昼5題
【ランチタイム】
「すごい血筋なんですね!」
吉野はありったけの敬意を込めて、そう言った。
その時律の顔がかすかに強張ったことには、気が付かなかった。
吉野と律は、丸川書店近くのカフェで打ち合わせをしていた。
最近の2人のブームは、カフェめぐりだったりする。
打ち合わせや原稿の受領など、直接顔を合わせる時にはこういう店を使う。
しかもなるべく初めて行くカフェを選ぶのだ。
これは律の発案だった。
男の身で少女漫画編集、しかもこれから年齢を重ねていくばかり。
少しでも乙女度を上げるべく、仕事で会う時は若い女性が好きそうなカフェにする。
こんな風に言うと格好はいいが、実は美味しいものを食べたいという欲求もある。
オシャレなカフェで、食べるのがもったいないほどかわいいランチやスイーツ。
女の子は当たり前に楽しんでいることだけど、実は男にはハードルが高い。
だけど2人ならそういう店にも入りやすいし、打ち合わせも楽しくなる。
「うわ、このサンドウィッチ、美味しい!」
「こっちのピラフもイケますよ。」
「じゃあ半分食べたところで、交換しましょう。」
「わかりました。」
2人は先程打ち合わせを終え、ランチメニューを堪能していた。
羽鳥が聞いたら「お前ら女子か!」と突っ込みたくなるような会話。
だけど吉野はこの時間が好きだった。
羽鳥が担当の時は、自宅で手料理を作ってくれるか、外に出てもいつも同じ店だった。
しかも羽鳥はいつも苦虫を噛み潰したような表情で、コーヒーを飲むだけだ。
一緒にこういうランチタイムを過ごしたことはなかったと思う。
「それにしても小野寺さんって、こういうお店、よく知ってますよね。」
「知り合いの女の子に、詳しいのがいるんで。」
「え、彼女?彼女でしょ!」
「・・・違います。」
吉野と律はランチメニューを片づけて、食後のケーキも制圧した。
そして香りのよいコーヒーと共に、他愛もない会話を楽しむ。
だけど「カフェに詳しい知り合いの女の子」の話になって、律の口が重くなった。
言ってはいけないことを言ってしまったようだ。
「・・・彼女じゃないです。元婚約者です。」
律は吉野が口ごもったのを見て、困ったような表情で教えてくれる。
元婚約者。意外な言葉に吉野は「へ?」と声を上げた。
「親同士が結婚させたがって。でも結局俺が彼女をそういう目で見られなくて」
「もしかして小野寺さんって、すごい家柄の子だったりします?」
「父は出版社の社長です。」
「えええ!?」
吉野は思わず店中に響き渡るほどの声で叫んでしまった。
出版社の社長で小野寺と言えば、どう考えても小野寺出版だろう。
なるほどカフェで何かを食べている姿も、何だか品があると思っていたのだ。
羽鳥や柳瀬だって食べる時のマナーはちゃんとしているけど、彼らとは違う何か。
生まれの良さなのだと言われれば、すんなり納得できる。
「すごい血筋なんですね!」
吉野はありったけの敬意を込めて、そう言った。
その時律の顔がかすかに強張ったことには、気が付かなかった。
*****
「仕方ないんですけど」
律は深くため息をつきながら、そう言った。
今日の昼は、吉野と打ち合わせを兼ねたランチタイムを過ごした。
杏が最近お気に入りだというカフェを教えてくれたので、そこに吉野を案内したのだ。
日替わりランチは、ご飯ものとパンものの2種類。
それを2人で半分ずつ分けて、デザートと食後のコーヒーまで楽しんだ。
ガールズトークのようなノリで自分の身の上を話したのは、決して自慢ではない。
担当作家のほとんどが地方在住である律にとって、吉野の存在は貴重だった。
頻繁に会える作家であり、男であることを共有でき、しかも一緒にランチを楽しむ程度に気が合う。
だからそんな吉野に、誤魔化すようなことをしたくなかったのだ。
問われるままに、以前婚約者がいたことや、出版社の社長を父に持つことを打ち明けた。
「すごい血筋なんですね!」
吉野が心の底からそう言ってくれたのはわかっている。
だけど素直に喜べなかった。
何しろ吉野は持って生まれた才能に努力を重ねて、人気作家の地位を築いたのだ。
