朝5題
【一杯のコーヒー】
吉野千秋、柳瀬優、そして小野寺律。
このミスマッチな3人が並んで食事をすることになったのは、ちょっとしたたくらみからだった。
先月、いつも頼んでいる女性アシスタントの1人が、インフルエンザにかかってしまった。
しかもよりによって、彼女は柳瀬に次ぐベテランで貴重な戦力だ。
だがダウンしてしまったものは仕方がない。
結局担当編集の律があちこちに声をかけて、若い女性アシスタントを手配してくれた。
いつもと違う顔ぶれで少々苦戦したものの、吉野は何とか乗り切った。
「本当にありがとう。助かりました。」
出来上がったばかりの原稿をバイク便に託すと、吉野はアシスタントたちに頭を下げた。
女性アシスタントたちは徹夜明けの疲労の濃い顔だが、全員笑顔だ。
柳瀬だけが「別に仕事だし」とクールだった。
「今回は大変だったから、アシスタント料を割増するから」
吉野は全員の顔を見回すと、そう言った。
土壇場で頼もしい戦力が離脱して、本当に苦労したのだ。
だけど女性アシスタントたちは、一様に首を振った。
「お金は決められた額でいいので、食事を御馳走してくれませんか?」
そう言ったのは、今回助っ人に来てくれた若い女性アシスタントだ。
だが言われた吉野は戸惑った。
別に食事を奢るくらい、大した話じゃない。
だけど若い女性を連れて行けるようなオシャレな店など知らないし。
それに食事中に彼女たちを楽しませるような会話術もない。
「いいですね!お店は私たちが選びますから!」
「柳瀬さんも行きますよね?あと小野寺さんも誘いましょう!」
吉野の迷いを見透かしたように、残り2人の女性アシスタントが声を上げる。
それなら問題ないかなと思った。
お店も選んでもらえるし、如才なさそうな律が一緒なら会話にも困らないだろう。
ふと見ると、女性たち3人の向こうから柳瀬が険しい目でこちらを見ていた。
首を振っているのは、行きたくないということなのだろう。
だけど吉野としては、今月頑張ってくれたアシスタントたちを労いたい。
だから柳瀬の態度は無視して「じゃあ6人で行こう!」と宣言した。
そして数日後の夜、6人が落ち着いたのは、居酒屋の個室だった。
女の子が好きそうなオシャレな感じの店だが、値段はまぁまぁリーズナブル。
そこで吉野は柳瀬、律と並んで座り、3人の女性と向かい合うことになった。
3人の女性たちは楽しそうだ。
柳瀬はいつものクールな無表情だが、付き合いの長い吉野には機嫌が悪いのだとわかった。
律も笑顔だが、この状況に少々困惑しているようにも見える。
「それじゃ、カンパ~イ!」
吉野の掛け声で、6個のジョッキがテーブルの中央でカツンとかち合う。
何だか合コンみたい。
吉野はぼんやりとそんなことを思いながら、ジョッキを傾けていた。
*****
「ごめんなさい。無理です。」
律はきっぱりと言い捨てた。
相手の女性だけでなく、その場にいた全員が気まずい空気になったのがわかった。
吉野から食事に誘われたときから、律は嫌な予感がしたのだ。
表向きは前回の入稿の時、アシスタントが1人ダウンするというアクシデントを乗り切った慰労会。
だけど今回の助っ人アシスタントの子が決めたという居酒屋の名を聞いて「あれ?」と思った。
そこは先月、丸川書店の女性向け雑誌でデートスポットとして紹介された店なのだ。
確か「狙っているカレをゲットするにはこのお店!」なんてキャプションがついていた。
それに人数が男女3人ずつというのも、すごく気になる。
だけど律には、断わるという選択肢はなかった。
作家からの誘いは、編集者にとっては仕事の一環と言える。
それに今回、臨時の助っ人アシスタントを手配したのは律なのだ。
その彼女が言い出しっぺなのだと聞けば、行かないのは無責任だろう。
そしてこうして飲み会が始まってみて、嫌な予感が見事に当たってしまったのだとわかった。
最初こそ真面目に漫画業界の話などしていた。、
だがすぐに件の助っ人アシスタントが「好きな異性のタイプは?」なんて言い出したのだ。
