狂った3題
【ドラックキング】
桐嶋禅。今日からここのホスト。よろしく。
男はそう名乗って、一同に軽く頭を下げた。
翔太が思わず「ドラックキング」と呟く。
羽鳥と嵯峨は顔をしかめ、他のホストたちは訳がわからないという顔をしている。
美濃だけが何を考えているのか、いつものどことなく黒い笑顔のままだ。
クラブ「エメラルド」の経営は順調だ。
派手な演出もせず、店内はいつも落ち着いた雰囲気。
料金も良心的だし、ホストたちの接客も誠実だ。
そんな寛げる空間には、着実に客が増えていった。
店長である横澤隆史の目下の夢は、店舗を増やすことだった。
現在のクラブ「エメラルド」の店内は、さほど広くない。
普通だったらもっと広い店舗への引越しを考えるだろう。
だが横澤は、店長が店内の隅々にまで目を配らせるには、この広さが限界だと思っている。
幸いなことに嵯峨とか羽鳥とか、横澤抜きでも店を回せる人材はいる。
だから信頼できるスタッフを増やして、店舗を増やしたいと考えていた。
そんな理由で、現在クラブ「エメラルド」はホストを募集中だ。
そして応募してきたのが、桐嶋禅。
横澤がクラブ「エメラルド」を開店する前に勤めていた店の先輩ホストだ。
このことは横澤を少なからず驚かせ、そして困惑させた。
先輩で年上だから使いにくいことはあるが、それは大した理由ではない。
桐嶋は有能なホストだ。
だが以前に事件を起こしており、多分どこの店で出入り禁止だろう。
ホストになって日が浅い千春や律、雪名はその事件を知らない。
だがホスト歴が長い嵯峨も羽鳥も翔太も美濃も、知っている。
桐嶋の過去を知るホストたちは、やはり手放しで新しい仲間が増えることを喜べなかった。
何かよからぬことが起こるのではないか。
そんな不吉な予感がするからだ。
いろいろ言いたいことはあると思うが、みんな頼む。
この人を受け入れてくれないか?
横澤がホストたちに深々と頭を下げると、一同に驚きが広がった。
こんな風に横澤が頭を下げるなど、今までないことだったからだ。
横澤にしてみれば、もう1度桐嶋と仕事がしたいという思いが強かった。
かつて桐嶋は、この世界に飛び込んだばかりの横澤の面倒を見てくれた。
現在のホストとしての横澤に、桐嶋はかなり影響を及ぼしている。
巧みな話術だとか、客や同僚への心配りとか、妻も子もありながらまったく生活感を見せないところとか。
横澤は桐嶋の完璧さを尊敬しており、この才能を埋もれさせてしまうのは惜しいと思ったのだ。
*****
まさかアンタが俺の店に来るとはな。
桐嶋がクラブ「エメラルド」に初出勤する数日前。
面接に現れた桐嶋を見て、横澤は思わずそう呟いていた。
まったくだ。だけどもう他に手がないんだ。
桐嶋は冷静で、淡々とした口調だった。
だが今の桐嶋がかなり追い詰められているのは想像に難くない。
ドラックキング。
それがかつて横澤と同じ店にいた頃の、桐嶋の通り名だった。
文字通りドラックを売りさばくのだ。
つまりホスト業のかたわら、ドラッグの売人として大金を稼ぎ出していた。
もちろん違法であり、そんなことをするには理由がある。
桐嶋は当時病気の妻がいた。
治療が難しい難病で、とにかく金がかかるのだ。
妻のためと割り切り、桐嶋はとにかく金をかき集めた。
だがそんな努力もむなしく、桐嶋の妻はこの世を去った。
すると桐嶋はすぐに警察に出頭し、今までの罪を洗いざらい白状して、刑に服した。
アンタ、確か娘がいたよな。
横澤は久しぶりに見る桐嶋に内心驚きながら、そう聞いた。
年齢を重ねているし、服役していた影響か以前より痩せているように見える。
だがかつて女性たちを魅了したその容貌は、少しも衰えていなかった。
ああ。俺の両親が面倒見てくれてる。
だけどその親も病気がちで、早く引き取りたいんだ。
深刻な事情を打ち明けながらも、桐嶋はクールな態度を崩さない。
こんな場面ですらホストであろうとする桐嶋を見て、横澤は採用を決めたのだった。
*****
お前、信頼されてるんだな。
桐嶋はどこか嬉しそうな表情で、横澤にそう言った。
最初は微妙な反応だったクラブ「エメラルド」のホストたちも、桐嶋を受け入れた。
それは横澤が最初に頭を下げたからに他ならない。
そうして店での完璧な桐嶋の接客を見せられて、ホストたちも徐々に信頼を寄せていた。
そんなホストたちの反応を評して、桐嶋は「お前、信頼されてるんだな」と言ったのだ。
横澤は「どうかな」と言葉を濁した。
桐嶋が働き始めて、約1週間。
今夜もクラブ「エメラルド」は営業しているが、横澤も桐嶋も休日だ。
店に慣れるまではと、桐嶋の出勤シフトは横澤と同じに設定している。
さらに住むところもないという桐嶋を、横澤はマンションの部屋に居候させていた。
今のこの瞬間も、まるで自宅のように桐嶋は寛いでいる。
だが部屋の主である横澤は、どうにも居心地が悪い。
店でなら店長として接するが、こうしてプライベートな空間ではどうしたらいいものか。
なぁ横澤。お前、今は誰が好きなの?
