夜5題
【濃紺を彩る流星】
「まったく、どうしてこうなのかな。」
木佐は相変わらずモテまくっている恋人を見ながら、苦笑した。
木佐の恋人、雪名は大学を卒業した後もブックスまりもで働いている。
画家としてはまだまだ駆け出し、絵を置いてくれる画廊もまだわずか。
例えるなら、まだ殻を身体にくっつけたヒヨコみたいな状態だ。
だから収入が安定するまでは、アルバイトを続けるつもりだという。
木佐としては、特に異論もない。
オーバーワークだけが心配だが、雪名を見ているとその心配はなさそうに見える。
大学に当てていた時間が、そのまま絵を描く時間になっているだけだからだ。
むしろ大学の頃より、時間には余裕があるくらいだ。
唯一、困っている問題はたった1つ。
未だに雪名はブックスまりもにやって来る少女たちに絶大な人気があることだ。
今も木佐が待ち合わせ場所にやってくると、先に来ていた雪名は数人の少女に囲まれていた。
みな同じ学校らしく、紺色のブレザースタイルの制服に囲まれている。
その真ん中にいる雪名は、あいかわらずキラキラオーラ全開だ。
さながら濃紺を彩る流星と言ったところか。
「まったく、どうしてこうなのかな。」
木佐は相変わらずモテまくっている恋人を見ながら、苦笑した。
付き合い始めた頃には、こんな光景を見るといちいち胸が騒いだものだ。
だけどさすがに最近は慌てるようなことはない。
どっちかというと罪悪感の方が強いだろう。
雪名は元々同性愛者ではない。
自分のような人間と関わったばかりに、道を大きく踏み外させている気がする。
それでも離れられないのだから、開き直るしかないのだが。
「木佐さ~ん!」
ようやく濃紺から解放された雪名が、飼い主を見つけた飼い犬よろしくこちらに走ってきた。
モテまくる雪名には慣れたが、このまともに向けられるキラキラオーラには未だに頬が熱くなる。
思わず俯いてしまい、大きく深呼吸をして顔を上げた瞬間。
雪名の背後を歩いていた、よく知っている人物とモロに目が合った。
どうやら照れて赤面した表情を、まともに見られてしまったようだ。
油断していた。
ここは職場のすぐ近くだし、偶然出くわすことはあったはずなのに。
しかも最近、彼が隠しているであろう恋愛を知っていること匂わせたばかりだ。
これでおそらくこっちの恋愛も知られてしまっただろう。
木佐は諦めて、雪名に手を振った。
見ようによっては、彼にも手を振っているように見えるだろう。
何だか嫌な予感はするが、もう開き直るしかない。
*****
何か、見ちゃいけないものを見たような。
律は信じられないような光景に、思わず足を止めていた。
今日は宇佐見秋彦の新刊の発売日だ。
会社帰りに「ブックスまりも」でそれを購入した律は、早足で店を出た。
早く帰って読みたい。
寝不足で明日がつらくなることは必至だが、それさえも楽しめるのが本の楽しさだ。
だが本屋を出たところで、知った顔を見かけた。
同じエメラルド編集部の先輩で、来月異動が決まった先輩社員の木佐だ。
ガードレールにもたれ掛りながら、ある1点をジッと見ている。
こういう場所で顔を合わせるのは、不思議なことではない。
会社から一番近い本屋がここなのだ。
出版社の編集部員が行く場所として、かぶっていても不思議はない。
いったい何を見ているんだろう。
木佐の視線の先を目で追った律は、すぐにその人物を見つけた。
以前、ここで作家のサイン会をしたとき、横澤に紹介されたのだ。
ブックスまりものコミックス担当の販売員。
彼の手作りのポップ広告で、ここの売り上げはかなり変わる。
つまり彼に気に入られた作品は、この店ではかなり売れるのだ。
木佐も顔見知りを見つけて、視線を向けていたのだろう。
そう思った途端、彼は「木佐さ~ん!」と叫びながら、走り出した。
そしてそれを見つめていた木佐が、恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いたのだ。
何か、見ちゃいけないものを見たような。
律は信じられないような光景に、思わず足を止めていた。
だけど、最近抱えていた1つの大きな謎が解けた。
木佐は自分の恋人が同性で、律も知っている人物だと言った。
丸川書店の関係者、もしくは印刷所、または作家かアシスタント。
いろいろ考えたけど、ついにわからなかった謎の答え。
それは書店のコミックス担当の販売員、つまり彼なのだ。
それに彼は、アルバイトの美大生だと聞いた。
時期を考えると、もう卒業しているだろう。
木佐が門外漢である美術に異動の希望を出したのも、おそらく彼のため。
そう考えると、何だかしっくりとおさまる気がする。
ふと見ると、木佐がこちらに向かって手を振っている。
彼に?いや多分、律にもだ。
何だか決まりが悪そうな表情なのは、きっと律の推測が当たっているからだろう。
木佐さんって、面食いなんだな。
ふとそう思った律は、すぐに思い直して首を振った。
