賑やかになる。
律は自分が作家活動をしていることを、両親に打ち明けようと思っていた。
だから今年は実家に泊まることにしたのだ。
静かなこの時間帯が、告白には最適だと思った。
「俺、実は今、こういうのを書いてるんだ。電子書籍で出版もされてる。」
律は用意していた小説を印刷した紙の束を、テーブルの上に置いた。
短編ごとに12の冊子になっている。
父と母がおもむろにそれを取り上げ、ゆっくりと読み始めた。
しばらくの間、部屋は静まり返り、2人が紙をめくる音だけが響く。
ぶっちゃけ、気まずい。
律だって四捨五入すれば三十路だ。
そんな男が、十代の少女の恋愛を綴っているのだから。
正直なところ、作家活動のことは隠しておこうと思っていた時期もある。
それでも話すことにしたのは、律の父親が出版社の社長であるからだ。
その息子が別の出版社でこっそりと作家活動をしているというのは、やはり妙な話だと思う。
それに同じ業種にいるのだから、ふとしたことで父の耳に入ることもあるかもしれない。
やはりきちんと打ち明けておくのが、筋なのだと思う。
「あなたはいったい何がしたいの?」
最初に口を開いたのは、母だった。
その尖った声に、律は秘かにため息をついた。
いつか父の会社を律が継ぐものと思っている母にとって、作家活動なんて意味不明なのだろう。
だが父は静かに読み終えた冊子をテーブルに戻し、律の方に向き直る。
「これから先、どうするつもりなんだ?」
父は律を真っ直ぐに見据えながら、そう言った。
あくまで口調は穏やかだが、有無を言わせない迫力がある。
中途半端な答えでは許さないという、父の気持ちが伝わってきた。
律はしっかりと父親の視線を受け止めると、口を開いた。
この先どうするか、まだそのビジョンは朧げなのだ。
だけどこれらの作品を出版したことは、決して遊びでも悪ふざけでもない。
そして律がこの先進んでいく未来のために、決して無駄ではないと信じている。
律の作品を認めてくれた高野のためにも、それだけはわかってもらいたかった。
【続く】