花で一年
【09月:リンドウ(寂しい愛情)】
アニメ化、かぁ。
律は思いもよらない展開に、ただただ困惑していた。
律の作家活動は、順調に進んでいた。
12作の短編小説のうち、6作品が電子書籍化され、まずまずの高い評価を得ている。
残りの6作品は、ほぼ書き上がっており、現在推敲の段階だ。
高野の指摘や、原作の漫画家の意見などを入れて、手直しをしている。
残りの作品の公開時期などが決まれば、もう律がすることはないと思っていたのだが。
ここで新たな展開が起きた。
すでに電子書籍で公開された作品「チューリップ ~恋の宣言~」のアニメ化が決まったのだ。
木佐の担当作家、木原ナツの連載中の人気漫画のスピンオフだ。
もちろん短編小説なので、これだけで成立するわけではない。
本編というべき木原ナツの新刊コミックスの初回限定版にDVDを付けて販売する。
そのDVDの短いストーリーに、律の小説が採用されたのだ。
正直言って微妙だった。
律はこの「限定版」と称して、コミックスにDVDを付けて売る手法が嫌いなのだ。
この手のDVDはあくまで付録なので、軽めな小話をつけるのが基本。
それなのに結構な値段を頂戴するのだ。
月刊エメラルドの主な読者層はもちろん若い女性で、学生も多い。
そういう子たち相手に高い商品を売りつけるのは、詐欺とまでは言わないがアコギな気がする。
とはいえ、原作の木原ナツが乗り気なのだから、律に逆らうことは許されない。
気が乗らないながら、アニメDVDの企画会議に参加した。
意に反するサクサクと内容が決まっていくのは、実に気が重いものだと思う。
販売戦略も話し合うので、営業から横澤も参加している。
そのことがますます律の気を重くしていた。
この「限定DVD商法」のことで、横澤とは会議で言い合いをしたことがある。
律は作品の内容で勝負したいと主張し、横澤は少しでもたくさん売るためには必要な手法だと返した。
それがまさか自分の作品のDVD化を話し合うことになろうとは。
会議が終わった後、喫煙スペースにある自販機で飲み物を買おうとした。
すると先程まで一緒の会議に出ていた横澤が、ソファに座ってタバコを吸っている。
未だに横澤のことが苦手な律は、軽く目礼だけすると小銭を取り出し、自販機に向かう。
「作家先生は、自分の作品だとDVDにするのも歓迎なんだな。」
案の定、背中越しに横澤の嫌味が聞こえた。
律は思わずため息をついた。
横澤はどうしても律への当たりが強い。
かつての高野との経緯のせいか、それとも元々相性が悪いのか。
とにかく律の顔を見たら必ず不愉快なことを言おうと決めているのではないかとさえ思うのだ。
律はゆっくりと振り返ると、横澤に鋭い視線を向けた。
いつもは言い返すことなんかしない。
自分は後輩だし、営業にはいろいろ世話になっている。
なによりも高野との関係を知られているという負い目がある。
だが今回は別だった。
何だか作品まで侮辱されたようで、気分が悪い。
「その件について、聞きたいですか?」
律は静かに口を開いた。
受けて立ってやると、好戦的な気分になるのを止められなかったのだ。
*****
「その件について、聞きたいですか?」
思いのほか攻撃的な口調に、横澤は微かに眉を寄せた。
エメラルド編集部の小野寺律が書いた小説が、出版される。
横澤隆史はそのニュースを聞いた時、何とも不愉快な気分だった。
高野と律がお互いに想い合っていることは、よく知っている。
それが不満で、律が気に入らなかった時期もあるが、今はもう違う。
恋する2人が同じ職場ではやりにくいこともあるだろうが、2人ともちゃんと仕事をこなしている。
高野の手腕は相変わらずだし、律のことも今は編集者として認めている。
それだけに今回のことだけはいただけないと思う。
というのも、律の作家デビューの仕方が、あまりにも普通と違うのだ。
編集者がこっそり自分でも執筆しているのは、珍しい話ではない。
だがいくらいい話を書いたとしても、やはり手順というものがある。
高野はそれを無視して、かなり強引に出版まで漕ぎつけた。
なぜそんなに急いだのか。
そこには恋心という余計な要素はなかったのか。
好きな相手の小説だから、売ってやりたいと思ったのではないのか。
