真夜中5題

【たすけて】

「エメラルド編集部よ!」
誰からともなく発せられた声に、喧騒が破られた。
途端に女子社員から黄色い歓声が巻き起こり、会場中が注目した。

「久しぶりだね!」
木佐翔太は、パーティ会場に見知った顔を見つけて、声をかけた。
今日は丸川書店の社員と作家などが一堂に集まるパーティだ。
創立何周年記念だとか言っていた気がするが、そちらにはさほど興味がないのでよく覚えていない。
広いホールを借り切って、とにかくたくさんの人が集まっている。
毎年の新年会にだってかなりの人が集まるが、その比ではないほどの盛況ぶりだ。
丸川書店は大きな会社なので、知らない社員の方が圧倒的に多く、招待客についてもまた然りだ。
こんな状況で、かつての同僚と会えたのは奇跡と言えるだろう。

「本当に、久しぶり」
木佐に笑顔で答えたのは、美濃奏だ。
かつてエメラルド編集部で一緒に働き、何度も共に修羅場を切り抜けた。
この上ないほど同じ時間を過ごしてきたにも関わらず、部署が変わればもう顔を合わせる機会はほとんどない。
寂しいけれど、それが会社員の宿命だった。

木佐と美濃は、簡単にお互いの近況を語り合った。
美術誌に異動になり、今までとはまったく違う環境に戸惑いながらも何とかやっている木佐。
そしてやはり少女漫画とは全然関係ないIT関連の月刊誌で、順調に実績を重ねている美濃。
お互いに充実した日々を送っているのは、表情でわかる。
その後しばらくエメラルド編集部時代の思い出話をしていると、入口付近がにわかにザワザワと騒がしくなった。

「エメラルド編集部よ!」
誰からともなく発せられた声に、喧騒が破られた。
途端に女子社員から黄色い歓声が巻き起こり、会場中が注目した。
会場に入ってきたのは、言わずと知れたかつての後輩と彼が率いる編集部だ。
かつて初々しい新人編集だった小野寺律は、今や押しも押されぬ立派な編集長だ。
白の女王などと異名をとる律は、編集部員たちを従えて颯爽と会場入りしていた。

「よくもまぁ、高野、羽鳥っていう2大編集長の後任を引き受けたよねぇ」
美濃はそんな律を見ながら、しみじみとした口調でそう言った。
その言葉に木佐はふとこの男はどうしてエメラルドから異動したのだろうかと思う。
美濃が異動しなければ、今の編集長はおそらく律ではなくて美濃だ。
もしかして敏腕で有能と名高い高野、羽鳥の後を継ぐのを避けたのだろうか?
いかにもそんな打算が働きそうな男ではある。
だけどきっと問いかけても、答えないだろう。
木佐がなぜ美術を志望したのか、誰にも言わないのと同じように。

「じゃあ、そろそろ行くよ。お幸せに」
美濃は会場の中央で、にこやかに関係者に挨拶をしている男にチラリと意味ありげな視線を送った。
大勢の中でひときわ目立つオーラを発しているのは、最近新進気鋭の画家として頭角を現している雪名皇。
木佐が美術に異動することになったきっかけであり、現在は一緒に暮らす恋人。
今や木佐にとって、公私ともに助けて、助けられる大事なパートナーだ。

「お見通しかよ。」
木佐は手を振りながら去っていく美濃の後ろ姿に向かって、そう呟いた。
知らないふりして、しっかり見てる。
そういう男なのだ。

感傷や思い出に浸っている場合じゃない。
業界関係者も多く来ているのだから、しっかりと売り込まなくては。
木佐は人混みをかき分けながら、無駄に目立っている雪名の方へ向かった。

*****

「漫画部門、吉川千春先生です!」
高らかに名前を呼ばれて、吉川千春こと吉野千秋がマイクの前に立った。
何となくそちらを向いた羽鳥は、思わずあんぐりと口を開けて、その姿を凝視した。

丸川書店の創立70周年の記念パーティは、盛大に開催されていた。
羽鳥ももちろん参加している。
冒頭に社長が「社員のみなさんは仕事のことは忘れて楽しんでください」などと言っていたが、無理な話だ。
関係者なども招待されているのだし、人脈作りのチャンスなのだ。
世話になっている関係者には挨拶をして、これを機に出会えた関係者とは名刺を交換する。
そんな慌ただしい時間が終わった頃、会は表彰式の時間になった。

「今年度上半期の売上部数上位の作家の方々を表彰いたします!」
司会を務める社員がマイクを手に、場を盛り上げるべくノリノリで宣言する。
パーティの参加者たちは、一斉にそちらの方向を見た。
表彰されるメンバーはもう事前に知らされている。
作家の宇佐見秋彦、そして少年漫画作家の伊集院響、少女漫画作家の吉川千春だ。

「トリ、たすけて~!俺、パーティで壇上に上がるなんて無理~!」
このことが決まったとき、吉野は羽鳥に弱音を吐いた。
羽鳥が担当編集だった時、吉野はその手のイベントは徹底的に避けてきた。
そもそも自分の素性さえ、隠してきたくらいなのだ。

だが今回はそうもいかないらしい。
吉川千春が男であるという事実は、少しずつだが知られ始めている。
やはり漫画が売れて、アニメ化、ドラマ化などすれば打ち合わせする関係者も増える。
今ではファンの間でも、噂になり始めていたのだ。
このままでは吉川千春のイメージが壊れることにもなりかねない。
そこで今回、律は何やら策を考えているらしいのだ。

「律っちゃん、欠席は許さないって言うんだよ!」
「なら諦めろ。今の俺はもうエメラルド編集部とは関係ないからな。」
すがってこられても、羽鳥にはもう権限はない。
そして今日、この日を迎えたわけなのだが。

