呪文っぽい7台詞
【後日談 これが私の生きる道(前編)】
「君のことが大好きだ。」
律はもうこれ以上は無理ってほどの糖度を込めて、そう告げる。
するとブースの向こうから「OKです!」と叫ぶスタッフの声が聞こえてきた。
声優、織田律こと小野寺律は戸惑っていた。
かつて父が主演した往年の名作アニメのリメイク作品。
有名な監督が手掛けて、デザインも格段に美しくカッコよくなった。
これに主演した律は、一躍人気者になった。
それまでは主演作品はBLアニメだけで、それほど注目はされていなかったと思う。
そもそも顔写真も本名も明かしておらず、顔出しのイベントは避けまくっていた。
声優とは声の仕事であるし、下手に顔を出すと役のイメージを壊す。
そういうポリシーの元で仕事をしていたからだ。
だがかのリメイク作品だけはと割り切り、本名を名乗り、イベントにも参加した。
その結果、とにかく知名度が上がってしまったのだ。
それをまず実感したのは、仕事だ。
律を名指しした依頼が増えたし、内容も主演、もしくは物語の中で重要な役ばかりだ。
それに顔出しOKになったとみなされたようで、イベントやアニメ雑誌などのインタビューなども。
CDデビューとか、果てはドラマ出演の話まで来ているらしい。
律は本人には自覚はないが、タレントでも通りそうなほどルックスもいいのだ。
だから事務所は顔出しの仕事を積極的に入れるようになった。
しかも先に決めてから律に伝えて、ことわれないような状況にしてしまうのだ。
事前に律に言えばことわってしまうことがわかっているからだろう。
こうして律の希望とは違う仕事ばかりこなす日々になった。
ちなみに今日は、スマートフォン向けのアプリのキャラクターのセリフの収録だ。
この仕事は本当に苦手だった。
女性向けの疑似恋愛アプリで、恋人はアプリを使うユーザー、つまり不特定多数なのだ。
アニメや洋画の吹き替えと違い、相手のリアクションがわからないセリフは本当に難しい。
「君のことが大好きだ。」
律はもうこれ以上は無理ってほどの糖度を込めて、そう告げる。
するとブースの向こうから「OKです!」と叫ぶスタッフの声が聞こえてきた。
律はホッと息をつくと、スタッフに軽く頭を下げたものの、どうにもしっくりこなくて不安だ。
本当にOKなのだろうか。
とりあえずわからないから、ただただ甘く囁いただけのセリフなのに。
律はため息をつきながら、台本の次のセリフの確認を始めた。
*****
「律っちゃん、おめでとう!」
木佐が、律に拍手を送る。
吉野は何のことだかわからないまま、とりあえず「おめでとう」と告げた。
吉川千春こと吉野千秋は、スマートフォン向けのアプリの仕事で、とあるスタジオにいた。
同じ仕事で来ていたのは、先輩の木佐翔太と後輩の織田律だ。
とはいえ、3人がからむシーンはないので、収録は別々。
そして昼休憩になり、3人はスタジオがあるビルの1階のカフェでランチタイムとなった。
それぞれがレジで軽食と飲み物を選び、会計をしてから、席に座る。
そして3人が同じテーブルに腰を下ろして、食べ始めた途端、木佐が口を開いた。
「律っちゃん、おめでとう!」
木佐が、律に拍手を送る。
吉野は何のことだかわからないまま、とりあえず「おめでとう」と告げた。
すると当の律も目をパチパチと瞬かせながら「何がです?」と聞いてきた。
「今年の声優ランキング、男性部門で3位だったじゃない!」
木佐がそう告げると、律が「あ、でも、あれはまぐれです」と答えている。
あるアニメ雑誌が主催する声優ランキングは、読者が好きな声優を投票で決めるものだ。
これで律は今回、男性部門で3位という結果だった。
ちなみに1位は羽鳥芳雪、2位は高野政宗。
4位が美濃奏、5位が雪名皇、6位が木佐翔太だ。
「高屋敷監督の映画で主役をやらせてもらったから。俺の力じゃないです。」
「去年のランク外から大躍進なのに。律っちゃんは謙虚だね。」
あっさりと答える律に、木佐は明るくそう告げた。
