グロテスク5題

【飛び散る】

木佐翔太はオープンカフェのテラス席に座っていた。
ここはお気に入りの席だ。
都会の中にありながら、植木や観葉植物などが多いので道路から丸見えにはならない。
それに陽だまりの中を緑の匂いを含んだ風が吹き抜けるのが、心地よいのだ。
マイナスイオンとやらの効果があるのかどうかはわからないが。
ちなみにコーヒーは、多少値が高いが美味だ。

本当は今日は恋人と会う約束の日だった。
だが昨日の夜、恋人から急な用事ができたとキャンセルのメールがあったのだ。
急用ならば仕方がないが、1日時間が空いてしまった。
木佐は待ち合わせ場所であるオープンカフェに来た。
そして「しばらくカフェにいる。遅くてもいいから、もし都合がついたら来て。」とメールを打った。
何だか未練がましくて、迷惑かもしれない。
それでも少しでもいいから会いたいと思ってしまうのだ。

まったく俺ともあろう者が。
メールを送信した木佐は、苦笑した。
以前はとっかえひっかえ男を渡り歩いていた自分なのに。
今ではもうすっかり雪名の虜だ。
毎日でも会いたいし、離れていると不安になる。

だが雪名はひどくミステリアスというか、秘密主義だった。
仕事を聞くと「ただのフリーターです」と素っ気ないし、年齢を聞くと「さぁ?どう見えます?」と誤魔化す。
木佐にとって一番の関心事は、雪名の家族構成だった。
子供の頃に出逢った雪名そっくりな男は、雪名の血縁者ではないかと思ったからだ。
例えば雪名の父親、もしくは叔父とか、兄とか。
だが雪名は「俺、天涯孤独なんですよ」と笑い、それ以上は答えなかった。

尋常ではないはぐらかしは、遊ばれているからなのだろうか?
そう考えるのが当たり前だと思うのに、離れられない。
もう雪名なしでは生きていけないほど、木佐は雪名に夢中だった。

*****

「よぉ!」
不意に声をかけられた木佐は、ずっとスマートフォンに落としていた視線を上げた。
2人掛けのテーブルの向かいの席に、いつのまにか男が座っている。

「あの。。。」
木佐は慌てて周囲を見回した。
知らない男なので、店内が満席で相席したいのかと思ったのだ。
だが店内は混んでいるものの、空席もある。

「え?何、忘れたの?ひでーな。」
そう言われて、木佐は首をかしげた。
正直言って覚えていない。

「3ヶ月前、渋谷のクラブで会った市村、覚えてない?」
そう言われても思い出さないが、内心ひそかに「なるほど」と思った。
3ヶ月前はまだ雪名とは知り合っておらず、クラブに通い詰めていた時期だった。
しかも目の前の男は整った顔だちで、ぶっちゃけ自分がナンパしそうなタイプの男だ。

「今や雪名にすっかり夢中ってか?」
「!?」
男の言葉に木佐は目を剥き、持っていたカップを取り落とした。
カップが床に落ちて砕け、残っていたコーヒーとカップの破片が床に飛び散る。
店員が駆け寄り床を片付け始めたのを、木佐は呆然と見ていた。
なぜほとんど知らないと言っていい男の口から、雪名の名が出てきたのか。
男は驚く木佐の様子を見て、満足気に笑う。

「お前、何で雪名のことを。。。」
「教えてやろうか?雪名の秘密。」
木佐には、男の得意気な表情がどうにも不快に見えた。
だがそれ以上に男が口にした「雪名の秘密」が気にかかる。

「ちなみに今日は横澤に呼び出されてた。何ヶ月かぶりのメシだろうよ。」
「メシ?」
男の言うことがまったくわからない。
どうしていいかわからず困り果てた木佐に、男が身を乗り出して顔を寄せた。
男の顔のアップで視界がふさがり、吐息が顔にかかるのが気持ち悪い。
だが「知りたければ、俺と一緒に来い」という男の言葉に、木佐は頷いた。

恋人のことをもっと知りたい。
ただそれだけの好奇心が、木佐を危険へと導いていた。

*****

『俺、先に乗り込みますから。』
「おい!俺が行くまで待て!」
『それじゃ間に合わないかもしれないでしょう?』
「律!」
横澤の叫びも虚しく、電話は切れた。
桐嶋と雪名は、携帯電話を睨みつける横澤を見て顔を見合わせた。

「魔物の気配を持った男が、異常な妖気を漂わせながら人間と接触してるんだとさ。」
横澤は律からの電話を居室で受けていた。。
その隣にはいつまでも帰らない桐嶋と、シャワーを浴び終えた雪名もいた。
横澤は彼らに短く説明すると、コートに腕を通し、外出の支度を始めた。

