花で一年
【07月:ユリ(不安)】
「小野寺君って、実は作家志望だったの?」
「え。。。いえ」
ぼんやりと車窓の風景を見ていた律は、一瞬反応が遅れてしまう。
慌てて声の主である先輩社員を見たが、彼は気にした素振りもなく笑っていた。
律は出張中の列車の中にいた。
同行するのは、先輩社員の美濃奏。
いやむしろ律の方が同行するというべきだろうか。
律が書いた短編小説の1つ「ユリ ~不安~」は、美濃の担当作品のスピンオフだ。
昨年一度連載を終えたが、最近また第2部が始まったばかりだ。
律の小説は、時系列的には1部と2部の間のお話。
想いを寄せる彼と付き合い始めたものの、幸せすぎて不安を感じるヒロインの葛藤を描いている。
高野や羽鳥、そして担当の美濃もよく書けていると評価してくれた。
だが肝心の作家が納得しなかった。
作品の良し悪しではなく、手法が気に入らないのだという。
普通ノベライズ作品は、まず企画段階で許可を得るのが筋だ。
いきなり作品を見せて、了承してくれだなんておかしいと。
もっともな主張だと、律も思う。
そこで地方に住む作家のところへ、担当の美濃と共に向かうところだった。
新幹線の2人掛けシートに並んで、律は気まずい沈黙に耐えている。
本当は美濃も作家と同意見なのだろうなと思う。
はっきりとは言わないが、何か不穏な雰囲気が伝わってくるのだ。
「小野寺君って、実は作家志望だったの?」
「え。。。いえ違います。これはたまたま趣味で書いていたのを、高野さんに見つかって」
美濃が笑顔で質問をしてくるのだが、心の底から笑っていないのがわかる。
だが律は気にしていない素振りで、冷静に返事をしていた。
「そう。でもそれは作家に言わない方がいいかもね。」
「ふざけてるって思われるってことですか?」
律は静かに聞き返した。
美濃がどう出るつもりかわからないし、高野がいないのが心細い。
今までは作家と話をするとき、いつも同席してくれていたのだ。
だが今日はどうしてもはずせない会議があるので、同行できないという。
でも高野が美濃と行くように指示したということは、自分がいなくても平気と思っているのだろう。
いや、むしろ1人で問題を解決して見せろということかもしれない。
それは律にとっても、望むところだった。
最初は戸惑っていたが、もう覚悟は決めた。
自分の小説が世に出る以上は小説家なのだ。
本業は編集者なのだとか、きっかけは趣味なのだと言い訳はしたくない。
筋道を誤ったことについては、しっかりと原作者に説明する責任があると思っている。
「決してふざけてはいないし、それはきちんと伝えます。」
「それだけじゃないんだけど」
「もちろんです。俺の作品は原作の魅力を引き出すものなんだって、わかってもらいます。」
「すごい自信だね」
「そんなつもりもないですが。でも原作者にとっても損はない話です。」
律はさらりとそう告げると、再び窓の外に視線を向けた。
自分の横顔に美濃の視線が張り付いているのを感じたが、それは無視だ。
ただただ流れる景色を見ながら、律は原作者にどう話を切り出そうかと考えていた。
*****
「よろしくお願いします。」
高野は頭を下げると、ゆっくりと席を立った。
会議はほぼ予定通りに進み、高野もその結果に満足していた。
律と美濃が新幹線で作家のところに向かっている頃、高野は会議に出ていた。
同席したのは、電子出版部門の担当者だ。
律の小説は紙媒体の本ではなく、パソコンや携帯電話向けの電子書籍として出すことになった。
そのための打ち合わせだった。
律の小説を出すに当たって問題になったのは、その文字数だった。
とにかく短いのだ。
12作の話を全て1冊の本にまとめても、かなり薄い本になるだろう。
高野は律に、もっと話を膨らませることはできるかと聞いた。
だが律の答えはノーだ。
律曰く、1つ1つの言葉を丁寧に選んでいる。
だからこれ以上足すことも引くこともできないとだと言う。