それを聞きながら、吉野は面白くない気分でサンドイッチをかじった。
実は吉野は昨年度は5位だったのだが、今回は10位に落ちてしまっていたのだ。
わかっているのだ。
これはあくまで好き嫌いの問題で、声優として優秀かどうかとは違う。
ブームのアニメに出れば一気に人気が上がったり、逆に少し休めば落ちたりする。
吉野は少し前に体調を崩してしまい、このランキングの投票時期にやっている作品には出ていなかった。
だけどやっぱりランキングは上がれば嬉しいし、下がれば寂しいものだ。
「俺はあくまで声優なのに。俺本人が目立ったり騒がれるのって、どうなんでしょう。」
律はため息をつきながら、フォークでトマトソースのパスタをつついている。
その言葉に、吉野はカチンときた。
ランキングが上位なら、素直に喜べばいい。
律があまり自分の顔を出したくないと思っていることは知っている。
だけどそれは今顔を出して活動している声優たちの仕事を、否定することじゃないだろうか。
「織田さんって、結構上から目線ですよね。」
気が付くと、ふとそんなことを口走っていた。
そしてその場の空気が凍り付いてしまったことを感じて、慌てて「すみません!」と叫んだ。
ああ、どうして俺ってこう考えなしなんだろう。
吉野はガックリと肩を落とすと、残りのサンドイッチを口に押し込んだ。
最初は美味しかったはずのサンドイッチも、もう味などわからなかった。
*****
「何だ、どうした?」
高野は今夜もわかりやすく落ち込む恋人に声をかける。
律は明らかに不機嫌な様子で「何でもないです」と答えた。
高野政宗は、ランキング2位の売れっ子声優だ。
街を歩けば黄色い声が飛び交うイケメンで、とにかく女子人気が高い。
そんな高野の恋人は、同じく女子に大人気の声優、織田律だ。
男同士、誰にも秘密の恋愛をしている2人は、現在同棲中だ。
表向きは同じマンションの隣同士に住んでいることになっており、部屋も借りている。
だが実際は律は高野の部屋に寝泊まりしている。
2人が人気声優であるから、おおっぴらにはできない恋。
だがこうして2人だけの部屋なら、堂々と愛し合える。
一緒に暮らしてみてわかることだが、律は意外とネガティブだ。
ここ最近の声優ブームに反して、つい最近まで顔出しNGなんて言ってた頑固者。
それなのにちょっとしたことですぐ落ち込んだりする。
それはきっと律自身ではどうにもならないところに起因している。
父親が大御所ベテラン声優であり、その父の事務所に所属している。
人気の職業であり狭き門である声優に、すんなりとなれたのはそのせいだと思っている。
少し前に大ブレイクした作品だって、過去に父親が演じた作品だ。
そこが律の自信のなさにつながるのだと、高野は思っている。
「何だ、どうした?」
高野は今夜もわかりやすく落ち込む恋人に声をかける。
律は明らかに不機嫌な様子で「何でもないです」と答えた。
本人的には、何でもない振りを装っているようだが、バレバレだ。
仕事以外では演技力ゼロなのも、高野のツボだったりする。
「俺って、上から目線ですか?」
「はぁ?」
「一生懸命、仕事してるつもりなんだけどなぁ。。。」
律はポツリとそう呟くと、肩を落として俯いてしまった。
どうやら誰かに「上から目線」と言われたらしい。
それはきっと律の「声優は表に出ないべき」という持論についてだろう。
律はきっと何の気なしに言ったに違いない。
だが今の時代に反した意見に、反感を覚える声優だって少なくないはずだ。
ましてや人気ランキング3位が言えば、嫌味度が増す。
「お前さ、うちの事務所に移籍しない?」
高野は前々から考えていたことを、思い切ってぶつけてみた。
今の事務所は律本人をどんどん表に出そうとしており、律がそれで迷っていることがわかる。
高野の事務所は比較的自由な雰囲気なので、もっと律の希望を聞いた売り方をするだろう。
「え?」
それほど意外な提案だったのだろう。
律は大きな目をさらに見開いたまま、しばらく言葉が出なかった。