「漫画部門、吉川千春先生です!」
高らかに名前を呼ばれて、吉川千春こと吉野千秋がマイクの前に立った。
何となくそちらを向いた羽鳥は、思わずあんぐりと口を開けて、その姿を凝視した。
そんな羽鳥の驚きとは裏腹に、吉野には「かわいい~♪」と黄色い声が飛んでいる。

吉野はものの見事に、変身していた。
黒いジャケットとパンツ、インナーは白いTシャツ。
これだけだとシンプルな装いだが、とにかくゴテゴテと飾りたてている。
ポケットチーフとネックレスやブレスレット、チェーンタイプのベルトなど。
そしていつも洗いっぱなしでボサボサの髪は、多分ムースで固めたのだろう。
特に髪型は変えていないが、ふんわりとボリュームのある感じに仕上がっていた。
極めつけはメイクだ。
キッチリとアイメイクがされていて、派手な印象になっている。
イメージ的にはヴィジュアル系のミュージシャンといったところか。
とにかく中性的でかわいらしい姿に、会場から黄色い声が飛んだ。

別人のような姿になった恋人に、羽鳥は唖然としながら、同時に納得していた。
なるほど、これが律の作戦ということか。
吉野の素性を隠せないなら、逆に演出してしまえばいい。
年齢不詳、性別不詳の、綺麗なイメージで固めてしまう。
実は30半ばのおっさんでしたなんてオチより、全然いい。
その証拠に、少し離れた場所から吉野を見守る律はしてやったりという表情だ。

さすが敏腕編集長と言いたいところだが、羽鳥としては素直に喜べない。
これで人気など出てしまえば、また吉野に近づく不埒な輩が増えるかもしれないからだ。
吉野は何だかんだ言って、無駄にモテる。
しかも吉野は自分に言い寄る人物には、ひどく無頓着なのだ。

これは少し警戒した方がいいだろう。
羽鳥は拍手を受けて困ったように笑う吉野を見ながら、そう決意した。

*****

ったく、困ったもんだ。
高野は助手席でスヤスヤと寝息を立てる恋人を睨み付けた。

創立70周年の記念パーティは大盛況のうちに終わった。
その後、高野の雑誌で仕事をしてくれるカメラマンやライターを送り出して、ようやく一段落した。
そしてようやく帰れるというときになって、律が声をかけてきたのだ。

「高野さん、車でしょ。乗せてってください。」
さっきまで敏腕編集長だった律は、すっかり恋人の顔になっている。
確かに高野は車で来ていたし、律を乗せて帰るつもりだった。
だがこうまで当然という顔をされると、何だかしてやられたような気になる。

「はいはい、お送りします。白の女王様」
高野はおどけて、そう言い返した。
白の女王。それは編集長になった律についた異名だ。

確かに今日の律は、女王様のようだった。
高野が編集長だった頃は、エメラルドにはなぜか美形の編集部員ばかりが集まっていた。
だから全員が一緒に行動するときそれなりに目立ったが、それはあくまで集団でのこと。
だが今のエメラルドは、ごく普通の容姿の者ばかり。
だから今日のように編集部でまとまっていると、律の美貌が目立つのだ。
本当に女王様とそのとりまきたちという感じだった。

「当然でしょ。さっさと案内してください。。」
律は悠然とそう言い放つ。
まったく再会したばかりの頃は、なかなか車には乗りたがらなかったのに。
今やエスコートさえ要求してるのか。
だがすっかり女王様が定着した律は、気高く美しい。
元々社長の息子に生まれついた律は、本当は人になにかをやってもらうことに慣れている。
女王様のような振る舞いは、何気に板についていたりするのだ。

「吉野さん、すごいイメチェンだったな。」
車を発進させるなり、高野はパーティの話題を口にした。
助手席の律は「そうでしょ」と不敵な笑みを見せた。
吉川千春の新しいイメージ作り。
高野や羽鳥だったら、あの人見知りの作家にあんな格好をさせるのは無理だっただろう。

「吉川千春のイメージアップ作戦です。これでまた本が売れるといいんですけど。」
「いいんじゃねーの?その何が何でも本を売ってやるぞ感。編集長には必須だ。」
「そうなりますって。高野さんだってそうでしょう?」
「俺の方はビジネス誌だから。そういうトリックみたいなのは効きにくいんだよな。」
「トリックとは失礼ですね。作戦勝ちですよ。」

律は言葉使いこそていねいだが、口調は強気だった。
つまり少しも迷いなどないのだ。
まったく頼もしい編集者に成長したものだ。

「あ、俺、疲れたんで少し寝ます。着いたら起こしてください。」
律はいきなりそう宣言すると、目を閉じてしまった。
あまりにも唐突な言葉に、高野は思わず「ああ!?」と声を上げる。
だが次の瞬間、律の首がカクンと揺れた。
どうやら本当に瞬殺で眠りに入ってしまったらしい。

ったく、困ったもんだ。
高野は助手席でスヤスヤと寝息を立てる恋人を睨み付けた。
まったく新人の頃のあの初々しさはどこに行ったのだろう?
何だかたすけてやりたいような、いじめてやりたいような、あのツンデレは消えてしまったのか。

でも疲れる気持ちもわかる。
白の女王だの、破壊神だのと呼ばれ、いつも強気に気を張っている。
それでいて吉野たち作家には、常に細やかに気を配っているのだ。

まぁ女王様の寝顔を見ることは許されているわけだし。
高野は自分にそう言い聞かせながら、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
疲れている律を起こさないように、細心の注意を払う。
たくましくなっても、かわいい恋人をたすけてやりたい気持ちは変わらない。
今はとにかく安全に、2人の部屋に急ぐことにする。

【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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