昼5題
【ピンキッシュハート】
「俺の意見も聞いて下さい!」
吉野は思わず声を荒げてしまい、自分の口調のキツさに戸惑う。
律は目を丸くして吉野を凝視したが、すぐに「すみません」と謝った。
ピンキッシュハート。
それは吉野の作品の中で、ヒロインが身につけているピンクのハート型のペンダントだ。
ヒロインは片想い中の彼が、たまたまアクセサリーショップでそれを買っているのを見る。
きっと好きな彼女へのプレゼントなのだろう。
そう思ったヒロインは同じものを購入して、いつも制服の下で身につけている。
その後もこのピンキッシュハートは要所要所で物語にからむアイテムだった。
吉野は仕事場兼自宅で、担当編集の律と向き合っていた。
メインは次回掲載分のネーム原稿の確認。
それはいつもの通り、さほどの問題もなく終わる。
その後、律は「それとですね」と付け加えた。
「ピンキッシュハートをプレゼントって企画をやろうと思うんですが」
律はいつもの穏やかな笑みと共に、切り出してきた。
吉野も笑顔で「いいですね」と答える。
ヒロインの恋心を象徴するアイテムを読者と共有できるなんて、楽しい企画だと思うが。
「でもプレゼントなんですか?付録じゃなくて?」
「ええ。無条件に買えてしまうと、ちょっと価値が下がるっていうか。。。」
「俺は欲しい人全員が手に入るようにしてほしいですけど。」
「でもそうなると数をたくさん作るので、安っぽい作りになっちゃいますし。」
吉野は雑誌を買えば誰でももらえる付録にしたいと思った。
だが律は数量限定にして、付加価値をつけたいと考えているようだ。
確かに予算というものがあり、大量に作れば1個当たりの原価が落ちて、安っぽくなるのは否めない。
だけど吉野はやはり1人でも多くの人に持ってほしいと思う。
そしてふと思い出す。
そもそもピンキッシュハートというネーミングも律の命名だ。
吉野の案の段階ではただの「ピンクのハート」だった。
律は「もう少しインパクトのある名前にしませんか?」と言って、ピンキッシュハートになったのだ。
確かにいい提案で、変えてよかったとは思う。
だけど少しだけ心にわだかまりが残ったのは事実だ。
作品中の重要アイテムの名前は、自分の言葉で綴りたかったのだ。
そう思った瞬間、吉野は自分でも信じられない行動に出てしまった。
「俺の意見も聞いて下さい!」
吉野は思わず声を荒げてしまい、自分の口調のキツさに戸惑う。
律は目を丸くして吉野を凝視したが、すぐに「すみません」と謝った。
その後は気まずい沈黙。
結局その日は打ち合わせを終え、ピンキッシュハートの件は後日ということになった。
*****
「自分が正しいと思うならとことんやれ。」
羽鳥は冷静な声で、自分の部屋で我が物顔で振る舞う男にそう言った。
会社から帰宅した羽鳥は、マンションのドアに鍵を差したところで気が付いた。
鍵が開いている、つまり部屋に誰かいるのだ。
そして思い当たる人物は1人しかいない。
「吉野。上がるのはいいが、鍵くらいかけておけ」
羽鳥は文句を言いながら、自室に入る。
もうすっかり日が落ちているというのに、部屋は真っ暗だ。
このパターンの時、吉野がいるのはほぼ100%ベットだ。
眠っているか、もしくは落ち込んでいるか。
そして今日はおそらく後者だろう。
「小野寺とやり合ったのか?」
羽鳥はベットでゴソゴソと動く吉野に声をかけた。
吉野は何も答えずに、ベットに身体を起こした。
表情から不機嫌さが滲み出ている。
「やり合ったっていうか、ちょっと納得いかなかった」
「何が」
「俺の意見なんて聞かずに話を進めるのが、ちょっと嫌だっただけ!」
「駄々っ子か」
羽鳥はため息をつくと、吉野から離れた。
スーツを脱いでハンガーにかけ、部屋着に着替える。
そうしながらどう声をかけるべきかと考えた。
今回の件、羽鳥は律から報告を受けている。
そして2人の意見が食い違ったことを、悪いとは思っていなかった。
