プロポーズ10題sideB
【観察開始】
張り込みって大変なんだなぁ。
観察開始!と意気込んで、店の前に立って1時間。
吉野は早くも挫けそうだった。
吉野が張り込んでいるのは、近所のコンビニの前。
今から約1時間前、いつもお世話になっているこのコンビニで吉野は見知った顔に遭遇した。
その人物は、つい最近までエメラルド編集部にいた小野寺律だ。
そして律は何と客ではなく、従業員としてここで働いていた。
最初に「吉野さん」と決まり悪そうに声をかけられたときには、一瞬誰だかわからなかった。
顔も綺麗でスタイルもいい律はいつもカジュアルな服装で、モデルのような印象だ。
その律がコンビニの制服に身を包んで、棚に商品を並べていた。
だがよくよく見ると、コンビニの制服も似合っている。
綺麗な容姿と相まって、すごくかわいらしい印象になるのだった。
「いったいどうしたんです?」
驚き覚めやらぬ吉野は、当然そう聞いた。
律はまじまじと制服姿の律を見る吉野の視線に少々たじろぎながら、困ったような表情だ。
だが驚いている様子はなかった。
場所を考えれば、吉野とここで顔を合わせてしまうことは予想していたのだろう。
「アルバイトです。次の仕事が見つかるまで。」
律は小さくそう答えたが、吉野はとても納得できなかった。
会社を辞めたのなら、もちろんまた新しい仕事をしなければならないのだとはわかる。
だがなぜコンビニの店員なのか。
しかもよりにもよって、どうして吉野の家から近いここなのだろう。
吉野は散々粘って、仕事中の律に「本当はどうしてなんですか?」と食い下がった。
最初は「何でもないですよ」とかわし続けた律も、あまりにもしつこい吉野に根負けした。
というより、あまり吉野が居座れば仕事にならない。
このままでは店に迷惑がかかってしまうと、律は判断したのだった。
「実は俺が引ったくりにあった場所って、ここの目の前なんです。」
「そういえば」
「ここの店員さんが、引ったくり犯を見たそうなんで。」
「まさか。。。それで張り込みを?」
「そんな大げさなものじゃないです。でも原稿は絶対に取り戻したくて。」
吉野は律の静かな決意に、圧倒された。
責任を感じて仕事を辞めて、それでも失くした原稿を取り戻そうとしている。
それに引き換え、自分は何だろう。
締め切りさえ守れず、そのために羽鳥に編集長の椅子を諦めさせてしまった。
その日から吉野は時間があれば、コンビニの前に立つようになった。
そしてこうしてコンビニの外から、じっと律を見ている。
ひょっとしてもしも犯人が現れたら、原稿を取り返す。
そんな律の心意気を見届けなくてはいけない気がするからだ。
*****
まったく何をやっている!
羽鳥はじっとコンビニの前に立っている吉野に、腹が立つのを止められなかった。
羽鳥がコンビニに来たのは、もちろん偶然ではない。
吉野を心配した律から連絡を受けたからだ。
驚いて駆けつけた羽鳥は、コンビニの駐車スペースの車留めの柵に腰を下ろした吉野を見つけた。
まったく呆れるしかない。
吉野がここにいたところで、何の役にも立たない。
それどころか見張っていますとばかりに立っている吉野は、かなり目立っている。
はっきり言ってコンビにとしては営業妨害、下手をすれば律の目的である犯人捜しの邪魔にもなる。
「吉野」
羽鳥が背後から近づき、吉野に声をかけた。
驚いた吉野の背中がビクリと震え、そしてゆっくりと振り返る。
だが振り返るまでもなく羽鳥だとわかったようで、その表情は決まりが悪そうだ。
羽鳥が「帰るぞ」とうながしても、吉野は曖昧に「うん」と答えるだけで動こうとしない。
「お前がここにいたところで、何の役にも立たないぞ。」
「わかってるよ。。。」
「じゃあどうしてここにいる?どうしたいんだ?」
「トリ、俺はどうしたらいいんだろう?」
まさかの質問返しに、羽鳥は驚いて吉野を見た。
吉野は戸惑いを含んだ目で羽鳥を見上げている。
その表情から吉野はどうしても引ったくり犯を捕まえたくてここにいるわけではないとわかる。
「俺は原稿を盗られても、何もできなくて」
「そんなことはない。新しいのを描いてくれたじゃないか。」
「トリは俺のせいで編集長になれないし」
「それは俺が決めたことだ。」
「でも小野寺さんは、会社を辞めてまで頑張ってるのに!」
駄々っ子のような吉野の訴えに、羽鳥はなるほどと合点がいった。
吉野は自分のせいで、羽鳥が編集長にならないことを気にしている。
そんなときに目の前に現れたのが、盗られた原稿のために少ない可能性に全てをかける律だ。
自分も何かしなければいけないという強迫観念に駆られたのだろう。
頑張る律の姿を見て、後ろめたさが焦りに変わったのだ。
「わかった、吉野。とにかく帰ろう。それで一緒に考えよう。」
「トリ。。。」
「とにかくここにいては、小野寺の邪魔になるだけだ。」
「うん」
ようやく腰を上げた吉野に、羽鳥は安堵する。
羽鳥は帰り際にコンビニの中をチラリと覗いた。
レジの中にいた律が羽鳥と目が合うと、ホッとした表情で頭を下げる。
羽鳥は軽く手を上げて答えると、吉野と一緒に歩き始めた。
*****
まったく普通のことをしてるのが心配ってどういうことなんだ?