そして程なくして彼女は「席替えタイムです!」なんて高らかに叫んだりしている。
吉野はその展開にあっけにとられ、柳瀬はずっと不機嫌そうだ。
つまりこれは仕組まれた合コン。
これは助っ人アシスタントが計画し、残りの2人の女性が協力したのだろう。
「小野寺さんって、綺麗ですよね~♪」
助っ人アシスタントは「席替えタイム」宣言の後、律の隣に陣取った。
どうやらロックオンされたらしい。
よく見るといつものアシスタントの1人、確か希美とかいう名前の子が柳瀬の隣にいる。
いつも柳瀬のことをうっとりとした目で見ている子だ。
そして吉野は残ったもう1人の女性に文句を言っているようだ。
「この後、2人だけで二次会に。。。」
「ごめんなさい。無理です。俺、好きな人がいるんです。」
甘い声で誘われたけど、律はきっぱりと言い捨てた。
相手の女性だけでなく、その場にいた全員が気まずい空気になったのがわかった。
だけど脳裏にどうしても高野の顔が浮かぶのだ。
合コンで言い寄られたなんて知られれば、さぞかし怒ることだろう。
ああ、俺ってダメだな。
律は自分の男としてのスキルの低さを、改めて思い知った。
合コンだって気付いてて参加するなんて、不誠実だろう。
それに女の子1人、うまくあしらえないのも情けない。
彼女に恥をかかせずに断ることもできないなんて、人として未熟すぎる。
なにより楽しい雰囲気をぶち壊したのは最低だ。
結局シラけた雰囲気のまま、合コンは終わった。
女の子たちが肩を落として帰っていくのを見ながら、律の気分も沈んだ。
*****
「本当にごめんなさい。」
吉野はもう何度も繰り返したセリフをまた口にした。
律は「気にしないで下さい」と苦笑する。
だけど柳瀬は冷やかに「だから言っただろ」と吉野を睨みつけてやった。
何とも後味の悪い合コンの後、柳瀬と吉野と律はカフェにいた。
このまま帰るには後味が悪い。
だけど酒を飲む気にもなれなかった。
一杯のコーヒーでリフレッシュしようということで、意見が一致した。
「優は最初っから合コンだってわかってたの?」
吉野の問いに、柳瀬は「当たり前だ」と答えながら、呆れた。
むしろ吉野がどうしてわかっていなかったのが、謎だ。
あの助っ人のアシスタントは、露骨に律ばかり見ていた。
律が作業の様子を見に来た時だけ熱心に仕事をするので、腹さえ立ったのだ。
「優は希美ちゃんと。。。」
「それ以上言うと、本気で怒るぞ」
この上、まだ言うか。
言葉に怒りを含ませてやると、さすがに吉野も「ゴメン」と頭を垂れた。
「すみません。彼女を紹介したのは俺なので」
律が取り成すようにそう言うと、コーヒーをすすった。
ミルクたっぷりのカフェラテは、柔らかい雰囲気の律によく似合っている。
柳瀬は「いえ」と首を振ると、自分のブラックコーヒーを口に運んだ。
ちなみに吉野は見るからに甘そうな、クリームをトッピングしたものを飲んでいた。
羽鳥とは気が合わなかったけど、この人は嫌いじゃない。
柳瀬はこっそりと律を盗み見ながら、そう思った。
熱心な仕事振りも、物腰の柔らかさも好感が持てる。
そして女の子の誘われて、思わす「好きな人がいる」なんて言ってしまう不器用さもいい。
それに吉野との距離の取り方も、新鮮だった。
羽鳥は完全に保護者気取りの上から目線で、怒鳴ることも多かった。
柳瀬も対等な友人のつもりだが、保護者的な気分になることは多い。
だが律は、むしろ吉野を立てようと、下から支えるように接するのだ。
今日みたいに吉野に振り回されても、怒ることもないのはすごい。
何より別に好きな人がいるなら、吉野とどうこうなることもないだろうし。
「小野寺さんのせいじゃないでしょう。千秋が鈍感なのが悪い。」
柳瀬は何となく愉快な気分になって、コーヒーのカップを掲げた。
すると律はクスリと笑うと、自分のカフェラテのカップをカチンと合わせた。
吉野が不満そうに口を尖らせるのを見るのは、かなり愉快だ。
【終】「昼5題」に続きます。
吉野千秋、柳瀬優、そして小野寺律。