だとしたら、ひどい公私混同だ。
今まで高野を信頼し、律のことも何とか認められるようになった。
そんな気持ちを裏切られたような気がしてならない。
その上、今まで限定DVDという手法を嫌っていた律が、自分の作品のDVD化には文句を言わない。
まったく気に入らない。
だからこそ、企画会議の後、たまたま出くわした律にからむようなことを言ったのだ。
「作家先生は、自分の作品だとDVDにするのも歓迎なんだな」と。
だが律はいつもと違っていた。
不敵な態度で横澤を睨み「その件について、聞きたいですか?」と言い放った。
「編集者としてなら、あやまります。先輩の横澤さんを怒らせたようですから。」
律はそこで一度言葉を区切ると、財布から小銭を取り出して、自販機に放り込んだ。
そしてボタンを押すと、取り出し口からペットボトルを取り出す。
その動作はまったくさりげないもので、横澤の嫌味など気にも留めていないという意思表示に見えた。
「作家としてなら、怒ってます。作品以外のことで、不当な評価をされたくないです。」
律は再び横澤に向き直ると、挑発的な視線を向けてきた。
横澤は思わぬ律の強気に、驚く。
今まで何度も嫌味を言ったが、こんな風に強気な態度で返されたことはないからだ。
作家としての自信というやつなのだろうか。
2人きりの喫煙スペースに、緊張が走る。
だがちょうど入ってきた3人目の人物によって、張り詰めた空気が破れた。
「よぉ」
横澤に軽く手を上げて入ってきたのは、ジャプンの編集長、桐嶋禅だった。
何かを言いかけていた律だったけど、かすかに苦笑いを浮かべて、口を閉ざす。
そして2人に無言で頭を下げると、ペットボトルを持って喫煙スペースを出て行った。
*****
「邪魔しちまったか?」
桐嶋は茶化すようにそう言いながら、横澤の隣に腰を下ろした。
横澤は顔をしかめながらも、吸っていたタバコの箱を桐嶋に差し出した。
「別に。大したことは話していない。」
桐嶋はタバコの箱を受け取ると、中から1本取り出すと、口に咥えた。
すると横澤が、ホステスよろしくライターで火をつけてくれる。
「ありがたいだろ?言い負かされてたし」
「って、聞いてたのかよ!?」
横澤が不機嫌そうに眉を寄せたが、桐嶋は薄く笑って受け流した。
実は律と横澤の会話はほとんど聞いてしまった。
桐嶋も高野と横澤と律の関係を知っている。
良好な関係とは言い難い2人がどんな会話をするのか、気になったのだ。
「あいつの小説、好評だな。俺も読んだけど、よくできてた。」
「別にそれは否定してねーよ。問題はあいつのデビューの仕方だ。」
「まぁな。高野も随分、葛藤したんだろうよ。」
「葛藤?」
不機嫌な横澤を、桐嶋が諌める。
高野が律をデビューさせた方法の強引さは、桐嶋も同意するところだ。
だがその理由についての考えは、横澤とは違う。
「こんな形で小野寺をデビューさせたら当然あちこちから文句は出る。高野もわかってる。」
それでもデビューに踏み切ったのは、色恋沙汰ではない。
単純に律の作品が売れると思ったからだ。
矢面に立たされるのは律で、現に今も横澤にからまれた。
それでも高野は、律をデビューさせた。
本来ならもっと時間をかけて、ゆっくりと律を育て、周囲を納得させたかったはずだ。
だが律の作品が、現在連載中の作品のスピンオフであることを考えると、時間の猶予はない。
漫画の連載と同時期に出して、相乗効果を得ることに意味があるのだ。
高野としては、まさに苦渋の決断だったのだろうと、桐嶋は考えている。
「まぁ、そういう考え方もあるか。」
横澤は不満そうに顔をしかめている。
だけど桐嶋の言葉に、納得したようだ。
何しろ高野は、かつて横澤を惚れさせたほどの男なのだ。
恋人を贔屓するより、編集長としてあえてつらい決断をしたという方が納得できる。
まして高野との付き合いの長い横澤に、異論があろうはずがない。
「だけど小野寺が、口ばっかり達者になるのはやっぱり気に入らねぇな。」
「わかってやれよ。作家ってのは、むずかしい生き物だ。」
それでもやはり悔しさを押さえられない横澤が、文句を言う。
桐嶋はその表情を「かわいい」などと思いながら、美味そうにタバコを吸い込んだ。
