狂った3題

【ピストル】

どうしてこんな。
横澤はいつもと全然雰囲気が違うクラブ「エメラルド」の前で、呆然と呟いた。
桐嶋に「行くぞ」と肩にそっと触れられて我に返ると、懸命に震える足を踏み出した。

休みを取った夜、営業を嵯峨と羽鳥に任せて自宅で寛いでいた横澤に入った1本の電話。
電話の主は嵯峨で「店が襲撃された」と言う。
横澤は桐嶋と共に、大急ぎで店に駆けつけた。

店の前にはそして立ち入り禁止と書かれた黄色いロープが張られており、人だかりが出来ていた。
すぐ近くにはランプを点灯させているパトカーが駐車しており、制服の警察官の姿が見える。
店に入ろうとした横澤と桐嶋も呼び止められたが、店の関係者だと名乗ると中に入れてもらえた。

外からはわからなかったが、店の入口付近はひどいことになっていた。
入口付近に飾ってあった大きな花瓶が割られており、花や破片が散乱していたのだ。
そして床に小さなシミのようなものを見つけて屈みこんだ横澤は血の気が引いた。
赤黒いそれは間違いなく血痕だった。

慌てて店内に足を踏み入れた横澤は驚き、目を見開いた。
店内はホストたちと警察関係者ばかりで、客の姿はない。
全員がフロアに立っている中で、たった1人席に座っているのは雪名だ。
右手の甲にタオルを巻いており、そのタオルが血で濡れていた。

いきなり男が入ってきて、入口でピストルを撃ったんだ。
入口の花瓶が割れて、破片で雪名が手を切った。
すっと横澤に歩み寄ってきた嵯峨が、そう説明する。
横澤は怒りに震える足に力を入れながら、懸命に立っていた。
クラブ「エメラルド」は横澤の大事な城だ。
理不尽に襲撃されるなど、到底許せることではない。

アンタのせいじゃないのか!?
怒りの声を上げて、つかつかとこちらに歩いてきたのは翔太だった。
横澤の前を通り過ぎて仁王立ちになり、かわいい顔を怒りで歪ませて桐嶋を睨み上げる。
恋人を怪我させられた翔太は、未だかつてないほど怒っていた。

雪名の右手は、絵を描く大事な手なんだ!もしものことがあったら。。。
怒りにまかせて声を荒げる翔太を「大した怪我じゃないですよ」と怪我をした雪名本人が宥める。
桐嶋は「すまない」と小さく詫びると、深々と頭を下げた。
横澤も他のホストたちも、言葉もなく頭を下げたままの桐嶋を見ていた。

*****

やはり俺のせいか。
桐嶋は苦しげに、搾り出すように呟く。
横澤は返すべき言葉が見つからず、ただ黙って首を振った。

銃撃事件の後、クラブ「エメラルド」は休業していた。
ホストたちからは、脅迫めいた襲撃などに屈したくないという意見が多かった。
だがピストルで発砲などという物騒な事件であり、犯人もわかっていないのだ。
客の安全が保障できない以上、営業に踏み切ることはできなかった。

警察はどうも真剣に捜査をしているようには見えなかった。
割れた花瓶で手を切った雪名はごく軽症で、銃弾では誰も怪我をしなかったせいもある。
また桐嶋がかつてドラッグの売人だったせいもあるかもしれない。
とにかく「何か進展があれば連絡する」と言われたきり、音沙汰がなかった。

俺のせいだな。
桐嶋は諦めたようにため息をつく。
本来は営業中であるはずの時間帯、クラブ「エメラルド」の店内には横澤と桐嶋しかいない。
もう何日も2人で差し向かいに座りながら、グラスを傾けていた。
だがいくら飲んでも酔えないのだから、始末が悪い。

ホストたちの安全を考え、出勤は止めさせていた。
店は休業しているが明かりはつけており、店内に人がいることはすぐにわかる。
襲撃犯がもう1度来たら、捕まえる。
横澤にできることはもうそれしかなかった。

