呪文っぽい7台詞
【天界の歌声は癒しの歌】
「天界の歌声は癒しの歌」
美濃は感情をたっぷり込めて、セリフをつむぐ。
マイクを通してエコーがかかった声が、スタジオ内に響いた。
美濃奏の本業は声優だが、歌手の仕事も多くこなしている。
もうすぐアルバムをリリースする予定だ。
そのレコーディングのために、美濃は音楽スタジオにいた。
美濃は元々歌うことにさほど興味があったわけではない。
だが1度「キャラソン」と称して、演じたキャラクター名義でCDを出した。
それが思いのほか好評だった。
キャラソンとしてはまぁまぁ売れた方らしい。
何より美濃自身も歌うことが楽しかったのだ。
だから事務所には、歌の仕事は積極的に入れて欲しいと言ってある。
今はそのレコーディングの休憩時間。
スタジオに誰もいないのをいいことに、もうすぐ受けるオーディションのセリフを練習していた。
だが残念ながら練習にはなりそうにない。
音楽用のマイクは無駄に音を響かせてしまう。
普通に喋っただけでも2割増くらいでカッコよく聞こえるのだ。
マイクを切って練習しようかと思ったが、やめた。
今は歌の仕事で来ているのだ。
他の仕事の練習で気を張るより、一息入れて気分転換した方がいいだろう。
*****
スタジオを出た美濃は、別のスタジオから知っている人物が出てきたのを見つけた。
若手声優の織田律だ。
美濃は律が主役を演じたBLアニメで共演していた。
律本人とは、さほど話をしたわけではない。
だが律についてはあまりいい印象を持っていなかった。
律は声優は顔を出さないのがいいと思っているそうで、徹底して顔出しイベントなどには出ない。
それどころかラジオなど、自分のキャラクターが出てしまう仕事は一切避けていた。
実は美濃もデビュー当時は、それが理想だと思っていた。
だがそうもいかないのが、今の声優業の現実なのだ。
声の仕事は俳優や芸人やアイドルなど、声の仕事を本業としていないタレントに侵食されつつある。
特に映画などは、主役に話題の人物を起用することで宣伝を兼ねるケースが増えている。
専門職である声優としては、本当に厳しい話だ。
やりたかった役がもらえず、それを下手くそなタレントがやっていたりすると泣きたくなる。
これに対して声優を抱える事務所などでは、逆に積極的に声優を露出させる作戦を取る傾向にある。
多いのは歌やラジオのパーソナリティだ。
そうして存在をアピールすればファンも増えるし、本業へのプレゼンテーションになる。
それができない声優は、なかなかトップに上がれない。
だが律は相変わらず露出を避けているのに、ちょこちょこと仕事はしているようだ。
そんなときに聞いたのが、律の出自についての噂だった。
大御所声優の息子であり、父親がトップを務める事務所に所属している。
なるほど、若手のクセに仕事を選んでいられる理由はそこか。
美濃は皮肉っぽくそう思ったのだ。
*****
「こんにちは。織田君。」
「あ、美濃さん。ご無沙汰してます。」
美濃が声をかけると、律はニコニコと挨拶を返してきた。
この笑顔を性格がいいと取るか、世間知らずのおぼっちゃまと取るかはその人次第だろう。
美濃は皮肉っぽくそんなことを考えた。
「まさか織田君、レコーディング?」
「いえ、今日はボイトレです。でも俺も歌を出さなきゃいけない感じになってきてて。」
「へぇぇ!織田君が?」
これには美濃も心の底から驚いた。
BLアニメのときにも、キャラソンを出す話があったのだ。
でも主役の嵯峨と律が辞退したためにその話はなくなった。
美濃はそのアニメでは出番も少なかったので、関係ない。
だが共演の声優が文句を言っていたのを覚えている。
嵯峨と律がキャラソンの仕事を受ければ、自分にも話があったのにと。
彼は恋敵役で準主役と言うべきポジションだったから、可能性は高かっただろう。
とにかくそんな律が歌を出すとは、どういう心境の変化だろう。
「今度やるアニメの主題歌を歌わなきゃいけないみたいなんです。」
「もしかして高屋敷監督の?やっぱりアレの主役、織田君なんだ。」
「よく御存知ですね。」
「まぁ今、声優の間では一番の話題だしね。」
作品の有名さや高屋敷の知名度と共に、話は広がっている。
