昼5題

【ひだまりのなか】

綺麗だな。すごく。
吉野はその光景を見て、心の底からそう思った。

吉野は丸川書店に来ていた。
次回掲載分のネーム原稿を確認するためだ。
通常こういう確認作業の場合は、担当編集である律が出向く場合が多い。
吉野宅、もしくは吉野宅近くのカフェだ。

だけど今回に限って、吉野は丸川書店まで足を運んだ。
表向きの理由は、画材などの買い出しがあるのでついでに寄る。
だが実際の理由は、律の負担の軽減だった。

ここ2か月、律が担当する別の作家がスタンプに陥っていた。
さらにその作家は地方在住で、律はフォローのために出張を繰り返していた。
それを羽鳥から聞かされた吉野は、少なからず驚いていた。
なぜなら律本人はそんなことを少しも言わず、吉野の担当編集業務をこなしていたからだ。
もっとも吉野の原稿もかなり遅れたので、気付く余裕がなかったというのが正解なのだが。

とにかくそんな律の苦労を少しでも減らそうと、吉野は丸川書店に来た。
事前に時間の約束をしており、律は会議室で待っていると言う。
すでに勝手知ったる丸川書店、約束の部屋のドアをノックし、中に入る。
そしてその光景を見た吉野は、思わず見惚れた。

律は机に突っ伏して、眠っていた。
顔は吉野が入ってきたドアの方を向いており、無防備な寝顔を晒している。
午後の日差しがその顔を照らし、頬にかかる髪が綺麗な陰影を作り出す。
ひだまりのなか、茶色がかった律の髪が光を吸収して金色に輝いている。

綺麗だな。すごく。
吉野はその光景を見て、心の底からそう思った。
そしてそっと息を殺して、その横顔を見つめる。
そこには下心も何もない。
作家としての吉野の感性が、その光景を美しいと思ったのだ。

これ、描きたい。
吉野は痛切にそう思ったが、まさかこの場でスケッチを始めるわけにはいかない。
一瞬迷ったものの、カバンの中から取材用のデジカメを取り出す。
そして気付かずに眠る律の寝顔に、フォーカスを合わせたのだった。

*****

うわわ。
その原稿を見た律は、ひたすら動揺した。

それは数か月前のこと。
担当作家の1人がひどいスランプに陥った。
地方に住む彼女の調子を戻すため、時間があれば出張を繰り返したあの時期。
今思えば本当にハードだったと思う。

他の作家には本当に申し訳なかったと思う。
その中でも特筆すべきは吉野だった。
ちょうどその時期に、雑誌の表紙を担当することになったのだ。
そして律がさしたるアドバイスもできなかったのに、吉野は見事な絵を上げてきたのだ。
それがヒロインがひだまりのなか、机に突っ伏して居眠りしている絵。
まるで絵画のように、芸術的な感じさえする作品だった。

そして今回、その吉野のコミックスの新刊が発売されることになった。
その表紙をめくった1ページ目に、カラーの挿絵としてその絵が入れられる。
色校をチェックし終えた律は、ほぉと満足の吐息を漏らした。
表紙の時と遜色のない綺麗な色で仕上がっている。

続いてコミックスのあと書きをチェックした律は「うわわ」と声を上げる。
その原稿を見た律は、ひたすら動揺した。
これはコミックス用に吉野が書き下ろしたものだ。
こちらはカラーではなくモノクロで、落書きのようなイラストと短いお礼文。
そのイラストはあの芸術的な表紙絵の、パロディバージョンだ。
コミカルに丸っこいタッチで、机に突っ伏して寝ているのは律だった。

この光景には覚えがある。
いつぞや吉野と打ち合わせをするのに、会議室で待ち合わせた。
あの頃は疲れが溜まっていて、ついひだまりのなかでうたた寝をしてしまったのだ。
申し訳なさそうな吉野に起こされて、律は穴掘ってもぐりたいような気になった。

担当編集のOさん、いつもお疲れ様です。
そんな文章が吉野本人の筆跡で書かれている。
それを見た律の心は複雑だ。
こんな風に吉野に労ってもらうのは嬉しい。
だけどあの表紙絵のモチーフが自分の寝姿だったなんて、恥ずかしいやら情けないやら。
まぁ作品に貢献できたならいいか。
律は何とか自分の気持ちに無理矢理折り合いをつけると、再びコミックスに収録する原稿のチェックに戻った。

だがこの件で、律が知らないでいることがある。
あの日、あまりの美しい光景に見惚れた吉野は律の写真を撮影した。
表紙絵はもちろん、その画像をスケッチしたものだ。
そしてその画像の存在を知った羽鳥は、そのコピーを高野にも渡していた。
かつての上司が、この青年の画像を喜ぶことは容易に察しがつくからだ。

そして高野はその画像をスマートフォンに保存している。
職場が離れ、仕事中に律の顔が見られないのが少々寂しい高野は、時折その画像を眺めて楽しんでいる。

【続く】
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