艶めいた5題
【震える身体】
美しい青年が、吉野をジッと見ている。
いつもは吉野が気を許した友人である羽鳥や柳瀬が座るソファ。
そこに彼が座っている様子は、何だか現実感がない。
彼があまりにも美しいせいか、それとも彼が普通の人間でないからなのだろうか?
とまどう吉野を訝しく思ったのか、青年が小首を傾げた。
青年の茶色の髪が、その動きに合わせてサラリと揺れた。
今日、吉野の部屋を訪れたのはあの律だった。
高野政宗の「伴侶」であり、その高野に血を吸われていたあの綺麗な青年。
先日は意識を失って、話ができる状況ではなくなってしまった。
だからこうして日を改めて、吉野の部屋に来てくれたのだ。
吉野と律は2人だけで向かい合っている。
羽鳥や高野が同席したら、どこか気が引けてしまうかもしれない。
そう思った2人は席を外したのだ。
羽鳥と高野は近所のカフェにおり、2人の話が終わるのを待っていた。
「あの、吉野千秋です。」
そう言えば名乗っていなかったと思い立った千秋は、そう言って頭を下げた。
青年は「律です」と短く答えて、軽く頭を下げる。
そして「そう言えばこの前は名乗りませんでしたね」と悪戯っぽく笑った。
「お茶がいいですか?それともコーヒー?」
「どうぞ、おかまいなく。」
「じゃあコーヒーを淹れますね。」
「すみません。」
そんなやり取りの後、コーヒーを淹れて、カップを律の前に置く。
律は「ありがとうございます」とニッコリと笑って、カップを口に運んだ。
*****
自己紹介をしてからの律は、まったく普通に気さくな青年だった。
礼儀正しくて育ちのよさをうかがわせるものの、それが全然嫌味ではない。
吸血鬼の「伴侶」だなんて、思いも寄らないだろう。
人ではない生き物だと思っていた律が急に人間に見えてきて、吉野は混乱する。
「吉野さんは、柳瀬さんが好きなんですか?」
律は半分ほど飲んだコーヒーカップをローテーブルに戻しながら、そう言った。
どうやら吉野が困惑しているのを感じて、先に切り出してくれたようだ。
「はい。優は大事な友だちで、ずっと一緒にいられれば楽しいと思う。でも。。。」
「でも?」
「何かが違う気がするんだ。それが何だかわからなくて、ずっと迷ってた。」
「何か、ですか?」
「この間の律さんを見て、わかりかけたような気がするんです。」
律はずっと柔らかい笑みを浮かべながら、吉野の話を聞いていた。
「吉野さん、羽鳥さんのことも好きですよね。」
「もちろんです。」
「吸血鬼の柳瀬さんと生きるためには、羽鳥さんを捨てることになります。」
「トリを。。。捨てる?」
「一切会えなくなるわけではありませんよ。でも友だちではなくなるでしょう。」
律はそう言った後に、言葉を切った。
友だちではなくなると聞いて、吉野の表情が不安そうに曇ったからだ。
*****
「俺の知っている吸血鬼たちはみんな迷ってました。愛する人間を『伴侶』にしていいのかと。」
「はぁ。。。」
「俺の主も最初、俺をなかなか『伴侶』にしてくれなかったんです。」
「どうしてですか?」
「普通の人間として生きて死ぬことが幸せだと、そう思うみたいです。」
「そういうものなんですか。」
吉野は律の言葉をぼんやりと考えた。
だが吉野は自分も含めて、人間は歳を取って死んでいくのが当たり前だと思っている。
だから吸血鬼たちの常識が、どうにもピンと来ない。
「俺はある事件で死にそうな目にあったんです。そのときあの人のことしか頭に浮かばなかった。」
「え。。。」
「だからなんとか生き残ったときに頼んだんです。『伴侶』にして下さいって。」
「自分から、ですか。」
「はい。親も友人も仕事も、俺自身さえ捨ててしまっていいと思った。あの人のためなら。」
「すごい。。。」
「そういう強い想いがなければ『伴侶』なんてなれません。永遠に2人で生きるんですから。」
吉野はようやく自分が思っていた違和感の正体がわかった。
律と自分の違いは、覚悟の違いなのだ。