かつて一世を風靡した名作のリメイク作品を、息子が演じるという噂だ。
もしかして織田律は、このために大御所声優の息子であることを隠していたのかとさえ言われていた。
そういえばオリジナル作品も主役だった律の父親が、主題歌を歌っていた。
「同じ歌を歌うの?」
「ええ。アレンジは今風に変えるみたいですが。あ、まだ発表前なんで。」
あの作品は高屋敷監督の手でリメイクされることは発表されたが、キャストや主題歌など未発表だ。
そもそもまだ声優のオーディションをしている状態なのだ。
それを思わず話してしまったことで、律は焦っているようだ。
美濃だってそんなことは心得ているが、中には愚か者もいる。
ブログだかツイッターで放送前のストーリーを暴露して、バッシングされた声優もいるのだ。
「大丈夫。口外しないから。」
美濃がそう言ってやると、律はホッとした表情になった。
そこら辺の口が軽いヤツと同等に見られたのは少々気に入らない。
だがそれほど深い付き合いではないのだし、仕方ないと思い直した。
*****
「それにしても意外。織田君は歌も自分の素性を発表するのも嫌がってたのに。」
美濃は少しだけ皮肉を込めて、そう言ってやった。
鈍い人間だったらきっと気付かないわずかな棘。
律はすぐに「でしょ?」と悪戯っぽく笑う。
美濃はそれをおもしろいと思った。
どうやら律は美濃の皮肉に気付いたようだ。
だが驚くでも怒るでもなく、冷静に受け止めた。
そして笑顔で返す余裕さえある。
どうやらただの世間知らずの七光りではなさそうだ。
「今回は本名で仕事するつもりなんです。頼まれれば顔も出すし、歌だって歌います。」
「すごい方向転換だね。」
「ええ。迷いましたけど。こういう仕事が来て、しかもお受けする前からもうかなり噂になってるでしょ?」
「確かに。。。」
「ことわれば逃げたって言われるだろうし。腹を括るしかないですよ。」
美濃は「なるほど」と頷いた。
きっかけが律の言う通り、噂なのかどうかはわからない。
だが腹を括ったのは、間違いないようだ。
律は「今回は本名で仕事するつもり」と言った。
それは、どういう意味なのだろう。
これ以降、ずっと本名で顔を出して仕事をするのか。
それともこれが終わったら、また織田律に戻って顔を隠していくのか。
美濃はそれを聞こうと思ったが、すぐに思い留まった。
ひどく無粋な気がするからだ。
それにおそらく今は律本人も、その答えに迷っているのだろう。
*****
「美濃さんは俺のこと、嫌いでしょ?」
「え?」
「親の力で仕事もらって、顔を出さないってポリシーもあっさり変えて。嫌なヤツでしょ?」
「自虐的だなぁ。」
美濃が律から感じたのは、諦めだった。
多分律は親のことや自分のポリシーのことで非難されることに慣れてしまっている。
だから今さら人に嫌われることになど動じない。
皮肉を言われても、揶揄されても、笑って受け流せるのだ。
「実を言うと、今ここで話をするまでは嫌いだった。でも今は織田君のこと、好きだよ。」
美濃は正直にそう答えた。
思いがけず、傷つきながらも強く美しい律の素顔を垣間見た。
こういうしたたかな人間は好きなのだ。
ただ綺麗な人間よりも深みがあって、魅力的だと思う。
「じゃあ美濃さんはリストには入れられませんね。」
「リスト?」
「俺が父よりも偉大な声優になったら、見返してやるヤツのリスト。」
「そんなのがあるの?」
「結構な人数が載ってますよ。」
美濃は大真面目に怖いことをいう律に、苦笑する。
とにかく不名誉なリストに名前を連ねる事態は避けられたようだ。
「高屋敷監督のアニメ、実は俺もオーディションを受けるんだ。」
「え?そうなんですか?」
「合格すれば、俺も織田君と一緒に正義のために戦うことになるんで。よろしく。」
「え?」
美濃はそれだけ言うと、何か言いたそうな表情の律に背を向けた。
もうそろそろ休憩も終わりだ。
さっさとスタジオに戻って、仕事をしよう。
高屋敷のアニメは、美濃にとっては仕事の1つに過ぎない。
監督のイメージと自分の声が合えば、役がもらえる。
それでも今回は何としてもオーディションに合格したいと思う。
この強くて美しくておもしろい青年と、一緒に地球を守るのも悪くない。