それに比べて、律が小野寺出版の社長令息であるのはただの偶然にすぎない。
七光りだと陰口を叩かれたり、露骨にすり寄ってこられたりして、ウンザリした時期もある。
今はようやく気持ちを隠して、表情を変えないことができるようになったばかりだ。
それに実を言うと、吉野がどういうリアクションをするのか、少々意地悪く考えたりもした。
七光りと蔑むようなことはないと思うが、さりげなくスルーか、もしくはお世辞など言うのか。
だけど吉野の反応は、素直に感心するという、正攻法にして経験のない手法。
何となく気持ちはすっきりしないものの、怒るにしても矛先がない。
律としては何とも微妙な気分なのだ。
「仕方ないんですけど」
律は深くため息をつきながら、そう言った。
今日は帰宅するとすぐに高野の部屋に来た。
何かあったことを察してくれた高野は、さりげなく「どうした?」と聞いてくれる。
律は高野が作った夕飯を食べながら、吉野とのランチタイムのことを話した。
高野はただ黙って律の話を聞き、最後に「仕方ないな」とだけ言った。
そして変な慰めなど言わないでくれるのが、ありがたい。
本当に考えても仕方がない。
割り切るしかないのだ。
有能な担当作家とランチタイム、そして恋人の手作りの夕飯。
今日は美味しいご飯三昧で、99%幸せ。
それで十分、残りの1%で落ち込むなんてもったいない。
律は「ご飯、美味しいです」と微笑した。
高野はこれ以上ないドヤ顔で「当然だ」と答えた。
*****
「仕方ないな。」
律の話を聞き終えた高野は、努めてさりげなくそう言った。
今朝、律はウキウキと「今日は吉野さんとランチです」と言って、出かけて行った。
吉野と律は、月刊エメラルドの中でも仲のいい方ではないだろうか。
高野はもうエメラルドを離れてしまったが、かつての作家や担当者を思い浮かべるとそう思う。
おそらく相性がいいというやつだろう。
高野は律に近づく人間には、男女問わず盛大に妬く。
自分がこんなに嫉妬深かったのかと感動するほどだ。
だが吉野に関してだけは、不思議とそんな気にならなかった。
単に吉野と羽鳥が恋人同士だからということではない。
吉野と律は仲の良い女子同士みたいな雰囲気なのだ。
女子会。ガールズトーク。
そんな単語がこの2人にはよく似合う。
だから高野は「楽しんで来い」と律を送り出した。
だが帰ってくると、浮かない表情だ。
そこで夕飯に律好みのメニューを並べ、さりげなく「どうした?」と水を向けてやる。
すると案の定というべきか。
吉野に律の身の上を話したところ「すごい血筋なんですね!」と感心されたらしい。
吉野に悪気がないのはよくわかっている。
むしろこの場合、悪気がないのが問題なのだ。
そこに少しでも邪心があれば、律は敏感にそれを感じ取る。
そして「将来見返してやる!」などと悪態をついて、その日は終わるのだ。
だけど素直に感心された場合、どうにも気持ちの持って行きようがないのだろう。
単純にそれを喜べるほど、律はまだ自分の生まれを達観できていない。
だけど吉野に悪意がない以上、怒ることもできない。
こんな事態に慣れていない律は、ただただため息をつくしかないのだろう。
「仕方ないな。」
律の話を聞き終えた高野は、努めてさりげなくそう言った。
残念ながら七光り云々について、高野がしてやれることは何もない。
何しろ生まれついてのことなのだから、変えようもないのだ。
だけど話を聞いてやることはできる。
食事を作って、食べさせることだってできる。
幸せな気分に塗り替えてやれるのは、恋人の喜びだ。
律は「ご飯、美味しいです」と笑っている。
高野はこれ以上ないキメ顔で「当然だ」と答えてやった。
*****
「それを小野寺に言ったのか」
羽鳥は思わず聞いてしまう。
吉野が「言ったよ?」と間の抜けた答えを返していて、頭を抱えたくなった。
今日、吉野と律がカフェで打ち合わせをしたことは知っている。
2人は打ち合わせの度に、新しい店を開拓しているのだ。
もし厳しい編集長ならば、仕事にかこつけて遊ぶなとでも言うのかもしれない。
だけど羽鳥は、この2人に関しては別に関係ないと思っている。
