快感3題
【魔法のクスリ】
お前の仕業なんだろう?
柳瀬はするどい眼光で、羽鳥に詰め寄る。
だが羽鳥は涼しい顔で「そうだ」と答えた。
おかしいと気づいたきっかけは、クラブ「エメラルド」にホスト志望として面接に行ったあの日だった。
結局履歴書すら見てもらえず、帰るとき何気なくレジ横に置かれた店のパンフレットを1冊持ち帰った。
いつもは千秋に見送られるから、パンフレットなど手に取ることなどなかったのだ。
そして店の料金体系を見て、あっと思ったのだ。
クラブ「エメラルド」の料金は、決して安くはないが良心的だ。
テーブルチャージと言われる場所代や、税金やサービス料などのTAX、飲食代を明示している。
だから客には何がいくらか内訳がわかるので、会計の時になって値段に驚くようなことはない。
つまりいわゆるぼったくりなどは一切ないのだ。
柳瀬が不審に思ったのは「初回料金」と書かれた値段だ。
大概の店ではあるもので、初めて来店する客のためにかなり割安に設定されている。
これを利用できるのはその名の通り、最初に入店した1回限りだ。
柳瀬も初めてクラブ「エメラルド」に来店した時、千秋に「初回料金にしとくね」と言われた。
だが2回目以降も店から請求される金額はほとんど変わらなかった。
変わらなかったから疑問に思わなかったのだ。
だが正規の料金を請求されたなら、2回目以降の料金はぐんと上がっていたはずだ。
つまり誰かが柳瀬が来店した際の料金を負担していると考えるのが妥当だろう。
最初は千秋が負担してくれたのかと考えた。
だがすぐに違うだろうと思い直した。
千秋はよくも悪くもこっそりと何かをすることはない。
そう考えると、こんなことをする犯人は1人しかいない。
問い詰めなければ、気がすまない。
だから柳瀬は早朝、閉店後のクラブ「エメラルド」に押しかけた。
他のホストたちはすでに気を利かせて帰宅しており、店長さえ戸締り用の合鍵を置いて出て行った。
お前の仕業なんだろう?
柳瀬が最後に残った羽鳥を睨みつけると、羽鳥は涼しい顔で「そうだ」と答えた。
*****
俺、最近思うんです。
この店で一番ホストに向いてるのって、実は千春さんじゃないかなと。
律の言葉に嵯峨は驚いたが、すぐに「そうかもしれないな」と頷いた。
月に1度来店して必ず千春を指名する客が、怒りの形相で店に来た。
羽鳥に詰め寄るただならぬ様子に、ホストたちは気をきかせて早々に店を出た。
だが慌てて店を出たせいで、律は携帯電話を忘れてしまったのだ。
ホストの携帯電話は客の情報が入っており、いつ客からの連絡が入るかもわからない大事なものだ。
やむなく取りに戻り、店内に入ったものの、携帯が置いてあるのは奥の従業員スペースだ。
羽鳥と柳瀬の重苦しい雰囲気に割り込めず、律は入口付近で困っていた。
ちなみに律について来た嵯峨は、こんな雰囲気に動じる男ではない。
単に悪趣味で立ち聞きしたいだけだ。
なんで余計なことをするんだ。羽鳥。
うちはお前が度々来られるほど安い店じゃないからな。
何様のつもりだ!俺に同情してるのか?
お前に同情なんかしない。全部千秋のためだ。お前が来れば千秋が喜ぶ。それだけだ。
徐々に激しさを増す口論に、律はオロオロと嵯峨を見上げる。
だが嵯峨は壁にもたれかかりながら、動じることもなかった。
お2人とも本当に千春さんが好きなんですね。
律は声を潜めてそう言うと、嵯峨は片眉を上げた。
俺、最近思うんです。
この店で一番ホストに向いてるのって、実は千春さんじゃないかなと。
律の言葉に嵯峨は驚いたが、すぐに「そうかもしれないな」と頷いた。
羽鳥も柳瀬も聡明な美青年であり、女性にだってモテると思う。
そんな2人をここまで惚れさせて振り回しておきながら、当の千秋はまったく気がついていないのだ。
散々尽くさせて自覚もなく、笑顔1つでまた魅了する。
こんな日にたまたま休みで2人の葛藤を見ないでいることだって、何か偶然の域を超えている。
無自覚とか天然などと言ってしまえばそれまでだが、ある意味無敵のホストだ。
まるで魔法のクスリだ。
口に甘く、副作用があるとわかっていても、やめられない媚薬。
嵯峨は口論を続ける2人の男に心の底から同情した。
*****
あの人たちにも、俺と羽鳥と千秋の関係、バレたな。
携帯電話を忘れたと店に戻り、また出て行った2人のホストの後ろ姿を見ながら、柳瀬はため息をつく。
だが羽鳥は「とっくに知られていたさ」と苦笑した。
柳瀬が千秋を追い続けてくれるのは、俺にとっては好都合だ。
千秋はお前を親友だと思っていて、お前と会うのを楽しみにしているからな。
羽鳥は余裕たっぷりに言い捨てる。
柳瀬のクラブ「エメラルド」の飲食代の多くは、やはり羽鳥が支払っていたのだ。
そのことは千秋も知らない。
羽鳥はその行為を千秋のためだと言い切った。
それは柳瀬のプライドを大いに踏みにじることだということもわかっている。
むしろそんなことはどうでもいいという態度だった。
じゃあ俺がもっと頻繁にこの店に通っても、お前は金を出すのか?
