真夜中5題
【昨日か今日か/今日か明日か】
あまりにも予想外な唐突さに、吉野は「へ?」と間の抜けた声を上げた。
どうしてそうなるのか、まったく理解できなかったのだ。
律は吉野の部屋に来て、ネーム原稿のチェックをした。
今回は吉野的にも会心の出来だったし、原稿を見た律も「いいですね」と言った。
コマ割りと、セリフ回しを少し変更するだけで、一発OK。
吉野にしては久々の快挙だ。
「ちょうどよかったです。聞いてほしいことがあって。」
打ち合わせが予定より早く終わった後、律はそう切り出した。
それを聞いた吉野は思わず身構えた。
律が異動の内示を受けたことは、羽鳥から聞いて知っている。
ついにその話をされるのだと思った。
覚悟はしていた。
律のことは信頼しているし、このままずっと一緒にやっていけたらいいと思う。
だけど律には律の未来や希望があるだろう。
寂しいけど、ここは笑って「今までありがとう」って言おう。
だが「あのですね」と身を乗り出した律は、吉野の予想とはまったく違うことを言った。
「次回作は絶対、スポ根モノにしましょう!」
律は勢い込んで、宣言する。
あまりにも予想外な唐突さに、吉野は「へ?」と間の抜けた声を上げた。
どうしてそうなるのか、まったく理解できなかったのだ。
なんでスポ根なのか。
そもそも現在の連載はまだまだ序盤なのに、なぜ次回作の話になるのか?
「意味が、わからないんだけど。」
吉野は恐る恐る聞き返した。
律があまりにも当然という顔をしているので、話の展開が理解できない自分が悪いのかという気になったのだ。
すると律が「すみません。説明が足りなくて」と苦笑する。
ああ、ちゃんと説明してくれると思ったのもつかの間。
律はテーブルに身を乗り出すと、勢いよく捲し立て始めた。
「スポーツにかける青春って、やっぱりステキじゃないですか!」
「え?」
「一生懸命練習して、仲間で頂点を目指す。ギリギリの勝負で、強い敵を倒す!」
「は、はぁ」
「主人公が日々成長していく姿もいいと思います!昨日か今日か、今日か明日か。そういう。。。」
「ちょ、ちょっと待って、律っちゃん!」
吉野は慌てて遮った。
何だか妙にテンションが高い。
これ以上聞いていたら、頭がクラクラしそうだったのだ。
いや次回作だのスポ根だのの前に、根本的な話が抜けている。
「いやスポ根モノはいいけどさ。その頃、律っちゃんはエメ編にいないんじゃないの?」
「え、何でです?」
「異動するって。。。」
「ああ、それはことわります。」
「えええ~~~!?」
ドサクサにまぎれて、かなり大事なことをあっさりと言われてしまった。
吉野は完全に混乱しながら「そっちの話を先にしない?」と提案した。
*****
「どうやら俺たちを倒すつもりらしい。」
倒すとはまた不穏な言葉だと思う。
だが当の高野は、妙に嬉しそうだ。
吉野が律に驚かされ、混乱していた頃。
羽鳥は高野と共に、会議室にいた。
表向きは、引き継ぎ事項の相談。
かつて編集長としてエメ編を去った高野に、そのノウハウを確認したい。
だが本当に確認したいことはそれではなかった。
「小野寺が文芸への異動をことわって、エメ編に残ると言い出しました。」
「ああ。そうだってな。」
「やっぱり御存知でしたか。」
それならば話は早いと、羽鳥はホッとした。
羽鳥が迷い、相談したいのは、律のことだ。
律の希望をそのままかなえていいのかどうか、羽鳥は決めかねていた。
「編集長ってのをやってみたい。小野寺はそう言いました。」
「ああ。俺もそう聞いてる。何か問題があるのか?」
「止めなくていいのかと迷っています。あいつの将来を考えたら、今文芸に行けるのはチャンスだと思うので」
元々文芸は、律が希望していたところだ。
そして希望してもなかなか行けない場所でもある。
何しろエメラルドなどとは違い、年齢の縛りがない。
つまり長く続ける人間が多いので、異動なども少なく、なかなか空きが出ないのだ。
今ここでことわったら、次にいつ行くチャンスが廻って来るものなのか。
