血3題
【鮮やかさ】
まだまだ翔太と雪名の恋は始まったばかりなのだと思う。
好きだという想いばかりが先走って、お互いのことを知らなすぎるのだ。
雪名の大学の教授が起こした騒動は、結局律と横澤が上手く裁いてくれた。
あやうく客とトラブルになりかけた雪名は、営業時間が終わった後に同僚ホストに詫びて回った。
クラブ「エメラルド」には、こんなことで怒るような狭量なホストはいない。
みな笑顔で逆に雪名を気遣ったり、中には完全に面白がっている者もいた。
千春は「気にする必要はないよ。俺もあのお客さんは苦手だし」と一緒に怒ってくれた。
羽鳥は「俺も千春が同じ目にあったら、きっと冷静ではいられない」と慰めてくれた。
この2人が気遣ってくれる派だ。
美濃は「ここんとこトラブルが全然なくてつまらなかったから、楽しかったよ」と笑った。
嵯峨は「あの客、全然懲りてなさそうだし、まだまだ翔太に言い寄る気だろうな」と冷やかす。
こちらは面白がる派の2人だ。
教授には今度は律さんを指名してくださいって勧めておきますからね。
嵯峨の一言には思わずカチンと来た雪名はそう言い返したが、嵯峨は涼しい顔だ。
はやくこんな風に落ち着いた大人になりたいものだと雪名はため息をつく。
そして気になることを言ったのは、今回トラブルを収めてくれた2人だ。
普段の翔太さんだったら、あんなになる前にきっぱりと跳ねつけるのに。
心配そうにそう言ったのは律だった。
言われてみれば確かにその通りだと、雪名は改めて思い至る。
猫のように気分屋な翔太は、気に入らない客には容赦なく冷淡だ。
不思議なことにその冷たさがいいなどという客がいたりする。
あの客はマナーが悪いから出入り禁止にしてもいいんだが、翔太が反対したんだ。
最後に店長の横澤にそう言われれば、雪名にもその意味はわかる。
おそらくは雪名の大学の教授だから、翔太は何をされても許していたのだろう。
恋人の不器用な優しさに、雪名は切ないほどの愛おしさを感じていた。
*****
翔太さん、今日はすみませんでした。
雪名はそう言って、並んで座っている翔太の肩を抱き寄せる。
翔太は俯いて、雪名の方を見ようとしない。
それでも逆らうことはせず、雪名にもたれかかっている。
雪名は翔太のマンションに押しかけていた。
ほとんど通い同棲状態ではあるが、嵯峨と律や羽鳥と千春のように完全な同居ではない。
やはり学生であり、親から仕送りを受けている雪名にはどうしても世間体があるからだ。
いっそ美大などやめて、プロのホストになった方がいいのかと迷ったりもする。
横澤さんに頼んで、教授は出入り禁止にしてもらうことにします。
雪名は静かにそう言った。
翔太は「何で!?」と声を裏返しながら、雪名を見上げる。
翔太さんが俺のために我慢してるのは、もう見たくないです。
雪名は翔太の肩を抱く腕の力を少しだけ強める。
だが翔太はその腕から逃れるように身体を離して、またそっぽを向いてしまう。
あの教授に気に入られたら、早く画家になれるんだろ?
誰がそんなことを言ったんですか!?
翔太の意外な言葉に驚き、今度は雪名の語気が荒くなる。
確かにあの教授は画壇に影響力があり、彼の推挙があれば活動しやすいのは間違いない。
だが雪名はそんなことを1度たりとも翔太に言ったことはない。
お前が客として店に来た時、一緒にいた学生たちが言ってた。
さらに意外なことを言い出した翔太に、雪名は一瞬言葉を失った。
翔太は客として来た雪名のことは憶えていないと思っていたのに。
憶えてるよ。いい男の客は絶対に忘れない。
ましてやお前は俺の好みのドストレートだったんだから。
驚く雪名の顔色を読んだ翔太は、事も無げにそう言い切った。
じゃあ初めて俺が店に出勤した日に、一目惚れしたって嘘だったんですか?
