SMILE5

【幸せそうに】

「何だって!?」
「だから!それはやめたいというのが、俺と作家の共通した意見です!」
勢い込んで食って掛かるのは、月刊エメラルドの一番若い編集部員。
横澤は「ああ?」と声を荒げて、彼、小野寺律の顔を睨みつけた。

律が担当する作品のアニメ化が決まった。
そしてその作品の新刊コミックスが発売される。
そこでコミックスは2種類のものを発売するという案が出された。
通常版と限定版。
限定版は30分、アニメ放送に換算すれば1話分のDVDがつく。

この手法は今までアニメ化された他の作品でもやっており、成功していた。
付録の話はテレビ放送されず、DVD化されても収録されない。
しかも販売数も限られている、まさに限定版だ。
値段は通常版より3000円以上も高いが、ファンからの人気は高かった。

「この『プレミアムアニメDVD付き限定版』というのは、反対です。」
ここは販促-販売促進のための会議の場だ。
専務取締役の井坂や、営業は横澤、そして他の関係部署の人間も何人かいる。
エメラルドの編集長、高野もいた。
そんな中で律は、横澤が作った販売戦略に真っ向から反対してきたのだ。

*****

「アンケートの結果の資料を見て下さい。この作品の支持層は学生が多いんです。」
そう言いながら、律は横澤をキッと睨み返してきた。
またか。横澤はうんざりした気分になった。
以前、月刊エメラルドに今回のアニメ化の声優によるドラマCDをつける時も、律は反対した。
というか、そもそも付録というものが好きではないのだ。
付録で釣るようなやり方はせず、作品の内容で勝負したいというのが律の持論だった。

「無駄に3000円も余分に払わせるなんてやり方は、読者に余計な負担を強いるものです。」
横澤は片眉を上げて、目を細め、表情で律を威嚇する。
入社当初、会議では「なんでそんなにケンカ腰なんだ」と言わんばかりのビビった表情をしていた律。
だが最近はすっかり慣れたものだ。
暴れグマと異名を取る横澤の睨みには動じず、平然としている。
その上、意見が異なるような時には睨み返してくるようにさえなった。

「無駄じゃねぇよ!付録のDVDだってアニメのスタッフがきちんと作ったものだ。」
「だったらテレビ放送するか、アニメ化の後のDVDに入れればいいでしょう!」
その意見はわからないでもないが、と横澤も思う。
最近の中学生や高校生のこづかい事情などは知らないが。
普通に考えれば、その1話のために払う3000円は学生には痛いものかもしれない。

「限定だとかプレミアムだとか、そんな言葉で煽るような売り方は嫌なんです。」
嫌なんですって、子供か?お前は。
横澤はもう怒るのを通り越して、呆れるしかない。
律にとっても作家にとっても、初めてのアニメ化。
よくも悪くも青臭いやる気を持っているのはよくわかるのだが。
丸川書店とアニメの製作会社、テレビ局まで巻き込んで決まりかけている話なのだ。
ひよっこ編集部員の甘い理想論で覆るものではない。

*****

「小野寺さんのご意見はよくわかりますが。」
手を上げて静かに発言をしたのは、普段はこの会議に参加しない人物。
アニメを製作する会社の営業だった。
今回の付録につけるDVDもこの会社が作る。

「アニメのコンテンツを売る方法として、貴重なチャンスなんです。」
彼はそう前置きをして、話し始める。
この限定版が売れても、もちろんすべての収益が丸川書店のものというわけではない。
アニメの製作関係の会社の取り分もある。

最近はアニメのDVDもなかなか売れない。
テレビ放送を録画して、それでよしとしてしまうか。
もしくは友人同士で貸し借りしたり、レンタル店で安価で借りてすませてしまう者は多い。
限定版としてその1話を売るのは、重要な販売戦略だ。
まずこの1話分の収入も馬鹿に出来ないし、これを機に全巻揃えようと思う客もいるだろう。