一応「少しでも乙女度を上げる」なんて名目もあるようだし、仕事でもマイナスにはなっていない。
ならば何の問題もないだろう。
吉野は毎回、律とカフェで何を食べたかなどデジカメなどで記録している。
それをパソコン画面で見せてくれながら「美味しそうでしょ!」なんて報告したりする。
俺が担当の時にはこんなに楽しそうじゃなかったなと、ちょっと不満に思わないでもない。
だけど吉野が笑顔なら、それでいいだろう。
それに相手が律なら、絶対に色恋にならないこともわかっている。
「小野寺さんって小野寺出版の社長の息子なんだって!」
やたらとテンション高く報告する吉野は、最後にそう言った。
羽鳥は思わず「は?」と聞き返す。
すると吉野も「あ!」と声を上げた。
「言っちゃいけなかったかな。プライバシーの侵害とか!?」
「・・・エメ編ではみんな知ってる。」
吉野のピントのズレた発言に羽鳥は脱力する。
羽鳥が驚いたのは、吉野がそれを知ったことだ。
高野も他の編集部員も、作家にそんなことを告げたりしない。
つまり律本人が話さない限り、吉野が知ることはないのだ。
「俺『すごい血筋なんですね!』って言っちゃったよ。」
「それを小野寺に言ったのか」
羽鳥は思わず聞いてしまう。
吉野が「言ったよ?」と間の抜けた答えを返していて、頭を抱えたくなった。
律が吉野に自分の素性を話したということは、それなりに信頼しているということだ。
だがその返事がそれでは、律もさぞかし困惑したことだろう。
そもそも吉野は自分の立場がわかってなさすぎる。
1千万部作家に「すごい」と言われて、素直に受け取れない場合があることを知るべきだ。
特に吉野が「すごい」と評したのは、律がコンプレックスに思っている生い立ちなのだから。
「まぁそれがお前なんよな。。。」
羽鳥がポツリと呟いた言葉は、吉野には聞こえなかったらしい。
その代わりに「夕飯、なに?」と弾んだ声が帰ってきた。
小野寺、すまんな。いつか吉野もわかる時がくるから。
羽鳥は心の中で部下に詫びながら、夕飯の支度にとりかかった。
【続く】
「すごい血筋なんですね!」
吉野はありったけの敬意を込めて、そう言った。
その時律の顔がかすかに強張ったことには、気が付かなかった。
吉野と律は、丸川書店近くのカフェで打ち合わせをしていた。
最近の2人のブームは、カフェめぐりだったりする。
打ち合わせや原稿の受領など、直接顔を合わせる時にはこういう店を使う。
しかもなるべく初めて行くカフェを選ぶのだ。
これは律の発案だった。
男の身で少女漫画編集、しかもこれから年齢を重ねていくばかり。
少しでも乙女度を上げるべく、仕事で会う時は若い女性が好きそうなカフェにする。
こんな風に言うと格好はいいが、実は美味しいものを食べたいという欲求もある。
オシャレなカフェで、食べるのがもったいないほどかわいいランチやスイーツ。
女の子は当たり前に楽しんでいることだけど、実は男にはハードルが高い。
だけど2人ならそういう店にも入りやすいし、打ち合わせも楽しくなる。
「うわ、このサンドウィッチ、美味しい!」
「こっちのピラフもイケますよ。」
「じゃあ半分食べたところで、交換しましょう。」
「わかりました。」
2人は先程打ち合わせを終え、ランチメニューを堪能していた。
羽鳥が聞いたら「お前ら女子か!」と突っ込みたくなるような会話。
だけど吉野はこの時間が好きだった。
羽鳥が担当の時は、自宅で手料理を作ってくれるか、外に出てもいつも同じ店だった。
しかも羽鳥はいつも苦虫を噛み潰したような表情で、コーヒーを飲むだけだ。
一緒にこういうランチタイムを過ごしたことはなかったと思う。
「それにしても小野寺さんって、こういうお店、よく知ってますよね。」
「知り合いの女の子に、詳しいのがいるんで。」
「え、彼女?彼女でしょ!」
「・・・違います。」
吉野と律はランチメニューを片づけて、食後のケーキも制圧した。
そして香りのよいコーヒーと共に、他愛もない会話を楽しむ。
だけど「カフェに詳しい知り合いの女の子」の話になって、律の口が重くなった。
言ってはいけないことを言ってしまったようだ。