【続く】
アニメ化、かぁ。
律は思いもよらない展開に、ただただ困惑していた。
律の作家活動は、順調に進んでいた。
12作の短編小説のうち、6作品が電子書籍化され、まずまずの高い評価を得ている。
残りの6作品は、ほぼ書き上がっており、現在推敲の段階だ。
高野の指摘や、原作の漫画家の意見などを入れて、手直しをしている。
残りの作品の公開時期などが決まれば、もう律がすることはないと思っていたのだが。
ここで新たな展開が起きた。
すでに電子書籍で公開された作品「チューリップ ~恋の宣言~」のアニメ化が決まったのだ。
木佐の担当作家、木原ナツの連載中の人気漫画のスピンオフだ。
もちろん短編小説なので、これだけで成立するわけではない。
本編というべき木原ナツの新刊コミックスの初回限定版にDVDを付けて販売する。
そのDVDの短いストーリーに、律の小説が採用されたのだ。
正直言って微妙だった。
律はこの「限定版」と称して、コミックスにDVDを付けて売る手法が嫌いなのだ。
この手のDVDはあくまで付録なので、軽めな小話をつけるのが基本。
それなのに結構な値段を頂戴するのだ。
月刊エメラルドの主な読者層はもちろん若い女性で、学生も多い。
そういう子たち相手に高い商品を売りつけるのは、詐欺とまでは言わないがアコギな気がする。
とはいえ、原作の木原ナツが乗り気なのだから、律に逆らうことは許されない。
気が乗らないながら、アニメDVDの企画会議に参加した。
意に反するサクサクと内容が決まっていくのは、実に気が重いものだと思う。
販売戦略も話し合うので、営業から横澤も参加している。
そのことがますます律の気を重くしていた。
この「限定DVD商法」のことで、横澤とは会議で言い合いをしたことがある。
律は作品の内容で勝負したいと主張し、横澤は少しでもたくさん売るためには必要な手法だと返した。
それがまさか自分の作品のDVD化を話し合うことになろうとは。
会議が終わった後、喫煙スペースにある自販機で飲み物を買おうとした。
すると先程まで一緒の会議に出ていた横澤が、ソファに座ってタバコを吸っている。
未だに横澤のことが苦手な律は、軽く目礼だけすると小銭を取り出し、自販機に向かう。
「作家先生は、自分の作品だとDVDにするのも歓迎なんだな。」
案の定、背中越しに横澤の嫌味が聞こえた。
律は思わずため息をついた。
横澤はどうしても律への当たりが強い。
かつての高野との経緯のせいか、それとも元々相性が悪いのか。
とにかく律の顔を見たら必ず不愉快なことを言おうと決めているのではないかとさえ思うのだ。
律はゆっくりと振り返ると、横澤に鋭い視線を向けた。
いつもは言い返すことなんかしない。
自分は後輩だし、営業にはいろいろ世話になっている。
なによりも高野との関係を知られているという負い目がある。
だが今回は別だった。
何だか作品まで侮辱されたようで、気分が悪い。
「その件について、聞きたいですか?」
律は静かに口を開いた。
受けて立ってやると、好戦的な気分になるのを止められなかったのだ。
*****
「その件について、聞きたいですか?」
思いのほか攻撃的な口調に、横澤は微かに眉を寄せた。
エメラルド編集部の小野寺律が書いた小説が、出版される。
横澤隆史はそのニュースを聞いた時、何とも不愉快な気分だった。
高野と律がお互いに想い合っていることは、よく知っている。
それが不満で、律が気に入らなかった時期もあるが、今はもう違う。
恋する2人が同じ職場ではやりにくいこともあるだろうが、2人ともちゃんと仕事をこなしている。
高野の手腕は相変わらずだし、律のことも今は編集者として認めている。
それだけに今回のことだけはいただけないと思う。
というのも、律の作家デビューの仕方が、あまりにも普通と違うのだ。
編集者がこっそり自分でも執筆しているのは、珍しい話ではない。
だがいくらいい話を書いたとしても、やはり手順というものがある。
高野はそれを無視して、かなり強引に出版まで漕ぎつけた。
なぜそんなに急いだのか。
そこには恋心という余計な要素はなかったのか。
好きな相手の小説だから、売ってやりたいと思ったのではないのか。