それに律はやはり吉野のために残ったのではないかという気もしている。
吉野は人見知りで、とにかく初対面の人間と打ち解けるのに時間がかかるのだ。
新しい編集になれば、それなりに作品に影響するのではないかと思う。
律はそれも考えたのではないだろうか。
「そこまで心配させて、悪いな。」
高野は、亭主よろしくそう答えた。
おそらく羽鳥の心配も予想していただろう。
そして「でも大丈夫」と苦笑する。
「どうやら俺たちを倒すつもりらしい。」
倒すとはまた不穏な言葉だと思う。
だが当の高野は、妙に嬉しそうだ。
律の成長が頼もしくてかわいいというところか。
「編集長になって、俺とお前よりも実績を上げる。それが新しい目標だとさ」
「高野さんだけじゃなくて、俺もですか?」
「昨日か今日か、今日か明日かってな。」
つまり昨日が高野、今日が羽鳥、そして明日が律ということらしい。
昨日と今日を越えるために、律は新しい明日を創ろうとしている。
「だとしたら『今日』はもっと頑張らないといけませんね。」
羽鳥は静かにそう答えた。
そういうことなら、心配はないだろう。
よりよい「明日」のために「今日」を頑張るだけだ。
*****
「何がなんでも描いてもらいますから!」
律が凄むと、吉野は「うっそ~~!?」と悲鳴に近い声を上げる。
だけど律としては、絶対に引く気はなかった。
「それで高野さんとトリを倒すのはわかったけど、で、なんでスポ根なの!?」
吉野は不思議そうに、首を傾げている。
たった今、律は自分の野望を吉野に語ったところだった。
そしてその野望の第一歩がスポ根なのだ。
スポ根とはスポーツと根性を合成した、スポーツ根性ものの略語。
漫画やアニメにおけるジャンルの1つだ。
たかが漫画であっても、その影響力は侮れない。
過去にある有名なバスケ漫画が大流行し、全国の高校でバスケ部員が急増したという。
また現在プロサッカー選手の多くは、ある漫画を読んでサッカーを始めたなんていうのがかなりいるのだ。
ちなみに吉野は、これに手を出したことはない。
理由は簡単、テーマにしたスポーツを熟知していないと描けないからだ。
ルールの細かい部分など、ちょっとでも間違えていると、すぐに読者からクレームが来る。
つまりデット入稿常習者の吉野には、ハードルが高すぎるのだ。
「これを見てください!」
律は吉野の前に、1枚の紙片を差し出した。
書かれているのは、順位表。
某電子書籍サイトの、コミックの売上ランキングだ。
ここのサイトは電子書籍の特性を生かして、日毎や週毎のランキングが即座に出る。
ちなみに律が持って来たのは、昨日のランキングだ。
「ベイビーステップ、ダイヤのA、ハイキュー、弱虫ペダル。。。何、これ?」
吉野が読み上げたのは、ランキング表の中で律がマーカーで印をつけた作品だ。
律は「スポ根率、高いでしょ?」と答えた。
そう、これは打倒羽鳥の第一歩。
吉野の作品の売上部数の変化は、わかりやすく羽鳥と律の比較基準になる。
そのために売れているジャンルに手を伸ばそうということなのだ。
「スポ根って、基本は少年漫画なんじゃ。。。」
「常識に囚われては、名作はできません!」
「まだ今の連載が。。。」
「今のうちに描くスポーツを決めて、ルールの勉強、しましょう!」
「まだ描くとは言ってないし。。。」
「描かないとも言ってないでしょ?」
「そもそも何描いていいか、わかんないし。。。」
「今なら女子サッカーとか、どうでしょう!?」
吉野に何かさせるときは、とにかく考える隙を与えないこと。
これは律が吉野の担当をしているうちに学んだことだ。
スポーツものは当たればドル箱になる。
吉野が「描いた方がいいのかな?」なんて呟いた今がチャンスだ。
「何がなんでも描いてもらいますから!」
律が凄むと、吉野は「うっそ~~!?」と悲鳴に近い声を上げる。
だけど律としては、絶対に引く気はなかった。
見てろ、昨日と今日の編集長。
明日の編集長は、その2人を越えてやる。
律は新たな目標に向かって、走り出していた。