律だって高野を選んだ時点で、そう思われているだろうから。
*****
「えええ~!?」
あまりにも冷静な律に、吉野は思わず抗議の声を上げていた。
今日は自宅近くのカフェで、担当編集の律と打ち合わせだ。
今までの自分のものとは違う作風にチャレンジしている今の連載。
最初の頃はどうにも勝手がつかめなくて、ひどいデット入稿が続いた。
だけど最近やっと慣れてきたと思う。
こうして次回原稿の打ち合わせも、前より短い時間ですんでいるのだから。
「最近、高野さん、どう?」
「元気ですよ。また販売部数の記録更新したみたいです。」
打ち合わせの後、お互いの恋の話をする余裕も出てきた。
木佐に暴露された後は、はっきり言って、律と顔を合わせるのが気まずかった。
だけどそれももう慣れた、というか開き直った。
この先も長く組んで仕事をするわけだし、恥ずかしがっていても始まらない。
見方を変えてみれば、これはこれでありがたい。
何しろお互いマイノリティな恋なのだ。
ノロケもグチも、誰にも言えない。
だがお互い同じ立場なら、別に問題ない。
だから2人は打ち合わせの時間が余れば、ポツポツと恋バナに興じるようになった。
ある意味公私混同だが、意外とそれが漫画のネタになったりする。
まんざら無駄な時間でもないのだ。
「そう言えば、木佐さん、来月異動なんでしょ?」
「ええ。新しい編集部員に引継ぎしてます。地味に忙しいですよ。」
木佐はついに念願かなって、希望の部署へ異動する。
高野に続いて木佐までいなくなり、エメラルド編集部も変わっていく。
寂しいけれど、仕方のないことだ。
「木佐さんの恋人さん、誰だか知りたかったな~!」
「あ、俺、この間わかりました。」
「えええ~!?」
あまりにも冷静な律に、吉野は思わず抗議の声を上げていた。
だけど律は大声に動じることなく「偶然、見ちゃって」と苦笑している。
「誰?誰?教えて~~!!」
「一応、個人情報ですし。」
吉野はグイグイと詰め寄ったが、律は答えてくれない。
これはかなりのフラストレーションだ。
このままじゃ原稿が手につかないと言って、おどしてやろうか。
吉野がない知恵を振り絞ろうとしていると、律が「それじゃ」と切り出してきた。
「この間びっくりさせられたから、今度はこっちから仕掛けませんか?」
悪戯っぽく笑う律は、ハッとするほど綺麗だ。
一瞬それに見惚れた吉野だったが、すぐに我に返ると「ぜひ、やります!」と拳を握りしめた。
【続く】
「まったく、どうしてこうなのかな。」
木佐は相変わらずモテまくっている恋人を見ながら、苦笑した。
木佐の恋人、雪名は大学を卒業した後もブックスまりもで働いている。
画家としてはまだまだ駆け出し、絵を置いてくれる画廊もまだわずか。
例えるなら、まだ殻を身体にくっつけたヒヨコみたいな状態だ。
だから収入が安定するまでは、アルバイトを続けるつもりだという。
木佐としては、特に異論もない。
オーバーワークだけが心配だが、雪名を見ているとその心配はなさそうに見える。
大学に当てていた時間が、そのまま絵を描く時間になっているだけだからだ。
むしろ大学の頃より、時間には余裕があるくらいだ。
唯一、困っている問題はたった1つ。
未だに雪名はブックスまりもにやって来る少女たちに絶大な人気があることだ。
今も木佐が待ち合わせ場所にやってくると、先に来ていた雪名は数人の少女に囲まれていた。
みな同じ学校らしく、紺色のブレザースタイルの制服に囲まれている。
その真ん中にいる雪名は、あいかわらずキラキラオーラ全開だ。
さながら濃紺を彩る流星と言ったところか。
「まったく、どうしてこうなのかな。」
木佐は相変わらずモテまくっている恋人を見ながら、苦笑した。
付き合い始めた頃には、こんな光景を見るといちいち胸が騒いだものだ。
だけどさすがに最近は慌てるようなことはない。
どっちかというと罪悪感の方が強いだろう。
雪名は元々同性愛者ではない。
自分のような人間と関わったばかりに、道を大きく踏み外させている気がする。
それでも離れられないのだから、開き直るしかないのだが。
「木佐さ~ん!」
ようやく濃紺から解放された雪名が、飼い主を見つけた飼い犬よろしくこちらに走ってきた。
モテまくる雪名には慣れたが、このまともに向けられるキラキラオーラには未だに頬が熱くなる。
思わず俯いてしまい、大きく深呼吸をして顔を上げた瞬間。
雪名の背後を歩いていた、よく知っている人物とモロに目が合った。
どうやら照れて赤面した表情を、まともに見られてしまったようだ。
油断していた。
ここは職場のすぐ近くだし、偶然出くわすことはあったはずなのに。
しかも最近、彼が隠しているであろう恋愛を知っていること匂わせたばかりだ。
これでおそらくこっちの恋愛も知られてしまっただろう。
木佐は諦めて、雪名に手を振った。
見ようによっては、彼にも手を振っているように見えるだろう。
