艶めいた5題
【溢れる液体】
「うっ。。。く。。。」
吉野千秋は思わず声を上げ、苦痛に顔を歪めた。
そして自分を抱きしめている男の上着をギュッと握り締めてしまう。
まったく何度経験しても慣れない。
自分の首筋に歯を立てられ、思い切り血を吸い取られるこの感覚には。
「ふ、ふ。。。あっ。。。」
次第に吉野の声は、色香を含んだものに変わる。
痛みは一瞬なのだ。
最初のほんの何秒かだけ。
すぐに吉野の身体は、甘い性的な興奮を含んだ陶酔状態になる。
そのことが不思議だった吉野は、最初に血を吸われたときに、それを聞いた。
すると男は事も無げに説明してくれたのだ。
吸血鬼の唾液には、そういう成分が含まれているのだと。
彼は「いわゆる媚薬と同じ効果だよ」と悪戯っぽく笑った。
「千秋、かわいい」
血を吸い終えた男は、吉野を労うように髪をなでる。
だが大量の血を飲まれた吉野は、朦朧としていた。
もうダメだ。意識を保てない。
最後に見えるのは、男の口元からかすかに溢れる液体。
ああ、俺の血だ。
そう思いながら、吉野は男の腕の中で意識を失った。
*****
「気がついた?」
目を覚ました吉野の顔をのぞきこんでいたのは、友人の柳瀬優だった。
吉野は「ああ、うん」と曖昧な返事をしながら、身体を起こす。
ここは吉野のマンションの寝室だった。
血を吸われた後はどうしても眠ってしまうから、場所はいつもここにしているのだ。
今日も血を吸われた後、意識を失い、眠ってしまったようだった。
時間を見ると、柳瀬がここへ来てから3時間ほどの時間が経っていた。
「いつも悪いな、千秋。」
柳瀬がそう言って、申し訳なさそうな顔をする。
まだ少し貧血状態が残っている吉野だったが「気にすんなよ」と笑顔を作った。
吉野と柳瀬が出会ったのは、12年ほど前。
高校の3年生になった時、吉野のクラスに転校してきたのが柳瀬だった。
たまたま席が隣になり、話してみると妙に気が合った。
そして親しくなったある日、柳瀬に打ち明けられたのだった。
自分は人間ではなく吸血鬼で、定期的に血を飲まなければ死んでしまうのだと。
たまたまその時、柳瀬は血が足りない状態だった。
真っ青な顔で「血が足りないんだ」と告げられた吉野に、他の選択肢などなかった。
人間だろうと、吸血鬼だろうと、大事な友人だと思った。
だからすんなりと「俺の血でよかったら」と口に出していた。
それ以来、月に2、3回ほど柳瀬は吉野の家に来るようになった。
昼前に現れて、吉野の血を飲み、その代わりに吉野の昼食を作る。
そして貧血状態から目覚めた吉野に、遅めの昼食を振舞うのだ。
学生から社会人になっても、実家から1人暮らしのマンションになっても。
吉野のこの習慣だけは変わらなかった。
*****
「うん、美味い!」
吉野はリビングで、柳瀬が作った昼食を頬張っていた。
柳瀬は吉野の真向かいに座り、食事をする吉野を見ている。
正直言って、食べる姿をジッと見られるのは何となく居心地が悪い。
一緒に食べようと柳瀬を誘ったこともあるのだが、ことわられた。
吸血鬼は血を飲むのが食事であり、人間のように食べ物を摂取することはないのだという。
お茶を飲むくらいはするが、本当はそれも必要がない。
人間社会で生きていく上で、必要な場合にほんの少し飲むだけだ。
「自分は食べないのに、味付けなんかよくできるなぁ」
吉野はそう言いながら、クルクルとフォークを動かす。
本日の昼食はパスタだった。
しかも市販のパスタソースなどは使わない本格的なペスカトーレ。
パスタはよく出てくるメニューだった。
しかも毎回麺こそ市販品だが、ソースは手作りだ。
その上、添えられたサラダやスープなども市販品ではなく、手作りのものだ。
「千秋が美味そうに食ってるのを見るのが好きなんだ。」
何だか答えになっていない答えだと、吉野は思う。
そのためにわざわざ料理を練習したというのだろうか?
