狂った3題

【トラウマに手をかけて】

説明してもらおうか。
横澤は目の前に座る見目麗しい青年に詰め寄る。
桐嶋はその横で、2人のやり取りをじっと見守っていた。

井坂と朝比奈が帰った後のクラブ「エメラルド」には、新たな訪問者がいた。
その人物は恋人と共に、店から徒歩で来られる近さのマンションに住んでいる。
携帯電話で呼び出したら、すぐに駆けつけてきた。
まいったな。俺のことバレたんですか。
呼び出された律は、困ったように笑った。

店を銃撃したのは、やっぱり桐嶋さんが昔いたドラッグ売買組織の残党だそうです。
報復ってヤツらしいですよ。
一応もう二度としないように釘を刺してもらいました。
律はかわいい顔に似合わない、物騒なことを語った。

動いてくれたことには感謝する。だけどお前にそんな力があるのか?
横澤は信じられない思いで聞いた。
容姿端麗で、性格も素直で優しい青年だと思っていた。
そんな律が繰り出した荒業には、驚きを隠せない。

交換条件を出しました。
俺は絶対に小野寺家に戻らないってことで、手を回してもらったんです。
最近小野寺ホールディングスは経営不振で、創業者一族に経営を戻せって話があるらしくて。
律はしごくスケールの大きな話を淡々と語った。
つまり微かに残されていた家を継ぐという選択肢と引き換えに、クラブ「エメラルド」を守ったのだ。

それにしても世間は狭いですね。
天下の小野寺ホールディングスが、裏組織に顔がきくなんて。
どういうルートでつながるのかは、怖くて聞けませんでしたけど。
律はまるで他人事のように、そう言った。

日本の経済界はどんな組織であろうとつながっている。
普段はあまりピンとこないその事実を思い知らされたようだった。

*****

お前は本当に何の見返りもなく、そんなことをやってのけたのか?
横澤と律のやり取りを黙って聞いていた桐嶋が口を開いた。
律は「見返り?」と小首を傾げて聞き返す。
だが桐嶋はジッと律の顔をのぞきこんだまま動かない。
まるで騙されないぞと言わんばかりだ。

こんなきな臭いことをやってのけるんだ。
お前、見かけ通りのかわいくて素直なお坊ちゃんじゃねーよな?
桐嶋は挑発的な口調で、なおもそう続けた。

かわいいとか素直とかよく言われますが、俺自身はそう思ったことはありません。
むしろトラウマなんですよ。
小野寺ホールディングスの創業家に生まれたことも含めて。
律はかすかに眉根を寄せて、苦笑した。

桐嶋さんにはクラブ「エメラルド」にいて欲しい。でもそれは完全に俺のためです。
横澤さんがまた嵯峨さんを好きにならないように、桐嶋さんに見張っていてほしいんで。
律はあっさりと白状すると「だからトラウマに手をかけたんです」とため息をつく。
納得する答えを聞けた桐嶋は「なるほど」と笑った。

横澤は内心かなり驚きながら、2人のやりとりを聞いていた。
律は確かに相手の心を察して、それを見越した上で気配りをするようなところがある。
だが横澤と桐嶋の恋に発展しそうなこの微妙な関係さえ、見破られているとは思わなかった。
そしてただかわいいだけではなく、時々驚くほどの強さを見せる。
ホストの世界に飛び込んだ律が、いきなり売れっ子になったのは決して外見の美しさだけではない。
目に宿る強い意志の輝きが、律をさらに魅力的な存在に見せている。

クラブ「エメラルド」を守りたかったのも、本当ですよ。
俺は嵯峨さんだけじゃなくて、この店の仲間も雰囲気も大好きなんです。
いつもの穏やかな笑顔で、律はそう言った。
やはりもの静かで優しいこちらの表情が、嵯峨が愛した青年の素顔なのだと横澤は思う。

わざわざ来てもらって悪かった。
横澤はそう言って、話を締めくくった。
クラブ「エメラルド」を揺るがすほどの大事件が終わったというのに、なぜか気分は晴れなかった。

*****

嵯峨が律を選んだからって、自分が律よりも劣ってるなんて思うなよ。
桐嶋の言葉に、横澤はめったに見せないポカンとした表情になった。

井坂、朝比奈、そして律。
3人と話をして、とにかく一連の騒動が治まったことに納得した横澤と桐嶋はマンションに戻ってきた。
そしてもう1度飲みなおそうと、酒と簡単なつまみを囲んで、向かい合っていた。

女房が病気で、仕方なくドラッグ売ってた頃、俺はお前が救いだった。
一人前のホストになろうと一生懸命なお前が眩しかった。
今思えば、好きだったんだよな。
桐嶋がそう言いながら酒をあおると、空になったグラスのなかで氷がカラりと鳴った。

今さら何が言いたいんだ。
そもそもアンタ、カミさんが生きてる頃からそんなこと考えてたなんて。。。
横澤は思わず声を荒げながら、桐嶋を睨みつけて、絶句する。
桐嶋は真剣な眼差しで、横澤を見つめていたからだ。

そうだ。俺は女房がいたのに他のヤツに恋してた。それが俺のトラウマだな。
桐嶋は酒のボトルを取り、空になったグラスに酒を注ぐ。
そして横澤のグラスにも酒を注ぎ足した。

お前のトラウマは嵯峨。っていうより律かな。
あの2人が幸せそうに笑っているのを見て、いつも自分と比較してる。
でもな。嵯峨が律を選んだからって、自分が律よりも劣ってるなんて思うなよ。
桐嶋の言葉に、横澤はめったに見せないポカンとした表情になった。

そうか。だから気分が晴れなかったのか。
横澤はポツリと呟いた。
まさしく目からウロコが落ちたような気がする。

嵯峨は律を選んだ。羽鳥は千春。雪名は翔太。
俺が選ぶのは、横澤。お前だ。
桐嶋はシレっとそう言い切ると、再びグラスを傾けた。
横澤は「はぁぁ?」と声を上げ、危うくグラスを取り落としそうになった。

騒がせて、店を休ませた分は稼いで返す。
死んだ女房には、ずっと詫び続けるさ。
だからお前は、俺を傍に置いておけ。
あまりにも強引な桐嶋の言い分に、横澤はもはや苦笑するしかなかった。

なぁ俺にしておけよ。
桐嶋がそう言いながら、横澤へと手を伸ばす。
こんな風に自分のトラウマを晒して、横澤のトラウマに手をかけて。
それでなおかつすべてを受け入れようとするこの男に、勝てるはずなどなかった。

横澤は黙って目を閉じた。
しばらくはこの腕に自分を預けてみるのもいいかもしれない。
横澤は強い酒の味がする桐嶋の唇を味わいながら、そう思った。

【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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