花で一年

【05月:カーネーション(純愛)】

「すごくいい作品だと思います。俺、感動して泣いちゃったんですよ」
キラキラと純粋な瞳で、彼は惜しみない賛辞を送ってくれる。
あまりのテンションに、律は少々圧倒されながら「ありがとうございます」と答えた。

丸川書店の会議室で、律はエメラルドの担当作家、吉川千春こと吉野千秋と向かい合っていた。
編集長の高野と、副編集長にして吉野の担当編集の羽鳥も同席している。
会議の議題は、律が書いた小説。
もっと言うと、吉野の作品の登場人物を使って書いた小説だ。

事の発端は、1ヶ月ほど前のこと。
律が秘かに書き溜めていた小説が、高野の目に触れてしまった。
それを読んだ高野は、これを世に出そうと言い出したのだ。
律としては、あくまで趣味のものであり、これに商業的に価値があるとは考えられない。
だが高野は戸惑う律を尻目に、上層部に根回しを始めた。
そして最終的には、作家の了解が取れればよしというところにまで漕ぎつけてしまったのだ。

律の作品は毎月の季節の花をテーマにした全12作の短編集だ。
最初の作品は、一之瀬絵梨佳の漫画をモチーフにしたスピンオフ。
一之瀬は概ね好意的で、作品の発表を許可してくれた。
そして今回は、2作目。
吉川千春のスピンオフ作品を、作者本人に判定してもらうことになった。

律はひどく落ち着かない気分だった。
自分の作品が発表されることが、何だか現実とは思えないということもある。
だがそれ以前に、これでいいのだろうかと思う。
律の作品は二次創作、つまり売れっ子作家の作品のキャラや世界観を無断借用したものだ。
そんなパクりとも言える作品を発表するなんて、ひどいインチキではないかと思うのだ。

それでもきっぱりとことわらないのは、律の中に芽生えたささやかな野心だ。
律は本を読むのが大好きだし、編集者として本に関わることに誇りを持っている。
自分の手で物語を綴るということは、それ以上に本に関わるということだ。
恐れ多いことだと思うが、同時にワクワクする。
もし自分の書いた物語を認めてもらえるとしたら、これ以上の幸せはない。

「俺はすごくいいと思います。小野寺さんって作家の才能もあるんですね!」
吉野は相変わらず、眩しいほどの賞賛を浴びせてくれる。
嬉しいけれど、素直には喜べない。
こんなに安易に作家と名乗っていいのだろうか?

「ありがとうございます。気に入っていただけてよかったです。」
律は静かに微笑しながら、頭を下げた。
表面上はあくまでもにこやかな表情を作るが、やはりどうしても割り切れなかった。

*****

「高野さん、ちょっとお話が」
会議が終わり、吉野は自宅へ、律はエメラルド編集部へと戻っていく。
羽鳥は高野にだけ聞こえるように、耳元でそっと声をかけた。

「小野寺の作品、よくできていると思います。」
2人きりになった会議室で、羽鳥は開口一番、そう告げた。
タイトルは「カーネーション ~純愛~」だ。
吉野が現在連載中の作品のヒロインは、昔付き合っていた元カレがいる設定だ。
その元カレが、ヒロインと現在両片想い中の青年の関係をかき回し、読者をヤキモキさせている。
律の書いた小説は、時系列を少し戻して、ヒロインと元カレの恋愛を書いていた。
原作では嫌われキャラの元カレは、一途で不器用な少年として描かれている。
これで作品に深みが出たことは間違いがないのだが。

「でも、こういうやり方はどうなんでしょうか。」
羽鳥は慎重に言葉を選びながら、そう告げた。
今まで高野のやり方に不満をもらしたことはなかった。
高野の手腕は、いつだって的確だったからだ。
多少強引でも、最後には結果を残して、エメラルドを人気雑誌に押し上げた。

だが今回ばかりはいただけない。
普通漫画のノベライズ版を作る場合は、漫画の作家と小説の作家が打ち合わせをすることから始まる。
同じテーマで作っているのに、世界観がズレてはまずいからだ。
いきなり原作というべき漫画作家、この場合は吉野にことわりもなしに小説が出てくるのはおかしい。
確かに口を挟む余地がないほど、綺麗に吉野の作品にはまるように仕上がってはいる。
だからと言って、正しい手順を踏まないやり方はどうにもいただけない。

「別に小野寺を特別扱いしたわけじゃない。」
高野は単刀直入に、羽鳥が一番知りたいことを答えた。
羽鳥は実は疑っていたのだ。
高野と律が親密な関係にあることは、もはやエメ編内では暗黙の了解事項だ。
つまり高野は、律の作品だからこんな掟破りの超法規的措置を取ったのではなかろうかと。

「出来上がった作品を読んだんだ。面白いと思った。売ればエメラルドにもプラスになると思った。」
「それだけですか。」
「もちろんだ。もし小野寺の作品でなかったとしても、結果は同じだ。」
流石は高野、羽鳥の疑問はお見通しだったらしい。
羽鳥は短く「了解しました」と答えた。

完全に納得したわけではない。
やはり作家を、吉野をないがしろにされたような気がしてならない。
だけど編集長が信念を持って進めている企画なら、文句をいうこともないだろう。

*****

「小野寺さんの小説、ホントにいい作品だよね~」
吉野は羽鳥が作ってくれた夕食を頬張りながら、テンション高くそう言った。
羽鳥はいつもの通りの冷静さで「気に入ったか?」と聞き返した。

吉野は今日の昼、丸川書店に出向いた。
新人編集、小野寺律の手によって書かれた小説の評価のためだ。
吉野はそれをすごく気に入っていた。

吉野の作品内では描かれなかったヒロインと元カレの恋のお話。
軽やかで読みやすい文章で、定番のラブストーリーなのに飽きることなく読み進めることができた。
しかも内容はドキドキ満載だ。
何よりも吉野の作品の世界観やキャラの性格を、きちんと把握して書いてくれているのがいい。

吉野には、ないがしろにされたなんていう発想はない。
むしろありがたいくらいだ。
読者からのファンレターなどで、ヒロインと元カレはどんな恋をした?なんて質問が書かれていたりする。
それを何となくしか設定していなかった吉野は、頭を抱えたのだ。
律の小説は、そんな吉野から荷物を引き取ってくれたようなものだ。
吉野にとっては、いいことばかりだった。

「すごく気に入ったよ!小野寺さんってすごいね。」
吉野は元気に頷くと、羽鳥の自信作の卵焼きを口に放り込み「美味い」と叫ぶ。
今日の吉野はすごぶるご機嫌だった。

「まぁお前がそうなら、俺が文句をいうものではないな。」
「文句?あの小説、面白かったじゃん!何が不満なの?」
羽鳥の気持ちなど知らない吉野は、思わず声を上げた。
吉野にとっては、ただただ面白くてありがたい小説なのに。
今1つノリの悪い羽鳥の態度に、首を傾げる。

「大人の事情だ。本を出すにはいろいろと決まり事があるんだ。」
「変なの。面白ければ、それが一番じゃないの?」
「まったくお前が羨ましいよ。」

羽鳥は盛大にため息をつきながら、苦笑していた。
同じ年齢なのに妙に大人ぶる羽鳥が、少し癪に障る。
だけど羽鳥特製の美味しい夕飯に免じて、大目にみてやることにした。

【続く】
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