リビングのソファで寝そべっていた桐嶋は身体を起こして、横澤をじっと見る。
キッチンで2人分のコーヒーを淹れて持ってきた横澤は、ピタリと動きを止めた。
つい最近までは間違いなく、クラブ「エメラルド」の同僚ホスト嵯峨に恋をしていた。
だがその嵯峨は、最近現れたホスト律とラブラブだ。
傷心の横澤の前に、今さらのように現れた桐嶋。
昔、桐嶋と同じ店にいた頃、確かに横澤は桐嶋を他のホストとは違う目で見ていた。
それが単に凄腕の先輩ホストへの尊敬だったのか、もしかしたら桐嶋に恋心を抱いていたのか。
当時の感情は、今でもよくわからない。
そして今桐嶋をどう思っているのかと言われると、ますますわからないのだ。
何と答えていいかわからず、黙り込んでしまったリビングに携帯電話の着信音が響いた。
横澤は「悪い」と小さく呟くと、携帯電話を手に取る。
発信者は「嵯峨政宗」だ。
とりあえずはぐらかすことができてホッとしたのは、つかの間のことだった。
嵯峨から聞かされたのは「店が襲撃された」という信じられない知らせだった。
【続く】
桐嶋禅。今日からここのホスト。よろしく。
男はそう名乗って、一同に軽く頭を下げた。
翔太が思わず「ドラックキング」と呟く。
羽鳥と嵯峨は顔をしかめ、他のホストたちは訳がわからないという顔をしている。
美濃だけが何を考えているのか、いつものどことなく黒い笑顔のままだ。
クラブ「エメラルド」の経営は順調だ。
派手な演出もせず、店内はいつも落ち着いた雰囲気。
料金も良心的だし、ホストたちの接客も誠実だ。
そんな寛げる空間には、着実に客が増えていった。
店長である横澤隆史の目下の夢は、店舗を増やすことだった。
現在のクラブ「エメラルド」の店内は、さほど広くない。
普通だったらもっと広い店舗への引越しを考えるだろう。
だが横澤は、店長が店内の隅々にまで目を配らせるには、この広さが限界だと思っている。
幸いなことに嵯峨とか羽鳥とか、横澤抜きでも店を回せる人材はいる。
だから信頼できるスタッフを増やして、店舗を増やしたいと考えていた。
そんな理由で、現在クラブ「エメラルド」はホストを募集中だ。
そして応募してきたのが、桐嶋禅。
横澤がクラブ「エメラルド」を開店する前に勤めていた店の先輩ホストだ。
このことは横澤を少なからず驚かせ、そして困惑させた。
先輩で年上だから使いにくいことはあるが、それは大した理由ではない。
桐嶋は有能なホストだ。
だが以前に事件を起こしており、多分どこの店で出入り禁止だろう。
ホストになって日が浅い千春や律、雪名はその事件を知らない。
だがホスト歴が長い嵯峨も羽鳥も翔太も美濃も、知っている。
桐嶋の過去を知るホストたちは、やはり手放しで新しい仲間が増えることを喜べなかった。
何かよからぬことが起こるのではないか。
そんな不吉な予感がするからだ。
いろいろ言いたいことはあると思うが、みんな頼む。
この人を受け入れてくれないか?