何をいっぱしにと思わないでもないが、これ以上言葉を足すのは無理というのも理解できた。
どの小説も確かに派手な描写もなく、わかりやすい文章で、的確に情景を伝えている。
過不足なくいいバランスで出来上がっているのだ。
それならばネット配信で公開するのはどうだろうか。
1話ずつならかなり安価で提供できるし、手軽だ。
ターゲットである若い女性にも受けるだろう。
それに月刊エメラルドの作品は、まだほとんど電子書籍化されていない。
これを機に電子書籍で出版するときのノウハウも、学んでおいて損はない。
打ち合わせは順調に進み、先のスケジュールも見えてきた。
大事な会議を終えた高野は、時間を確認する。
律と美濃はそろそろ作家のところに着いた頃だろう。
今回の律の小説について、他の編集部員たちが納得していないのはよくわかる。
だが羽鳥は真っ向から自分に意見をぶつけて来たし、木佐は迷いながらも受け入れている。
問題は美濃だった。
いつも通りの笑顔なのだが、相変わらず腹の内が読めない。
作家に説明に行く日を今日に決めたことに、高野は美濃の悪意を感じていた。
初めて電子書籍部門の担当者と打ち合わせすることは決まっており、外せないからだ。
こちらの会議を羽鳥に任せて、律たちと同行することも考えた。
だがそれではあまりに過保護すぎると、思い留まったのだ。
「まぁ小野寺も子供じゃないし」
高野は誰もいなくなった会議室で、ポツリと独り言をもらした。
作家としてデビューするなら、まだまだ困難は山ほどあるのだ。
美濃に何か言われたくらいでヘコむようなら、とても務まらない。
*****
「俺の作品は原作の魅力を引き出すものなんだって、わかってもらいます。」
後輩の編集部員にして、もうすぐ作家デビューを果たす青年は力強くそう言った。
美濃は思わず「すごい自信だね」とため息をついた。
また自分の悪い癖が出た。
美濃奏は内心苦笑しながら、事の成り行きを見守っていた。
高野や律は、自分が何か文句があるように見ているのかもしれない。
だがそんなことはなかった。
律が書いた短編は文句なく面白かったし、これで原作の漫画もまた脚光を浴びるだろう。
だが担当作家がゴネた。
企画の話もないのに、いきなり作品を持ってくるのはルール違反ではないかと。
それはもっともではあるが、おそらく作家はそんな正義感から文句を言っているのではない。
おそらくは嫉妬、そして危機感だ。
自分の作品の設定を生かして、ここまでの作品を書いてしまった律。
漫画と小説、ジャンルは違うが、そのセンスに脅威を感じたのだと思う。
作家を説き伏せるのは、美濃にとって容易いことだ。
怒る、宥める、もしくは地道に説得する。
方法だっていくつも思いつける。
だけどここで悪い癖が出たのだ。
曰く、すんなり決まっては面白くない。
律はどうやら作家として踏み出すことを迷っているようなのに、出版話だけが進んでいくのも滑稽だ。
だから「作家がゴネててね」と困った振りをしてみた。
まぁ高野さんが動くんだろうな。
美濃はどこか皮肉っぽくそう思っていた。
この件は高野の手腕で進んでいるからだ。
だが作家のところに説明に行くのに、美濃と同行するのは律だった。
確かに今日は大事な会議があるが、高野は何とか調整して一緒に来ると思っていた。
しかも律も何だか強気な発言をしている。
何と「俺の作品は原作の魅力を引き出す」なんて、生意気なことを言う。
さらに「原作者にとっても損はない話です」とは、大きく出たものだ。
そうか。だから高野は律を送り出したのか。
美濃は律の横顔を見ながら、苦笑していた。
どうやら律は作家としての覚悟を決めたらしい。
それならばこちらもターゲットを変えるまでのこと。
作家と編集者、二束のわらじを履くことになった律を観察している方が面白そうだ。
まずは作家をどう説き伏せるか、見させてもらおう。
美濃はエメラルド編集部員から恐れられている黒い笑みを浮かべた。
何も知らない律は、ぼんやりと窓の外の景色を眺めている。