吉野と律のコンビは、今まで何だかんだで順調すぎたのだ。
前担当の羽鳥は幼なじみで恋人ということもあり、ポンポンと言いたいことを言っていた。
だけど律が相手だと、吉野は少々の不満があっても頷いてしまうようなところがある。
おそらく律の初々しいやる気に当てられていたのだろう。
だけど本来、作家と編集者が意見を戦わせるのはいいことだ。
より良い作品をつくるために、作家と担当編集はしっかりと意思疎通をしておくのは重要だと思う。
「プロなんだから、折れなきゃいけない部分もあるんだぞ」
「うん、だけど。。。」
「意見を言うのはいい。だけど『ちょっと嫌』とか言って拗ねるのはダメだ。」
「え?」
「どっちの意見が作品のためになるかよく考えろ。それで自分が正しいと思うならとことんやれ。」
羽鳥はそれだけ言うと、キッチンに向かった。
今日は本当は残り物ですませるつもりだったが、吉野がいるならそうはいかない。
だけど食事の支度の間、吉野は考えるだろう。
今回のピンキッシュハートの件は、羽鳥は律に分があると思っている。
そして吉野はきちんとそのことを認められると信じていた。
「卵焼き、忘れないでよ」
ベットから厚かましい声が聞こえてくる。
羽鳥は「わかった」と答えると、冷蔵庫から卵を取り出した。
*****
「俺って、不器用なんですかね?」
律は肩を落として、ため息をつく。
高野はそんな恋人に「まぁ器用じゃねーな」と言い切った。
高野が会社から戻ると、すぐに部屋に律がやって来た。
隣室に住む律には、物音などで高野が部屋にいるかいないかすぐわかる。
先に帰宅した時には、高野が帰ったのを確認してからこちらの部屋に来ることが多い。
今日の律は何となく元気がなかった。
ソファに腰を下ろすと、ポツリポツリと口を開く。
それによると、律は担当作家、吉野と意見が衝突したらしい。
だがその翌日吉野から謝罪があり、律の意見を支持したのだという。
律は高野にそういう何ともつかみどころのない説明しかしなかった。
おそらく今後発表する企画に関わり事なのだろう。
今はもう高野はエメラルド編集部とは関係ないから、詳細は言えないのだ。
「俺の意見の方が正しいって、確信してます。」
「じゃあ、何を悩んでる?」
「悩んでません。ただ作家の機嫌を損ねずに意見を通せるようになりたいなぁと思ったりして。。。」
「立派に悩んでるじゃん」
高野は苦笑しながら、部屋着に着替え始めた。
結局律が悩んでいるのは、作家のご機嫌などというひどく些末なこと。
大筋である仕事の進め方には迷いがなく、変えるつもりもないのだ。
それならば大丈夫だと思う。
芯がブレていなければ、細かい部分は何とでもなる。
「別に作家と友達になる必要なんかねーだろ。極端な話、嫌われてたって原稿が上がれば問題ない。」
「仲がいい方がいいに決まってるでしょ!」
「まぁそれに越したことはないが、距離は必要だ。見えるもんも見えなくなる。」
「俺にはむずかしそうです。」
高野は肩を落とす律を見ながら、こと吉野に関しては距離は関係ないと思う。
何しろつい最近まで幼なじみにして恋人である男が担当編集で、1千万部を売り上げたのだ。
こと仕事に関しては、情に甘えることなくプロとしての仕事ができる作家だ。
つまり吉野も律も、いい作品を世に出したいというプロ意識をしっかり持っている。
多少の意見のすれ違いなど何ということもない。
今は少々不機嫌になったり、迷ったりしても、きっと大丈夫。
2人でうまくやっていけるだろう。
「俺って、不器用なんですかね?」
律は肩を落として、ため息をつく。
高野はそんな恋人に「まぁ器用じゃねーな」と言い切った。
未だに割り切れずに悩んでいる律は確かに不器用だ。
だけど恋人としては、そんな不器用さも好きだと思う。
悩んでいる表情さえかわいいと思ってしまうベタ惚れ振りに、高野は自分のことながら呆れていた。
