呪文っぽい7台詞

【後日談 これが私の生きる道(中編)】

「俺って嫌なヤツ」
木佐は独り暮らしの部屋に帰宅すると、ドアを閉めるなりポツリと呟く。
独り言のつもりだったのに「何がです?」と問いかけられて「うわわ!」と飛び上がった。

最近、後輩声優、織田律の姿を見なくなった。
木佐が最後に見たのは、あのスマホアプリの仕事だ。
昼休憩で吉川千春こと吉野千秋を含めて、3人でランチをした後、会っていない。

「織田さんって、結構上から目線ですよね。」
あの時、吉野は律にそう言った。
律の、声優の顔出しをよくないことと考えているような発言を受けてのことだ。
控え目な吉野にしては珍しく、少し挑発的だったような気がする。

吉野の言葉は明らかに失言だったと思う。
だが木佐には吉野の気持ちがよくわかった。
イベントやらなにやら顔を出して仕事をする自分が、否定されたような気分になったからだ。
吉野も同じ気持ちだったから、あんな言葉が出たのだろう。
だから木佐は何も言わなかった。
年長者としては、何か気の利いた言葉で場を和ませるのが正解だっただろうに。

そしてそれ以上に気にしているのは、あれからパタリと律に会うことがなくなったことだ。
声優仲間の噂によると、最近事務所を移籍したらしい。
そして移籍と同時に、アニメの仕事が激減したのだそうだ。
時折洋画の吹き替えなどの仕事をしているようだ。
そうなるとアニメの仕事がほとんどの木佐とは、会う機会がない。

まさかあのことが原因?
木佐はにわかに心配になっていた。
だが同時に、ホッとする気持ちもあるのだ。
仕事の数は限りがあり、それをたくさんの声優で取り合っている世界。
ランキング3位の声優が消えれば、チャンスが増える。
そしてそんなことを考えると、ますます気分が落ち込んでくる。

「俺って嫌なヤツ」
木佐は独り暮らしの部屋に帰宅すると、ドアを閉めるなりポツリと呟く。
独り言のつもりだったのに「何がです?」と問いかけられて「うわわ!」と飛び上がった。
目下のところ、通い同棲中の恋人にして声優の雪名が部屋にいる。
仕事が早く終わったのか、木佐の部屋にやって来て、合鍵で入室したようだ。

「最近元気がないから心配で。悩みがあるなら言ってくださいよ」
雪名はキラキラした笑顔で、そう言った。
悩みなんてないと言いたいところだが、年下の恋人は敏感だ。
っていうか木佐がわかりやすいという方が正解だろう。
とにかく誤魔化せないことはわかっている。

「別に。言っても解決しないし。」
「じゃあ一緒に悩みますよ。」
キラキラ王子様は、太陽のように眩しい。
木佐は思わずそのオーラによろめきながら「あのさ」と口を開いた。
何のことはない、聞いてほしいのだ。

「律っちゃんのことなんだ。」
木佐がそう前置きして話し始めると、恋人は真剣な顔で聞いてくれる。
こんな状況でも幸せだと思う自分はやっぱり嫌なヤツだと、木佐は思った。

*****

久し振りだな。彼に会うのは。
羽鳥は照れくさそうに笑う律を見ながら、そう思った。

その日、羽鳥は洋画の吹き替えの仕事だった。
日本では知らないものはいない有名なハリウッド俳優の吹き替え。
ここ数年、この俳優の吹き替えは全部羽鳥のところに来る。
今ではこの俳優は羽鳥の声とセットで楽しんでくれるファンも多いらしい。
それは声優としてはすごく光栄なことだ。

予定の時間より早く来た羽鳥は、スタジオの前で待っていた。
このスタジオは、映画の吹き替えの収録によく使われる。
今はまだ別の吹き替えが行われているようで、中には入れない。
廊下に張り出された予定表によると、前の収録は韓流ドラマのようだ。

韓流ドラマはやったことがないな。
羽鳥はぼんやりとそう思った。
そもそも見たことがないのだが、なにかドロドロした愛憎劇というイメージがある。
多分羽鳥の得意分野ではないが、もしオファーが来たらできるだろうか?
そんなことを考えていたとき、ドアの前の収録中を示すランプが消えた。
どうやら終わったらしい。
程なくして、中から何人かのキャストとスタッフが出て来た。
その中の1人は、アニメで何度か共演した顔見知りだ。

「あ、こんにちは。羽鳥さん」
相手も羽鳥に気付いたようで、こちらに歩み寄って来ると、笑顔で頭を下げた。
後輩声優の織田律だ。
羽鳥も気さくな声で「今、終わりか?お疲れ」と応じる。

「韓流ドラマは初めてか?」
「はい。苦戦してます。いきなり怒り出したり泣いたり。アニメとも洋画とも違います。」
「俺はやったことはないんだ。そんなにむずかしいか?」
「少なくても俺にとっては。いきなりテンションが上がったり下がったり、もう大変です。」