「・・・彼女じゃないです。元婚約者です。」
律は吉野が口ごもったのを見て、困ったような表情で教えてくれる。
元婚約者。意外な言葉に吉野は「へ?」と声を上げた。
「親同士が結婚させたがって。でも結局俺が彼女をそういう目で見られなくて」
「もしかして小野寺さんって、すごい家柄の子だったりします?」
「父は出版社の社長です。」
「えええ!?」
吉野は思わず店中に響き渡るほどの声で叫んでしまった。
出版社の社長で小野寺と言えば、どう考えても小野寺出版だろう。
なるほどカフェで何かを食べている姿も、何だか品があると思っていたのだ。
羽鳥や柳瀬だって食べる時のマナーはちゃんとしているけど、彼らとは違う何か。
生まれの良さなのだと言われれば、すんなり納得できる。
「すごい血筋なんですね!」
吉野はありったけの敬意を込めて、そう言った。
その時律の顔がかすかに強張ったことには、気が付かなかった。
*****
「仕方ないんですけど」
律は深くため息をつきながら、そう言った。
今日の昼は、吉野と打ち合わせを兼ねたランチタイムを過ごした。
杏が最近お気に入りだというカフェを教えてくれたので、そこに吉野を案内したのだ。
日替わりランチは、ご飯ものとパンものの2種類。
それを2人で半分ずつ分けて、デザートと食後のコーヒーまで楽しんだ。
ガールズトークのようなノリで自分の身の上を話したのは、決して自慢ではない。
担当作家のほとんどが地方在住である律にとって、吉野の存在は貴重だった。
頻繁に会える作家であり、男であることを共有でき、しかも一緒にランチを楽しむ程度に気が合う。
だからそんな吉野に、誤魔化すようなことをしたくなかったのだ。
問われるままに、以前婚約者がいたことや、出版社の社長を父に持つことを打ち明けた。
「すごい血筋なんですね!」
吉野が心の底からそう言ってくれたのはわかっている。
だけど素直に喜べなかった。
何しろ吉野は持って生まれた才能に努力を重ねて、人気作家の地位を築いたのだ。
それに比べて、律が小野寺出版の社長令息であるのはただの偶然にすぎない。
七光りだと陰口を叩かれたり、露骨にすり寄ってこられたりして、ウンザリした時期もある。
今はようやく気持ちを隠して、表情を変えないことができるようになったばかりだ。
それに実を言うと、吉野がどういうリアクションをするのか、少々意地悪く考えたりもした。
七光りと蔑むようなことはないと思うが、さりげなくスルーか、もしくはお世辞など言うのか。
だけど吉野の反応は、素直に感心するという、正攻法にして経験のない手法。
何となく気持ちはすっきりしないものの、怒るにしても矛先がない。
律としては何とも微妙な気分なのだ。
「仕方ないんですけど」
律は深くため息をつきながら、そう言った。
今日は帰宅するとすぐに高野の部屋に来た。
何かあったことを察してくれた高野は、さりげなく「どうした?」と聞いてくれる。
律は高野が作った夕飯を食べながら、吉野とのランチタイムのことを話した。
高野はただ黙って律の話を聞き、最後に「仕方ないな」とだけ言った。
そして変な慰めなど言わないでくれるのが、ありがたい。
本当に考えても仕方がない。
割り切るしかないのだ。
有能な担当作家とランチタイム、そして恋人の手作りの夕飯。
今日は美味しいご飯三昧で、99%幸せ。
それで十分、残りの1%で落ち込むなんてもったいない。
律は「ご飯、美味しいです」と微笑した。
高野はこれ以上ないドヤ顔で「当然だ」と答えた。
*****
「仕方ないな。」
律の話を聞き終えた高野は、努めてさりげなくそう言った。
今朝、律はウキウキと「今日は吉野さんとランチです」と言って、出かけて行った。
吉野と律は、月刊エメラルドの中でも仲のいい方ではないだろうか。
高野はもうエメラルドを離れてしまったが、かつての作家や担当者を思い浮かべるとそう思う。
おそらく相性がいいというやつだろう。
高野は律に近づく人間には、男女問わず盛大に妬く。
自分がこんなに嫉妬深かったのかと感動するほどだ。
だが吉野に関してだけは、不思議とそんな気にならなかった。