だけど今は食欲が勝っている。
吉野は深く考えないことにして、黙々と食べ続けた。
*****
「なぁ、そろそろ決心してくれた?」
食事の後、キッチンで皿を洗いながら、柳瀬が聞いてきた。
吉野はリビングのソファに寝転びながら「う~ん」と曖昧な声で応じる。
これも柳瀬が家に来たときの恒例のやりとりだった。
それは柳瀬が吉野の血を飲み始めて、1年くらい経った頃だった。
柳瀬が吉野に「伴侶」にならないかと言った。
言われた吉野は、最初は意味がわからなかった。
キョトンとした表情の吉野に、柳瀬は苦笑まじりに説明してくれた。
吸血鬼と契約を交わした人間は「伴侶」となる。
「伴侶」になれば、歳を取ることはなくなる。
そして主である吸血鬼が死ななければ、死ぬこともないのだという。
ずっとこのまま一緒に生きていかないか?
柳瀬はそう言って、吉野を誘った。
永遠に若いままで生きていく。柳瀬と一緒に。
それはステキな誘惑だった。
きっと楽しく過ごせるに違いない。
だけど吉野はどうしても踏み切れなかった。
永遠に歳を取らないということは、家族や他の友人とも一緒にいられないだろう。
吉野だけいつまでも歳を取らなければ、どうしても不自然だからだ。
だけどそれだけが原因ではないと思う。
心のどこかに、何か大きな抵抗感があるのだ。
それをうまく言葉にすることができなくて、いつも誤魔化すように言葉を濁していた。
*****
「羽鳥が賛成しなければ、うんとは言えないか?」
キッチンの片づけを終えた柳瀬が、リビングに戻ってきた。
そして少し険のある目で吉野を見ながら、冷ややかに言う。
「いや、まぁ、そりゃあ。トリのこともあるけど。。。」
吉野はますます困って、言いよどんでしまった。
いつも親しげな笑顔で接してくれる柳瀬が、羽鳥のことになると険しい表情になる。
そんな柳瀬の変化は、吉野をいつも戸惑わせる。
トリこと羽鳥芳雪は、吉野の幼なじみだった。
幼稚園から高校まで同じ学校に通っていたし、柳瀬とも面識がある。
そして柳瀬の正体を知る数少ない人物の1人だ。
最初に柳瀬に「伴侶」にならないかと誘われた後、吉野はすぐに羽鳥に相談した。
あれは確か、もう少しで高校を卒業するという初春のことだ。
そして羽鳥は「賛成できない」と答えた。
はっきりとした反対ではなく、賛成できないと。
そして自分がいいと言うまでは、柳瀬の「伴侶」にならないで欲しいと言った。
その頃から羽鳥とは何となく疎遠になっている。
たまに会ったり電話やメールで話をすることはあるが、何か壁のようなものを感じるのだ。
吉野が切り出した相談が原因なのか、たまたま高校卒業と時期が重なったせいなのか。
多分両方とも正解なのだ。
吉野が「伴侶」になることについて、羽鳥は羽鳥で何か思うところがあるのだと思う。
柳瀬と羽鳥、吸血鬼と「伴侶」。
よく言えば裏表のない、悪く言えば単純な吉野にとって、複雑すぎる問題だった。
悩む吉野の頭に時折フラッシュバックする光景。
それは意識を失う前に見える柳瀬、その口元を彩る吉野自身の赤い血だ。
あの溢れる液体によって、柳瀬とつながる関係になるのか、それとも。
吉野は今日も結論が出ない問題に、悩み続けるのだ。
【続く】
「うっ。。。く。。。」
吉野千秋は思わず声を上げ、苦痛に顔を歪めた。
そして自分を抱きしめている男の上着をギュッと握り締めてしまう。
まったく何度経験しても慣れない。
自分の首筋に歯を立てられ、思い切り血を吸い取られるこの感覚には。
「ふ、ふ。。。あっ。。。」