主の吸血鬼を想う強い気持ちが、律を美しく見せている。
残念ながら吉野は、柳瀬に対してそれほどの覚悟を持っていない。
それに吉野が不老不死の『伴侶』となったら、羽鳥だけが歳を重ねていく。
そしていつか寿命を迎えて、死んでしまうだろう。
律はそのことを指して「友だちではいられない」と言ったのだ。
羽鳥だけが年齢を重ね、その後は羽鳥のいない世界をずっと生きていく。
そこまで考えたとき、吉野の身体が恐怖に震えた。
絶対に無理。それが答えなのだ。
正解はあまりにも単純で、わかりやすいところにあった。
「律さん、俺、優の『伴侶』には。。。」
吉野が最後の結論を出そうとした瞬間、部屋のドアがバタンと乱暴に開けられた。
驚いた吉野と律が、そちらを見る。
するとそこには怒りの表情でハァハァと息を切らした柳瀬が立っていた。
*****
「優?今日は来る日じゃなかったはず。。。」
「千秋!何を言われた?」
吉野は柳瀬の勢いに圧倒されて、言葉が出ない。
以前柳瀬が来た日に吉野が寝過ごしてしまったことがあって、柳瀬には合鍵を渡している。
だがそれは一度も使われることはなかった。
それ以来吉野は寝過ごすこともなかったし、柳瀬が連絡なしに来たことなどなかったからだ。
だが柳瀬はその合鍵を使って、吉野の部屋に乗り込んできたのだ。
羽鳥や高野たちが吉野のことで動いていることを、柳瀬はどこからか聞きつけたのだろう。
「お前は確か高野政宗の『伴侶』。。。律だったよな?」
「ええ。そうです。吉野さんに『伴侶』について話をしました。」
「余計なことを!」
「余計ではありません。柳瀬さんもわかっているでしょう。吉野さんは。。。」
「言うな!」
柳瀬は律の言葉に聞き耳を持たなかった。
もう律には目もくれずに、吉野に向かって手を伸ばす。
柳瀬も実はわかっているのだ。
吉野が永遠に生き続けるとしたら、一緒にいたいのは柳瀬ではない。
吉野自身すら気がついていない心の深い奥底で、吉野は羽鳥を求めている。
「優、ごめん。今まで通り血をあげるのはかまわない。でも『伴侶』にはなれない。」
「だったら、力ずくでも『伴侶』にする!」
柳瀬はポケットから小さなナイフを取り出すと、それを自分の左手に当てて一気に引いた。
柳瀬の手のひらが鮮血で染まるのを、吉野は呆然と見ていた。
*****
「やめてください!柳瀬さん!」
律が柳瀬に駆け寄り、左腕にぶら下がるように掴んだ。
古来から伝わる吸血鬼の儀式。
吸血鬼の血を飲んだ人間は『伴侶』となる。
つまり今柳瀬から流れる血を飲まされれば、吉野は無理矢理「伴侶」にされてしまう。
「うるさい!どいていろ!」
払いのけた柳瀬の肘が、律の胸元を強く叩きつけられた。
その勢いで柳瀬の手のひらの血が、飛び散る。
床や壁、そして押されてよろめいた律の顔にも。
その途端「ああっ」と叫んだ律が、その場に崩れ落ちた。
そして喉をかきむしり、苦しみ始める。
吉野は驚き「律さん!?」と声を上げた。
「ああ、俺の血が口に入っちゃったみたいだな。」
吉野は床に倒れてもがき苦しむ律を見て、苦笑する。
吸血鬼の「伴侶」にとって、別の吸血鬼の血は猛毒だ。
まるで内臓を焼かれるように苦しく、眩暈や頭痛や吐き気が一気にこみ上げてくる。
床に倒れた律は、苦痛に震える身体を起き上がらせることもできない。
「優、わかったから!『伴侶』になるから、律さんを助けて!」
「それは無理だ。こうなってしまったら俺にもどうにもできないさ。」
「そんな。。。」
「でも千秋には『伴侶』になってもらう。」
柳瀬がジリジリと距離を詰めてきた。
その手からは未だに止まることのない血が滴り落ちている。
トリ。助けて。
吉野はどうしていいのかわからず、呆然と立ち尽くしていた。
【続く】
美しい青年が、吉野をジッと見ている。
いつもは吉野が気を許した友人である羽鳥や柳瀬が座るソファ。
そこに彼が座っている様子は、何だか現実感がない。
彼があまりにも美しいせいか、それとも彼が普通の人間でないからなのだろうか?
