…したい10題

【触りたい】

触りたい。
この顔に、この身体に、このかわいい存在に。

高野政宗は律を腕に抱え込んだまま、鍵を取り出し、自室のドアを開けた。
半ば引きずるような勢いで、律を室内に引き入れる。
そして鍵をかけると、靴も脱がないうちに唇を寄せ、くちづけた。
律は驚いて「んんっ」と声を上げながら、身を捩る。
壁にもたれながらズルズルとくずれて落ちてしまいそうだ。
だが高野はしっかりと律の身体を抱き込んで、離さなかった。

「た、高野さん」
角度を変え、何度もくちづけられた律の身体から次第に力が抜けていく。
本当はこのままベットに倒れこんで、身体を重ねてしまいたいと、高野は思う。
とにかく律が足りないのだ。
触りたい。この顔に、この身体に、このかわいい存在に。
だがさすがに瀕死の重傷を負って退院したばかりの今、抱くのはダメだろう。
それでは律の身体が壊れてしまう。

「高野、さん、痛い、です。。。」
息も絶え絶えになった律が、身を捩って訴える。
知らないうちに抱きしめる腕に、力が入ってしまったらしい。
まだ完治していない傷が痛んだのだろう。
高野は慌てて律から離れると、律はその場に座り込んでしまった。
高野が「悪い。大丈夫か?」と、心配そうに律の顔を覗き込む。
律が「平気です」と小さく答えると、高野はホッとした表情になった。

「帰らないでくれないか?」
高野が律に手を差し伸べながら言った言葉は、弱々しいものだった。
普段の強引でやり手の編集長からは想像もつかないものだ。

切なくて、胸が痛い。
こんなに弱った高野を初めて見た律は、混乱しながらそう思った。
そしてごく自然に、差し伸べられた高野の手に自分の手のひらを重ねていた。

*****

「あの、いろいろとご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。」
律は深々と頭を下げた。
身体を曲げた瞬間、傷が痛んだが、唇を噛みしめてこらえた。

「よく休めたか?」
高野はそう言いながら、手でソファを示して律に座るように促した。
律は小さく頷くと、ソファに腰掛けた。
高野もその横にどっかりと腰を下ろして、律の横顔に視線を投げる。

「おかげさまで、日頃の寝不足も解消したかもしれません。」
「かわいい婚約者もつきっきりだったしな。」
場の空気を軽くしようとした律だったが、思わぬ答えに驚いた。
杏が病院にずっといたことを、なぜ高野が知っているのか。
それはつまり、高野は病院に来ているのだ。
多分律の意識のないときに。

「高野さん、病院にいらしたんですか?」
律の質問に、高野は苦笑した。
退院したばかりで、身体も本調子ではない律に八つ当たりのようなことを言ってしまった。
自分の子供っぽさに、呆れるしかない。

「彼女はもう婚約者じゃありません。それに。。。」
律がその端整な顔を歪めて、言いよどんだ。
顔は少し痩せたようだし、顔色もよくない。
高野は痛ましく思う心を押し隠しながら、律の言葉を待った。
2人とも視線を前に向けたまま、沈黙が流れる。

「俺、また彼女を傷つけました。」
律は静かにそう言うと、ため息をつく。
「俺、意識が戻るまで、ずっと先輩の夢を見てて。」
高野は驚いて、律の横顔を見た。

「俺、何度も呼んだみたいです。嵯峨先輩って誰?って泣かれました。」
そう言われて、高野は思い出す。
最初に律を見舞った夜、律はうわ言のように何かを言っていた。
律はあの時も嵯峨政宗-高野を呼んでいたのだろうか?

*****

「仕事帰りに何回か病院に行ったんだ。でも時間が遅くて、お前は眠っていた。」
今度は高野が口を開いた。
編集長である高野はただでさえ多忙なのだ。
その上律が抜けてしまったのだから、目が回るほどの忙しさ。
ようやく一日の仕事を終えて病院に行っても、消灯時間は過ぎている。

「いつもあの子がお前のそばにいた。」
「それは」
「わかってる。でも俺は仕事もあるからずっと付き添うなんてできない。」
「・・・・・・」
「そもそも同じ男だし、お前が好きだなんておおっぴらにできない。付き添う権利もない。」
「高野さん」
言葉の間から、高野の苦しい気持ちが零れて落ちた。

「でもお前は今はここにいるから。それだけでもういい。」
高野は腕を伸ばして、律の肩を抱き寄せた。
髪をなで、頬に触れる大きな手に、律の緊張も解けていく。
律は高野に身体を預けながら、小さく「はい」と答えた。

「今日は泊まっていけよ。」
「え?でも俺、まだ傷が。」
「バカか?さすがに今日はしねーよ。」
高野にしてみたら、ただ単に律に触れていたいだけだった。
だが律は身体をつなげることを連想してしまったようだ。
顔を赤くした律が、オロオロと顔を伏せた。

「お望みなら、抱くけど。」
「結構です!でも。。。」
からかう高野の口調は、もういつもの高野のものだった。
律もまたいつもの口調で応じる。

「でも今日は泊めてください。」
恥じらいながらそう告げた律を、高野はフワリと抱きしめた。
律は本当に自分のところに帰ってきた。
高野は心の底から、そう思うことができた。

【続く】
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