花で一年
【08月:ヒマワリ(愛慕)】
やっぱりへこむ。
律はパソコンの画面を見ながら、ため息をついていた。
律の書いた短編小説が、ついにネットで公開され始めた。
ダウンロード数もまずまず、評価も悪くないと聞いている。
もちろん律は、それに自惚れるつもりはなかった。
なぜなら小説はすべて人気漫画のノベライズ。
律の筆力より、原作の魅力によるところが大きいことはわかっているからだ。
律はパソコンの画面を見ながら、ため息をついていた。
そしてその声が意外と大きかったことに気付き、慌てて辺りを見回す。
だが隣の木佐は席を外しているし、他のメンバーには気づかれずに済んだようだ。
律はホッと胸をなで下ろすと、再びパソコンに視線を戻した。
律が見ていたのは、自分の作品の評価をしている掲示板だった。
電子書籍のサイト中のレビュー欄には、褒める言葉が並んでいる。
だけど律はそれだけで納得できずに、読者のブログやファンサイトをチェックしていたのだ。
そして公式サイトにはない、辛辣な言葉が並ぶサイトを見つけた。
つまらん展開。
盛り上がらない。
行き当たりばったり感がぬぐえない。
ほんっとーマジないわー。などなど。
特に「名無しさん」と名乗る人たちが集まるこの掲示板は、とにかく手厳しい。
それにしても、今まで随分無責任だったな。
律はあまり綺麗ではない言葉が並ぶ画面を見ながら、ふと思う。
今まで律の担当の作家たちの中も、こういう批判的な意見に落ち込んだ者たちはいた。
だが律は彼らを励ますときに、あまり深く考えていなかったような気がする。
楽しんで読んでくださっている読者の方が多いんですよ。気にすることはありません。
我ながら、何て安直だったんだろう。
気にする必要はないなんて言われても、気になるに決まってる。
自分の作品に向けられた厳しい批評に「落ち込むな」という方が無理な話だ。
「小野寺、今日はよろしく頼む。」
不意に声をかけられた律は、慌ててパソコン画面の隅の時間を確認した。
今日はこの後、吉川千春の取材に同行することになっている。
担当の羽鳥が急に別の企画会議に出席することになったので、代理で律が駆り出されたのだ。
「わかりました。」
律は急いでパソコンの電源を落とすと、身支度を始めた。
羽鳥に声をかけてもらえなければ、危うく忘れるところだった。
作家として落ち込んで、編集者としての仕事に差し支えるなどあってはならない。
「行ってきます!」
律は勢いよく立ち上がると、編集部を飛び出した。
*****
「あ~、わかりますよ。俺もデビューしたての頃はかなり落ち込みました。」
吉野はうんうんと深く頷いた。
律が目をこれ以上なく見開いて驚いているのを見て、美人はどんな表情でも美人だと思った。
「すみませんね。付き合わせちゃって。」
吉野千秋は恐縮しながら、とある大学のキャンパスを歩いている。
現在連載中の作品のヒロインは高校3年生で、もうすぐ大学を受験する。
その大学のモデルにしようと選んだのが、この女子大だった。
2年ほど前に建て直しただけあって、真新しくて綺麗な校舎だ。
流石にいい歳の男が女子大をうろつくのは恥ずかしくて、羽鳥に同行を頼んだ。
だが並んで歩いているのは、エメラルド編集部の小野寺律だ。
羽鳥が急な会議で来られなくなって、代理で来てくれたのだ。
そのことに吉野はかなり恐縮していた。
律は今、編集者としての仕事をこなしながら、作家として小説も書いている。
つまりかなり忙しい身であるのは想像に難くない。
現にこうして歩いていても、何だか疲れた表情をしているような気がする。
「大丈夫ですか?疲れているみたいですけど。」
しばらくキャンパスを歩き回り、雰囲気を堪能した2人は大学内のカフェテラスにいた。
ヒロインが大学に合格したら、こういう場所でコーヒーを飲んだりもするだろう。
吉野はデジカメでカフェの雰囲気を撮影した後、律に声をかけた。
律は「すみません。疲れてるっていうか、ちょっと落ち込んでて」と答えた。
「実はここに来る直前に、自分の小説のことを悪く描かれているネットの掲示板を見たんで。」
吉野は正直に白状する律の態度に好感を持った。
はい、疲れてますと誤魔化すことをしないで、正直に気持ちを話してくれる。
そこに誠実さを感じたのだ。
「あ~、わかりますよ。俺もデビューしたての頃はかなり落ち込みました。」
吉野はうんうんと深く頷いた。
律が「吉野さんでも、ですか」と目をこれ以上なく見開いて驚いている。