驚きっぱなしでようやく聞き返した雪名に、翔太は「嘘じゃない」と首を振った。
客で来たときには、わざと雪名を見ないようにしてたんだ。
だってお前は教授に連れて来られた学生の中の1人にすぎなかったんだから。
もう2度と逢わないだろうし、本気で惚れてもつらいだけだと思ったんだ。
翔太はそう白状すると「なのに何でバイトなんかに来るんだよ」と苦笑する。
俺、翔太さんと恋をするためにバイトを始めたんですよ。
雪名もまた白状すると、今度は翔太が驚いた表情になった。
キョトンとした目で、口をポカンと開けて、雪名を見る翔太は本当にかわいい。
*****
俺、翔太さんと恋をするためにバイトを始めたんですよ。
今度は雪名の言葉に、翔太が呆然とする番だった。
雪名が客として来店した時、一緒に来た学生とばかり話をしていたからだ。
まさかそこで翔太に興味を持ったなんて、思っていなかった。
何でわざわざクラブ「エメラルド」を選んで、バイトするのか不思議に思っていたのだ。
翔太さんが好きなんです。翔太さんより大事なものなんかないです。
だから俺のためにって翔太さんが我慢するのは、絶対に嫌です。
雪名の真っ直ぐな言葉が、翔太の心を射抜く。
長くホストの世界に身を置く翔太には、雪名の真っ直ぐさはすごく眩しい。
ホストクラブは駆け引きが多い場所で、言葉にはだいたい裏があるからだ。
そのまま信じて受け入れると、後で痛い目に合うことなど珍しくない。
でも俺は雪名のためにできること、あんまりないんだ。
翔太さんのそばにいられるだけで、俺は幸せなんですよ。
どちらかと言えば後ろ向きな翔太に、雪名は惜しみなく愛の言葉を注ぐ。
それはまるでモノトーンの絵の上に、絵の具で色を乗せていくような鮮やかさだ。
とにかくもう翔太さんに教授の指名は受けさせません。いいですね?
とどめとばかりにそうダメ押しされれば、もう翔太は頷くしかない。
翔太だって、あんな客の相手などできればしたくない。
まして雪名にここまで言われては、もう反論できない。
まだまだ翔太と雪名の恋は始まったばかりなのだと思う。
好きだという想いばかりが先走って、お互いのことを知らなすぎるのだ。
事実、相手が自分を意識した瞬間さえ、2人とも今の今まで知らなかったのだから。
俺のためっていうなら、1つお願いがあるんです。
翔太さんを描かせてくれませんか?
すっかり油断していた翔太は「俺がモデル?」と上ずった声で叫んだ。
まんまと不意打ちが成功した雪名が、クスクスと悪戯っぽく笑う。
俺なんか描いても仕方ないだろう?
何だか気恥ずかしくて、翔太はぶっきらぼうになる。
だが雪名はいつものキラキラオーラ全開で「大好きな人の絵を描きたいんですよ」などと言う。
まったくかなわない。
翔太は渋々「わかったよ」と頷いた。
翔太は自分がどうしようもなく汚れていると思っているし、今もその思いはかわらない。
だが雪名は汚れた自分が気にならなくなるほど、綺麗な世界を見せてくれる。
その鮮やかさを見ていると、こんな自分も悪くないと思えてくるから不思議なものだ。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
まだまだ翔太と雪名の恋は始まったばかりなのだと思う。
好きだという想いばかりが先走って、お互いのことを知らなすぎるのだ。
雪名の大学の教授が起こした騒動は、結局律と横澤が上手く裁いてくれた。
あやうく客とトラブルになりかけた雪名は、営業時間が終わった後に同僚ホストに詫びて回った。
クラブ「エメラルド」には、こんなことで怒るような狭量なホストはいない。
みな笑顔で逆に雪名を気遣ったり、中には完全に面白がっている者もいた。
千春は「気にする必要はないよ。俺もあのお客さんは苦手だし」と一緒に怒ってくれた。
羽鳥は「俺も千春が同じ目にあったら、きっと冷静ではいられない」と慰めてくれた。
この2人が気遣ってくれる派だ。
美濃は「ここんとこトラブルが全然なくてつまらなかったから、楽しかったよ」と笑った。
嵯峨は「あの客、全然懲りてなさそうだし、まだまだ翔太に言い寄る気だろうな」と冷やかす。
こちらは面白がる派の2人だ。
教授には今度は律さんを指名してくださいって勧めておきますからね。
嵯峨の一言には思わずカチンと来た雪名はそう言い返したが、嵯峨は涼しい顔だ。
はやくこんな風に落ち着いた大人になりたいものだと雪名はため息をつく。
そして気になることを言ったのは、今回トラブルを収めてくれた2人だ。
普段の翔太さんだったら、あんなになる前にきっぱりと跳ねつけるのに。
心配そうにそう言ったのは律だった。
言われてみれば確かにその通りだと、雪名は改めて思い至る。
猫のように気分屋な翔太は、気に入らない客には容赦なく冷淡だ。
不思議なことにその冷たさがいいなどという客がいたりする。
あの客はマナーが悪いから出入り禁止にしてもいいんだが、翔太が反対したんだ。
最後に店長の横澤にそう言われれば、雪名にもその意味はわかる。
おそらくは雪名の大学の教授だから、翔太は何をされても許していたのだろう。
恋人の不器用な優しさに、雪名は切ないほどの愛おしさを感じていた。
*****
翔太さん、今日はすみませんでした。
雪名はそう言って、並んで座っている翔太の肩を抱き寄せる。
翔太は俯いて、雪名の方を見ようとしない。
それでも逆らうことはせず、雪名にもたれかかっている。
雪名は翔太のマンションに押しかけていた。
ほとんど通い同棲状態ではあるが、嵯峨と律や羽鳥と千春のように完全な同居ではない。
やはり学生であり、親から仕送りを受けている雪名にはどうしても世間体があるからだ。
いっそ美大などやめて、プロのホストになった方がいいのかと迷ったりもする。
横澤さんに頼んで、教授は出入り禁止にしてもらうことにします。
雪名は静かにそう言った。
翔太は「何で!?」と声を裏返しながら、雪名を見上げる。
翔太さんが俺のために我慢してるのは、もう見たくないです。
雪名は翔太の肩を抱く腕の力を少しだけ強める。
だが翔太はその腕から逃れるように身体を離して、またそっぽを向いてしまう。
あの教授に気に入られたら、早く画家になれるんだろ?