【続く】
あまりにも予想外な唐突さに、吉野は「へ?」と間の抜けた声を上げた。
どうしてそうなるのか、まったく理解できなかったのだ。
律は吉野の部屋に来て、ネーム原稿のチェックをした。
今回は吉野的にも会心の出来だったし、原稿を見た律も「いいですね」と言った。
コマ割りと、セリフ回しを少し変更するだけで、一発OK。
吉野にしては久々の快挙だ。
「ちょうどよかったです。聞いてほしいことがあって。」
打ち合わせが予定より早く終わった後、律はそう切り出した。
それを聞いた吉野は思わず身構えた。
律が異動の内示を受けたことは、羽鳥から聞いて知っている。
ついにその話をされるのだと思った。
覚悟はしていた。
律のことは信頼しているし、このままずっと一緒にやっていけたらいいと思う。
だけど律には律の未来や希望があるだろう。
寂しいけど、ここは笑って「今までありがとう」って言おう。
だが「あのですね」と身を乗り出した律は、吉野の予想とはまったく違うことを言った。
「次回作は絶対、スポ根モノにしましょう!」
律は勢い込んで、宣言する。
あまりにも予想外な唐突さに、吉野は「へ?」と間の抜けた声を上げた。
どうしてそうなるのか、まったく理解できなかったのだ。
なんでスポ根なのか。
そもそも現在の連載はまだまだ序盤なのに、なぜ次回作の話になるのか?
「意味が、わからないんだけど。」
吉野は恐る恐る聞き返した。
律があまりにも当然という顔をしているので、話の展開が理解できない自分が悪いのかという気になったのだ。
すると律が「すみません。説明が足りなくて」と苦笑する。
ああ、ちゃんと説明してくれると思ったのもつかの間。
律はテーブルに身を乗り出すと、勢いよく捲し立て始めた。
「スポーツにかける青春って、やっぱりステキじゃないですか!」
「え?」
「一生懸命練習して、仲間で頂点を目指す。ギリギリの勝負で、強い敵を倒す!」
「は、はぁ」
「主人公が日々成長していく姿もいいと思います!昨日か今日か、今日か明日か。そういう。。。」
「ちょ、ちょっと待って、律っちゃん!」
吉野は慌てて遮った。
何だか妙にテンションが高い。
これ以上聞いていたら、頭がクラクラしそうだったのだ。
いや次回作だのスポ根だのの前に、根本的な話が抜けている。
「いやスポ根モノはいいけどさ。その頃、律っちゃんはエメ編にいないんじゃないの?」
「え、何でです?」
「異動するって。。。」
「ああ、それはことわります。」
「えええ~~~!?」
ドサクサにまぎれて、かなり大事なことをあっさりと言われてしまった。
吉野は完全に混乱しながら「そっちの話を先にしない?」と提案した。
*****
「どうやら俺たちを倒すつもりらしい。」
倒すとはまた不穏な言葉だと思う。
だが当の高野は、妙に嬉しそうだ。
吉野が律に驚かされ、混乱していた頃。
羽鳥は高野と共に、会議室にいた。
表向きは、引き継ぎ事項の相談。
かつて編集長としてエメ編を去った高野に、そのノウハウを確認したい。
だが本当に確認したいことはそれではなかった。
「小野寺が文芸への異動をことわって、エメ編に残ると言い出しました。」
「ああ。そうだってな。」
「やっぱり御存知でしたか。」
それならば話は早いと、羽鳥はホッとした。
羽鳥が迷い、相談したいのは、律のことだ。
律の希望をそのままかなえていいのかどうか、羽鳥は決めかねていた。
「編集長ってのをやってみたい。小野寺はそう言いました。」
「ああ。俺もそう聞いてる。何か問題があるのか?」
「止めなくていいのかと迷っています。あいつの将来を考えたら、今文芸に行けるのはチャンスだと思うので」
元々文芸は、律が希望していたところだ。
そして希望してもなかなか行けない場所でもある。
何しろエメラルドなどとは違い、年齢の縛りがない。
つまり長く続ける人間が多いので、異動なども少なく、なかなか空きが出ないのだ。
今ここでことわったら、次にいつ行くチャンスが廻って来るものなのか。