とまどう吉野を訝しく思ったのか、青年が小首を傾げた。
青年の茶色の髪が、その動きに合わせてサラリと揺れた。
今日、吉野の部屋を訪れたのはあの律だった。
高野政宗の「伴侶」であり、その高野に血を吸われていたあの綺麗な青年。
先日は意識を失って、話ができる状況ではなくなってしまった。
だからこうして日を改めて、吉野の部屋に来てくれたのだ。
吉野と律は2人だけで向かい合っている。
羽鳥や高野が同席したら、どこか気が引けてしまうかもしれない。
そう思った2人は席を外したのだ。
羽鳥と高野は近所のカフェにおり、2人の話が終わるのを待っていた。
「あの、吉野千秋です。」
そう言えば名乗っていなかったと思い立った千秋は、そう言って頭を下げた。
青年は「律です」と短く答えて、軽く頭を下げる。
そして「そう言えばこの前は名乗りませんでしたね」と悪戯っぽく笑った。
「お茶がいいですか?それともコーヒー?」
「どうぞ、おかまいなく。」
「じゃあコーヒーを淹れますね。」
「すみません。」
そんなやり取りの後、コーヒーを淹れて、カップを律の前に置く。
律は「ありがとうございます」とニッコリと笑って、カップを口に運んだ。
*****
自己紹介をしてからの律は、まったく普通に気さくな青年だった。
礼儀正しくて育ちのよさをうかがわせるものの、それが全然嫌味ではない。
吸血鬼の「伴侶」だなんて、思いも寄らないだろう。
人ではない生き物だと思っていた律が急に人間に見えてきて、吉野は混乱する。
「吉野さんは、柳瀬さんが好きなんですか?」
律は半分ほど飲んだコーヒーカップをローテーブルに戻しながら、そう言った。
どうやら吉野が困惑しているのを感じて、先に切り出してくれたようだ。
「はい。優は大事な友だちで、ずっと一緒にいられれば楽しいと思う。でも。。。」
「でも?」
「何かが違う気がするんだ。それが何だかわからなくて、ずっと迷ってた。」
「何か、ですか?」
「この間の律さんを見て、わかりかけたような気がするんです。」
律はずっと柔らかい笑みを浮かべながら、吉野の話を聞いていた。
「吉野さん、羽鳥さんのことも好きですよね。」
「もちろんです。」
「吸血鬼の柳瀬さんと生きるためには、羽鳥さんを捨てることになります。」
「トリを。。。捨てる?」
「一切会えなくなるわけではありませんよ。でも友だちではなくなるでしょう。」
律はそう言った後に、言葉を切った。
友だちではなくなると聞いて、吉野の表情が不安そうに曇ったからだ。
*****
「俺の知っている吸血鬼たちはみんな迷ってました。愛する人間を『伴侶』にしていいのかと。」
「はぁ。。。」
「俺の主も最初、俺をなかなか『伴侶』にしてくれなかったんです。」
「どうしてですか?」
「普通の人間として生きて死ぬことが幸せだと、そう思うみたいです。」
「そういうものなんですか。」
吉野は律の言葉をぼんやりと考えた。
だが吉野は自分も含めて、人間は歳を取って死んでいくのが当たり前だと思っている。
だから吸血鬼たちの常識が、どうにもピンと来ない。
「俺はある事件で死にそうな目にあったんです。そのときあの人のことしか頭に浮かばなかった。」
「え。。。」
「だからなんとか生き残ったときに頼んだんです。『伴侶』にして下さいって。」
「自分から、ですか。」
「はい。親も友人も仕事も、俺自身さえ捨ててしまっていいと思った。あの人のためなら。」
「すごい。。。」
「そういう強い想いがなければ『伴侶』なんてなれません。永遠に2人で生きるんですから。」
吉野はようやく自分が思っていた違和感の正体がわかった。
律と自分の違いは、覚悟の違いなのだ。
主の吸血鬼を想う強い気持ちが、律を美しく見せている。