【続く】
「俺の意見も聞いて下さい!」
吉野は思わず声を荒げてしまい、自分の口調のキツさに戸惑う。
律は目を丸くして吉野を凝視したが、すぐに「すみません」と謝った。
ピンキッシュハート。
それは吉野の作品の中で、ヒロインが身につけているピンクのハート型のペンダントだ。
ヒロインは片想い中の彼が、たまたまアクセサリーショップでそれを買っているのを見る。
きっと好きな彼女へのプレゼントなのだろう。
そう思ったヒロインは同じものを購入して、いつも制服の下で身につけている。
その後もこのピンキッシュハートは要所要所で物語にからむアイテムだった。
吉野は仕事場兼自宅で、担当編集の律と向き合っていた。
メインは次回掲載分のネーム原稿の確認。
それはいつもの通り、さほどの問題もなく終わる。
その後、律は「それとですね」と付け加えた。
「ピンキッシュハートをプレゼントって企画をやろうと思うんですが」
律はいつもの穏やかな笑みと共に、切り出してきた。
吉野も笑顔で「いいですね」と答える。
ヒロインの恋心を象徴するアイテムを読者と共有できるなんて、楽しい企画だと思うが。
「でもプレゼントなんですか?付録じゃなくて?」
「ええ。無条件に買えてしまうと、ちょっと価値が下がるっていうか。。。」
「俺は欲しい人全員が手に入るようにしてほしいですけど。」
「でもそうなると数をたくさん作るので、安っぽい作りになっちゃいますし。」
吉野は雑誌を買えば誰でももらえる付録にしたいと思った。
だが律は数量限定にして、付加価値をつけたいと考えているようだ。
確かに予算というものがあり、大量に作れば1個当たりの原価が落ちて、安っぽくなるのは否めない。
だけど吉野はやはり1人でも多くの人に持ってほしいと思う。
そしてふと思い出す。
そもそもピンキッシュハートというネーミングも律の命名だ。
吉野の案の段階ではただの「ピンクのハート」だった。
律は「もう少しインパクトのある名前にしませんか?」と言って、ピンキッシュハートになったのだ。
確かにいい提案で、変えてよかったとは思う。
だけど少しだけ心にわだかまりが残ったのは事実だ。
作品中の重要アイテムの名前は、自分の言葉で綴りたかったのだ。
そう思った瞬間、吉野は自分でも信じられない行動に出てしまった。
「俺の意見も聞いて下さい!」
吉野は思わず声を荒げてしまい、自分の口調のキツさに戸惑う。
律は目を丸くして吉野を凝視したが、すぐに「すみません」と謝った。
その後は気まずい沈黙。
結局その日は打ち合わせを終え、ピンキッシュハートの件は後日ということになった。
*****
「自分が正しいと思うならとことんやれ。」
羽鳥は冷静な声で、自分の部屋で我が物顔で振る舞う男にそう言った。
会社から帰宅した羽鳥は、マンションのドアに鍵を差したところで気が付いた。
鍵が開いている、つまり部屋に誰かいるのだ。
そして思い当たる人物は1人しかいない。
「吉野。上がるのはいいが、鍵くらいかけておけ」
羽鳥は文句を言いながら、自室に入る。
もうすっかり日が落ちているというのに、部屋は真っ暗だ。
このパターンの時、吉野がいるのはほぼ100%ベットだ。
眠っているか、もしくは落ち込んでいるか。
そして今日はおそらく後者だろう。
「小野寺とやり合ったのか?」
羽鳥はベットでゴソゴソと動く吉野に声をかけた。
吉野は何も答えずに、ベットに身体を起こした。
表情から不機嫌さが滲み出ている。
「やり合ったっていうか、ちょっと納得いかなかった」
「何が」
「俺の意見なんて聞かずに話を進めるのが、ちょっと嫌だっただけ!」
「駄々っ子か」
羽鳥はため息をつくと、吉野から離れた。
スーツを脱いでハンガーにかけ、部屋着に着替える。
そうしながらどう声をかけるべきかと考えた。
今回の件、羽鳥は律から報告を受けている。
そして2人の意見が食い違ったことを、悪いとは思っていなかった。
