プロポーズ10題sideC

【大切な人達】

「俺も編集長に名乗りを上げていいですか」
美濃は高野の目を真っ直ぐに見ながら、そう言った。

最近エメラルド編集部は忙しい。
律は抜けてしまっているし、高野は異動する新しい部署の方に顔を出すことが増えた。
つまり今まで5人でこなしていた仕事を、実質3.5人で回していることになる。
その上原稿が盗まれるというアクシデントまで発生したのだ。
だが楽しみにしてくれる読者にはそんなことは関係ない。
雑誌は何としても出さなければならず、全員が必死に働いていた。

それでも編集部の中は前向きな雰囲気で、活気に満ちていた。
全員が自分の仕事に対して目標を持っており、それに向かって進んでいる。
今は職場を離れている律も、原稿を取り戻したい一心で慣れない仕事を懸命に頑張っているようだ。
その中で美濃は自分1人だけ取り残されているような気がしていた。

それはひとえに自分の生き方によるものだと美濃は思っている。
本心をさらけ出すことをせずに、1歩引いて傍観者のような態度を取ってしまうのだ。
そのせいで腹黒で笑顔の裏で何を考えているかわからないと思われていることも知っている。
だが身についてしまった習慣は、簡単には変えられない。

今回の編集長交代劇も当初、美濃はどこか他人事のように見ていた。
どうせ副編集長の羽鳥がそのまま繰り上がるに決まってると思っていたのだ。
だがそれをきっかけに全員が自分の将来について真剣に考え始めた。
そのうえ原稿の盗難などという事件が起きて、ますます事態はますます複雑になった。

何をみんな真剣になってるんだと思う。
だから意味もなく木佐や律、横澤にまでからんだりもした。
だがその反面、自分も負けていられないと焦っている。
何だかんだ言っても少女漫画は好きなのだ。
自分の裁量で雑誌を作りたいという気持ちは誰よりもある。
だけど他のメンバーの熱気に当てられて、美濃もまた踏み出そうとしていた。

今は編集長席に高野がいるだけで、羽鳥も木佐もいない。
律はまだ復職しておらず、編集部には高野と2人きりだ。
美濃はツカツカと編集長席の前まで行くと、おもむろに口を開いた。

「俺も編集長に名乗りを上げていいですか」
美濃は高野の目を真っ直ぐに見ながら、そう言った。
書類に目を落としていた高野が視線を上げて、真っ直ぐに美濃を見た。
高野はまったく表情を変えないので、何を思っているのかわからない。

「わかった。候補に入れておく。」
高野は素っ気なく答えると、書類に視線を戻した。
美濃もまた無表情のまま席に戻ったが、手のひらがしっとりと汗で濡れているのを感じた。
どうやら思いのほか、緊張していたようだ。
こういうやる気のある行動は、自分のキャラではないらしい。

*****

やっぱり迷惑だろうか。
日和はずっと同じことを考えながら、行くことも帰ることもできずにいた。

日和は「ブックスまりも」にいた。
正確には丸川書店に行く途中で、ここに寄り道していたのだ。
今日は平日、日和は学校の帰りだ。
それでもどうしてもと思い立って、電車を乗り継いで、父親の職場へとやって来た。

日和は同じ学校の男子生徒に「好きだ」と告白されていた。
その気がない日和はきっぱりとことわったのだが、それ以来付きまとわれている。
学校の行き帰りに後をついて来られたり、休み時間に廊下からジッと見られていたりする。
正直言って気持ちが悪い。

父親である桐嶋か、横澤に相談したいと思った。
だけど桐嶋は家では最近疲れた様子で話がしにくく、横澤はあまり家に来なくなった。
桐嶋は階段に張られた糸の件で気が立っており、横澤は高野の異動で動揺する後ろめたさで足が遠のいていた。
だが日和は知る由もない。
とにかく毎日疲れていて機嫌が悪そうな桐嶋には話がしにくいのだ。
だから横澤と話がしたくて、ここへ来たのだった。

だがここまできたものの、丸川書店に行くのは勇気がいる。
そこは日和の知らない大人の世界なのだ。
それに最近横澤が顔を出さないのは、仕事が忙しくて大変なせいかもしれない。
そんなときにいきなり、日和が連絡もなく現れたらどう思うだろう。
やっぱり迷惑だろうか。
日和はずっと同じことを考えながら、行くことも帰ることもできずにいた。

そしてもうかれこれ30分近く「ブックスまりも」の店内をフラフラしている。
日和は「はぁぁ」と大きくため息をついた。
いつまで迷っていても仕方がないのだが、どうしても足が鈍る。
桐嶋も横澤も、大切な人達には余計な迷惑をかけたくない。
そのとき背後からポンと肩を叩かれて、日和はビクリと全身を震わせた。