柳瀬はこの理不尽な悩みに、納得がいかなかった。
柳瀬は時間が空けば、吉野の家に顔を出すようになった。
まだまだアシスタントが必要な時期でもないのに、柳瀬が通う理由は羽鳥だ。
いろいろと考え込んでいるようだから、時間があれば一緒にいてやって欲しい。
そう頼まれた柳瀬は、頻繁に吉野宅に出向き、吉野の観察を開始してすぐにわかった。
吉野はわかりやすく悩んでいることに。
「俺、頑張らなきゃいけないんだよ」
吉野は口癖のように、そう何度も繰り返した。
そして言葉通り、今月の吉野は異例の速さで作業を進めている。
プロットもネームも、羽鳥が決めたスケジュール通りに進行していた。
例えば一之瀬絵梨佳のような締め切り厳守の作家からすれば、まったく当たり前のこと。
だがこれが「吉川千春」だと、どうにも落ち着かない。
何か悪いことの前触れなのではないかとさえ思ってしまう。
ここまで違和感があるものなのかと呆れるしかない。
「なぁ千秋、小野寺さんはまだそのコンビニにいるのか?」
「うん。何かあったら連絡をくれるって言ってた。」
「そんなに都合よくいくもんかな」
「引ったくりを見た店員さん、もう1度犯人を見たらわかるかもって言ってるんだって。」
「そういうのって、警察は動いてくれないのかよ。」
「本当にそうだよね!」
吉野は「警察」という言葉を聞いて、怒ったような表情に変わった。
確かに警察が張り込んでくれればありがたいが、引ったくり程度だとそこまではしてくれないのだろう。
柳瀬としては、律がこれ以上変なことに巻き込まれないことを祈るばかりだ。
まったく羽鳥め、と柳瀬は内心悪態をついた。
最近の羽鳥ときたら、吉野のお守りを押し付ける頻度が上がっている気がする。
柳瀬の吉野への未練を容赦なく利用されている気がするのだ。
だがそれでいてそんな羽鳥だから、勝てないという気もする。
吉野のためなら、柳瀬でも他の誰でも容赦なく利用する。
身勝手なほど一途な愛情に、ちょっと共感してしまったりもしているのだ。
「そういえば、あのコンビニって」
柳瀬がふと思いついて、ポツリと呟いた。
あの引ったくり事件の直前、ちょうどそのコンビニの前で柳瀬もまた不可解な出来事に遭遇している。
知らない女に「柳瀬さん」と声をかけられたのだ。
だが相手は柳瀬のことも吉野のことも知っているようで、何とも気持ち悪い思いをした。
まさかあの女が?