このミスマッチな3人が並んで食事をすることになったのは、ちょっとしたたくらみからだった。
先月、いつも頼んでいる女性アシスタントの1人が、インフルエンザにかかってしまった。
しかもよりによって、彼女は柳瀬に次ぐベテランで貴重な戦力だ。
だがダウンしてしまったものは仕方がない。
結局担当編集の律があちこちに声をかけて、若い女性アシスタントを手配してくれた。
いつもと違う顔ぶれで少々苦戦したものの、吉野は何とか乗り切った。
「本当にありがとう。助かりました。」
出来上がったばかりの原稿をバイク便に託すと、吉野はアシスタントたちに頭を下げた。
女性アシスタントたちは徹夜明けの疲労の濃い顔だが、全員笑顔だ。
柳瀬だけが「別に仕事だし」とクールだった。
「今回は大変だったから、アシスタント料を割増するから」
吉野は全員の顔を見回すと、そう言った。
土壇場で頼もしい戦力が離脱して、本当に苦労したのだ。
だけど女性アシスタントたちは、一様に首を振った。
「お金は決められた額でいいので、食事を御馳走してくれませんか?」
そう言ったのは、今回助っ人に来てくれた若い女性アシスタントだ。
だが言われた吉野は戸惑った。
別に食事を奢るくらい、大した話じゃない。
だけど若い女性を連れて行けるようなオシャレな店など知らないし。
それに食事中に彼女たちを楽しませるような会話術もない。
「いいですね!お店は私たちが選びますから!」
「柳瀬さんも行きますよね?あと小野寺さんも誘いましょう!」
吉野の迷いを見透かしたように、残り2人の女性アシスタントが声を上げる。
それなら問題ないかなと思った。
お店も選んでもらえるし、如才なさそうな律が一緒なら会話にも困らないだろう。
ふと見ると、女性たち3人の向こうから柳瀬が険しい目でこちらを見ていた。
首を振っているのは、行きたくないということなのだろう。
だけど吉野としては、今月頑張ってくれたアシスタントたちを労いたい。
だから柳瀬の態度は無視して「じゃあ6人で行こう!」と宣言した。
そして数日後の夜、6人が落ち着いたのは、居酒屋の個室だった。
女の子が好きそうなオシャレな感じの店だが、値段はまぁまぁリーズナブル。
そこで吉野は柳瀬、律と並んで座り、3人の女性と向かい合うことになった。
3人の女性たちは楽しそうだ。
柳瀬はいつものクールな無表情だが、付き合いの長い吉野には機嫌が悪いのだとわかった。
律も笑顔だが、この状況に少々困惑しているようにも見える。
「それじゃ、カンパ~イ!」
吉野の掛け声で、6個のジョッキがテーブルの中央でカツンとかち合う。
何だか合コンみたい。
吉野はぼんやりとそんなことを思いながら、ジョッキを傾けていた。
*****
「ごめんなさい。無理です。」
律はきっぱりと言い捨てた。
相手の女性だけでなく、その場にいた全員が気まずい空気になったのがわかった。
吉野から食事に誘われたときから、律は嫌な予感がしたのだ。
表向きは前回の入稿の時、アシスタントが1人ダウンするというアクシデントを乗り切った慰労会。
だけど今回の助っ人アシスタントの子が決めたという居酒屋の名を聞いて「あれ?」と思った。
そこは先月、丸川書店の女性向け雑誌でデートスポットとして紹介された店なのだ。
確か「狙っているカレをゲットするにはこのお店!」なんてキャプションがついていた。
それに人数が男女3人ずつというのも、すごく気になる。
だけど律には、断わるという選択肢はなかった。
作家からの誘いは、編集者にとっては仕事の一環と言える。
それに今回、臨時の助っ人アシスタントを手配したのは律なのだ。
その彼女が言い出しっぺなのだと聞けば、行かないのは無責任だろう。
そしてこうして飲み会が始まってみて、嫌な予感が見事に当たってしまったのだとわかった。
最初こそ真面目に漫画業界の話などしていた。、
だがすぐに件の助っ人アシスタントが「好きな異性のタイプは?」なんて言い出したのだ。
そして程なくして彼女は「席替えタイムです!」なんて高らかに叫んだりしている。
