昼5題
【ハピネス】
*第1話「ランチタイム」の後日談です。でもこれだけでも読めます。
「お兄ちゃんは売れっ子作家だもんね。才能もあるし、運もいいし。」
吉野はその言葉に、少なからずショックを受けていた。
日曜日の午後、吉野の自宅兼仕事場マンションのドアチャイムが鳴った。
入稿を終えて、部屋でのんびりくつろいでいた吉野は、モニターを確認する。
セールスか何かだったら知らない振りしよう。
そう思ったが、モニターに映ったのは妹の千夏だった。
吉野はオートロックを解除すると「開けたよ」と言った。
「これ、お母さんから。旅行のおみやげだって。」
部屋に上がってきた妹は、手にしていた紙袋を差し出す。
そう言えば、母は友人と旅行に行くとか言っていた気がする。
妹はその土産を届けてくれたらしい。
吉野は「サンキュ」と紙袋を受け取り、中を覗き込む。
そこには菓子折りらしき細長い箱と一緒に、薄っぺらいカラフルな冊子が入っていた。
「何か本が入ってる。これも土産?」
吉野がそう教えてやると、千夏は「あ!ごめん」と声を上げる。
どうやら雑誌の方は、お土産ではないらしい。
吉野は袋から本を取り出すと、その表紙を読み上げる。
「なにこの本。ハピネス?」
「知らないの?よく当たる占いの本なの!」
千夏は吉野の手から本をひったくった。
ハピネス。幸運という名のその本は占いが書かれているらしい。
「お兄ちゃんのも見てあげようか。」
「いいよ。俺のは。占いなんて信じてないし。」
「少女漫画家のセリフとは思えないわね。」
千夏は本を自分のバックにしまいながら、ため息をついている。
確かに少女漫画のキャラクターは、占いに心躍らせていた方がそれっぽくはある。
だが残念ながら、吉野は占いにはまったく興味がなかった。
「何だ?もう帰るの?」
コートも脱がないまま帰ろうとする千夏に、吉野は慌てて声をかける。
だけど千夏は「これから出かけるし」と言い置いて、さっさと出て行く。
どうやら外出の途中に、寄ってくれたのだろう。
「でも確かにお兄ちゃんには、占いなんか必要ないかもね。」
「あ?どういう意味?」
玄関で靴を履く千夏の背中に、吉野は聞き返す。
千夏は吉野を振り返ると、困ったように笑った。
「お兄ちゃんは売れっ子作家だもん。才能もあるし、運もいいし。」
「え?」
「じゃあまたね。お母さんがもっと顔出せって言ってたよ!」
千夏は手を振りながら、慌ただしく部屋を出て行く。
吉野は閉じられたドアの前で、ぼんやりと佇んでいた。
才能。運。
吉野はその言葉に、少なからずショックを受けていた。
念願の少女漫画家になるために努力をしてきたつもりだ。
今も締め切りに追われ、日々プロットに悩む日々。
だけど妹には、才能と運に導かれた道に見えるらしい。
わかっている。
確かに幸運には恵まれている。
自覚はあまりないけど、才能だってあるんだろう。
だけど簡単にそれで片づけられるのは、あまりいい気分ではない。
もしも嫉妬や悪意などで言われたのなら、言い返していただろう。
努力だってしているのだと。
だけど千夏の言葉にはそんなニュアンスなど全然ないから、始末が悪い。
純粋に吉野の成功を喜んでくれている妹に、不快だなどと言えるはずもない。
吉野はふとある出来事を思い出した。
そのとき、相手の持って生まれた境遇に驚き、褒め称えた。
そこには嫉妬も悪意もなく、ただ素直な感想を口にしただけだ。
だけどもしかしたら、あの人は傷ついたかもしれない。
吉野はソファに倒れ込むと、グシャグシャと髪を掻き毟った。
*****
「あのときはすみませんでした!」
唐突に頭を下げられた律は、首を傾げた。
あのときと言われても、さっぱり思い当たることがなかった。
吉野宅に打ち合わせに来た律は、何だか吉野の雰囲気が違うことに気付いた。
座るなり出されたのは、何だか香りのいい玉露。
母の旅行土産なのだという有名な京都銘菓が添えられている。
「あの、おかまいなく」
律は恐縮しながら、玉露を啜った。
吉野宅で出されるのは、だいたいコーヒーだ。
もしくはペットボトル入りの冷たい水やお茶。
玉露なんかが出てくるのは、異常事態だ。
いったい何が起こるのか。
身構えてしまった律の前で、向かい側に座っていた吉野が唐突に立ち上がる。
そしていきなり「あのときはすみませんでした!」と頭を下げたのだった。
唐突に頭を下げられた律は、首を傾げた。