【続く】
「君のことが大好きだ。」
律はもうこれ以上は無理ってほどの糖度を込めて、そう告げる。
するとブースの向こうから「OKです!」と叫ぶスタッフの声が聞こえてきた。
声優、織田律こと小野寺律は戸惑っていた。
かつて父が主演した往年の名作アニメのリメイク作品。
有名な監督が手掛けて、デザインも格段に美しくカッコよくなった。
これに主演した律は、一躍人気者になった。
それまでは主演作品はBLアニメだけで、それほど注目はされていなかったと思う。
そもそも顔写真も本名も明かしておらず、顔出しのイベントは避けまくっていた。
声優とは声の仕事であるし、下手に顔を出すと役のイメージを壊す。
そういうポリシーの元で仕事をしていたからだ。
だがかのリメイク作品だけはと割り切り、本名を名乗り、イベントにも参加した。
その結果、とにかく知名度が上がってしまったのだ。
それをまず実感したのは、仕事だ。
律を名指しした依頼が増えたし、内容も主演、もしくは物語の中で重要な役ばかりだ。
それに顔出しOKになったとみなされたようで、イベントやアニメ雑誌などのインタビューなども。
CDデビューとか、果てはドラマ出演の話まで来ているらしい。
律は本人には自覚はないが、タレントでも通りそうなほどルックスもいいのだ。
だから事務所は顔出しの仕事を積極的に入れるようになった。
しかも先に決めてから律に伝えて、ことわれないような状況にしてしまうのだ。
事前に律に言えばことわってしまうことがわかっているからだろう。
こうして律の希望とは違う仕事ばかりこなす日々になった。
ちなみに今日は、スマートフォン向けのアプリのキャラクターのセリフの収録だ。
この仕事は本当に苦手だった。
女性向けの疑似恋愛アプリで、恋人はアプリを使うユーザー、つまり不特定多数なのだ。
アニメや洋画の吹き替えと違い、相手のリアクションがわからないセリフは本当に難しい。
「君のことが大好きだ。」
律はもうこれ以上は無理ってほどの糖度を込めて、そう告げる。
するとブースの向こうから「OKです!」と叫ぶスタッフの声が聞こえてきた。
律はホッと息をつくと、スタッフに軽く頭を下げたものの、どうにもしっくりこなくて不安だ。
本当にOKなのだろうか。
とりあえずわからないから、ただただ甘く囁いただけのセリフなのに。
律はため息をつきながら、台本の次のセリフの確認を始めた。
*****
「律っちゃん、おめでとう!」
木佐が、律に拍手を送る。
吉野は何のことだかわからないまま、とりあえず「おめでとう」と告げた。
吉川千春こと吉野千秋は、スマートフォン向けのアプリの仕事で、とあるスタジオにいた。
同じ仕事で来ていたのは、先輩の木佐翔太と後輩の織田律だ。
とはいえ、3人がからむシーンはないので、収録は別々。
そして昼休憩になり、3人はスタジオがあるビルの1階のカフェでランチタイムとなった。
それぞれがレジで軽食と飲み物を選び、会計をしてから、席に座る。
そして3人が同じテーブルに腰を下ろして、食べ始めた途端、木佐が口を開いた。
「律っちゃん、おめでとう!」
木佐が、律に拍手を送る。
吉野は何のことだかわからないまま、とりあえず「おめでとう」と告げた。
すると当の律も目をパチパチと瞬かせながら「何がです?」と聞いてきた。
「今年の声優ランキング、男性部門で3位だったじゃない!」
木佐がそう告げると、律が「あ、でも、あれはまぐれです」と答えている。
あるアニメ雑誌が主催する声優ランキングは、読者が好きな声優を投票で決めるものだ。
これで律は今回、男性部門で3位という結果だった。
ちなみに1位は羽鳥芳雪、2位は高野政宗。
4位が美濃奏、5位が雪名皇、6位が木佐翔太だ。
「高屋敷監督の映画で主役をやらせてもらったから。俺の力じゃないです。」
「去年のランク外から大躍進なのに。律っちゃんは謙虚だね。」
あっさりと答える律に、木佐は明るくそう告げた。