次第に吉野の声は、色香を含んだものに変わる。
痛みは一瞬なのだ。
最初のほんの何秒かだけ。
すぐに吉野の身体は、甘い性的な興奮を含んだ陶酔状態になる。
そのことが不思議だった吉野は、最初に血を吸われたときに、それを聞いた。
すると男は事も無げに説明してくれたのだ。
吸血鬼の唾液には、そういう成分が含まれているのだと。
彼は「いわゆる媚薬と同じ効果だよ」と悪戯っぽく笑った。
「千秋、かわいい」
血を吸い終えた男は、吉野を労うように髪をなでる。
だが大量の血を飲まれた吉野は、朦朧としていた。
もうダメだ。意識を保てない。
最後に見えるのは、男の口元からかすかに溢れる液体。
ああ、俺の血だ。
そう思いながら、吉野は男の腕の中で意識を失った。
*****
「気がついた?」
目を覚ました吉野の顔をのぞきこんでいたのは、友人の柳瀬優だった。
吉野は「ああ、うん」と曖昧な返事をしながら、身体を起こす。
ここは吉野のマンションの寝室だった。
血を吸われた後はどうしても眠ってしまうから、場所はいつもここにしているのだ。
今日も血を吸われた後、意識を失い、眠ってしまったようだった。
時間を見ると、柳瀬がここへ来てから3時間ほどの時間が経っていた。
「いつも悪いな、千秋。」
柳瀬がそう言って、申し訳なさそうな顔をする。
まだ少し貧血状態が残っている吉野だったが「気にすんなよ」と笑顔を作った。
吉野と柳瀬が出会ったのは、12年ほど前。
高校の3年生になった時、吉野のクラスに転校してきたのが柳瀬だった。
たまたま席が隣になり、話してみると妙に気が合った。
そして親しくなったある日、柳瀬に打ち明けられたのだった。
自分は人間ではなく吸血鬼で、定期的に血を飲まなければ死んでしまうのだと。
たまたまその時、柳瀬は血が足りない状態だった。
真っ青な顔で「血が足りないんだ」と告げられた吉野に、他の選択肢などなかった。
人間だろうと、吸血鬼だろうと、大事な友人だと思った。
だからすんなりと「俺の血でよかったら」と口に出していた。
それ以来、月に2、3回ほど柳瀬は吉野の家に来るようになった。
昼前に現れて、吉野の血を飲み、その代わりに吉野の昼食を作る。
そして貧血状態から目覚めた吉野に、遅めの昼食を振舞うのだ。
学生から社会人になっても、実家から1人暮らしのマンションになっても。
吉野のこの習慣だけは変わらなかった。
*****
「うん、美味い!」
吉野はリビングで、柳瀬が作った昼食を頬張っていた。
柳瀬は吉野の真向かいに座り、食事をする吉野を見ている。
正直言って、食べる姿をジッと見られるのは何となく居心地が悪い。
一緒に食べようと柳瀬を誘ったこともあるのだが、ことわられた。
吸血鬼は血を飲むのが食事であり、人間のように食べ物を摂取することはないのだという。
お茶を飲むくらいはするが、本当はそれも必要がない。
人間社会で生きていく上で、必要な場合にほんの少し飲むだけだ。
「自分は食べないのに、味付けなんかよくできるなぁ」
吉野はそう言いながら、クルクルとフォークを動かす。
本日の昼食はパスタだった。
しかも市販のパスタソースなどは使わない本格的なペスカトーレ。
パスタはよく出てくるメニューだった。
しかも毎回麺こそ市販品だが、ソースは手作りだ。
その上、添えられたサラダやスープなども市販品ではなく、手作りのものだ。
「千秋が美味そうに食ってるのを見るのが好きなんだ。」
何だか答えになっていない答えだと、吉野は思う。
そのためにわざわざ料理を練習したというのだろうか?