残念ながら吉野は、柳瀬に対してそれほどの覚悟を持っていない。
それに吉野が不老不死の『伴侶』となったら、羽鳥だけが歳を重ねていく。
そしていつか寿命を迎えて、死んでしまうだろう。
律はそのことを指して「友だちではいられない」と言ったのだ。
羽鳥だけが年齢を重ね、その後は羽鳥のいない世界をずっと生きていく。
そこまで考えたとき、吉野の身体が恐怖に震えた。
絶対に無理。それが答えなのだ。
正解はあまりにも単純で、わかりやすいところにあった。
「律さん、俺、優の『伴侶』には。。。」
吉野が最後の結論を出そうとした瞬間、部屋のドアがバタンと乱暴に開けられた。
驚いた吉野と律が、そちらを見る。
するとそこには怒りの表情でハァハァと息を切らした柳瀬が立っていた。
*****
「優?今日は来る日じゃなかったはず。。。」
「千秋!何を言われた?」
吉野は柳瀬の勢いに圧倒されて、言葉が出ない。
以前柳瀬が来た日に吉野が寝過ごしてしまったことがあって、柳瀬には合鍵を渡している。
だがそれは一度も使われることはなかった。
それ以来吉野は寝過ごすこともなかったし、柳瀬が連絡なしに来たことなどなかったからだ。
だが柳瀬はその合鍵を使って、吉野の部屋に乗り込んできたのだ。
羽鳥や高野たちが吉野のことで動いていることを、柳瀬はどこからか聞きつけたのだろう。
「お前は確か高野政宗の『伴侶』。。。律だったよな?」
「ええ。そうです。吉野さんに『伴侶』について話をしました。」
「余計なことを!」
「余計ではありません。柳瀬さんもわかっているでしょう。吉野さんは。。。」
「言うな!」
柳瀬は律の言葉に聞き耳を持たなかった。
もう律には目もくれずに、吉野に向かって手を伸ばす。
柳瀬も実はわかっているのだ。
吉野が永遠に生き続けるとしたら、一緒にいたいのは柳瀬ではない。
吉野自身すら気がついていない心の深い奥底で、吉野は羽鳥を求めている。
「優、ごめん。今まで通り血をあげるのはかまわない。でも『伴侶』にはなれない。」
「だったら、力ずくでも『伴侶』にする!」
柳瀬はポケットから小さなナイフを取り出すと、それを自分の左手に当てて一気に引いた。
柳瀬の手のひらが鮮血で染まるのを、吉野は呆然と見ていた。
*****
「やめてください!柳瀬さん!」
律が柳瀬に駆け寄り、左腕にぶら下がるように掴んだ。
古来から伝わる吸血鬼の儀式。
吸血鬼の血を飲んだ人間は『伴侶』となる。
つまり今柳瀬から流れる血を飲まされれば、吉野は無理矢理「伴侶」にされてしまう。
「うるさい!どいていろ!」
払いのけた柳瀬の肘が、律の胸元を強く叩きつけられた。
その勢いで柳瀬の手のひらの血が、飛び散る。
床や壁、そして押されてよろめいた律の顔にも。
その途端「ああっ」と叫んだ律が、その場に崩れ落ちた。
そして喉をかきむしり、苦しみ始める。
吉野は驚き「律さん!?」と声を上げた。
「ああ、俺の血が口に入っちゃったみたいだな。」
吉野は床に倒れてもがき苦しむ律を見て、苦笑する。
吸血鬼の「伴侶」にとって、別の吸血鬼の血は猛毒だ。
まるで内臓を焼かれるように苦しく、眩暈や頭痛や吐き気が一気にこみ上げてくる。
床に倒れた律は、苦痛に震える身体を起き上がらせることもできない。
「優、わかったから!『伴侶』になるから、律さんを助けて!」
「それは無理だ。こうなってしまったら俺にもどうにもできないさ。」
「そんな。。。」
「でも千秋には『伴侶』になってもらう。」
柳瀬がジリジリと距離を詰めてきた。
その手からは未だに止まることのない血が滴り落ちている。
トリ。助けて。
吉野はどうしていいのかわからず、呆然と立ち尽くしていた。
【続く】