「律って高野の『伴侶』だっけ?」
緊迫した横澤とは対照的に、桐嶋がのんびりとした口調で声をかける。
雪名がシャワーを浴び終えて居室の顔を出す前、桐嶋はずっと「伴侶」になれと横澤を口説き続けていた。
急いでいる時に同じ口調で話しかけられるのが不愉快だったが、それを言っている場合ではない。

「横澤さんに連絡が来たってことは、相手は食人鬼ですか?」
「そのようだな。」
雪名の問いに答えた瞬間、横澤の携帯電話が鳴った。
通話ではなくメールで、送信者は律だ。
タイトルも文面もないが、画像が添付されている。
これが律が見つけた問題の魔物と人間なのだろう。

「市村か」
画像を開いた横澤が、忌々しげに呻いた。
横澤の担当の食人鬼の中でも扱いにくい男だった。
人間をすべて見下しており、横澤のことも露骨に蔑み、馬鹿にしている。
そして魔力も強い。
これはかなりやっかいなことになるかもしれない。

「人間の方は俺の知り合いです。名前は木佐翔太。俺が『伴侶』にしたいと思っている人間です。」
横澤の携帯を覗きこんだ雪名がそう言った。
その言葉に、横澤も桐嶋もギョッとする。
食人鬼の「伴侶」は、主に自分の身を喰わせて死ぬことを意味しているからだ。

*****

「なんだよ、ここ。」
誘われるままについて来た木佐が、男に聞く。
だが声が微かに震えてしまっていた。

男が木佐を連れてきたのは、もうすぐ取り壊される寂れた廃ビルだった。
申し訳程度についていた鍵も、破られている。
そこへ連れ込まれた木佐は、男と相対していた。

「雪名はお前を『伴侶』にしたいらしいけど、俺の方がいいぜ。」
「はんりょ?」
「まぁ喰われるなら、どっちでも一緒だよなぁ?」
「くわ、れる?」
「知らなかった?雪名も俺も、人間を喰らう鬼なんだよ。」
「はぁぁ?」
何も知らない木佐には、何もかもが理解不能だった。
人間を喰らう鬼。
そんなのは映画とか漫画の中の出来事、虚構にしか思えない。

男が腕を伸ばして、木佐の手首を掴んだ。
木佐は振り払おうともがくが、男の力は強い。
全身を揺すりながら逃れようとしても、手首に食い込む男の手はビクとも動かなかった。

木佐は、この男は狂っているのだと思った。
鬼だの喰らうだのと言われても、信じろという方が無理な話だ。
だが魔力を感じ取ることができない木佐でも、わかる。
この雰囲気はどうにもヤバいということが。

「うわっ!」
男はいきなり掴んだ腕をグイと引き寄せ、木佐の身体を抱き取った。
腕ごと上半身を拘束されてしまった木佐は、唯一自由になる足に力を込めて男を蹴り上げる。
だが男はまるでこたえていない様子で、ニンマリと笑った。
至近距離で見る男の笑みは、もう常軌を逸した狂人のものだ。

ダメだ、逃げられない。
そう思った瞬間、ビルのドアが開いた。
飛び込んできたのは、1人の小柄な青年だった。

*****

「やめてください!」
「何だ?お前!」
建物の中に飛び込んだ律は、魔物の男が小柄な青年-木佐の身体を腕に抱えているのを見つけた。

「その人を離してください。」
「うるせぇ!」
「同意なしに人間に危害を加えるのは、規則違反のはずですよ!」
「お前。。。何者だ?」

男は標的を木佐から律に移した。
腕に抱いていた木佐を、無造作に放り投げる。
怪力で壁に叩きつけられた木佐は、ズルズルと床に崩れ落ちて動かなくなってしまった。

「気配は人間だな。。。魔物の『伴侶』か?」
「俺が誰かなんて、どうでもいいことです。」
男が律の正体を見極めようと、律の気配を探っている。
律もまた何とか時間を稼ごうと、懸命に考えを巡らせた。
何とか横澤が到着するまで、持ちこたえなくてはならない。
格闘になれば、おそらくは律に勝ち目はないだろうから。

「そうだな。お前も喰ってしまえばいい。そうすれば証拠もなくなる。」
男はニヤリと笑うと、律に踊りかかってきた。
律はポケットから小型のナイフを取り出すと、男に迎え討つべく身構える。
普通の刃物では魔物には通じない。
だが高野が護身用に持たせてくれたナイフには、高野の魔力が封じ込めてある。
多少なりともダメージを与えられるはすだ。

壁に打ち付けられて一瞬気を失った木佐は、すぐに意識を取り戻した。
そして目を開けた瞬間に見た。
木佐をかばうように立ちはだかった青年が、男に向かってナイフを振り下ろしたのを。
飛び散る男の赤い血を浴びながら、こちらを振り返った青年の美しい緑色の瞳を。
異常な状況であるのに、木佐は美しい青年の姿に呆然と見とれていた。

【続く】
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