柳瀬がからかうようにそう言っても、羽鳥は冷静なままだった。
かまわない。千秋も喜ぶからな。だが俺は何があってもお前に千秋を渡さない。
羽鳥は表情も変えずに言い切った。
羽鳥のことは昔から好きではなかった。
千秋をめぐって争っていることを除外しても、友人になれるタイプではないと思う。
だが認める部分がないわけではなかった。
クールな外見に反して、情には厚かったと思う。
だが今の羽鳥は千秋のためなら、いくらでも非情になれる男になっていた。
そのために容赦なく柳瀬を利用しようとしており、それを堂々と宣言したのだ。
あの店長が羽鳥をもっと見ろと言ったのはこのことだったのだろうか。
わかった。じゃあせいぜいお前の金で飲み食いさせてもらう。
柳瀬もそう言い捨てると、立ち上がった。
これ以上羽鳥と話しても、何も変わらない。
むしろこっちの敗北感が増すばかりだろう。
早朝の歌舞伎町は、夜の喧騒が嘘のように白けた空気に変わっていた。
それはまるで今の柳瀬のようだ。
このまま自分がホストになっても、羽鳥には勝てない。
そのことを痛感させられた。
だがあきらめたわけではない。
千秋はホストではなく客で店に顔を出す柳瀬を歓迎してくれるのだから。
まだ勝機がなくなったわけではない。
柳瀬は駅に向かってゆっくりと歩き出す。
今日は寝不足だが、頑張って仕事をしよう。
うまく仕事の都合がついたなら、夜はまたクラブ「エメラルド」に来よう。
羽鳥が自分を利用するなら、こっちだって同じ事をするまでだ。
柳瀬は決意を新たにしながら、足を踏み出した。
【終】お付き合いただき、ありがとうございました。
お前の仕業なんだろう?
柳瀬はするどい眼光で、羽鳥に詰め寄る。
だが羽鳥は涼しい顔で「そうだ」と答えた。
おかしいと気づいたきっかけは、クラブ「エメラルド」にホスト志望として面接に行ったあの日だった。
結局履歴書すら見てもらえず、帰るとき何気なくレジ横に置かれた店のパンフレットを1冊持ち帰った。
いつもは千秋に見送られるから、パンフレットなど手に取ることなどなかったのだ。
そして店の料金体系を見て、あっと思ったのだ。
クラブ「エメラルド」の料金は、決して安くはないが良心的だ。
テーブルチャージと言われる場所代や、税金やサービス料などのTAX、飲食代を明示している。
だから客には何がいくらか内訳がわかるので、会計の時になって値段に驚くようなことはない。
つまりいわゆるぼったくりなどは一切ないのだ。
柳瀬が不審に思ったのは「初回料金」と書かれた値段だ。
大概の店ではあるもので、初めて来店する客のためにかなり割安に設定されている。
これを利用できるのはその名の通り、最初に入店した1回限りだ。
柳瀬も初めてクラブ「エメラルド」に来店した時、千秋に「初回料金にしとくね」と言われた。
だが2回目以降も店から請求される金額はほとんど変わらなかった。
変わらなかったから疑問に思わなかったのだ。
だが正規の料金を請求されたなら、2回目以降の料金はぐんと上がっていたはずだ。
つまり誰かが柳瀬が来店した際の料金を負担していると考えるのが妥当だろう。
最初は千秋が負担してくれたのかと考えた。
だがすぐに違うだろうと思い直した。
千秋はよくも悪くもこっそりと何かをすることはない。
そう考えると、こんなことをする犯人は1人しかいない。
問い詰めなければ、気がすまない。
だから柳瀬は早朝、閉店後のクラブ「エメラルド」に押しかけた。
他のホストたちはすでに気を利かせて帰宅しており、店長さえ戸締り用の合鍵を置いて出て行った。
お前の仕業なんだろう?