何だか嫌な予感はするが、もう開き直るしかない。
*****
何か、見ちゃいけないものを見たような。
律は信じられないような光景に、思わず足を止めていた。
今日は宇佐見秋彦の新刊の発売日だ。
会社帰りに「ブックスまりも」でそれを購入した律は、早足で店を出た。
早く帰って読みたい。
寝不足で明日がつらくなることは必至だが、それさえも楽しめるのが本の楽しさだ。
だが本屋を出たところで、知った顔を見かけた。
同じエメラルド編集部の先輩で、来月異動が決まった先輩社員の木佐だ。
ガードレールにもたれ掛りながら、ある1点をジッと見ている。
こういう場所で顔を合わせるのは、不思議なことではない。
会社から一番近い本屋がここなのだ。
出版社の編集部員が行く場所として、かぶっていても不思議はない。
いったい何を見ているんだろう。
木佐の視線の先を目で追った律は、すぐにその人物を見つけた。
以前、ここで作家のサイン会をしたとき、横澤に紹介されたのだ。
ブックスまりものコミックス担当の販売員。
彼の手作りのポップ広告で、ここの売り上げはかなり変わる。
つまり彼に気に入られた作品は、この店ではかなり売れるのだ。
木佐も顔見知りを見つけて、視線を向けていたのだろう。
そう思った途端、彼は「木佐さ~ん!」と叫びながら、走り出した。
そしてそれを見つめていた木佐が、恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いたのだ。
何か、見ちゃいけないものを見たような。
律は信じられないような光景に、思わず足を止めていた。
だけど、最近抱えていた1つの大きな謎が解けた。
木佐は自分の恋人が同性で、律も知っている人物だと言った。
丸川書店の関係者、もしくは印刷所、または作家かアシスタント。
いろいろ考えたけど、ついにわからなかった謎の答え。
それは書店のコミックス担当の販売員、つまり彼なのだ。
それに彼は、アルバイトの美大生だと聞いた。
時期を考えると、もう卒業しているだろう。
木佐が門外漢である美術に異動の希望を出したのも、おそらく彼のため。
そう考えると、何だかしっくりとおさまる気がする。
ふと見ると、木佐がこちらに向かって手を振っている。
彼に?いや多分、律にもだ。
何だか決まりが悪そうな表情なのは、きっと律の推測が当たっているからだろう。
木佐さんって、面食いなんだな。
ふとそう思った律は、すぐに思い直して首を振った。
律だって高野を選んだ時点で、そう思われているだろうから。
*****
「えええ~!?」
あまりにも冷静な律に、吉野は思わず抗議の声を上げていた。
今日は自宅近くのカフェで、担当編集の律と打ち合わせだ。
今までの自分のものとは違う作風にチャレンジしている今の連載。
最初の頃はどうにも勝手がつかめなくて、ひどいデット入稿が続いた。
だけど最近やっと慣れてきたと思う。
こうして次回原稿の打ち合わせも、前より短い時間ですんでいるのだから。
「最近、高野さん、どう?」
「元気ですよ。また販売部数の記録更新したみたいです。」
打ち合わせの後、お互いの恋の話をする余裕も出てきた。
木佐に暴露された後は、はっきり言って、律と顔を合わせるのが気まずかった。
だけどそれももう慣れた、というか開き直った。
この先も長く組んで仕事をするわけだし、恥ずかしがっていても始まらない。
見方を変えてみれば、これはこれでありがたい。
何しろお互いマイノリティな恋なのだ。
ノロケもグチも、誰にも言えない。
だがお互い同じ立場なら、別に問題ない。
だから2人は打ち合わせの時間が余れば、ポツポツと恋バナに興じるようになった。
ある意味公私混同だが、意外とそれが漫画のネタになったりする。
まんざら無駄な時間でもないのだ。
「そう言えば、木佐さん、来月異動なんでしょ?」
「ええ。新しい編集部員に引継ぎしてます。地味に忙しいですよ。」
木佐はついに念願かなって、希望の部署へ異動する。
高野に続いて木佐までいなくなり、エメラルド編集部も変わっていく。
寂しいけれど、仕方のないことだ。
「木佐さんの恋人さん、誰だか知りたかったな~!」
「あ、俺、この間わかりました。」
「えええ~!?」
あまりにも冷静な律に、吉野は思わず抗議の声を上げていた。
だけど律は大声に動じることなく「偶然、見ちゃって」と苦笑している。
「誰?誰?教えて~~!!」
「一応、個人情報ですし。」
吉野はグイグイと詰め寄ったが、律は答えてくれない。
これはかなりのフラストレーションだ。
このままじゃ原稿が手につかないと言って、おどしてやろうか。
吉野がない知恵を振り絞ろうとしていると、律が「それじゃ」と切り出してきた。
「この間びっくりさせられたから、今度はこっちから仕掛けませんか?」
悪戯っぽく笑う律は、ハッとするほど綺麗だ。
一瞬それに見惚れた吉野だったが、すぐに我に返ると「ぜひ、やります!」と拳を握りしめた。
【続く】