それを聞きながら、吉野は面白くない気分でサンドイッチをかじった。
実は吉野は昨年度は5位だったのだが、今回は10位に落ちてしまっていたのだ。
わかっているのだ。
これはあくまで好き嫌いの問題で、声優として優秀かどうかとは違う。
ブームのアニメに出れば一気に人気が上がったり、逆に少し休めば落ちたりする。
吉野は少し前に体調を崩してしまい、このランキングの投票時期にやっている作品には出ていなかった。
だけどやっぱりランキングは上がれば嬉しいし、下がれば寂しいものだ。
「俺はあくまで声優なのに。俺本人が目立ったり騒がれるのって、どうなんでしょう。」
律はため息をつきながら、フォークでトマトソースのパスタをつついている。
その言葉に、吉野はカチンときた。
ランキングが上位なら、素直に喜べばいい。
律があまり自分の顔を出したくないと思っていることは知っている。
だけどそれは今顔を出して活動している声優たちの仕事を、否定することじゃないだろうか。
「織田さんって、結構上から目線ですよね。」
気が付くと、ふとそんなことを口走っていた。
そしてその場の空気が凍り付いてしまったことを感じて、慌てて「すみません!」と叫んだ。
ああ、どうして俺ってこう考えなしなんだろう。
吉野はガックリと肩を落とすと、残りのサンドイッチを口に押し込んだ。
最初は美味しかったはずのサンドイッチも、もう味などわからなかった。
*****
「何だ、どうした?」
高野は今夜もわかりやすく落ち込む恋人に声をかける。
律は明らかに不機嫌な様子で「何でもないです」と答えた。
高野政宗は、ランキング2位の売れっ子声優だ。
街を歩けば黄色い声が飛び交うイケメンで、とにかく女子人気が高い。
そんな高野の恋人は、同じく女子に大人気の声優、織田律だ。
男同士、誰にも秘密の恋愛をしている2人は、現在同棲中だ。
表向きは同じマンションの隣同士に住んでいることになっており、部屋も借りている。
だが実際は律は高野の部屋に寝泊まりしている。
2人が人気声優であるから、おおっぴらにはできない恋。
だがこうして2人だけの部屋なら、堂々と愛し合える。
一緒に暮らしてみてわかることだが、律は意外とネガティブだ。
ここ最近の声優ブームに反して、つい最近まで顔出しNGなんて言ってた頑固者。
それなのにちょっとしたことですぐ落ち込んだりする。
それはきっと律自身ではどうにもならないところに起因している。
父親が大御所ベテラン声優であり、その父の事務所に所属している。
人気の職業であり狭き門である声優に、すんなりとなれたのはそのせいだと思っている。
少し前に大ブレイクした作品だって、過去に父親が演じた作品だ。
そこが律の自信のなさにつながるのだと、高野は思っている。
「何だ、どうした?」
高野は今夜もわかりやすく落ち込む恋人に声をかける。
律は明らかに不機嫌な様子で「何でもないです」と答えた。
本人的には、何でもない振りを装っているようだが、バレバレだ。
仕事以外では演技力ゼロなのも、高野のツボだったりする。
「俺って、上から目線ですか?」
「はぁ?」
「一生懸命、仕事してるつもりなんだけどなぁ。。。」
律はポツリとそう呟くと、肩を落として俯いてしまった。
どうやら誰かに「上から目線」と言われたらしい。
それはきっと律の「声優は表に出ないべき」という持論についてだろう。
律はきっと何の気なしに言ったに違いない。
だが今の時代に反した意見に、反感を覚える声優だって少なくないはずだ。
ましてや人気ランキング3位が言えば、嫌味度が増す。
「お前さ、うちの事務所に移籍しない?」
高野は前々から考えていたことを、思い切ってぶつけてみた。
今の事務所は律本人をどんどん表に出そうとしており、律がそれで迷っていることがわかる。
高野の事務所は比較的自由な雰囲気なので、もっと律の希望を聞いた売り方をするだろう。
「え?」
それほど意外な提案だったのだろう。
律は大きな目をさらに見開いたまま、しばらく言葉が出なかった。
【続く】