あのときと言われても、さっぱり思い当たることがなかったのだ。
取りあえず担当作家が身体を折り曲げている姿を見ているのは、落ち着かない。
慌てて立ち上がると「あの、とにかく頭を上げて、座ってください」と告げた。
「俺、小野寺さんに無神経なことを言いました。」
ようやくソファに腰を下ろして、吉野は口を開く。
それは吉野が律の生い立ちを聞いたときのことだった。
吉野は「すごい血筋なんですね!」と感嘆の声を上げた。
出版社の社長の息子で、親が決めた婚約者がいるという家柄。
そのことに素直に驚き、褒めそやしたのだ。
「ああ、あのときの。でも褒めていただいたんだし、あやまるようなことじゃ。。。」
「いや、最近、同じようなことがあって」
吉野はまた説明を始めた。
実の妹に才能と運があるのだと、褒め称えられた。
まったく悪意もなく、純粋な気持ちで。
だがその言葉は、少なからず吉野にショックを与えたのだという。
「生まれ持ってるものは努力して得たものじゃない。それを褒められたって嬉しくないって知ったんです。」
吉野の言葉に、律は大きく頷いた。
律はまさにそういう言葉に悩まされ続けたのだ。
出版社社長の息子であることを称えられても、嬉しくもなんともない。
いっそ「七光り」と侮辱された方が気が楽だ。
何の悪意もなく褒められると、言い返すことさえできない。
「でもわざわざあやまってくださるなんて。」
「それはやっぱりちゃんとしないと。」
「誠実ですね。吉野さんって。」
「そうかな?自分がすっきりしたいだけかも。」
そんな風に言える吉野は、やっぱり誠実だと思う。
前の会社で「七光り」と言われ続けた自分は、かなりヤサぐれた。
吉野が自分の立場だったら、もっと前向きで素直なんじゃないかと思う。
「母の土産なんです。遠慮せずに食べてください。」
吉野はニコニコと茶と菓子を勧めてくれる。
律は「いただきます」と手を合わせると、菓子に手を伸ばした。
有名な京都銘菓の、口に広がるニッキの味。
そして餡子の甘さと玉露の渋味は絶妙。
2人だけの和のお茶会は、ささやかなハピネスだ。
【終】「夕方5題」に続きます。
*第1話「ランチタイム」の後日談です。でもこれだけでも読めます。
「お兄ちゃんは売れっ子作家だもんね。才能もあるし、運もいいし。」
吉野はその言葉に、少なからずショックを受けていた。
日曜日の午後、吉野の自宅兼仕事場マンションのドアチャイムが鳴った。
入稿を終えて、部屋でのんびりくつろいでいた吉野は、モニターを確認する。
セールスか何かだったら知らない振りしよう。
そう思ったが、モニターに映ったのは妹の千夏だった。
吉野はオートロックを解除すると「開けたよ」と言った。
「これ、お母さんから。旅行のおみやげだって。」
部屋に上がってきた妹は、手にしていた紙袋を差し出す。
そう言えば、母は友人と旅行に行くとか言っていた気がする。
妹はその土産を届けてくれたらしい。
吉野は「サンキュ」と紙袋を受け取り、中を覗き込む。
そこには菓子折りらしき細長い箱と一緒に、薄っぺらいカラフルな冊子が入っていた。
「何か本が入ってる。これも土産?」
吉野がそう教えてやると、千夏は「あ!ごめん」と声を上げる。
どうやら雑誌の方は、お土産ではないらしい。
吉野は袋から本を取り出すと、その表紙を読み上げる。
「なにこの本。ハピネス?」
「知らないの?よく当たる占いの本なの!」
千夏は吉野の手から本をひったくった。
ハピネス。幸運という名のその本は占いが書かれているらしい。
「お兄ちゃんのも見てあげようか。」
「いいよ。俺のは。占いなんて信じてないし。」
「少女漫画家のセリフとは思えないわね。」
千夏は本を自分のバックにしまいながら、ため息をついている。
確かに少女漫画のキャラクターは、占いに心躍らせていた方がそれっぽくはある。
だが残念ながら、吉野は占いにはまったく興味がなかった。
「何だ?もう帰るの?」
コートも脱がないまま帰ろうとする千夏に、吉野は慌てて声をかける。
だけど千夏は「これから出かけるし」と言い置いて、さっさと出て行く。
どうやら外出の途中に、寄ってくれたのだろう。
「でも確かにお兄ちゃんには、占いなんか必要ないかもね。」
「あ?どういう意味?」
玄関で靴を履く千夏の背中に、吉野は聞き返す。
千夏は吉野を振り返ると、困ったように笑った。