誰がそんなことを言ったんですか!?
翔太の意外な言葉に驚き、今度は雪名の語気が荒くなる。
確かにあの教授は画壇に影響力があり、彼の推挙があれば活動しやすいのは間違いない。
だが雪名はそんなことを1度たりとも翔太に言ったことはない。
お前が客として店に来た時、一緒にいた学生たちが言ってた。
さらに意外なことを言い出した翔太に、雪名は一瞬言葉を失った。
翔太は客として来た雪名のことは憶えていないと思っていたのに。
憶えてるよ。いい男の客は絶対に忘れない。
ましてやお前は俺の好みのドストレートだったんだから。
驚く雪名の顔色を読んだ翔太は、事も無げにそう言い切った。
じゃあ初めて俺が店に出勤した日に、一目惚れしたって嘘だったんですか?
驚きっぱなしでようやく聞き返した雪名に、翔太は「嘘じゃない」と首を振った。
客で来たときには、わざと雪名を見ないようにしてたんだ。
だってお前は教授に連れて来られた学生の中の1人にすぎなかったんだから。
もう2度と逢わないだろうし、本気で惚れてもつらいだけだと思ったんだ。
翔太はそう白状すると「なのに何でバイトなんかに来るんだよ」と苦笑する。
俺、翔太さんと恋をするためにバイトを始めたんですよ。
雪名もまた白状すると、今度は翔太が驚いた表情になった。
キョトンとした目で、口をポカンと開けて、雪名を見る翔太は本当にかわいい。
*****
俺、翔太さんと恋をするためにバイトを始めたんですよ。
今度は雪名の言葉に、翔太が呆然とする番だった。
雪名が客として来店した時、一緒に来た学生とばかり話をしていたからだ。
まさかそこで翔太に興味を持ったなんて、思っていなかった。
何でわざわざクラブ「エメラルド」を選んで、バイトするのか不思議に思っていたのだ。
翔太さんが好きなんです。翔太さんより大事なものなんかないです。
だから俺のためにって翔太さんが我慢するのは、絶対に嫌です。
雪名の真っ直ぐな言葉が、翔太の心を射抜く。
長くホストの世界に身を置く翔太には、雪名の真っ直ぐさはすごく眩しい。
ホストクラブは駆け引きが多い場所で、言葉にはだいたい裏があるからだ。
そのまま信じて受け入れると、後で痛い目に合うことなど珍しくない。
でも俺は雪名のためにできること、あんまりないんだ。
翔太さんのそばにいられるだけで、俺は幸せなんですよ。
どちらかと言えば後ろ向きな翔太に、雪名は惜しみなく愛の言葉を注ぐ。
それはまるでモノトーンの絵の上に、絵の具で色を乗せていくような鮮やかさだ。
とにかくもう翔太さんに教授の指名は受けさせません。いいですね?
とどめとばかりにそうダメ押しされれば、もう翔太は頷くしかない。
翔太だって、あんな客の相手などできればしたくない。
まして雪名にここまで言われては、もう反論できない。
まだまだ翔太と雪名の恋は始まったばかりなのだと思う。
好きだという想いばかりが先走って、お互いのことを知らなすぎるのだ。
事実、相手が自分を意識した瞬間さえ、2人とも今の今まで知らなかったのだから。
俺のためっていうなら、1つお願いがあるんです。
翔太さんを描かせてくれませんか?
すっかり油断していた翔太は「俺がモデル?」と上ずった声で叫んだ。
まんまと不意打ちが成功した雪名が、クスクスと悪戯っぽく笑う。
俺なんか描いても仕方ないだろう?
何だか気恥ずかしくて、翔太はぶっきらぼうになる。
だが雪名はいつものキラキラオーラ全開で「大好きな人の絵を描きたいんですよ」などと言う。
まったくかなわない。
翔太は渋々「わかったよ」と頷いた。
翔太は自分がどうしようもなく汚れていると思っているし、今もその思いはかわらない。
だが雪名は汚れた自分が気にならなくなるほど、綺麗な世界を見せてくれる。
その鮮やかさを見ていると、こんな自分も悪くないと思えてくるから不思議なものだ。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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