「それに小野寺さんのお話は、読者が正しい手段でアニメを見ている前提でしょう。」
彼はそう言いながら、顔を曇らせる。
借りたDVDなどは、パソコンで簡単に複製できる。
あるいはテレビ放送を無断でネットにアップしてしまう不届き者もいるのだ。

横澤も同じ営業職として、大いにうなづいてしまう。
漫画だって、最近は大手のレンタル店で借りてすます者も多い。
さらに悩ましいのは、発売された雑誌の内容を「ネタバレ」と称して、ネットにアップする行為だ。
ブログのカウントアップを目的に、詳細にその内容を文章に書き写す者もいるのだ。
そういうものを読んですませて、買うのはコミックスでなどとされてしまうのは本当に悔しい。
早く内容を知りたいのなら雑誌を買えと言いたいし、そんなブログは告訴してやりたくなる。

とにかく背に腹は代えられない。
正規の値段でコンテンツを買わせるために、限定版は効果的な方法の1つなのだ。

*****

「読者のことを考えるのはいいことですが、まずは売ることです。」
アニメ製作会社の営業がそう言うと、律はグッと言葉に詰まった。
彼も横澤同様、苦笑している。
真っ直ぐではあるが、いかにも新人っぽい意見に内心呆れているのだろう。
礼儀正しい態度であるのは、律が自社の部下ではなく、一応取引先の社員だからだ。

「一部のマナー違反をする人たちより、ちゃんと買ってくれる読者のことを考えるべきです。」
「ましてや少ないおこづかいをやりくりして買ってくれる学生にとって、この販売方法は」
「誠実に売りたいんです。作家も担当編集の俺と同じ意見です。」
律はそれでもなお食い下がってくる。
横澤の睨みやアニメ製作会社の営業の薄笑いなど、まるで堪えていないようだ。
まったくこれでは子供ではないか。

横澤は助けを求めるように、ずっと黙っている編集長-高野を見た。
だがその高野は滔々と熱弁を振るう律を見ながら、笑っていた。
まるで可愛いものを見て、思わず微笑んでしまったような笑顔。
幸せそうに笑う高野に、横澤は愕然とした。

「とにかく販売サイドとしては納得できない。もう一度作家に話せ。」
横澤はそう言って、話を切った。
アニメ製作会社の人間が同席している貴重な時間。
まだ話し合わなければならない議題がいくつかあるからだ。

「いいか?売らなきゃならないんだ。誠実もいいがその辺のことも考えろ!」
「俺たち編集は、まず作家と読者のことを考えるべきだと思っています!」
最後の最後まで、律は憎らしくももっともな意見を言う。
横澤は盛大にため息をつくと「次の議題を」と言った。

*****

「次にアニメの件ですが。。。」
アニメ製作会社の営業が話を始める。
横澤は資料に目を落とす振りをして、もう一度高野を盗み見た。
高野もまた手元の資料を見ながら、口元は相変わらず幸せそうに微笑んでいる。

わかっている。
高野はこういう場でも、臆せずに自分の意見を言うようになった律が嬉しいのだ。
昔好きだった初恋の相手ではなく、部下の編集部員として。
律の成長を頼もしく思っているに違いない。

付録などではなく、作品の内容で勝負したい。
律の意見は正論ではあるが、現実的ではない。
絵に描いた餅、理想論だ。
それでも言いたいことはよくわかる。
困ったことに横澤自身も、こういう新人のやる気は好きだったりする。
理想と現実との板ばさみ。
それでも自分なりに理を貫こうとする律には、頼もしさすら感じる。

だから俺はアイツが嫌いなんだ、と横澤は思う。
いっそ本当に仕事に対しては不真面目な七光り野郎だったらよかったのに。
高野に10年前の初恋を幻滅させるほどダメなヤツだったらよかったのに。
そうしたら横澤だって、思い切り憎み倒すことが出来るだろう。

それでも少しだけ感謝もしている。
こんなに幸せそうに笑う高野を職場で見ることなどなかったからだ。
だけど絶対にそんなことは言ってやらない。
横澤は不機嫌そうに資料を見ている律の横顔を睨みつけながら、そう思った。

【終】
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