だとしたら、ひどい公私混同だ。
今まで高野を信頼し、律のことも何とか認められるようになった。
そんな気持ちを裏切られたような気がしてならない。
その上、今まで限定DVDという手法を嫌っていた律が、自分の作品のDVD化には文句を言わない。
まったく気に入らない。
だからこそ、企画会議の後、たまたま出くわした律にからむようなことを言ったのだ。
「作家先生は、自分の作品だとDVDにするのも歓迎なんだな」と。
だが律はいつもと違っていた。
不敵な態度で横澤を睨み「その件について、聞きたいですか?」と言い放った。
「編集者としてなら、あやまります。先輩の横澤さんを怒らせたようですから。」
律はそこで一度言葉を区切ると、財布から小銭を取り出して、自販機に放り込んだ。
そしてボタンを押すと、取り出し口からペットボトルを取り出す。
その動作はまったくさりげないもので、横澤の嫌味など気にも留めていないという意思表示に見えた。
「作家としてなら、怒ってます。作品以外のことで、不当な評価をされたくないです。」
律は再び横澤に向き直ると、挑発的な視線を向けてきた。
横澤は思わぬ律の強気に、驚く。
今まで何度も嫌味を言ったが、こんな風に強気な態度で返されたことはないからだ。
作家としての自信というやつなのだろうか。
2人きりの喫煙スペースに、緊張が走る。
だがちょうど入ってきた3人目の人物によって、張り詰めた空気が破れた。
「よぉ」
横澤に軽く手を上げて入ってきたのは、ジャプンの編集長、桐嶋禅だった。
何かを言いかけていた律だったけど、かすかに苦笑いを浮かべて、口を閉ざす。
そして2人に無言で頭を下げると、ペットボトルを持って喫煙スペースを出て行った。
*****
「邪魔しちまったか?」
桐嶋は茶化すようにそう言いながら、横澤の隣に腰を下ろした。
横澤は顔をしかめながらも、吸っていたタバコの箱を桐嶋に差し出した。
「別に。大したことは話していない。」
桐嶋はタバコの箱を受け取ると、中から1本取り出すと、口に咥えた。
すると横澤が、ホステスよろしくライターで火をつけてくれる。
「ありがたいだろ?言い負かされてたし」
「って、聞いてたのかよ!?」
横澤が不機嫌そうに眉を寄せたが、桐嶋は薄く笑って受け流した。
実は律と横澤の会話はほとんど聞いてしまった。
桐嶋も高野と横澤と律の関係を知っている。
良好な関係とは言い難い2人がどんな会話をするのか、気になったのだ。
「あいつの小説、好評だな。俺も読んだけど、よくできてた。」
「別にそれは否定してねーよ。問題はあいつのデビューの仕方だ。」
「まぁな。高野も随分、葛藤したんだろうよ。」
「葛藤?」
不機嫌な横澤を、桐嶋が諌める。
高野が律をデビューさせた方法の強引さは、桐嶋も同意するところだ。
だがその理由についての考えは、横澤とは違う。
「こんな形で小野寺をデビューさせたら当然あちこちから文句は出る。高野もわかってる。」
それでもデビューに踏み切ったのは、色恋沙汰ではない。
単純に律の作品が売れると思ったからだ。
矢面に立たされるのは律で、現に今も横澤にからまれた。
それでも高野は、律をデビューさせた。
本来ならもっと時間をかけて、ゆっくりと律を育て、周囲を納得させたかったはずだ。
だが律の作品が、現在連載中の作品のスピンオフであることを考えると、時間の猶予はない。
漫画の連載と同時期に出して、相乗効果を得ることに意味があるのだ。
高野としては、まさに苦渋の決断だったのだろうと、桐嶋は考えている。
「まぁ、そういう考え方もあるか。」
横澤は不満そうに顔をしかめている。
だけど桐嶋の言葉に、納得したようだ。
何しろ高野は、かつて横澤を惚れさせたほどの男なのだ。
恋人を贔屓するより、編集長としてあえてつらい決断をしたという方が納得できる。
まして高野との付き合いの長い横澤に、異論があろうはずがない。
「だけど小野寺が、口ばっかり達者になるのはやっぱり気に入らねぇな。」
「わかってやれよ。作家ってのは、むずかしい生き物だ。」
それでもやはり悔しさを押さえられない横澤が、文句を言う。
桐嶋はその表情を「かわいい」などと思いながら、美味そうにタバコを吸い込んだ。
【続く】