【続く】
「小野寺君って、実は作家志望だったの?」
「え。。。いえ」
ぼんやりと車窓の風景を見ていた律は、一瞬反応が遅れてしまう。
慌てて声の主である先輩社員を見たが、彼は気にした素振りもなく笑っていた。
律は出張中の列車の中にいた。
同行するのは、先輩社員の美濃奏。
いやむしろ律の方が同行するというべきだろうか。
律が書いた短編小説の1つ「ユリ ~不安~」は、美濃の担当作品のスピンオフだ。
昨年一度連載を終えたが、最近また第2部が始まったばかりだ。
律の小説は、時系列的には1部と2部の間のお話。
想いを寄せる彼と付き合い始めたものの、幸せすぎて不安を感じるヒロインの葛藤を描いている。
高野や羽鳥、そして担当の美濃もよく書けていると評価してくれた。
だが肝心の作家が納得しなかった。
作品の良し悪しではなく、手法が気に入らないのだという。
普通ノベライズ作品は、まず企画段階で許可を得るのが筋だ。
いきなり作品を見せて、了承してくれだなんておかしいと。
もっともな主張だと、律も思う。
そこで地方に住む作家のところへ、担当の美濃と共に向かうところだった。
新幹線の2人掛けシートに並んで、律は気まずい沈黙に耐えている。
本当は美濃も作家と同意見なのだろうなと思う。
はっきりとは言わないが、何か不穏な雰囲気が伝わってくるのだ。
「小野寺君って、実は作家志望だったの?」
「え。。。いえ違います。これはたまたま趣味で書いていたのを、高野さんに見つかって」
美濃が笑顔で質問をしてくるのだが、心の底から笑っていないのがわかる。
だが律は気にしていない素振りで、冷静に返事をしていた。
「そう。でもそれは作家に言わない方がいいかもね。」
「ふざけてるって思われるってことですか?」
律は静かに聞き返した。
美濃がどう出るつもりかわからないし、高野がいないのが心細い。
今までは作家と話をするとき、いつも同席してくれていたのだ。
だが今日はどうしてもはずせない会議があるので、同行できないという。
でも高野が美濃と行くように指示したということは、自分がいなくても平気と思っているのだろう。
いや、むしろ1人で問題を解決して見せろということかもしれない。
それは律にとっても、望むところだった。
最初は戸惑っていたが、もう覚悟は決めた。
自分の小説が世に出る以上は小説家なのだ。
本業は編集者なのだとか、きっかけは趣味なのだと言い訳はしたくない。
筋道を誤ったことについては、しっかりと原作者に説明する責任があると思っている。
「決してふざけてはいないし、それはきちんと伝えます。」
「それだけじゃないんだけど」
「もちろんです。俺の作品は原作の魅力を引き出すものなんだって、わかってもらいます。」
「すごい自信だね」
「そんなつもりもないですが。でも原作者にとっても損はない話です。」
律はさらりとそう告げると、再び窓の外に視線を向けた。
自分の横顔に美濃の視線が張り付いているのを感じたが、それは無視だ。
ただただ流れる景色を見ながら、律は原作者にどう話を切り出そうかと考えていた。
*****
「よろしくお願いします。」
高野は頭を下げると、ゆっくりと席を立った。
会議はほぼ予定通りに進み、高野もその結果に満足していた。
律と美濃が新幹線で作家のところに向かっている頃、高野は会議に出ていた。
同席したのは、電子出版部門の担当者だ。
律の小説は紙媒体の本ではなく、パソコンや携帯電話向けの電子書籍として出すことになった。
そのための打ち合わせだった。
律の小説を出すに当たって問題になったのは、その文字数だった。
とにかく短いのだ。
12作の話を全て1冊の本にまとめても、かなり薄い本になるだろう。
高野は律に、もっと話を膨らませることはできるかと聞いた。
だが律の答えはノーだ。
律曰く、1つ1つの言葉を丁寧に選んでいる。
だからこれ以上足すことも引くこともできないとだと言う。
