グロテスク5題

【浮かぶ眼球】

「俺はお前と別れねーぞ。」
「いや、だからその前につき合ってねーから。」
木佐翔太は、淡々と詰め寄ってくる男に答えた。

まったくいつもどうしてこうなってしまうのだろう。
いや原因ははっきりとわかっている。
記憶の底に眠る昔の、ある出来事。
それが木佐の性癖と、今のこの状況を作るきっかけになっている。

木佐の初恋は、まだ小学校にも上がる前の幼少の頃。
家の近所の公園でよく顔を合わせる綺麗な青年だった。
多分20歳前後、平日の昼でもよく会ったから、大学生なのだと思う。

元々可愛らしい顔立ちの木佐は、当時はよく女の子と間違えられた。
近所の同じ年頃の子供たちからよくその事でからかわれ、それが嫌でいつも1人でいた。
青年はそんな木佐に声をかけてきて、木佐の話をいろいろ聞いてくれたのだ。
そんな優しい青年が好きで、毎日時間さえあれば公園に走った。
今にして思えば、あれは間違いなく恋だと思う。

青年との別れを、木佐ははっきりとは憶えていない。
だが何となく顔を見なくなったという自然消滅的なものではない。
確かに明確な別れがあったはずなのだ。
青年は「ごめんね。もう会えないんだ」と言った。
そしてその横に、何か「怖いモノ」があった気がする。
その記憶がひどく曖昧で、思い出そうとすると心臓がバクバクと不穏な音を立てる。
まるで思い出すなと警告を発しているようだと、木佐は思う。

そして現在に至るまで、木佐は女性には興味を持てずにいた。
性的な興味の対象はいつも男だ。
何人か恋人もいたが、長続きしない。
どうしてもあの青年と比べてしまうのだ。
最近ではもう諦めてしまっていて、身体だけの関係しか持たないことにしている。
目の前の男もそんな中の1人だった。

*****

「お前はおとなしく戻ってくればいいんだよ!」
男が木佐の腕を掴んで、ズルズルと引きずるように歩き出す。
こうなってしまうと、小柄な木佐は腕力では叶わない。
もう1回、この男と身体を重ねれば諦めてくれるだろうか。
諦めた木佐は引きずられながら、黙って目を閉じた。

不意に男の手が離れ「何だ!この野郎!」と怒号が聞こえた。
驚いた木佐が目を開けると、視界のほとんどが広い背中だった。
その向こうに、道路に倒れている男が見える。
どうやら通りすがりの青年が、男を突き飛ばしたらしい。

「この人、嫌がってるじゃないですか。」
割って入った青年が、この状況には不似合いな明るい声を出した。
そして倒れた男の横にしゃがみこんで、その耳元に何事かを囁く。
どうやら何か脅すようなことを言ったようだ。
男は慌てて立ち上がると、早足でその場を去って行った。

「大丈夫ですか?」
振り返った青年の顔を見て、木佐は言葉を失った。
彼は昔、木佐が恋した青年と瓜2つだったのだ。
まさかあの時の?
一瞬そう思ったが、木佐はすぐに思い直す。
あれはもう20年以上も前のこと、あの時の青年はもう40歳は過ぎているはずだ。

「助けてくれて、ありがとう。」
我に返った木佐は、青年に礼を言った。
そして改めてこの青年の顔を見て、やはり綺麗な顔だと思う。
何を言ったか知らないが、この顔で凄まれたら大抵の人間はビビッて逃げてしまうだろう。
あの時の青年とそっくりな、木佐好みの顔だ。

「お礼に、俺と寝ない?」
何も考えずに木佐の口から、スルリとその言葉が出た。
青年は驚いたように目を見開いた。
だがすぐに綺麗な微笑を浮かべると「それならお願いが」と言った。

*****

「木佐さん!」
木佐は仕事が長引いてしまい、10分程遅れて待ち合わせ場所に到着した。
おそらく時間通りに来たであろう青年が、大きく手を振っている。
木佐は青年に小さく片手を上げて答えると、ゆっくりと歩いていく。

結局、木佐はこの青年、雪名皇とつき合っている。
付きまとう男から助けられた木佐は「お礼に、俺と寝ない?」と誘った。
雪名はそれに対して「ただ寝るだけじゃなくて、つき合って下さい」と答えたのだ。
それから週に何回か会い、身体を重ねたり、外でデートをしたり。
いわゆる普通の恋人同士のような関係を続けている。

それ以来、木佐は悪夢にうなされるようになった。
幼少期に、雪名とよく似た青年と別れるときの夢。
今までは思い出そうとしても、思い出せなかったあの光景だ。

青年が「もう会えない」と言ったその口元が真っ赤な血で染まっていたこと。
そしてその横には、その青年が食い千切った人間の骸が転がっていた。
抉られた内臓、浮かぶ眼球。
スプラッタ映画さながらの、でも作り物ではないそれら。
木佐は冷たい汗をかき、自分の悲鳴で目を覚ます。