久し振りだな。彼に会うのは。
羽鳥は照れくさそうに笑う律を見ながら、そう思った。
実は気になっていたのだ。
少し前、恋人である吉野が、ひどく落ち込んだ様子で羽鳥の部屋に来た。
一目見て、思いつめていることがわかった。
そこで問い詰めて、吉野が律に余計なことを言ったことを知った。
しかもそれ以来、律はアニメの仕事をしなくなったという。
もしかしたら自分のせいではないかと、吉野はくよくよと考え込んでいる。

これは確かめるいいチャンスかもしれない。
羽鳥はさり気なさを装いながら「最近、なかなか会わないな」と切り出してみる。
すると律は「ええ、そうですね」と苦笑した。

「やっぱり当分、顔を出す仕事はやめようと思いまして。必然的にアニメが減りました。」
律はあっけらかんとそう答えた。
アニメはイベントやら事前インタビューやらトークショーやら声優が顔を出す場面が多い。
メジャーな作品ほど、その傾向は強くなる。
顔を出したくないとなれば、仕事は当然減るだろう。

「もしかして吉川に言われたせいか?」
羽鳥は思い切って、そう聞いてみた。
すると律は一瞬、キョトンとした表情になる。
だがすぐに笑顔に戻ると「そうですね」と答えた。

「グダグダ迷ってたんですが、吉川さんに言われて吹っ切れました。ってよくご存じですね。」
「あいつが気にしてたからな」
「そうなんですか?こっちはすごく感謝してるんですけどね。」
律が迷いのない表情で力強くそう告げた瞬間、後ろから「羽鳥さん!」と声がかかった。
残念ながら、羽鳥の収録の時間だ。
律は「それじゃ失礼します」と一礼すると、軽やかに去って行った。

とりあえず律は吉野に感謝している。
あの表情は決して嘘ではないだろう。
この話をしてやれば、少しは吉野の気も晴れるかもしれない。
羽鳥はコホンと咳払いをすると、収録スタジオの中に入っていった。

*****

ったく、手がかかる!
敏腕マネージャーは、心の中でこっそりと悪態をついた。

横澤隆史は、芸能プロダクションでマネージャーをしている。
担当するのは、事務所に所属する何名かの若手声優。
その中で一番人気は嵯峨政宗こと高野政宗だ。
高野の仕事のマネージメントだけでも、それなりに時間は取られる。
だがその他の声優たちの方が大変だ。
特にまだメジャーになれていない者を売り込んで。仕事を確保しなければならない。
とにかく忙しいのだ。

そんな横澤に、さらに追い打ちをかけるように担当の声優が増えた。
最近、他の事務所から移籍してきた織田律こと小野寺律だ。
最初にその名を聞いた時には、さほど大変とは思わなかった。
何しろ、あの高屋敷作品に主演をした人気声優だ。
わざわざ横澤が何かしなくても、仕事は来るだろう。

だがこの律の仕事の条件が、とにかくきつかった。
何と顔が出るような仕事はしたくないというのだ。
つまり声の収録以外のイベントなどはやらないということだ。
それだけでアニメの仕事はかなり難しくなる。
しかも当の律の言い草がまた癪に触った。

「どうしても顔出しの仕事しか取れなければ、仕方ないんですけど」
律はシレッとそう言ったのだ。
本人はさほど何も考えていないのだろうが、これは横澤のマネージャー魂に火をつけた。
こちらの希望する条件で仕事を取って来いという挑戦のように聞こえたのだ。

「横澤、あいつ、どう?」
その日も横澤は、自分のデスクで律の仕事を取ろうと電話をかけまくっていた。
すると背後から、この事務所の社長、井坂龍一郎に声を掛けられたのだ。
あいつというのは言うまでもなく、織田律のことだ。

「はぁ、まぁ、何とか」
横澤は慌ててそう答えると、立ち上がろうとする。
だが井坂は「いいから。座ったままで」と気さくな笑顔を見せた。
その斜め後ろには、まるで背後霊のように秘書の朝比奈が控えている。

「吹き替えばっかじゃなくて、アニメもやらせてやれよ。」
「そう言いますが、顔出しNGじゃ今、どこも取ってくれませんよ。」
「そこを何とかするのが、お前の腕だろ?」
「簡単におっしゃいますが」
「俺も子供の頃、アニメのキャラと声優のイメージが違って、がっがりしたことがあったんだ。」

横澤は心の中で「ダメだ、これは」と思った。
声優は声の仕事、顔を出すべきじゃない。
律のそんなポリシーに、井坂はすっかり共感してしまったらしい。
それにどうやら「マネージャー養成ギブス」でもあるようだ。
今時顔出しNGなんて無理難題を言う声優の仕事を取ってくること。
これはマネージャーにとってなかなかの試練だ。
井坂は敢えてそれをさせることで、横澤の能力を計っているような節も見えるのだ。

「とにかく早急に、織田にアニメの仕事、取ってやれ」
「・・・はい」
「ちょい役じゃダメだぞ。主役、もしくは重要な役、な。」
井坂はさっさと自分の用件だけ告げると「じゃあな」と手を振りながら、去って行った。
残された横澤はその後姿を見送りながら、力なくため息をつく。

ったく、手がかかる!
敏腕マネージャーは、心の中でこっそりと悪態をついた。
どいつもこいつも、どうしてこう自己主張が強いのだろう。

【続く】
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