吉野と律のコンビは、今まで何だかんだで順調すぎたのだ。
前担当の羽鳥は幼なじみで恋人ということもあり、ポンポンと言いたいことを言っていた。
だけど律が相手だと、吉野は少々の不満があっても頷いてしまうようなところがある。
おそらく律の初々しいやる気に当てられていたのだろう。
だけど本来、作家と編集者が意見を戦わせるのはいいことだ。
より良い作品をつくるために、作家と担当編集はしっかりと意思疎通をしておくのは重要だと思う。
「プロなんだから、折れなきゃいけない部分もあるんだぞ」
「うん、だけど。。。」
「意見を言うのはいい。だけど『ちょっと嫌』とか言って拗ねるのはダメだ。」
「え?」
「どっちの意見が作品のためになるかよく考えろ。それで自分が正しいと思うならとことんやれ。」
羽鳥はそれだけ言うと、キッチンに向かった。
今日は本当は残り物ですませるつもりだったが、吉野がいるならそうはいかない。
だけど食事の支度の間、吉野は考えるだろう。
今回のピンキッシュハートの件は、羽鳥は律に分があると思っている。
そして吉野はきちんとそのことを認められると信じていた。
「卵焼き、忘れないでよ」
ベットから厚かましい声が聞こえてくる。
羽鳥は「わかった」と答えると、冷蔵庫から卵を取り出した。
*****
「俺って、不器用なんですかね?」
律は肩を落として、ため息をつく。
高野はそんな恋人に「まぁ器用じゃねーな」と言い切った。
高野が会社から戻ると、すぐに部屋に律がやって来た。
隣室に住む律には、物音などで高野が部屋にいるかいないかすぐわかる。
先に帰宅した時には、高野が帰ったのを確認してからこちらの部屋に来ることが多い。
今日の律は何となく元気がなかった。
ソファに腰を下ろすと、ポツリポツリと口を開く。
それによると、律は担当作家、吉野と意見が衝突したらしい。
だがその翌日吉野から謝罪があり、律の意見を支持したのだという。
律は高野にそういう何ともつかみどころのない説明しかしなかった。
おそらく今後発表する企画に関わり事なのだろう。
今はもう高野はエメラルド編集部とは関係ないから、詳細は言えないのだ。
「俺の意見の方が正しいって、確信してます。」
「じゃあ、何を悩んでる?」
「悩んでません。ただ作家の機嫌を損ねずに意見を通せるようになりたいなぁと思ったりして。。。」
「立派に悩んでるじゃん」
高野は苦笑しながら、部屋着に着替え始めた。
結局律が悩んでいるのは、作家のご機嫌などというひどく些末なこと。
大筋である仕事の進め方には迷いがなく、変えるつもりもないのだ。
それならば大丈夫だと思う。
芯がブレていなければ、細かい部分は何とでもなる。
「別に作家と友達になる必要なんかねーだろ。極端な話、嫌われてたって原稿が上がれば問題ない。」
「仲がいい方がいいに決まってるでしょ!」
「まぁそれに越したことはないが、距離は必要だ。見えるもんも見えなくなる。」
「俺にはむずかしそうです。」
高野は肩を落とす律を見ながら、こと吉野に関しては距離は関係ないと思う。
何しろつい最近まで幼なじみにして恋人である男が担当編集で、1千万部を売り上げたのだ。
こと仕事に関しては、情に甘えることなくプロとしての仕事ができる作家だ。
つまり吉野も律も、いい作品を世に出したいというプロ意識をしっかり持っている。
多少の意見のすれ違いなど何ということもない。
今は少々不機嫌になったり、迷ったりしても、きっと大丈夫。
2人でうまくやっていけるだろう。
「俺って、不器用なんですかね?」
律は肩を落として、ため息をつく。
高野はそんな恋人に「まぁ器用じゃねーな」と言い切った。
未だに割り切れずに悩んでいる律は確かに不器用だ。
だけど恋人としては、そんな不器用さも好きだと思う。
悩んでいる表情さえかわいいと思ってしまうベタ惚れ振りに、高野は自分のことながら呆れていた。
【続く】