驚くことがむしろ不思議だと吉野は思った。
どんな作品にだってアンチと呼ばれる人はいて、何らかのケチはつくものだ。
ネット上には「面白くない」とか「マンネリ」「ご都合主義」なんて批評は日常茶飯事だ。
ファンレター(?)の中には何でこんなにと言いたくなるほど攻撃的なものもある。
そもそもご都合主義じゃないフィクションなんて、あり得ないじゃないか。
「どうやって克服したんですか?」
律が身を乗り出してきたので、吉野は「ええと」と首を傾げた。
克服なんて、特に大それたことをしたつもりはない。
どんな人でも褒めてくれる作品なんかないと、割り切っただけのことだ。
「克服なんて無理です。やっぱり貶されるとつらいですから」
「じゃあどうしてるんですか?」
「それでも描きたいから描いてるんです。」
「強いですね。吉野さん。」
「どうでしょう?でもそれで面白いって言ってくれる人がいるから、それでいいと思ってます。」
吉野はコーヒーを飲みながら、照れくさい気持ちだった。
多分羽鳥がこのやり取りを聞いたら「何をえらそうに」と言うだろう。
実は吉野だって、未だに厳しい批評を見れば落ち込んで、羽鳥を手こずらせるのだ。
そんなにカッコよく、割り切っているわけでもない。
「俺はいいと思いますよ。小野寺さんの小説」
吉野は我ながら上から目線だと思いながらも、そう付け加えた。
一応物書きの先輩なのだから、後輩にアドバイスをしたっていいだろう。
その甲斐あったのか、律は「ありがとうございます」と笑ってくれた。
*****
「お前、わざとだろ」
会議室の席についた高野は、澄ました顔で隣に座る羽鳥に問いかける。
羽鳥は悪びれた様子もなく「バレましたか」と答えた。
律の小説がついに発売された。
漫画でなく小説を、しかも電子書籍サイト限定。
エメラルド編集部としては、かなりイレギュラーなことだった。
通常の仕事をしながら、そちらもこなすのだから、何だかんだで忙しい。
だがその甲斐はあったと、高野は思う。
律の小説は予想以上に売れていた。
1編が短く、読みやすく、安価であること。
携帯やスマートフォンから簡単にダウンロードできること。
何よりも話が面白いこと。
売れる要因はいくらでもあった。
だが厳しい評価もある。
特に多いのは原作のイメージを壊しているという意見だ。
中でも批判が集まっているのは「ヒマワリ ~愛慕~」という作品。
これは武藤雪菜の作品のスピンオフで、ある作品の脇役の少年と別の作品の脇役の少女の話だ。
同じ作者の別の作品の2人が偶然知り合って、何となく恋愛っぽい雰囲気に進んでいく。
武藤雪菜本人はこの設定を大いに喜び、絶賛してくれたのだ。
だがネットなどでは「あのCPまじあり得ないし」なんて、書かれていたりする。
律がそういうサイトを見て、元気がないことには気づいていた。
今日だって仕事の間中、何度も大きなため息をついていたのだ。
さてどうしたものかと、高野は少々困っていた。
編集者の仕事であるなら正解へ導けるが、作家としての壁は高野にも未知の領域だ。
だが高野が動く前に、羽鳥が動いた。
本当は今日、羽鳥は吉野の取材に付き合うはずだった。
だが急に高野が出席する企画会議に同席したいと言い出し、吉野の相手を律に任せたのだ。
明らかに律を吉野に同行させるように仕組んでいた。
「余計な事でしたか?」
「いや。助かった。」
羽鳥の言葉に、高野は短く応じた。
律がネットの評価に落ち込んでいたことは、羽鳥も気づいていたのだ。
だからこそ律を吉野に同行させることにした。
何故ならこの問題に関しては、吉野の方がずっと先輩だからだ。
吉野が律の悩みをうまく聞き出せるかどうかはわからない。
だが吉野がそれを知れば、それについての自分の考えを話すだろう。
聞き出せなかったとしても、それはそれでありだ。
律だって変な批評コメントと睨みあうよりも、広いキャンパスを歩き回った方が気分転換になる。
何もなくても、まぁあいつは勝手に元気になるんだろうが。
高野は負けん気の強い律の性格を思い出して、ほんの少し頬を緩めた。
一度やると決めたら、何が何でもやり遂げてしまうのが律なのだ。
高野たちが手を貸さなくなって、勝手に立ち直るに決まっている。
それでも吉野の話は、きっと今後の律にためになるはずだ。
「それでは会議を始めます。」
会議のメンバーが揃ったところで、会議開始の声がかかる。
高野と羽鳥は資料を開きながら、思考を切り替えた。