あの時の青年にそっくりな雪名と出逢った事が影響しているのだろう。
それにしてもあの光景は、本当にあったことなのだろうか?
いろいろ思い悩みながら、木佐は何も出来ずにいた。
雪名と一緒に過ごす時間は本当に楽しいし、ぶっちゃければセックスの相性もいい。
だからあの時の青年と雪名のことは、分けて考えることだと決めていた。
もっと言うなら、昔のことはさっさと忘れてしまうべきだ。

「じゃあ行きましょうか。」
雪名は木佐が待ち合わせに遅れたことなど、気にもしていない様子でそう言った。
木佐は「ああ」と短く答えて、2人は並んで歩き出す。

そのとき前から歩いてきた男が、怪訝な表情で雪名を見た。
黒い髪と長身の、まるでモデルのように綺麗な青年だ。
雪名がその視線に気付くと「あれ?久しぶりですね」と声をかける。
男は「そうだな」と短く答えると、さっさと街の雑踏に消えた。

何だか嫌な予感がする。
木佐はそう思いながら、立ち去る男の後ろ姿を見ていた。

*****

「雪名に会った。」
高野政宗は何の前置きもなく、いきなりそう言った。
横澤隆史は「ああ?」と不機嫌な声で応じた。
高野がわざわざ横澤の仕事場である事務所に立ち寄ったのは、用があるからだろう。
ならばもう少し愛想よくできないものかと思う。

高野政宗は吸血鬼だ。
人間の血を糧として生きる魔物である。
そして横澤隆史は、魔物と人間の間のトラブルを監視する立場の人間だ。
少し前までは、高野たち吸血鬼の担当だった。
だが今は「鬼」と呼ばれる魔物たちを担当している。
単に血だけではなく、人の肉や内臓などまで喰らって生きる者たちだ。

そういう食人鬼たちは、今やほとんど絶滅している。
高野ら吸血鬼と違い、糧とされる人間は死んでしまうからだ。
基本的に魔物たちが人間を対象として「食事」をする場合、相手の合意を得るという取り決めがある。
だが自分の命がなくなるというのに、合意する人間などいない。

だから食人鬼たちに限っては、特例としてのルールがある。
横澤が所属する監視組織が認定する人間なら食べてもいいというものだ。
認定される人間は、主に悪質な犯罪者だ。
残酷で卑劣な犯罪を犯し、しかも酌量の余地も反省の色もない者を、秘密裏に食人鬼たちの餌とするのだ。

雪名皇もまた、横澤の監視対象の魔物-食人鬼だ。
だが食人鬼には珍しいタイプの男だった。
概ね食人鬼は、人間を単なる餌として、自分たちよりも格下の生き物だと思っている。
横澤のことも小馬鹿にしたような態度で接する野蛮な者たちがほとんどだ。
だが雪名は理性的で、横澤にも敬意を払って接している。

「雪名には特に問題はねーけど。」
「違う。問題は一緒にいた人間の方だ。」
高野の言葉に、横澤はまたしても「ああ?」と不機嫌な声を上げてしまった。

*****

「あの人間、律と同じ匂いがする。」
高野はきっぱりとそう言い切った。
横澤はその言葉の意味を悟り、考え込む。

律は人間でありながら、高野の「伴侶」となる契約をした人間だった。
主である吸血鬼と共に、永遠に歳を取らないまま生き続ける幽霊のような存在だ。
その律と同じタイプ、高野に言わせると「同じ匂い」の人間が雪名の近くにいる。
それは非常に危険なことだった。

人間には3タイプの人間がいる。
1つ目は魔物とは関わりなく、その存在さえ知らずに生きていく者たち。
この世のほとんどの人間はそうだ。

2つ目はそれとは対照的に、魔物たちの魔力を押さえ込む力を持つ横澤のような者たちだ。
そういう者たちのほとんどは組織に所属して、魔物たちと人間とのトラブルを解決する仕事につく。
何せ特殊技能であるから、収入は普通の職業とは比べ物にならないほど高額だ。

3つ目は高野の「伴侶」である律のようなタイプの人間だ。
自分たちは特に力を持たないのに、不思議に魔物を惹きつけるのだ。
彼らはみな元々かわいい顔をしているが、魔物に愛されてさらに美しくなる。
中には何百年も魔物と行動を共にして、少しだけだが魔力を持つようになった者さえいる。
そんなタイプの人間が、雪名の傍にいるというなら警戒が必要だ。
何かしらのトラブルに発展する可能性が高いからだ。

「わかった。注意しとく。」
横澤はそう言うと、高野はまた無言で踵を返した。
さっさと帰ろうとする後ろ姿に「そう言えば」と横澤が声をかける。

「ヤツらの処分が決まった。来週だ。」
高野は一瞬足を止めたが、振り返らなかった。
ヒラヒラと右手を振ったのが、了解の合図だろう。
そのまま軽い足取りで、高野は事務所を出て行った。

【続く】
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