柳瀬が最後に残った羽鳥を睨みつけると、羽鳥は涼しい顔で「そうだ」と答えた。
*****
俺、最近思うんです。
この店で一番ホストに向いてるのって、実は千春さんじゃないかなと。
律の言葉に嵯峨は驚いたが、すぐに「そうかもしれないな」と頷いた。
月に1度来店して必ず千春を指名する客が、怒りの形相で店に来た。
羽鳥に詰め寄るただならぬ様子に、ホストたちは気をきかせて早々に店を出た。
だが慌てて店を出たせいで、律は携帯電話を忘れてしまったのだ。
ホストの携帯電話は客の情報が入っており、いつ客からの連絡が入るかもわからない大事なものだ。
やむなく取りに戻り、店内に入ったものの、携帯が置いてあるのは奥の従業員スペースだ。
羽鳥と柳瀬の重苦しい雰囲気に割り込めず、律は入口付近で困っていた。
ちなみに律について来た嵯峨は、こんな雰囲気に動じる男ではない。
単に悪趣味で立ち聞きしたいだけだ。
なんで余計なことをするんだ。羽鳥。
うちはお前が度々来られるほど安い店じゃないからな。
何様のつもりだ!俺に同情してるのか?
お前に同情なんかしない。全部千秋のためだ。お前が来れば千秋が喜ぶ。それだけだ。
徐々に激しさを増す口論に、律はオロオロと嵯峨を見上げる。
だが嵯峨は壁にもたれかかりながら、動じることもなかった。
お2人とも本当に千春さんが好きなんですね。
律は声を潜めてそう言うと、嵯峨は片眉を上げた。
俺、最近思うんです。
この店で一番ホストに向いてるのって、実は千春さんじゃないかなと。
律の言葉に嵯峨は驚いたが、すぐに「そうかもしれないな」と頷いた。
羽鳥も柳瀬も聡明な美青年であり、女性にだってモテると思う。
そんな2人をここまで惚れさせて振り回しておきながら、当の千秋はまったく気がついていないのだ。
散々尽くさせて自覚もなく、笑顔1つでまた魅了する。
こんな日にたまたま休みで2人の葛藤を見ないでいることだって、何か偶然の域を超えている。
無自覚とか天然などと言ってしまえばそれまでだが、ある意味無敵のホストだ。
まるで魔法のクスリだ。
口に甘く、副作用があるとわかっていても、やめられない媚薬。
嵯峨は口論を続ける2人の男に心の底から同情した。
*****
あの人たちにも、俺と羽鳥と千秋の関係、バレたな。
携帯電話を忘れたと店に戻り、また出て行った2人のホストの後ろ姿を見ながら、柳瀬はため息をつく。
だが羽鳥は「とっくに知られていたさ」と苦笑した。
柳瀬が千秋を追い続けてくれるのは、俺にとっては好都合だ。
千秋はお前を親友だと思っていて、お前と会うのを楽しみにしているからな。
羽鳥は余裕たっぷりに言い捨てる。
柳瀬のクラブ「エメラルド」の飲食代の多くは、やはり羽鳥が支払っていたのだ。
そのことは千秋も知らない。
羽鳥はその行為を千秋のためだと言い切った。
それは柳瀬のプライドを大いに踏みにじることだということもわかっている。
むしろそんなことはどうでもいいという態度だった。
じゃあ俺がもっと頻繁にこの店に通っても、お前は金を出すのか?
柳瀬がからかうようにそう言っても、羽鳥は冷静なままだった。
かまわない。千秋も喜ぶからな。だが俺は何があってもお前に千秋を渡さない。
羽鳥は表情も変えずに言い切った。
羽鳥のことは昔から好きではなかった。
千秋をめぐって争っていることを除外しても、友人になれるタイプではないと思う。
だが認める部分がないわけではなかった。
クールな外見に反して、情には厚かったと思う。
だが今の羽鳥は千秋のためなら、いくらでも非情になれる男になっていた。
そのために容赦なく柳瀬を利用しようとしており、それを堂々と宣言したのだ。
あの店長が羽鳥をもっと見ろと言ったのはこのことだったのだろうか。
わかった。じゃあせいぜいお前の金で飲み食いさせてもらう。
柳瀬もそう言い捨てると、立ち上がった。
これ以上羽鳥と話しても、何も変わらない。
むしろこっちの敗北感が増すばかりだろう。
早朝の歌舞伎町は、夜の喧騒が嘘のように白けた空気に変わっていた。
それはまるで今の柳瀬のようだ。
このまま自分がホストになっても、羽鳥には勝てない。
そのことを痛感させられた。
だがあきらめたわけではない。
千秋はホストではなく客で店に顔を出す柳瀬を歓迎してくれるのだから。
まだ勝機がなくなったわけではない。
柳瀬は駅に向かってゆっくりと歩き出す。
今日は寝不足だが、頑張って仕事をしよう。
うまく仕事の都合がついたなら、夜はまたクラブ「エメラルド」に来よう。
羽鳥が自分を利用するなら、こっちだって同じ事をするまでだ。
柳瀬は決意を新たにしながら、足を踏み出した。
【終】お付き合いただき、ありがとうございました。
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