【続く】
「天界の歌声は癒しの歌」
美濃は感情をたっぷり込めて、セリフをつむぐ。
マイクを通してエコーがかかった声が、スタジオ内に響いた。
美濃奏の本業は声優だが、歌手の仕事も多くこなしている。
もうすぐアルバムをリリースする予定だ。
そのレコーディングのために、美濃は音楽スタジオにいた。
美濃は元々歌うことにさほど興味があったわけではない。
だが1度「キャラソン」と称して、演じたキャラクター名義でCDを出した。
それが思いのほか好評だった。
キャラソンとしてはまぁまぁ売れた方らしい。
何より美濃自身も歌うことが楽しかったのだ。
だから事務所には、歌の仕事は積極的に入れて欲しいと言ってある。
今はそのレコーディングの休憩時間。
スタジオに誰もいないのをいいことに、もうすぐ受けるオーディションのセリフを練習していた。
だが残念ながら練習にはなりそうにない。
音楽用のマイクは無駄に音を響かせてしまう。
普通に喋っただけでも2割増くらいでカッコよく聞こえるのだ。
マイクを切って練習しようかと思ったが、やめた。
今は歌の仕事で来ているのだ。
他の仕事の練習で気を張るより、一息入れて気分転換した方がいいだろう。
*****
スタジオを出た美濃は、別のスタジオから知っている人物が出てきたのを見つけた。
若手声優の織田律だ。
美濃は律が主役を演じたBLアニメで共演していた。
律本人とは、さほど話をしたわけではない。
だが律についてはあまりいい印象を持っていなかった。
律は声優は顔を出さないのがいいと思っているそうで、徹底して顔出しイベントなどには出ない。
それどころかラジオなど、自分のキャラクターが出てしまう仕事は一切避けていた。
実は美濃もデビュー当時は、それが理想だと思っていた。
だがそうもいかないのが、今の声優業の現実なのだ。
声の仕事は俳優や芸人やアイドルなど、声の仕事を本業としていないタレントに侵食されつつある。
特に映画などは、主役に話題の人物を起用することで宣伝を兼ねるケースが増えている。
専門職である声優としては、本当に厳しい話だ。
やりたかった役がもらえず、それを下手くそなタレントがやっていたりすると泣きたくなる。
これに対して声優を抱える事務所などでは、逆に積極的に声優を露出させる作戦を取る傾向にある。
多いのは歌やラジオのパーソナリティだ。
そうして存在をアピールすればファンも増えるし、本業へのプレゼンテーションになる。
それができない声優は、なかなかトップに上がれない。
だが律は相変わらず露出を避けているのに、ちょこちょこと仕事はしているようだ。
そんなときに聞いたのが、律の出自についての噂だった。
大御所声優の息子であり、父親がトップを務める事務所に所属している。
なるほど、若手のクセに仕事を選んでいられる理由はそこか。
美濃は皮肉っぽくそう思ったのだ。
*****
「こんにちは。織田君。」
「あ、美濃さん。ご無沙汰してます。」
美濃が声をかけると、律はニコニコと挨拶を返してきた。
この笑顔を性格がいいと取るか、世間知らずのおぼっちゃまと取るかはその人次第だろう。
美濃は皮肉っぽくそんなことを考えた。
「まさか織田君、レコーディング?」
「いえ、今日はボイトレです。でも俺も歌を出さなきゃいけない感じになってきてて。」
「へぇぇ!織田君が?」
これには美濃も心の底から驚いた。
BLアニメのときにも、キャラソンを出す話があったのだ。
でも主役の嵯峨と律が辞退したためにその話はなくなった。
美濃はそのアニメでは出番も少なかったので、関係ない。
だが共演の声優が文句を言っていたのを覚えている。
嵯峨と律がキャラソンの仕事を受ければ、自分にも話があったのにと。
彼は恋敵役で準主役と言うべきポジションだったから、可能性は高かっただろう。
とにかくそんな律が歌を出すとは、どういう心境の変化だろう。
「今度やるアニメの主題歌を歌わなきゃいけないみたいなんです。」
「もしかして高屋敷監督の?やっぱりアレの主役、織田君なんだ。」
「よく御存知ですね。」
「まぁ今、声優の間では一番の話題だしね。」
作品の有名さや高屋敷の知名度と共に、話は広がっている。