横澤がホストたちに深々と頭を下げると、一同に驚きが広がった。
こんな風に横澤が頭を下げるなど、今までないことだったからだ。
横澤にしてみれば、もう1度桐嶋と仕事がしたいという思いが強かった。
かつて桐嶋は、この世界に飛び込んだばかりの横澤の面倒を見てくれた。
現在のホストとしての横澤に、桐嶋はかなり影響を及ぼしている。
巧みな話術だとか、客や同僚への心配りとか、妻も子もありながらまったく生活感を見せないところとか。
横澤は桐嶋の完璧さを尊敬しており、この才能を埋もれさせてしまうのは惜しいと思ったのだ。
*****
まさかアンタが俺の店に来るとはな。
桐嶋がクラブ「エメラルド」に初出勤する数日前。
面接に現れた桐嶋を見て、横澤は思わずそう呟いていた。
まったくだ。だけどもう他に手がないんだ。
桐嶋は冷静で、淡々とした口調だった。
だが今の桐嶋がかなり追い詰められているのは想像に難くない。
ドラックキング。
それがかつて横澤と同じ店にいた頃の、桐嶋の通り名だった。
文字通りドラックを売りさばくのだ。
つまりホスト業のかたわら、ドラッグの売人として大金を稼ぎ出していた。
もちろん違法であり、そんなことをするには理由がある。
桐嶋は当時病気の妻がいた。
治療が難しい難病で、とにかく金がかかるのだ。
妻のためと割り切り、桐嶋はとにかく金をかき集めた。
だがそんな努力もむなしく、桐嶋の妻はこの世を去った。
すると桐嶋はすぐに警察に出頭し、今までの罪を洗いざらい白状して、刑に服した。
アンタ、確か娘がいたよな。
横澤は久しぶりに見る桐嶋に内心驚きながら、そう聞いた。
年齢を重ねているし、服役していた影響か以前より痩せているように見える。
だがかつて女性たちを魅了したその容貌は、少しも衰えていなかった。
ああ。俺の両親が面倒見てくれてる。
だけどその親も病気がちで、早く引き取りたいんだ。
深刻な事情を打ち明けながらも、桐嶋はクールな態度を崩さない。
こんな場面ですらホストであろうとする桐嶋を見て、横澤は採用を決めたのだった。
*****
お前、信頼されてるんだな。
桐嶋はどこか嬉しそうな表情で、横澤にそう言った。
最初は微妙な反応だったクラブ「エメラルド」のホストたちも、桐嶋を受け入れた。
それは横澤が最初に頭を下げたからに他ならない。
そうして店での完璧な桐嶋の接客を見せられて、ホストたちも徐々に信頼を寄せていた。
そんなホストたちの反応を評して、桐嶋は「お前、信頼されてるんだな」と言ったのだ。
横澤は「どうかな」と言葉を濁した。
桐嶋が働き始めて、約1週間。
今夜もクラブ「エメラルド」は営業しているが、横澤も桐嶋も休日だ。
店に慣れるまではと、桐嶋の出勤シフトは横澤と同じに設定している。
さらに住むところもないという桐嶋を、横澤はマンションの部屋に居候させていた。
今のこの瞬間も、まるで自宅のように桐嶋は寛いでいる。
だが部屋の主である横澤は、どうにも居心地が悪い。
店でなら店長として接するが、こうしてプライベートな空間ではどうしたらいいものか。
なぁ横澤。お前、今は誰が好きなの?
リビングのソファで寝そべっていた桐嶋は身体を起こして、横澤をじっと見る。
キッチンで2人分のコーヒーを淹れて持ってきた横澤は、ピタリと動きを止めた。
つい最近までは間違いなく、クラブ「エメラルド」の同僚ホスト嵯峨に恋をしていた。
だがその嵯峨は、最近現れたホスト律とラブラブだ。
傷心の横澤の前に、今さらのように現れた桐嶋。
昔、桐嶋と同じ店にいた頃、確かに横澤は桐嶋を他のホストとは違う目で見ていた。
それが単に凄腕の先輩ホストへの尊敬だったのか、もしかしたら桐嶋に恋心を抱いていたのか。
当時の感情は、今でもよくわからない。
そして今桐嶋をどう思っているのかと言われると、ますますわからないのだ。
何と答えていいかわからず、黙り込んでしまったリビングに携帯電話の着信音が響いた。
横澤は「悪い」と小さく呟くと、携帯電話を手に取る。
発信者は「嵯峨政宗」だ。
とりあえずはぐらかすことができてホッとしたのは、つかの間のことだった。
嵯峨から聞かされたのは「店が襲撃された」という信じられない知らせだった。
【続く】
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