それに律はやはり吉野のために残ったのではないかという気もしている。
吉野は人見知りで、とにかく初対面の人間と打ち解けるのに時間がかかるのだ。
新しい編集になれば、それなりに作品に影響するのではないかと思う。
律はそれも考えたのではないだろうか。
「そこまで心配させて、悪いな。」
高野は、亭主よろしくそう答えた。
おそらく羽鳥の心配も予想していただろう。
そして「でも大丈夫」と苦笑する。
「どうやら俺たちを倒すつもりらしい。」
倒すとはまた不穏な言葉だと思う。
だが当の高野は、妙に嬉しそうだ。
律の成長が頼もしくてかわいいというところか。
「編集長になって、俺とお前よりも実績を上げる。それが新しい目標だとさ」
「高野さんだけじゃなくて、俺もですか?」
「昨日か今日か、今日か明日かってな。」
つまり昨日が高野、今日が羽鳥、そして明日が律ということらしい。
昨日と今日を越えるために、律は新しい明日を創ろうとしている。
「だとしたら『今日』はもっと頑張らないといけませんね。」
羽鳥は静かにそう答えた。
そういうことなら、心配はないだろう。
よりよい「明日」のために「今日」を頑張るだけだ。
*****
「何がなんでも描いてもらいますから!」
律が凄むと、吉野は「うっそ~~!?」と悲鳴に近い声を上げる。
だけど律としては、絶対に引く気はなかった。
「それで高野さんとトリを倒すのはわかったけど、で、なんでスポ根なの!?」
吉野は不思議そうに、首を傾げている。
たった今、律は自分の野望を吉野に語ったところだった。
そしてその野望の第一歩がスポ根なのだ。
スポ根とはスポーツと根性を合成した、スポーツ根性ものの略語。
漫画やアニメにおけるジャンルの1つだ。
たかが漫画であっても、その影響力は侮れない。
過去にある有名なバスケ漫画が大流行し、全国の高校でバスケ部員が急増したという。
また現在プロサッカー選手の多くは、ある漫画を読んでサッカーを始めたなんていうのがかなりいるのだ。
ちなみに吉野は、これに手を出したことはない。
理由は簡単、テーマにしたスポーツを熟知していないと描けないからだ。
ルールの細かい部分など、ちょっとでも間違えていると、すぐに読者からクレームが来る。
つまりデット入稿常習者の吉野には、ハードルが高すぎるのだ。
「これを見てください!」
律は吉野の前に、1枚の紙片を差し出した。
書かれているのは、順位表。
某電子書籍サイトの、コミックの売上ランキングだ。
ここのサイトは電子書籍の特性を生かして、日毎や週毎のランキングが即座に出る。
ちなみに律が持って来たのは、昨日のランキングだ。
「ベイビーステップ、ダイヤのA、ハイキュー、弱虫ペダル。。。何、これ?」
吉野が読み上げたのは、ランキング表の中で律がマーカーで印をつけた作品だ。
律は「スポ根率、高いでしょ?」と答えた。
そう、これは打倒羽鳥の第一歩。
吉野の作品の売上部数の変化は、わかりやすく羽鳥と律の比較基準になる。
そのために売れているジャンルに手を伸ばそうということなのだ。
「スポ根って、基本は少年漫画なんじゃ。。。」
「常識に囚われては、名作はできません!」
「まだ今の連載が。。。」
「今のうちに描くスポーツを決めて、ルールの勉強、しましょう!」
「まだ描くとは言ってないし。。。」
「描かないとも言ってないでしょ?」
「そもそも何描いていいか、わかんないし。。。」
「今なら女子サッカーとか、どうでしょう!?」
吉野に何かさせるときは、とにかく考える隙を与えないこと。
これは律が吉野の担当をしているうちに学んだことだ。
スポーツものは当たればドル箱になる。
吉野が「描いた方がいいのかな?」なんて呟いた今がチャンスだ。
「何がなんでも描いてもらいますから!」
律が凄むと、吉野は「うっそ~~!?」と悲鳴に近い声を上げる。
だけど律としては、絶対に引く気はなかった。
見てろ、昨日と今日の編集長。
明日の編集長は、その2人を越えてやる。
律は新たな目標に向かって、走り出していた。
【続く】