プロポーズ10題sideC

【最大に幸せな笑顔】

「すみません。そういうのは困るんで。」
答えている恋人の表情は、最高に幸せな笑顔に見えた。

雪名は新進気鋭の画家として、次第に有名になりつつあった。
だが今のところ、まだ顔写真は公表していない。
これは世話になっている画廊のオーナーの提案に従ったからだ。
雪名の美しい外見はもちろん大きな武器になる。
それを効果的に生かすために、しばらく隠しておいた方がいいと言われた。

正直なところ、雪名としては本意ではなかった。
テレビタレントとかモデルなどではないのだ。
絵の実力とルックスはまったく別物だ。
だがここは大恩ある画廊のオーナーの意見に従うことにした。
新人画家の売り方などは詳しいのだろうし、逆らうほどの主張は持っていない。

だがその弊害と言うべきか。
画家「雪名皇」については噂だけが先行していた。
作風的に年齢は若いとか、そう見せかけておいて年配であるとか。
人前に出ないのは人嫌いなのだとか、すごいブサイクであるとか。
その中の1つが、木佐がモデルの一連の作品は実は自画像なのではないかという噂だ。

木佐はモロにそのとばっちりを受けていた。
絵が売れ始めた頃には、たまに「雪名皇の絵のモデルの方ですよね?」と聞かれる程度だった。
そのうちに「雪名皇さんですか?」と聞かれ始めた。
そして最近ではもう「サインしてください」とか「握手してください」も増えている。
とにかく日に1度は声をかけられるという訳のわからない人気ぶりだった。

今もそうだ。
雪名は画廊のスタッフとの打ち合わせが長引き、久しぶりのデートなのに待ち合わせ時間に遅れた。
待ち合わせ場所では木佐が、4人組の若い女性に囲まれていた。
そのうちの1人が「雪名皇さんの絵のファンなんです」と、木佐に握手を求めている。

「絵より実物の方がステキです!」
別の女性がそう言って、残りの女性たちが「ほんとだよね」と同調している。
雪名としては、複雑な気分だった。
絵の中の木佐より、実物の木佐の方が素晴らしいのは間違いない。
だがそれは雪名の腕にも問題があるのかもしれない。
木佐の美しさや輝きを表現しきれていないのではないだろうか。

「すみません。そういうのは困るんで。」
答えている恋人の表情は、最高に幸せな笑顔に見えた。
木佐はこうやって雪名の成功を確かめるのが嬉しいらしい。

雪名だって困ってる。
最近の木佐はさらに美しさに磨きがかかった気がするのだ。
人は見られると美しくなるというが、木佐は注目を集めたことで綺麗になってしまったらしい。

「お待たせしました。行きましょう!」
雪名は女性たちをかき分けると、その中から木佐の腕を掴んで引っ張り出した。
美しくなること、大いに結構!と開き直る。
好きな人の美しさを絵に写し取ることが仕事なんて、きっと幸せなことなのだから。

*****

「ビー、エル?」
日和は聞きなれない言葉に、小首を傾げた。

平穏な生活に戻った日和は、毎日を楽しく過ごしている。
今日も仲のいい友人の由紀の家に来ており、最近読んだ本や漫画雑誌の話をしていた。
すると由紀は、最近ハマっている漫画のタイトルを口にした。
何の雑誌に載っているのか、日和には聞き覚えがない。

「親戚のお姉ちゃんに借りたの。BL漫画なんだ。」
「ビー、エル?」
「ボーイズラブ。男の子と男の子の恋愛の話。読んでみる?」
「男の子と男の子。。。」

由紀が日和のために解説してくれながら、借り物だという本を1冊見せてくれる。
日和は本を受け取ると、まずは表紙をじっと見た。
男の子同士の恋愛と聞き、クラスの男子などに置き換えると、正直言って気持ちが悪い。
だが表紙の中の少年2人を見ると、違和感はなかった。
2人はしっかりと抱き合いながら、最高に幸せな笑顔を見せている。

日和は漫画を読み進めながら、もしかしてと思った。
それは父親である桐嶋と横澤のことだ。
漫画の中の2人の関係は、どこか桐嶋たちの関係に似ている。
ちょっかいを出す少年と、それにいちいち過敏な反応をして照れたり怒ったりする少年。