「これ、落としたでしょ?」
立っていたのは、若い男性だった。
日和に差し出したのは、日和が携帯電話につけているストラップだ。
黒と白のネコのマスコットがついたそれは、ソラ太に似ているからと衝動買いしたものだった。
慌ててポケットの中から携帯を出した日和は、ストラップがついていないことに気付いた。
どうやら落としてしまったのを拾ってもらったらしい。

「どうもありがとう。」
日和は礼を言って、ストラップを受け取った。
拾ってくれた若い男性は「どういたしまして」と微笑した。
男性なのにかわいらしい笑顔のその人は、本屋の店員ではなくて客のようだ。

それにしてもちょっと肩を叩かれただけで、過敏に反応してしまった。
これもあの男の子に付きまとわれているせいだ。
たまに学校の帰りに、不意に肩をたたかれることがあるのだ。
自分で思っているよりも、多分心は消耗している気がする。。

とにかく横澤に相談しよう。
日和は「よし」と小さく掛け声をかけると「ブックスまりも」を後にした。

*****

驚きのあまり、何も言う暇がなかった。
木佐の身体は吹っ飛ばされ、受付のカウンターに背中をしたたかに打ち付けた。

打ち合わせが終わり会社に戻る途中の木佐は「ブックスまりも」に立ち寄った。
そこでたまたま1人の少女を見かけたのだ。
何だか元気がない様子で、トボトボと店内を歩いている。
少女のポケットの辺りから携帯電話のストラップが落ちたが、気付かないようだった。
拾い上げて、声をかけようと肩を叩いた時の驚き方は尋常ではなかった。

「あの子は確か丸川書店の、桐嶋さんのお嬢さんですよ。」
店を出て行く少女の後ろ姿を見送っていたら、背後から声をかけられた。
声をかけてきたのはもちろん雪名だ。
どうやら木佐と少女のやり取りを見ていたらしい。

「桐嶋さんの娘?何でお前が知ってるんだよ。」
「小鳥遊先生のサイン会のときに、親子でいらしてたんですよ。」
意外なつながりを聞かされながら、木佐はあの少女が気になった。
あの少女の驚き方や、どこか怯えたような表情は普通ではないように見える。
何よりもこの店はオフィス街にある。
小学生くらいの少女が平日に1人で来る場所ではない。

気になりながらも会社に戻った木佐は、正面玄関前で再びあの少女を見かけた。
受付の女性に声をかけようかどうしようか迷っているようだ。
木佐は先程のように少女を脅かさないように、わざと足音を立てて少女に近づいた。
その気配に気付いた少女はこちらを振り返り、木佐を見つけて「あ」と声を上げた。

「お父さんに会いに来たの?呼んであげようか?」
木佐は笑顔でそう聞いた。
少女は「違うの。パパじゃなくてお兄ちゃん」と困ったように言いよどんだ。
桐嶋の娘と聞いたが、その他に「お兄ちゃん」と呼ぶ人物も丸川にいるのか。
事情がわからない木佐だったが、あえてそこを掘り下げることはしなかった。

「もし困ったことがあるなら、ちゃんと相談した方がいいよ。」
「でも迷惑。。。」
「お父さんもお兄ちゃんも君の大切な人達でしょ?絶対迷惑なんて思わない。」
「忙しいし」
「君の身になにかあってからじゃ遅いだろ?」

木佐がこんな風に言うのは、少女の態度に思い当たることがあったからだ。
そのかわいらしい容貌から、木佐は男から言い寄られることが多々あった。
やたら付きまとわれたり、待ち伏せされたりして怖い目にあったこともある。
人に声をかけられただけで、怖くてビクリとしてしまったこともある。
この少女が同じような目に合っているかもしれないと、直感したのだ。

「すごく怖くて。。。」
少女はそう言いながら、涙ぐんでいた。
木佐は慌ててハンカチを取り出すと、少女の前に屈んでそれを差し出した。
これは早くその「お兄ちゃん」とやらを呼んだ方がいい。
そう思った瞬間、ドカドカとこちらに近づいてくる足音が聞こえた。
足音の主は横澤で、顔を強張らせながらこちらに早足で近づいてくる。

「テメー、ひよに何した!」
横澤はいきなり木佐の襟首を掴んで、いきなり拳を振り下ろした。
驚きのあまり、何も言う暇がなかった。
木佐の身体は吹っ飛ばされ、受付のカウンターに背中をしたたかに打ち付けた。
あまりの衝撃に一瞬、呼吸が止まる。

我に返った木佐は、横澤を見た。
何か勘違いをされているようだが、とにかく顔が怖い。
さて何と言って説明しようかと、木佐は途方に暮れた。

【続く】
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