アンタのせいじゃない。アンタは確かに犯罪をおかしたけど、ちゃんと服役して償っただろ?
横澤はそう返したが、桐嶋の表情は変わらない。
端整な顔が、苦しげに歪んでいる。
お前の店でやり直せたらいいと思った。それだけだったのに。
桐嶋の懺悔のような台詞に、横澤は「どういう意味だ?」とグラスを口に運ぶ手を止めた。

前の店にいたときからお前のことは気になってた。独り身だったら迷わず俺のモンにしてたさ。
桐嶋は自嘲するような投げやりな笑みを見せた。
横澤の倍の速度で酒をあおっているが、酒に強い桐嶋は少しも酔った素振りがない。
つまり酒の勢いでの告白ではないということだ。

アンタ卑怯だな。このタイミングで言うか?
別にいいだろう?もう俺は店にはいられないんだから。
桐嶋はもう店を辞める決意をしている。
だから置き土産のつもりなのかもしれない。

勝手にやめるな。そんなことしたら絶対に許さないからな。
横澤は怒りとともに、グラスの中の液体を一気に喉に流し込んだ。
そういう形で決着させるつもりはない。
だがこのままではどうにもならない。
先が見えない絶望的な状況に、2人はただ酒をあおるしかなかった。

*****

久しぶりだな。横澤。桐嶋。
不意に店に現れた人物に、横澤も桐嶋も驚く。
男は昔どおりのヘラヘラとした笑顔だった。
だがその笑みの裏には敏腕経営者の顔が隠れていることを、2人ともよく知っている。

クラブ「エメラルド」が営業を停止してから数日経った。
相変わらず誰もいない店内に横澤と桐嶋だけがいる。
ホストたちには、別の店に移っても構わないと言ってある。
だが誰1人として、他の店で働こうとするものはいなかった。
それはうれしいが、心苦しいことでもあった。
事態は何の進展も見せず、まったく先が見えないからだ。

だがそんな状況に変化が生じた。
営業していないクラブ「エメラルド」に現れた2人の男。
1人はかつて横澤と桐嶋が勤めていた店の店長である朝比奈薫。
そしてもう1人は、その店舗を含めたいくつもの店を経営するオーナーの井坂龍一郎だ。
彼らの店に比べれば、クラブ「エメラルド」などはまだまだ子供の遊び程度のものだと横澤は思っている。

お久しぶりです。井坂さん。朝比奈さん。
ソファに身を沈めていた横澤は思わぬ訪問者に、慌ててグラスを置いて立ち上がる。
だが井坂は「俺にも1杯、ご馳走してくれよ」と気さくな笑顔を見せた。
陰のように井坂に付き従う朝比奈は無表情だ。

本当にご迷惑をおかけしました。お世話になったのに。。。
桐嶋も立ち上がり、井坂と朝比奈に深々と頭を下げる。
井坂は「それはもういいさ。自首する前に詫びてもらったし」と鷹揚に言う。
そして空いているソファにドサリと身を投げ出すと、朝比奈が姿勢正しくその横に腰を下ろした。
横澤と桐嶋も酒のボトルや氷やミネラルウォーターを用意すると、2人の前に座った。

お前たちの問題は解決したぞ。明日ピストルぶっぱなしたバカは警察に出頭する。
井坂はそう言うと、横澤が作って差し出した水割りのグラスを一気にあおる。
横澤と桐嶋は訳もわからず、顔を見合わせた。
井坂さんが動いてくれたんですか?
思わず身を乗り出した横澤に、井坂は「まさか」と苦笑する。

お前の店にいるホストに、大企業の御曹司がいただろう?アイツが手を回した。
何をおっしゃってるんです。面白がって手を貸していたじゃないですか。
井坂の言葉に、朝比奈が茶々を入れる。
あっけない幕切れに、横澤も桐嶋も素直に喜ぶことができなかった。

井坂さえ動かすほどの大企業の御曹司。
それはクラブ「エメラルド」には1人しかいない。
日本では知らない者はいないであろう大企業、小野寺ホールディングス。
そこの創業者一族の血を引きながら、あえてホストという仕事を選んだ変わり者の青年、律だ。

【続く】
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