単に吉野と羽鳥が恋人同士だからということではない。
吉野と律は仲の良い女子同士みたいな雰囲気なのだ。
女子会。ガールズトーク。
そんな単語がこの2人にはよく似合う。
だから高野は「楽しんで来い」と律を送り出した。
だが帰ってくると、浮かない表情だ。
そこで夕飯に律好みのメニューを並べ、さりげなく「どうした?」と水を向けてやる。
すると案の定というべきか。
吉野に律の身の上を話したところ「すごい血筋なんですね!」と感心されたらしい。
吉野に悪気がないのはよくわかっている。
むしろこの場合、悪気がないのが問題なのだ。
そこに少しでも邪心があれば、律は敏感にそれを感じ取る。
そして「将来見返してやる!」などと悪態をついて、その日は終わるのだ。
だけど素直に感心された場合、どうにも気持ちの持って行きようがないのだろう。
単純にそれを喜べるほど、律はまだ自分の生まれを達観できていない。
だけど吉野に悪意がない以上、怒ることもできない。
こんな事態に慣れていない律は、ただただため息をつくしかないのだろう。
「仕方ないな。」
律の話を聞き終えた高野は、努めてさりげなくそう言った。
残念ながら七光り云々について、高野がしてやれることは何もない。
何しろ生まれついてのことなのだから、変えようもないのだ。
だけど話を聞いてやることはできる。
食事を作って、食べさせることだってできる。
幸せな気分に塗り替えてやれるのは、恋人の喜びだ。
律は「ご飯、美味しいです」と笑っている。
高野はこれ以上ないキメ顔で「当然だ」と答えてやった。
*****
「それを小野寺に言ったのか」
羽鳥は思わず聞いてしまう。
吉野が「言ったよ?」と間の抜けた答えを返していて、頭を抱えたくなった。
今日、吉野と律がカフェで打ち合わせをしたことは知っている。
2人は打ち合わせの度に、新しい店を開拓しているのだ。
もし厳しい編集長ならば、仕事にかこつけて遊ぶなとでも言うのかもしれない。
だけど羽鳥は、この2人に関しては別に関係ないと思っている。
一応「少しでも乙女度を上げる」なんて名目もあるようだし、仕事でもマイナスにはなっていない。
ならば何の問題もないだろう。
吉野は毎回、律とカフェで何を食べたかなどデジカメなどで記録している。
それをパソコン画面で見せてくれながら「美味しそうでしょ!」なんて報告したりする。
俺が担当の時にはこんなに楽しそうじゃなかったなと、ちょっと不満に思わないでもない。
だけど吉野が笑顔なら、それでいいだろう。
それに相手が律なら、絶対に色恋にならないこともわかっている。
「小野寺さんって小野寺出版の社長の息子なんだって!」
やたらとテンション高く報告する吉野は、最後にそう言った。
羽鳥は思わず「は?」と聞き返す。
すると吉野も「あ!」と声を上げた。
「言っちゃいけなかったかな。プライバシーの侵害とか!?」
「・・・エメ編ではみんな知ってる。」
吉野のピントのズレた発言に羽鳥は脱力する。
羽鳥が驚いたのは、吉野がそれを知ったことだ。
高野も他の編集部員も、作家にそんなことを告げたりしない。
つまり律本人が話さない限り、吉野が知ることはないのだ。
「俺『すごい血筋なんですね!』って言っちゃったよ。」
「それを小野寺に言ったのか」
羽鳥は思わず聞いてしまう。
吉野が「言ったよ?」と間の抜けた答えを返していて、頭を抱えたくなった。
律が吉野に自分の素性を話したということは、それなりに信頼しているということだ。
だがその返事がそれでは、律もさぞかし困惑したことだろう。
そもそも吉野は自分の立場がわかってなさすぎる。
1千万部作家に「すごい」と言われて、素直に受け取れない場合があることを知るべきだ。
特に吉野が「すごい」と評したのは、律がコンプレックスに思っている生い立ちなのだから。
「まぁそれがお前なんよな。。。」
羽鳥がポツリと呟いた言葉は、吉野には聞こえなかったらしい。
その代わりに「夕飯、なに?」と弾んだ声が帰ってきた。
小野寺、すまんな。いつか吉野もわかる時がくるから。
羽鳥は心の中で部下に詫びながら、夕飯の支度にとりかかった。
【続く】
1/5ページ