【続く】
やっぱりへこむ。
律はパソコンの画面を見ながら、ため息をついていた。
律の書いた短編小説が、ついにネットで公開され始めた。
ダウンロード数もまずまず、評価も悪くないと聞いている。
もちろん律は、それに自惚れるつもりはなかった。
なぜなら小説はすべて人気漫画のノベライズ。
律の筆力より、原作の魅力によるところが大きいことはわかっているからだ。
律はパソコンの画面を見ながら、ため息をついていた。
そしてその声が意外と大きかったことに気付き、慌てて辺りを見回す。
だが隣の木佐は席を外しているし、他のメンバーには気づかれずに済んだようだ。
律はホッと胸をなで下ろすと、再びパソコンに視線を戻した。
律が見ていたのは、自分の作品の評価をしている掲示板だった。
電子書籍のサイト中のレビュー欄には、褒める言葉が並んでいる。
だけど律はそれだけで納得できずに、読者のブログやファンサイトをチェックしていたのだ。
そして公式サイトにはない、辛辣な言葉が並ぶサイトを見つけた。
つまらん展開。
盛り上がらない。
行き当たりばったり感がぬぐえない。
ほんっとーマジないわー。などなど。
特に「名無しさん」と名乗る人たちが集まるこの掲示板は、とにかく手厳しい。
それにしても、今まで随分無責任だったな。
律はあまり綺麗ではない言葉が並ぶ画面を見ながら、ふと思う。
今まで律の担当の作家たちの中も、こういう批判的な意見に落ち込んだ者たちはいた。
だが律は彼らを励ますときに、あまり深く考えていなかったような気がする。
楽しんで読んでくださっている読者の方が多いんですよ。気にすることはありません。
我ながら、何て安直だったんだろう。
気にする必要はないなんて言われても、気になるに決まってる。
自分の作品に向けられた厳しい批評に「落ち込むな」という方が無理な話だ。
「小野寺、今日はよろしく頼む。」
不意に声をかけられた律は、慌ててパソコン画面の隅の時間を確認した。
今日はこの後、吉川千春の取材に同行することになっている。
担当の羽鳥が急に別の企画会議に出席することになったので、代理で律が駆り出されたのだ。
「わかりました。」
律は急いでパソコンの電源を落とすと、身支度を始めた。
羽鳥に声をかけてもらえなければ、危うく忘れるところだった。
作家として落ち込んで、編集者としての仕事に差し支えるなどあってはならない。
「行ってきます!」
律は勢いよく立ち上がると、編集部を飛び出した。
*****
「あ~、わかりますよ。俺もデビューしたての頃はかなり落ち込みました。」
吉野はうんうんと深く頷いた。
律が目をこれ以上なく見開いて驚いているのを見て、美人はどんな表情でも美人だと思った。
「すみませんね。付き合わせちゃって。」
吉野千秋は恐縮しながら、とある大学のキャンパスを歩いている。
現在連載中の作品のヒロインは高校3年生で、もうすぐ大学を受験する。
その大学のモデルにしようと選んだのが、この女子大だった。
2年ほど前に建て直しただけあって、真新しくて綺麗な校舎だ。
流石にいい歳の男が女子大をうろつくのは恥ずかしくて、羽鳥に同行を頼んだ。
だが並んで歩いているのは、エメラルド編集部の小野寺律だ。
羽鳥が急な会議で来られなくなって、代理で来てくれたのだ。
そのことに吉野はかなり恐縮していた。
律は今、編集者としての仕事をこなしながら、作家として小説も書いている。
つまりかなり忙しい身であるのは想像に難くない。
現にこうして歩いていても、何だか疲れた表情をしているような気がする。
「大丈夫ですか?疲れているみたいですけど。」
しばらくキャンパスを歩き回り、雰囲気を堪能した2人は大学内のカフェテラスにいた。
ヒロインが大学に合格したら、こういう場所でコーヒーを飲んだりもするだろう。
吉野はデジカメでカフェの雰囲気を撮影した後、律に声をかけた。
律は「すみません。疲れてるっていうか、ちょっと落ち込んでて」と答えた。
「実はここに来る直前に、自分の小説のことを悪く描かれているネットの掲示板を見たんで。」
吉野は正直に白状する律の態度に好感を持った。
はい、疲れてますと誤魔化すことをしないで、正直に気持ちを話してくれる。
そこに誠実さを感じたのだ。
「あ~、わかりますよ。俺もデビューしたての頃はかなり落ち込みました。」
吉野はうんうんと深く頷いた。
律が「吉野さんでも、ですか」と目をこれ以上なく見開いて驚いている。