吉野はその展開にあっけにとられ、柳瀬はずっと不機嫌そうだ。
つまりこれは仕組まれた合コン。
これは助っ人アシスタントが計画し、残りの2人の女性が協力したのだろう。
「小野寺さんって、綺麗ですよね~♪」
助っ人アシスタントは「席替えタイム」宣言の後、律の隣に陣取った。
どうやらロックオンされたらしい。
よく見るといつものアシスタントの1人、確か希美とかいう名前の子が柳瀬の隣にいる。
いつも柳瀬のことをうっとりとした目で見ている子だ。
そして吉野は残ったもう1人の女性に文句を言っているようだ。
「この後、2人だけで二次会に。。。」
「ごめんなさい。無理です。俺、好きな人がいるんです。」
甘い声で誘われたけど、律はきっぱりと言い捨てた。
相手の女性だけでなく、その場にいた全員が気まずい空気になったのがわかった。
だけど脳裏にどうしても高野の顔が浮かぶのだ。
合コンで言い寄られたなんて知られれば、さぞかし怒ることだろう。
ああ、俺ってダメだな。
律は自分の男としてのスキルの低さを、改めて思い知った。
合コンだって気付いてて参加するなんて、不誠実だろう。
それに女の子1人、うまくあしらえないのも情けない。
彼女に恥をかかせずに断ることもできないなんて、人として未熟すぎる。
なにより楽しい雰囲気をぶち壊したのは最低だ。
結局シラけた雰囲気のまま、合コンは終わった。
女の子たちが肩を落として帰っていくのを見ながら、律の気分も沈んだ。
*****
「本当にごめんなさい。」
吉野はもう何度も繰り返したセリフをまた口にした。
律は「気にしないで下さい」と苦笑する。
だけど柳瀬は冷やかに「だから言っただろ」と吉野を睨みつけてやった。
何とも後味の悪い合コンの後、柳瀬と吉野と律はカフェにいた。
このまま帰るには後味が悪い。
だけど酒を飲む気にもなれなかった。
一杯のコーヒーでリフレッシュしようということで、意見が一致した。
「優は最初っから合コンだってわかってたの?」
吉野の問いに、柳瀬は「当たり前だ」と答えながら、呆れた。
むしろ吉野がどうしてわかっていなかったのが、謎だ。
あの助っ人のアシスタントは、露骨に律ばかり見ていた。
律が作業の様子を見に来た時だけ熱心に仕事をするので、腹さえ立ったのだ。
「優は希美ちゃんと。。。」
「それ以上言うと、本気で怒るぞ」
この上、まだ言うか。
言葉に怒りを含ませてやると、さすがに吉野も「ゴメン」と頭を垂れた。
「すみません。彼女を紹介したのは俺なので」
律が取り成すようにそう言うと、コーヒーをすすった。
ミルクたっぷりのカフェラテは、柔らかい雰囲気の律によく似合っている。
柳瀬は「いえ」と首を振ると、自分のブラックコーヒーを口に運んだ。
ちなみに吉野は見るからに甘そうな、クリームをトッピングしたものを飲んでいた。
羽鳥とは気が合わなかったけど、この人は嫌いじゃない。
柳瀬はこっそりと律を盗み見ながら、そう思った。
熱心な仕事振りも、物腰の柔らかさも好感が持てる。
そして女の子の誘われて、思わす「好きな人がいる」なんて言ってしまう不器用さもいい。
それに吉野との距離の取り方も、新鮮だった。
羽鳥は完全に保護者気取りの上から目線で、怒鳴ることも多かった。
柳瀬も対等な友人のつもりだが、保護者的な気分になることは多い。
だが律は、むしろ吉野を立てようと、下から支えるように接するのだ。
今日みたいに吉野に振り回されても、怒ることもないのはすごい。
何より別に好きな人がいるなら、吉野とどうこうなることもないだろうし。
「小野寺さんのせいじゃないでしょう。千秋が鈍感なのが悪い。」
柳瀬は何となく愉快な気分になって、コーヒーのカップを掲げた。
すると律はクスリと笑うと、自分のカフェラテのカップをカチンと合わせた。
吉野が不満そうに口を尖らせるのを見るのは、かなり愉快だ。
【終】「昼5題」に続きます。
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