だけど今は食欲が勝っている。
吉野は深く考えないことにして、黙々と食べ続けた。
*****
「なぁ、そろそろ決心してくれた?」
食事の後、キッチンで皿を洗いながら、柳瀬が聞いてきた。
吉野はリビングのソファに寝転びながら「う~ん」と曖昧な声で応じる。
これも柳瀬が家に来たときの恒例のやりとりだった。
それは柳瀬が吉野の血を飲み始めて、1年くらい経った頃だった。
柳瀬が吉野に「伴侶」にならないかと言った。
言われた吉野は、最初は意味がわからなかった。
キョトンとした表情の吉野に、柳瀬は苦笑まじりに説明してくれた。
吸血鬼と契約を交わした人間は「伴侶」となる。
「伴侶」になれば、歳を取ることはなくなる。
そして主である吸血鬼が死ななければ、死ぬこともないのだという。
ずっとこのまま一緒に生きていかないか?
柳瀬はそう言って、吉野を誘った。
永遠に若いままで生きていく。柳瀬と一緒に。
それはステキな誘惑だった。
きっと楽しく過ごせるに違いない。
だけど吉野はどうしても踏み切れなかった。
永遠に歳を取らないということは、家族や他の友人とも一緒にいられないだろう。
吉野だけいつまでも歳を取らなければ、どうしても不自然だからだ。
だけどそれだけが原因ではないと思う。
心のどこかに、何か大きな抵抗感があるのだ。
それをうまく言葉にすることができなくて、いつも誤魔化すように言葉を濁していた。
*****
「羽鳥が賛成しなければ、うんとは言えないか?」
キッチンの片づけを終えた柳瀬が、リビングに戻ってきた。
そして少し険のある目で吉野を見ながら、冷ややかに言う。
「いや、まぁ、そりゃあ。トリのこともあるけど。。。」
吉野はますます困って、言いよどんでしまった。
いつも親しげな笑顔で接してくれる柳瀬が、羽鳥のことになると険しい表情になる。
そんな柳瀬の変化は、吉野をいつも戸惑わせる。
トリこと羽鳥芳雪は、吉野の幼なじみだった。
幼稚園から高校まで同じ学校に通っていたし、柳瀬とも面識がある。
そして柳瀬の正体を知る数少ない人物の1人だ。
最初に柳瀬に「伴侶」にならないかと誘われた後、吉野はすぐに羽鳥に相談した。
あれは確か、もう少しで高校を卒業するという初春のことだ。
そして羽鳥は「賛成できない」と答えた。
はっきりとした反対ではなく、賛成できないと。
そして自分がいいと言うまでは、柳瀬の「伴侶」にならないで欲しいと言った。
その頃から羽鳥とは何となく疎遠になっている。
たまに会ったり電話やメールで話をすることはあるが、何か壁のようなものを感じるのだ。
吉野が切り出した相談が原因なのか、たまたま高校卒業と時期が重なったせいなのか。
多分両方とも正解なのだ。
吉野が「伴侶」になることについて、羽鳥は羽鳥で何か思うところがあるのだと思う。
柳瀬と羽鳥、吸血鬼と「伴侶」。
よく言えば裏表のない、悪く言えば単純な吉野にとって、複雑すぎる問題だった。
悩む吉野の頭に時折フラッシュバックする光景。
それは意識を失う前に見える柳瀬、その口元を彩る吉野自身の赤い血だ。
あの溢れる液体によって、柳瀬とつながる関係になるのか、それとも。
吉野は今日も結論が出ない問題に、悩み続けるのだ。
【続く】
1/5ページ