SMILE5

【含み笑い】

照れ笑いではなく、含み笑いだ。
その笑みが無性に悔しいと思った。

「俺はこれが大賞候補だと思う。対抗はこれと、あとこれ」
「俺も大賞候補は同じだなぁ。」
木佐と美濃が喋っている。
羽鳥も手元の書類に目を落としながら「うーん」と唸った。

エメラルド編集部の面々は、全員会議室にいた。
月刊エメラルドでは、年に何回か読者から投稿作品を募集している。
いわゆるコンクールという形式だ。
大賞はプロとしてのデビューが約束されている。
その下にも優秀賞や佳作などいくつかの賞が設けられていて、商品が授与される。
そして受賞作にはプロとして活躍する作家からの批評も寄せられる。
プロを目指す者たちからすると、プロ目線の批評は実力アップに大いに役立つだろう。

だが応募されてくる作品は、まさにピンからキリまで。
ほとんどプロの作品と遜色ない作品もあるが、多くはいわゆる素人作品だ。
締め切りに追われ、多忙な作家たちに全作品を読ませるわけにはいかない。
羽鳥の担当作家、吉川千春は全部読みたいと言ったが、羽鳥が断固として止めた。
ただでさえ筆が遅いのに、身の程知らずにも程がある。
とにかくある程度のレベル以上の作品を選ばなくてはならない。

そこでエメラルド編集部の面々がこうして集まっているのだった。
明らかに読むレベルではない作品は落として、賞候補作品を絞るのだ。

*****

「トリはどうだ?」
「俺も悪くないと思います。」
高野に意見を求められた羽鳥は、ひかえめにそう言った。
編集部員たちがするのは、作品を絞り込むだけ。
内容の批評をするのは、審査委員に選ばれた作家だからだ。
だが作家たちから上がる意見は、この会議の内容とほぼ一致する。
作家だって編集部員だってプロで、いい作品を見分ける目は確かなのだ。

木佐が大賞候補だと言い、美濃も同意した作品について、羽鳥も同じ感想だった。
1つだけ飛び抜けていい作品があるのだ。
内容も面白いし、キャラクターも魅力的。
コマ運びやセリフなども素人とは思えないほど完成度が高い。
ここ何年かずっと優秀賞と佳作だけで、大賞は出なかった。
ついにプロデビューする作家が出るのかと、期待に胸が膨らむ。

「あの、その作品は、ダメだと思います。」
他の編集部員たちが絶賛する作品にダメ出しをしたのは律だった。
全員が「え?」と驚いた表情で律を見る。

「実はこれなんですが。」
律は自分の資料の間から、1冊のコミックスを取り出した。
表紙はかなり傷んでおり、ページも変色している。
一見してかなり昔のものなのだとわかる。

「1975年に小野寺出版から出たコミックスです。」
律はそう言いながら、コミックスを隣に座る羽鳥に手渡してきた。
受け取った羽鳥は何のことかわからずにページをめくり「あ!」と小さく声を上げた。

*****

「この応募作品は多分盗作です。」
律は静かにそう言った。
最初にコミックスを渡されて内容を見た羽鳥が「確かによく似ているな」と唸る。
木佐と美濃が順番にコミックスを見て、律の言葉に納得した。

応募作品は、35年前のコミックスとそっくりだった。
設定をその当時から現代に置き換えてはいるが、キャラもコマ運びもほとんど同じ。
どう見てもパクったとしか思えないような内容だった。
しかもこうしてオリジナルと並べてしまうと、画力は落ちる。

「発行部数も少ないし、現在は絶版で手に入りません。だからバレないと思ったのかも。」
最後にコミックスに目を通した高野が、律の言葉に頷いた。
木佐が「久しぶりに大賞が出るかと思ったのに」と悔しそうだ。
美濃が「でも盗作じゃダメだよね。」と相変わらず笑顔で言った。

全員一致でその応募作品は受賞候補から外された。
とりあえず受賞候補作品を絞り込んで会議を終えた後。
高野は律に近づき「よく見つけたな」と声をかけた。
羽鳥も席を立ちながら、高野の言葉に無言で同意していた。

「たまたまです。やっと丸川の作品を制覇したんで、今は小野寺出版のを読んでるんです。」
「それにしても他社の絶版の本なんて、よく手に入れたな。」
「小野寺出版なら無理も利くんですよ。」
律が高野に答えて、笑っている。
照れ笑いではなく、含み笑いだ。
たまたまなどと謙遜しているが、律としては「やった!」という気持ちだろう。
羽鳥はその笑みが無性に悔しいと思った。

*****

あの盗作原稿は、自分が見つけたかった。
羽鳥はそんな悔しい気持ちでいっぱいだった。
編集長である高野は、他の部員に比べてウンザリするほど仕事が多いのだ。
まがりなりにも副編集長なのだから、そのくらいのフォローはしたかった。

羽鳥が少女漫画の編集を目指したのは、吉野千秋のためだ。
吉野のそばにいたという不純な理由だった。
裏を返せば、吉野がいなければ少女漫画にかかわることはなかった。
多分、読むことさえなかったと思う。

だからこそ、本当に好きで少女漫画に関わる人間には負けないくらい勉強しようと思った。
少女漫画はたくさん読んだし、描き方や編集のノウハウなども勉強した。
無事に吉野の担当になれた後も、努力は続けてきたつもりだった。
木佐など年上の編集部員を差し置いて、高野に次ぐ副編集長になれたのはその成果だと思っている。

その羽鳥を持ってしても、律の努力は脅威だった。
編集経験者ではあるが、少女漫画は初めてだという新人編集。
まずは少女漫画を読んで勉強するにしても、そのやり方が強引過ぎる。
律は丸川書店のライブラリにある漫画を全作品、制覇したのだ。
その上他社の作品の古い絶版の作品までチェックしている。
多分日頃「七光り」などとからかわれる御曹司という身分を駆使して、入手したのだろう。

*****

「ちょっと、高野さん!」
律が声を上げて抗議した。
高野が律の頭をグリグリとなでたのだ。
高野にすれば、きっと盗作原稿を見破った律に対する賞賛の気持ちなのだろう。
そんな2人の様子を見ながら、羽鳥は決意を新たにする。

律は以前、高野に「俺が本気で漫画編集を極めると、あなたの席はなくなる」と宣言していた。
誰もが悪い冗談だと笑ったあの言葉は、案外説得力がある。
律ならそれをやってのけるかもしれない。

だがそれ以前に、副編集長の自分の方がヤバいかもしれない。
律の方が能力があると思えば、高野は容赦なく交代させるだろう。
まだまだ簡単に追い抜かせるわけにはいかない。
いつかは編集長になって、自分の才覚で売れる雑誌を出す。
漫画編集という仕事をするからには、いつか絶対にたどり着きたいポジションだ。
決して役職にこだわるつもりはないが、負けたくはない。

「髪がグチャグチャじゃないですか!」
散々高野にかき回された髪を手で整えながら、律がなおも抗議する。
いつものように繰り広げられる高野と律のじゃれ合いに、羽鳥は苦笑した。

律がムキになる様子は、どこか吉野と似ているような気がする。
歳の割りには幼くて、でも生意気でかわいくない。
でもそこが逆に妙にかわいかったりする。
そんなことを思ったら、無性に吉野の顔が見たくなった。
羽鳥は携帯電話を取り出すと、短いメールを打って送信した。

今日、お前の家に泊まっていいか?

【終】
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