「お兄ちゃんは売れっ子作家だもん。才能もあるし、運もいいし。」
「え?」
「じゃあまたね。お母さんがもっと顔出せって言ってたよ!」
千夏は手を振りながら、慌ただしく部屋を出て行く。
吉野は閉じられたドアの前で、ぼんやりと佇んでいた。
才能。運。
吉野はその言葉に、少なからずショックを受けていた。
念願の少女漫画家になるために努力をしてきたつもりだ。
今も締め切りに追われ、日々プロットに悩む日々。
だけど妹には、才能と運に導かれた道に見えるらしい。
わかっている。
確かに幸運には恵まれている。
自覚はあまりないけど、才能だってあるんだろう。
だけど簡単にそれで片づけられるのは、あまりいい気分ではない。
もしも嫉妬や悪意などで言われたのなら、言い返していただろう。
努力だってしているのだと。
だけど千夏の言葉にはそんなニュアンスなど全然ないから、始末が悪い。
純粋に吉野の成功を喜んでくれている妹に、不快だなどと言えるはずもない。
吉野はふとある出来事を思い出した。
そのとき、相手の持って生まれた境遇に驚き、褒め称えた。
そこには嫉妬も悪意もなく、ただ素直な感想を口にしただけだ。
だけどもしかしたら、あの人は傷ついたかもしれない。
吉野はソファに倒れ込むと、グシャグシャと髪を掻き毟った。
*****
「あのときはすみませんでした!」
唐突に頭を下げられた律は、首を傾げた。
あのときと言われても、さっぱり思い当たることがなかった。
吉野宅に打ち合わせに来た律は、何だか吉野の雰囲気が違うことに気付いた。
座るなり出されたのは、何だか香りのいい玉露。
母の旅行土産なのだという有名な京都銘菓が添えられている。
「あの、おかまいなく」
律は恐縮しながら、玉露を啜った。
吉野宅で出されるのは、だいたいコーヒーだ。
もしくはペットボトル入りの冷たい水やお茶。
玉露なんかが出てくるのは、異常事態だ。
いったい何が起こるのか。
身構えてしまった律の前で、向かい側に座っていた吉野が唐突に立ち上がる。
そしていきなり「あのときはすみませんでした!」と頭を下げたのだった。
唐突に頭を下げられた律は、首を傾げた。
あのときと言われても、さっぱり思い当たることがなかったのだ。
取りあえず担当作家が身体を折り曲げている姿を見ているのは、落ち着かない。
慌てて立ち上がると「あの、とにかく頭を上げて、座ってください」と告げた。
「俺、小野寺さんに無神経なことを言いました。」
ようやくソファに腰を下ろして、吉野は口を開く。
それは吉野が律の生い立ちを聞いたときのことだった。
吉野は「すごい血筋なんですね!」と感嘆の声を上げた。
出版社の社長の息子で、親が決めた婚約者がいるという家柄。
そのことに素直に驚き、褒めそやしたのだ。
「ああ、あのときの。でも褒めていただいたんだし、あやまるようなことじゃ。。。」
「いや、最近、同じようなことがあって」
吉野はまた説明を始めた。
実の妹に才能と運があるのだと、褒め称えられた。
まったく悪意もなく、純粋な気持ちで。
だがその言葉は、少なからず吉野にショックを与えたのだという。
「生まれ持ってるものは努力して得たものじゃない。それを褒められたって嬉しくないって知ったんです。」
吉野の言葉に、律は大きく頷いた。
律はまさにそういう言葉に悩まされ続けたのだ。
出版社社長の息子であることを称えられても、嬉しくもなんともない。
いっそ「七光り」と侮辱された方が気が楽だ。
何の悪意もなく褒められると、言い返すことさえできない。
「でもわざわざあやまってくださるなんて。」
「それはやっぱりちゃんとしないと。」
「誠実ですね。吉野さんって。」
「そうかな?自分がすっきりしたいだけかも。」
そんな風に言える吉野は、やっぱり誠実だと思う。
前の会社で「七光り」と言われ続けた自分は、かなりヤサぐれた。
吉野が自分の立場だったら、もっと前向きで素直なんじゃないかと思う。
「母の土産なんです。遠慮せずに食べてください。」
吉野はニコニコと茶と菓子を勧めてくれる。
律は「いただきます」と手を合わせると、菓子に手を伸ばした。
有名な京都銘菓の、口に広がるニッキの味。
そして餡子の甘さと玉露の渋味は絶妙。
2人だけの和のお茶会は、ささやかなハピネスだ。
【終】「夕方5題」に続きます。
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