日和は人の心の機微には敏感な方だ。
その直感で、桐嶋と横澤は普通の友人とは違うというのを感じていた。
ただの友人と言うには親密すぎるし、親友と言うには甘すぎる。
それに時々横澤が物憂げな目で、母の仏壇を見ているのも気になった。
2人の関係が「恋愛」であるなら、しっくりとおさまるような気がする。

「ありがとう」
BL漫画を読み終えた日和は、礼を言って由紀に本を返した。
桐嶋と横澤がこの2人みたいな関係だったら、それはそれでステキかもしれない。
まだ子供である日和は偏見のない目で、素直にそう思うことができた。
それに2人とも日和のことを大事にしてくれる。
たとえ恋に堕ちても、日和を捨てるなんて事は絶対にないと信じられる。

「続きもあるけど、読む?」
由紀がそう言ってくれたけど、日和は首を振った。
架空のBL話の結末など、どうでもいい。
大事な人2人の将来を、これからずっと見続けていられるのだから。

*****

「来月に新人が1人入る。あと4ヵ月後にもう1人。」
月刊エメラルドの編集部のミーティングで、羽鳥がおもむろにそう言った。
そしてチラリと木佐を見る。
木佐は一瞬だけ羽鳥と目を合わせると、かすかに頷いた。

木佐はそう遠からず少女漫画から離れるつもりでおり、羽鳥にはそれを伝えていた。
もちろんかねてからの念願である雪名と一緒に仕事をするためだ。
だが高野が異動になった今、すぐにいなくなるつもりはない。
新人を入れて、使えるようになり、木佐なしでも編集部が回るようになってからだ。
おそらく1年くらいは先の話だろう。

雪名は木佐の絵を発表してから、驚くべきペースで知名度が上がりつつある。
顔写真やプロフィールを公開しておらず、当初はミステリアスな画家として注目を集めた。
だが本名で活動しているし、雪名本人は友人知人が多い。
実は王子様のようなイケメンだということが、そろそろ世間にバレ始めている。

木佐はその雪名のための仕事をしたいと思っている。
順調に雪名が画家としての才能を開花させていれば、遠からず担当編集に指名してもらえる。
だが最近の木佐は考えが変わり始めている。
丸川で美術の担当になるよりは、雪名個人のマネージメントをしたい。
個展や画集の企画をしたり、作品の構想を話し合ったりしたい。

「それではこの企画の説明をします。」
律が立ち上がって説明を始めたのを見て、木佐は気を引き締めなおした。
雪名との仕事はまだ先の話、今の木佐はまだエメラルドの編集者だ。
そして新しい企画発表をする律を見ながら、頼もしく思う。
文芸希望なのに、少女漫画なんてと戸惑っていた新人編集はたくましく成長した。

「ねぇ律っちゃん。それって高野さんとお揃い?」
会議が終わって全員が席を立ったとき、木佐は律にそう聞いた。
指差したのは、律の左手首にある腕時計だ。
あまり見ない珍しいデザインだが、多分高価なものだろう。
律は最近これをするようになり、よく右手の指で文字盤に触れるような仕草をしている。
先程の企画発表の前も、何度も時計の表面に触れていた。
初めての大きな企画発表に緊張していたのだろう。
まるで時計に力を分けてもらおうとでもしているように見えた。

「お、お、お揃いって!」
律は「ぶわああ」と擬音がつくような勢いで顔を赤くしている。
どうやら当たりのようだ。
編集者としては成長しても、こういう反応は新人の頃のままだ。
ふと見ると美濃もニヤニヤと律をみている。
羽鳥はいつも通りのポーカーフェイスだが、微かに苦笑しているようにも見えた。

「いいなぁ。これでいつでも一緒って感じ?」
木佐のズケズケとした物言いに、律はガックリと肩を落とした。
高野と律の関係ははっきりと聞かされたことはない。
だが律がエメラルド編集部に来た当初からバレバレだった。

「まぁそんなもんです。」
諦めたようにそう答えた律は、また右手の指で腕時計をなでる。
その表情は少々照れているが、最高に幸せな笑顔に見えた。

何か雪名とお揃いのもの、欲しいな。
できたら身に着けるものがいい。
木佐は律の腕時計を見ながら、また雪名との未来に思いを馳せた。

【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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