一瞬そう考えた柳瀬だったが、やはり違うと考え直した。
吉野や柳瀬のことを知っていたからといって、律のことも知っているとは限らない。
そもそも引ったくり犯と言われれば、どうしてもイメージは男だ。
「どうかした?」
吉野にそう問いかけられた柳瀬は、慌てて「いや」と首を振った。
この話題は早々に終わらせた方がいい。
下手なことを言って、また吉野がコンビニに張り込むなんて言い出したら、面倒だ。
【続く】
張り込みって大変なんだなぁ。
観察開始!と意気込んで、店の前に立って1時間。
吉野は早くも挫けそうだった。
吉野が張り込んでいるのは、近所のコンビニの前。
今から約1時間前、いつもお世話になっているこのコンビニで吉野は見知った顔に遭遇した。
その人物は、つい最近までエメラルド編集部にいた小野寺律だ。
そして律は何と客ではなく、従業員としてここで働いていた。
最初に「吉野さん」と決まり悪そうに声をかけられたときには、一瞬誰だかわからなかった。
顔も綺麗でスタイルもいい律はいつもカジュアルな服装で、モデルのような印象だ。
その律がコンビニの制服に身を包んで、棚に商品を並べていた。
だがよくよく見ると、コンビニの制服も似合っている。
綺麗な容姿と相まって、すごくかわいらしい印象になるのだった。
「いったいどうしたんです?」
驚き覚めやらぬ吉野は、当然そう聞いた。
律はまじまじと制服姿の律を見る吉野の視線に少々たじろぎながら、困ったような表情だ。
だが驚いている様子はなかった。
場所を考えれば、吉野とここで顔を合わせてしまうことは予想していたのだろう。
「アルバイトです。次の仕事が見つかるまで。」
律は小さくそう答えたが、吉野はとても納得できなかった。
会社を辞めたのなら、もちろんまた新しい仕事をしなければならないのだとはわかる。
だがなぜコンビニの店員なのか。
しかもよりにもよって、どうして吉野の家から近いここなのだろう。
吉野は散々粘って、仕事中の律に「本当はどうしてなんですか?」と食い下がった。
最初は「何でもないですよ」とかわし続けた律も、あまりにもしつこい吉野に根負けした。
というより、あまり吉野が居座れば仕事にならない。
このままでは店に迷惑がかかってしまうと、律は判断したのだった。
「実は俺が引ったくりにあった場所って、ここの目の前なんです。」
「そういえば」
「ここの店員さんが、引ったくり犯を見たそうなんで。」
「まさか。。。それで張り込みを?」
「そんな大げさなものじゃないです。でも原稿は絶対に取り戻したくて。」
吉野は律の静かな決意に、圧倒された。
責任を感じて仕事を辞めて、それでも失くした原稿を取り戻そうとしている。
それに引き換え、自分は何だろう。
締め切りさえ守れず、そのために羽鳥に編集長の椅子を諦めさせてしまった。
その日から吉野は時間があれば、コンビニの前に立つようになった。
そしてこうしてコンビニの外から、じっと律を見ている。
ひょっとしてもしも犯人が現れたら、原稿を取り返す。
そんな律の心意気を見届けなくてはいけない気がするからだ。
*****
まったく何をやっている!
羽鳥はじっとコンビニの前に立っている吉野に、腹が立つのを止められなかった。
羽鳥がコンビニに来たのは、もちろん偶然ではない。
吉野を心配した律から連絡を受けたからだ。
驚いて駆けつけた羽鳥は、コンビニの駐車スペースの車留めの柵に腰を下ろした吉野を見つけた。
まったく呆れるしかない。
吉野がここにいたところで、何の役にも立たない。
それどころか見張っていますとばかりに立っている吉野は、かなり目立っている。
はっきり言ってコンビにとしては営業妨害、下手をすれば律の目的である犯人捜しの邪魔にもなる。
「吉野」
羽鳥が背後から近づき、吉野に声をかけた。
驚いた吉野の背中がビクリと震え、そしてゆっくりと振り返る。
だが振り返るまでもなく羽鳥だとわかったようで、その表情は決まりが悪そうだ。
羽鳥が「帰るぞ」とうながしても、吉野は曖昧に「うん」と答えるだけで動こうとしない。
「お前がここにいたところで、何の役にも立たないぞ。」
「わかってるよ。。。」
「じゃあどうしてここにいる?どうしたいんだ?」
「トリ、俺はどうしたらいいんだろう?」
まさかの質問返しに、羽鳥は驚いて吉野を見た。
吉野は戸惑いを含んだ目で羽鳥を見上げている。
その表情から吉野はどうしても引ったくり犯を捕まえたくてここにいるわけではないとわかる。
「俺は原稿を盗られても、何もできなくて」
「そんなことはない。新しいのを描いてくれたじゃないか。」
「トリは俺のせいで編集長になれないし」
「それは俺が決めたことだ。」
「でも小野寺さんは、会社を辞めてまで頑張ってるのに!」
駄々っ子のような吉野の訴えに、羽鳥はなるほどと合点がいった。
吉野は自分のせいで、羽鳥が編集長にならないことを気にしている。
そんなときに目の前に現れたのが、盗られた原稿のために少ない可能性に全てをかける律だ。
自分も何かしなければいけないという強迫観念に駆られたのだろう。
頑張る律の姿を見て、後ろめたさが焦りに変わったのだ。
「わかった、吉野。とにかく帰ろう。それで一緒に考えよう。」
「トリ。。。」
「とにかくここにいては、小野寺の邪魔になるだけだ。」
「うん」
ようやく腰を上げた吉野に、羽鳥は安堵する。
羽鳥は帰り際にコンビニの中をチラリと覗いた。
レジの中にいた律が羽鳥と目が合うと、ホッとした表情で頭を下げる。
羽鳥は軽く手を上げて答えると、吉野と一緒に歩き始めた。
*****
まったく普通のことをしてるのが心配ってどういうことなんだ?