かつて一世を風靡した名作のリメイク作品を、息子が演じるという噂だ。
もしかして織田律は、このために大御所声優の息子であることを隠していたのかとさえ言われていた。
そういえばオリジナル作品も主役だった律の父親が、主題歌を歌っていた。
「同じ歌を歌うの?」
「ええ。アレンジは今風に変えるみたいですが。あ、まだ発表前なんで。」
あの作品は高屋敷監督の手でリメイクされることは発表されたが、キャストや主題歌など未発表だ。
そもそもまだ声優のオーディションをしている状態なのだ。
それを思わず話してしまったことで、律は焦っているようだ。
美濃だってそんなことは心得ているが、中には愚か者もいる。
ブログだかツイッターで放送前のストーリーを暴露して、バッシングされた声優もいるのだ。
「大丈夫。口外しないから。」
美濃がそう言ってやると、律はホッとした表情になった。
そこら辺の口が軽いヤツと同等に見られたのは少々気に入らない。
だがそれほど深い付き合いではないのだし、仕方ないと思い直した。
*****
「それにしても意外。織田君は歌も自分の素性を発表するのも嫌がってたのに。」
美濃は少しだけ皮肉を込めて、そう言ってやった。
鈍い人間だったらきっと気付かないわずかな棘。
律はすぐに「でしょ?」と悪戯っぽく笑う。
美濃はそれをおもしろいと思った。
どうやら律は美濃の皮肉に気付いたようだ。
だが驚くでも怒るでもなく、冷静に受け止めた。
そして笑顔で返す余裕さえある。
どうやらただの世間知らずの七光りではなさそうだ。
「今回は本名で仕事するつもりなんです。頼まれれば顔も出すし、歌だって歌います。」
「すごい方向転換だね。」
「ええ。迷いましたけど。こういう仕事が来て、しかもお受けする前からもうかなり噂になってるでしょ?」
「確かに。。。」
「ことわれば逃げたって言われるだろうし。腹を括るしかないですよ。」
美濃は「なるほど」と頷いた。
きっかけが律の言う通り、噂なのかどうかはわからない。
だが腹を括ったのは、間違いないようだ。
律は「今回は本名で仕事するつもり」と言った。
それは、どういう意味なのだろう。
これ以降、ずっと本名で顔を出して仕事をするのか。
それともこれが終わったら、また織田律に戻って顔を隠していくのか。
美濃はそれを聞こうと思ったが、すぐに思い留まった。
ひどく無粋な気がするからだ。
それにおそらく今は律本人も、その答えに迷っているのだろう。
*****
「美濃さんは俺のこと、嫌いでしょ?」
「え?」
「親の力で仕事もらって、顔を出さないってポリシーもあっさり変えて。嫌なヤツでしょ?」
「自虐的だなぁ。」
美濃が律から感じたのは、諦めだった。
多分律は親のことや自分のポリシーのことで非難されることに慣れてしまっている。
だから今さら人に嫌われることになど動じない。
皮肉を言われても、揶揄されても、笑って受け流せるのだ。
「実を言うと、今ここで話をするまでは嫌いだった。でも今は織田君のこと、好きだよ。」
美濃は正直にそう答えた。
思いがけず、傷つきながらも強く美しい律の素顔を垣間見た。
こういうしたたかな人間は好きなのだ。
ただ綺麗な人間よりも深みがあって、魅力的だと思う。
「じゃあ美濃さんはリストには入れられませんね。」
「リスト?」
「俺が父よりも偉大な声優になったら、見返してやるヤツのリスト。」
「そんなのがあるの?」
「結構な人数が載ってますよ。」
美濃は大真面目に怖いことをいう律に、苦笑する。
とにかく不名誉なリストに名前を連ねる事態は避けられたようだ。
「高屋敷監督のアニメ、実は俺もオーディションを受けるんだ。」
「え?そうなんですか?」
「合格すれば、俺も織田君と一緒に正義のために戦うことになるんで。よろしく。」
「え?」
美濃はそれだけ言うと、何か言いたそうな表情の律に背を向けた。
もうそろそろ休憩も終わりだ。
さっさとスタジオに戻って、仕事をしよう。
高屋敷のアニメは、美濃にとっては仕事の1つに過ぎない。
監督のイメージと自分の声が合えば、役がもらえる。
それでも今回は何としてもオーディションに合格したいと思う。
この強くて美しくておもしろい青年と、一緒に地球を守るのも悪くない。
【続く】