何をいっぱしにと思わないでもないが、これ以上言葉を足すのは無理というのも理解できた。
どの小説も確かに派手な描写もなく、わかりやすい文章で、的確に情景を伝えている。
過不足なくいいバランスで出来上がっているのだ。
それならばネット配信で公開するのはどうだろうか。
1話ずつならかなり安価で提供できるし、手軽だ。
ターゲットである若い女性にも受けるだろう。
それに月刊エメラルドの作品は、まだほとんど電子書籍化されていない。
これを機に電子書籍で出版するときのノウハウも、学んでおいて損はない。
打ち合わせは順調に進み、先のスケジュールも見えてきた。
大事な会議を終えた高野は、時間を確認する。
律と美濃はそろそろ作家のところに着いた頃だろう。
今回の律の小説について、他の編集部員たちが納得していないのはよくわかる。
だが羽鳥は真っ向から自分に意見をぶつけて来たし、木佐は迷いながらも受け入れている。
問題は美濃だった。
いつも通りの笑顔なのだが、相変わらず腹の内が読めない。
作家に説明に行く日を今日に決めたことに、高野は美濃の悪意を感じていた。
初めて電子書籍部門の担当者と打ち合わせすることは決まっており、外せないからだ。
こちらの会議を羽鳥に任せて、律たちと同行することも考えた。
だがそれではあまりに過保護すぎると、思い留まったのだ。
「まぁ小野寺も子供じゃないし」
高野は誰もいなくなった会議室で、ポツリと独り言をもらした。
作家としてデビューするなら、まだまだ困難は山ほどあるのだ。
美濃に何か言われたくらいでヘコむようなら、とても務まらない。
*****
「俺の作品は原作の魅力を引き出すものなんだって、わかってもらいます。」
後輩の編集部員にして、もうすぐ作家デビューを果たす青年は力強くそう言った。
美濃は思わず「すごい自信だね」とため息をついた。
また自分の悪い癖が出た。
美濃奏は内心苦笑しながら、事の成り行きを見守っていた。
高野や律は、自分が何か文句があるように見ているのかもしれない。
だがそんなことはなかった。
律が書いた短編は文句なく面白かったし、これで原作の漫画もまた脚光を浴びるだろう。
だが担当作家がゴネた。
企画の話もないのに、いきなり作品を持ってくるのはルール違反ではないかと。
それはもっともではあるが、おそらく作家はそんな正義感から文句を言っているのではない。
おそらくは嫉妬、そして危機感だ。
自分の作品の設定を生かして、ここまでの作品を書いてしまった律。
漫画と小説、ジャンルは違うが、そのセンスに脅威を感じたのだと思う。
作家を説き伏せるのは、美濃にとって容易いことだ。
怒る、宥める、もしくは地道に説得する。
方法だっていくつも思いつける。
だけどここで悪い癖が出たのだ。
曰く、すんなり決まっては面白くない。
律はどうやら作家として踏み出すことを迷っているようなのに、出版話だけが進んでいくのも滑稽だ。
だから「作家がゴネててね」と困った振りをしてみた。
まぁ高野さんが動くんだろうな。
美濃はどこか皮肉っぽくそう思っていた。
この件は高野の手腕で進んでいるからだ。
だが作家のところに説明に行くのに、美濃と同行するのは律だった。
確かに今日は大事な会議があるが、高野は何とか調整して一緒に来ると思っていた。
しかも律も何だか強気な発言をしている。
何と「俺の作品は原作の魅力を引き出す」なんて、生意気なことを言う。
さらに「原作者にとっても損はない話です」とは、大きく出たものだ。
そうか。だから高野は律を送り出したのか。
美濃は律の横顔を見ながら、苦笑していた。
どうやら律は作家としての覚悟を決めたらしい。
それならばこちらもターゲットを変えるまでのこと。
作家と編集者、二束のわらじを履くことになった律を観察している方が面白そうだ。
まずは作家をどう説き伏せるか、見させてもらおう。
美濃はエメラルド編集部員から恐れられている黒い笑みを浮かべた。
何も知らない律は、ぼんやりと窓の外の景色を眺めている。
【続く】