柳瀬はこの理不尽な悩みに、納得がいかなかった。
柳瀬は時間が空けば、吉野の家に顔を出すようになった。
まだまだアシスタントが必要な時期でもないのに、柳瀬が通う理由は羽鳥だ。
いろいろと考え込んでいるようだから、時間があれば一緒にいてやって欲しい。
そう頼まれた柳瀬は、頻繁に吉野宅に出向き、吉野の観察を開始してすぐにわかった。
吉野はわかりやすく悩んでいることに。
「俺、頑張らなきゃいけないんだよ」
吉野は口癖のように、そう何度も繰り返した。
そして言葉通り、今月の吉野は異例の速さで作業を進めている。
プロットもネームも、羽鳥が決めたスケジュール通りに進行していた。
例えば一之瀬絵梨佳のような締め切り厳守の作家からすれば、まったく当たり前のこと。
だがこれが「吉川千春」だと、どうにも落ち着かない。
何か悪いことの前触れなのではないかとさえ思ってしまう。
ここまで違和感があるものなのかと呆れるしかない。
「なぁ千秋、小野寺さんはまだそのコンビニにいるのか?」
「うん。何かあったら連絡をくれるって言ってた。」
「そんなに都合よくいくもんかな」
「引ったくりを見た店員さん、もう1度犯人を見たらわかるかもって言ってるんだって。」
「そういうのって、警察は動いてくれないのかよ。」
「本当にそうだよね!」
吉野は「警察」という言葉を聞いて、怒ったような表情に変わった。
確かに警察が張り込んでくれればありがたいが、引ったくり程度だとそこまではしてくれないのだろう。
柳瀬としては、律がこれ以上変なことに巻き込まれないことを祈るばかりだ。
まったく羽鳥め、と柳瀬は内心悪態をついた。
最近の羽鳥ときたら、吉野のお守りを押し付ける頻度が上がっている気がする。
柳瀬の吉野への未練を容赦なく利用されている気がするのだ。
だがそれでいてそんな羽鳥だから、勝てないという気もする。
吉野のためなら、柳瀬でも他の誰でも容赦なく利用する。
身勝手なほど一途な愛情に、ちょっと共感してしまったりもしているのだ。
「そういえば、あのコンビニって」
柳瀬がふと思いついて、ポツリと呟いた。
あの引ったくり事件の直前、ちょうどそのコンビニの前で柳瀬もまた不可解な出来事に遭遇している。
知らない女に「柳瀬さん」と声をかけられたのだ。
だが相手は柳瀬のことも吉野のことも知っているようで、何とも気持ち悪い思いをした。
まさかあの女が?
一瞬そう考えた柳瀬だったが、やはり違うと考え直した。
吉野や柳瀬のことを知っていたからといって、律のことも知っているとは限らない。
そもそも引ったくり犯と言われれば、どうしてもイメージは男だ。
「どうかした?」
吉野にそう問いかけられた柳瀬は、慌てて「いや」と首を振った。
この話題は早々に終わらせた方がいい。
下手なことを言って、また吉野がコンビニに張り込むなんて言い出したら、面倒だ。
【続く】