驚くことがむしろ不思議だと吉野は思った。
どんな作品にだってアンチと呼ばれる人はいて、何らかのケチはつくものだ。
ネット上には「面白くない」とか「マンネリ」「ご都合主義」なんて批評は日常茶飯事だ。
ファンレター(?)の中には何でこんなにと言いたくなるほど攻撃的なものもある。
そもそもご都合主義じゃないフィクションなんて、あり得ないじゃないか。
「どうやって克服したんですか?」
律が身を乗り出してきたので、吉野は「ええと」と首を傾げた。
克服なんて、特に大それたことをしたつもりはない。
どんな人でも褒めてくれる作品なんかないと、割り切っただけのことだ。
「克服なんて無理です。やっぱり貶されるとつらいですから」
「じゃあどうしてるんですか?」
「それでも描きたいから描いてるんです。」
「強いですね。吉野さん。」
「どうでしょう?でもそれで面白いって言ってくれる人がいるから、それでいいと思ってます。」
吉野はコーヒーを飲みながら、照れくさい気持ちだった。
多分羽鳥がこのやり取りを聞いたら「何をえらそうに」と言うだろう。
実は吉野だって、未だに厳しい批評を見れば落ち込んで、羽鳥を手こずらせるのだ。
そんなにカッコよく、割り切っているわけでもない。
「俺はいいと思いますよ。小野寺さんの小説」
吉野は我ながら上から目線だと思いながらも、そう付け加えた。
一応物書きの先輩なのだから、後輩にアドバイスをしたっていいだろう。
その甲斐あったのか、律は「ありがとうございます」と笑ってくれた。
*****
「お前、わざとだろ」
会議室の席についた高野は、澄ました顔で隣に座る羽鳥に問いかける。
羽鳥は悪びれた様子もなく「バレましたか」と答えた。
律の小説がついに発売された。
漫画でなく小説を、しかも電子書籍サイト限定。
エメラルド編集部としては、かなりイレギュラーなことだった。
通常の仕事をしながら、そちらもこなすのだから、何だかんだで忙しい。
だがその甲斐はあったと、高野は思う。
律の小説は予想以上に売れていた。
1編が短く、読みやすく、安価であること。
携帯やスマートフォンから簡単にダウンロードできること。
何よりも話が面白いこと。
売れる要因はいくらでもあった。
だが厳しい評価もある。
特に多いのは原作のイメージを壊しているという意見だ。
中でも批判が集まっているのは「ヒマワリ ~愛慕~」という作品。
これは武藤雪菜の作品のスピンオフで、ある作品の脇役の少年と別の作品の脇役の少女の話だ。
同じ作者の別の作品の2人が偶然知り合って、何となく恋愛っぽい雰囲気に進んでいく。
武藤雪菜本人はこの設定を大いに喜び、絶賛してくれたのだ。
だがネットなどでは「あのCPまじあり得ないし」なんて、書かれていたりする。
律がそういうサイトを見て、元気がないことには気づいていた。
今日だって仕事の間中、何度も大きなため息をついていたのだ。
さてどうしたものかと、高野は少々困っていた。
編集者の仕事であるなら正解へ導けるが、作家としての壁は高野にも未知の領域だ。
だが高野が動く前に、羽鳥が動いた。
本当は今日、羽鳥は吉野の取材に付き合うはずだった。
だが急に高野が出席する企画会議に同席したいと言い出し、吉野の相手を律に任せたのだ。
明らかに律を吉野に同行させるように仕組んでいた。
「余計な事でしたか?」
「いや。助かった。」
羽鳥の言葉に、高野は短く応じた。
律がネットの評価に落ち込んでいたことは、羽鳥も気づいていたのだ。
だからこそ律を吉野に同行させることにした。
何故ならこの問題に関しては、吉野の方がずっと先輩だからだ。
吉野が律の悩みをうまく聞き出せるかどうかはわからない。
だが吉野がそれを知れば、それについての自分の考えを話すだろう。
聞き出せなかったとしても、それはそれでありだ。
律だって変な批評コメントと睨みあうよりも、広いキャンパスを歩き回った方が気分転換になる。
何もなくても、まぁあいつは勝手に元気になるんだろうが。
高野は負けん気の強い律の性格を思い出して、ほんの少し頬を緩めた。
一度やると決めたら、何が何でもやり遂げてしまうのが律なのだ。
高野たちが手を貸さなくなって、勝手に立ち直るに決まっている。
それでも吉野の話は、きっと今後の律にためになるはずだ。
「それでは会議を始めます。」
会議のメンバーが揃ったところで、会議開始の声がかかる。
高野と羽鳥は資料を開きながら、思考を切り替えた。
【続く】